侍女の居場所は
教会を訪ねてから数日後。レジスタンスと邂逅した日から一週間。——つまり、約束の期日。レジスタンスから報告を聞くために、ワタシは再びあの路地裏へと足を運んでいた。
「キュ~、キュ~......」
イオは一緒に来ているけど、今は疲れてワタシの懐でお休み中。ここ数日は相当頑張ってもらったし、ゆっくり休んでいて貰いたかったんだけど、何が何でもワタシと行くと言って聞かなかったのだ。まあ結局寝てしまったけど。起こさないように安眠の呪詛を掛けて、ワタシは待機する。
しばらくすると、先日のように周囲から人の気配が幾つも近づいてきては物陰に潜んでいく。こちらには筒抜けだからわざわざ隠れなくてもいいとは思うのだけど、彼らには彼らの事情があるのだろう。
「——待たせたな」
その声が路地裏に響くとともに、横の細道から彼らの纏め役であるガルジが姿を現す。その横にはリッキーもいて、手には紙の束を抱えている。
「その様子だと、目的の物は手に入ったのかしら?」
「無論だ。約束は破らん」
それは良かった。もし満足な仕事も出来ないなら、只じゃ置かなかったし。
リッキーがこちらに近寄り、資料を手渡してくる。その際何かを感じ取ったのか体を一瞬震わせ、やがて諦めたかのような表情をした。うん、段々とワタシの存在に慣れたというか、毒されている気がする。
「お前の探している人物——元ガンダルヴ公爵家所属、末妹専属侍女に関する資料だ。確認しろ」
受け取った資料を精査する。一週間前にワタシが渡したものと、それ以外にいくつかの新たな書類。その一部にはシアズのマークが刻まれている物もある。それは確かにわたしだった頃の侍女——フューリの資料に違いなかった。
「......間違いないわね。それで、肝心の取引相手はどこの物なのかしら?」
この手の奴隷の契約書、それも違法奴隷のものは面倒なことに、売り手買い手共にサインを残していない。その商会を示すマークや各自の血判はあっても、証拠を残さない為か名前を残したりはしない。契約書類としてそれでいいのかと聞いた時には驚いたが、後ろ暗い取引ではこれが普通みたい。商会のマークを残している以上意味は無いと思うのだけど、それはあくまで書類を作った商会であって取引に関与した証拠にはならない、という暴論でどうにでもなるというか権力でどうにかするらしい。
そのせいで、その書類だけではどこの商会に売られたのかが分からない事も多い。屋敷で見つけた資料には幸い売られた先がガズと記載されていたから良かったものを、それすら無ければガズと確信は持てなかっただろう。
という訳で本題。これ——ワタシが今持っている資料からして、フューリは既にシアズ商会の手から離れている。ならこの契約書を結んだ相手——彼女を買った者は一体誰で、今はどこにいるのか。
「......」
「......あら?答えないの?」
すぐに答えると思っていたのだが、意外にもガルジは中々答えない。何か言いにくい事情があるのかと考え、思い当たる可能性の内一番あり得そうなものを口にする。
「......まさか、ガズの外という訳じゃないわよね?」
もしそうなら、彼らには悪いが契約はここで打ち切って彼女の行方を追わなくちゃいけない。それを予想して答えないのかとも思ったが、ワタシのその問い掛けにガルジはそっと首を横に振った以上、彼女はガズ内部にいるのは間違いないだろう。
それなら一体何を言い渋っているのか。口を開いては閉じ、言い淀むガルジの態度に段々とイラついてくる。流石にこちらも我慢の限界があるのだけど、どういうつもりなのか。
「......俺が言います」
思わず問いただそうとしたところで、なんとガルジでなく目の前のリッキーが口を開いた。
「......まず、先に謝罪をさせてくれ。シアズ商会と取引した相手自体は分かったが、そこから先の足取りを追う事は出来なかった。ガズに居ることは間違いないが、どこにいるのか、今どういう状態でいるのかも一切掴めていない」
「......それで?その買った相手は?」
何となく言いたいことは分かった。彼らが言いづらそうにしている理由も。
彼女を買った者は普段はその姿を隠していて、......それでいて悪名は広まっているような奴なのだと。
「——お前の侍女を買った相手の名はオールヴ。五大商会の内の一つ、イジ―商会お抱えの研究者。......魔物の研究と称して様々なイカれた実験、それこそ人体実験などもやっていると噂されているクソ野郎だ」
『......へぇ』
思わず漏れ出た声に呪詛が乗る。その声を聞いた隠れている者達の喉を鳴らす音が静まり返った路地裏に響く。彼らのリーダーであるガルジでさえ、顔を強張らせて額に汗を浮かべている。唯一人、リッキーだけはその表情をほとんど変えず、じっとワタシを見つめていた。
......ふぅ、落ち着こう。元々生きているかも分からない状況だった。ガズにいると分かった時に、最悪の状況にいることも覚悟もしていた。怒りを抱こうと、それを目の前の彼らにぶつけるのは違う。
今は抑え込め。それを内に抱え、奥底でひたすら砥ぎ続ける。——そのクソ野郎を、この手でぶちのめすまで。
「......落ち着いたようだな」
「ええ、悪いわね気を遣わせて」
......それにしても。漏れ出たものだとは言え、呪詛の籠った声を聞いてもリッキーは一切狼狽しなかった。彼より格上のガルジでも動揺を隠しきれていなかったのに。ワタシへの慣れ、じゃないわねこっちは。ワタシと契約したことで腹を括ったのだろう。
「フフッ、随分といい顔をするようになったじゃない」
「......決めた以上、後はやるだけだからな。後、アレの......」
そこまでリッキーが言ったところでそっと指を口に当てる。ワタシとの契約に関してはこの場で口にしない方がいい。レジスタンスを裏切っているわけでは無いが、彼が周りから不信感を持たれかねないし。
ワタシの意図を察して、リッキーも口を噤む。うん、理解が速いようで何より。
「......任せて済まないな、リッキー。それで、こっちが掴めた情報はこれで以上だ」
後ろにいたガルジが、こちらへと声を掛けながら近寄ってくる。流石レジスタンスの代表というべきか、彼に道を開けるために横に逸れたリッキーを見る視線には僅かに疑念が宿っている。さっきのやり取りで、何かあると勘づいたのだろう。
とはいえ、リッキーが裏切るとは思っていないらしく、その場では問いたださずにワタシへと視線を戻した。
「オールヴの居場所は本当に分かっていないのかしら?」
「......噂は幾つかあれど、信憑性がない。シアズのようにその実態が掴めない。ただ、魔物の研究をしている以上、かなり大きな拠点があるのは違いない」
......そうなると、一番怪しいのはアソコだろう。あの場所の特性上、十分に広い地下空間は必須だろうし、クソ野郎の所属とも合致する。
ガルジもそれには気付いているだろうが、確信が無い以上口にする気はないみたい。
まあいいか、おかげで情報は手に入った。ワタシではこれを掴むのにもっと時間が掛かってしまっただろう事は明らかだし。
......それで、だ。
「......じゃ、次の取引といきましょうか。ワタシの必要な物はこれで大体揃ったけど、あなたたちはそうじゃないだろうしね」
ワタシとしてはこれで十分なんだけど、彼らはまだ目的を達していない。わざわざワタシという存在を引き入れてでも為さないといけないことが彼らにはあるのだから。
《——それに関しては、私が話しましょうか》
聞こえてきたのは、相変わらず正体を読ませない無機質な声。どうやら今日も、最初から聞いていたみたい。
「こんばんは、オーナーさん。盗み聞きは趣味が悪いんじゃなくて?」
《ええ、こんばんは。それと人聞きが悪いわね。あなたとの取引に私が関わらないわけないじゃない》
まあ、それもそうだけど。......いい加減、このやり取りも面倒になってきた。
《あなたに求めたいことは幾つかあるわ。もちろん対価に関しては......》
「それは構わないのだけど。——そろそろ、顔を見せたらどうなのかしら」
「っ......」
ワタシの言葉に警戒してか、ガルジが無言のまま体を少し動かす。こちらに向ける視線は少し鋭くなり、いつでも戦闘に移れる姿勢を取る。一方周囲に潜む者達は話についていけていないのか困惑しているし、リッキーもガルジ程顕著な反応はしていない。
この様子からして、このオーナーの正体を知っているのはこの中では彼だけなのだろう。
《......通信機越しじゃいけないのかしら》
オーナーの声も、無機質ながら先程より険を帯びている。
「そういう訳じゃないけどね。直接会わないと話せない事もあるでしょう?」
《......それは》
ああ、もう話が進まない。
「いいわ。なら、こっちから直接行かせてもらうわよ」
《は?何を言って......》
通信の魔術具に干渉しながら、同時に声に微かに呪詛を乗せる。これで空間魔法と呪詛魔法を併用して向こうの座標を特定。
......よし、掴めた。これで行ける。
っと、その前に。目の前にいる二人、それと隠れている者達に向けて一礼する。
「それじゃ失礼するわね。ここからは、こちらで話をつけるわ」
「おいっ!一体何を......」
ガルジの焦る声を聞きながら、ワタシは転移でその場を去った。
転移した先は、何処かの一室。そんなに広くは無いが、調度品は良いものながら落ち着いた雰囲気のもので揃えられ、中々に趣味がいい。
「——こんばんは。それとも初めまして、の方が良かったかしら?」
その部屋の奥、そこにある椅子に腰かける人物へとワタシは声を掛けた。
「......常識外にも程があるでしょう。まさか、ここを突きとめるなんて」
声の主は、二十歳程の女性。急に現れたワタシに驚き目を見開いてはいるものの、叫び声を上げないあたりは流石というべきか。
「それじゃ、改めて自己紹介と行きましょうか。ワタシはアリス。あなたの名は?」
その女性——オーナーは頭を抱えつつも、諦めたようにその名を名乗る。
「......はぁ。——私の名は、エイル・アウルーズ。アウルーズ商会の幹部で、彼らの支援をしている者よ」
次回投稿は10月4日となります。




