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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
二章 狂想曲は業都に響く
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業都にて仕える信徒

 ———ぞわっ。


「っ!?」


 悍ましい悪寒を感じ、背筋に冷たいものが走る。体を纏わりつく、粘着質な欲に濁ったような気配。幸い気配は一瞬で消えたけど、突然の事に警戒しながら周囲を確認する。


「......何、今の。気のせい?」


 体に問題は無いし、さっきの気配も一瞬だけだった。......うん、何もないならきっと気のせいだろう。

 ......それにしても、気持ち悪かった。あんなに気持ちの悪い気配、今まで感じたことは滅多に無い。生理的に受け付けない悪寒とは、ああいうのを言うんだと思う。アレがもし誰かの仕業なら、絶対に地獄に叩き落してやる。




 そんな風に考えながら、ワタシは一人とある場所へと向かっていた。ちなみにイオは別行動中。最初はどこか安全な場所で大人しく待っていてもらうつもりだったのだけど、それは嫌だと駄々をこねられた。かといってこれから行く場所は()()と言ってもいいため、ワタシも連れていくつもりは無い。

 なのでとあるお願い事をして、なんとか納得してもらった。元々お願いするつもりではあったし、あの子の鍛錬にもなるのでちょうど良かった。


 そんなワタシだが、今は認識阻害の呪詛を使っていない。これから向かう場所が場所なので使えない、というのが正しいのだけど。なので、正体がバレないように細工を幾つか施している。服はこの前の形に変えるけど、最近バレやすい顔は追加したヴェール付きの帽子もかぶることで対処。怪しまれるかもしれないけど、仕方が無い。

 後は体表に結界を張っている。気配や隠していても漏れ出る魔力から魔物と断定されるのを防ぐためのもので、今のところ問題は無い。......それに、これから向かう場所はこの結界で影響を防がないと、下手打てば死にかねないし。


 そうして到着したのは、街の西側の一角にある白い建物。十の星が円を成し、その中心に開いた本が描かれた紋章を掲げるとある組織の拠点。


 ——聖典教会の礼拝堂。まさに魔物の敵である教会の拠点である。


 その存在を知った時は随分と驚いた。まさかこの業都に教会があるとは思ってもいなかったから。

 人族を尊重し、亜人を蔑視し、魔物を撲滅すること教義として掲げる聖典教会。対して人だろうが亜人だろうが関係なく奴隷とし、魔物ですら稼ぐための道具として都市に入れるガズ。その在り方は決して相容れるものではない。

 だというのに、まさかそのガズに礼拝堂があるとは思っても見なかった。それが気になり、こうして偵察に来てみたってわけ。それに、ここなら教会の人間もそこまでいないだろうからワタシが魔物だとバレにくいだろうしね。 


 礼拝堂に入るべく扉の取っ手に触れると、何かが結界の表面を走っていったのが見えた。恐らくは礼拝堂そのものに仕掛けられた聖術。人族しか認めない教会らしい仕掛けといえる。......まあ、結界で遮断しておけば問題はないけど。

 扉を開けて中に入る。中の造りはあっちの世界の教会とそう変わりない。長椅子が幾つも並び、奥の少し高いところには講壇が鎮座している。こっちで掲げる物は十字架じゃないし、ステンドグラスなんかも無いけど。

 その礼拝堂の中央付近に、箒を手にして掃除している人物がいた。教会の紋の入った、白い服を着た四十代程の男。男はこちらに気づいて顔を上げ、不思議そうな顔をした。


「おや、ここに来客とは珍しいこともあるものですね。それもお嬢さんとは」

 

そう言うと男性は箒を長椅子に立てかけ、こちらへとお辞儀を返してきた。


「——ようこそ、聖典教会へ。私はこのガズの教会に仕える、ミスト・カーフスと申します」





「......成程、東の小国の出身でしたか」


「はい、父の仕事の関係で少しここを訪れておりまして」


 あの後、ワタシは掃除用具を片付けたミストと名乗る男——どうやら話を聞く限り司祭らしい——と長椅子に腰掛けて話をしていた。むろんワタシの経歴を詐称しているし、顔も隠したままだけど。

 ちなみに、顔を隠していることを咎められることは無い。他ならともかく、ガズでなら顔と身分を隠すことは貴族ならおかしいことは無いし。


「それにしても、ガズをあなたのような年頃の令嬢が独り歩きするのは感心しません。危険があってからでは遅いのですよ」


「......すみません。つい、見知らぬ地に浮かれてしまいまして」


 ......我慢我慢。色々言いたくなるけれど、今のワタシは異国から来た令嬢。情報を得るためにも、ここは演じ切らないと。


「......はぁ。まあいいでしょう。あなたも反省していますし、......それに一人ではなさそうですからね」


「??」


「ああ、何でも無いですよ?」


 そう言ってごまかす司祭。......どうやら、上手く()()()()()()()みたい。

 ......さてと、それじゃ本題といこうかな。


「......それにしても、こんな場所にも教会の礼拝堂があるなんて思いませんでした。大陸西部は帝国の影響も強いので、教会が活動していないと思ってましたから」


 とはいえ、正面から奴隷の事を口に出すわけにはいかない。この都市にいる奴隷だけど、その多くが違法奴隷。表向きに隠匿されているそれを知っていては流石に怪しまれるだろう。......呪詛が使えればもっと楽なのだけど、教会ってことを考えるとそうもいかない。さっきから体に張った結界も場に仕掛けられた魔術に反応しているし。

 なら、引き合いに出すべきイザールの敵国、ハイダル帝国についてが無難。案の定、帝国の名前がでた瞬間、司祭は微かに顔を顰めた。


「......そうですね。確かに帝国の影響が全くないとは言えません。あの国は我らが聖典教会をひどく嫌っていますから」


 ——ハイダル帝国。アルミッガ大陸北西の大国にして、大陸統一を狙う軍事国家。その理念は徹底した実力主義。人だろうが亜人だろうが関係なく、その者の実力と成してきた実績が全てを決める国と言ってもいい。そのスタンスは教会とは相いれない為、帝国及びその周辺諸国では聖典教会を信仰していないのだ。


「帝国では、あの忌々しい魔物との混血共だろうと同じ人と扱うのです。どうかしているとしか思えません。......そして、それはこの地でも同じです」


「......そうなのですか?」


 知らないふり知らないふりっと......。ワタシの演技に気が付いた様子もなく、司祭の声が少しずつ大きくなっていく。


「ええ、特に酷いのは人族の奴隷化でしょう。あの混血共と同じように人が鎖に繋がれるなど、決してあってはいけない。......それは、人の尊厳を奪う行為に他なりません。あのゴミ共と違い、人族はあの災厄の侵攻を耐え抜いたのですから。なのにそれに屈し、人では無くなったアレらと我らが同列など、あっていいはずが無いのですっ!」


 最後はそう声を荒げて思いの内を叫ぶ司祭。だがすぐにワタシが横にいることを思い出したのか穏やかな表情に戻る。


「すみません、つい昂ってしまいまして......」


「いえ、それだけ熱い想いをお持ちになっているのでしょう?」


 ワタシの返しに、司祭は我が意を得たりとばかりにニコリと笑う。


「もちろんです。《魔物がいない世界の構築、魔の無い時代への回帰》。それが我々の信念ですから」


「......素晴らしい考えだと思います」


 そう答えながらも、ワタシは内心呆れていた。

 ......魔物のいない世界など夢物語にも程がある。今の人類には魔物を滅ぼす力など無い。天災級や厄災級どころか、災害級ですら一体討伐するのに多大な犠牲を生むことになる。そんなことを繰り返せば、それこそ人は滅びてしまうのは目に見えている。


 それにもし仮に滅ぼせたとしても、その先に未来は無い。討伐の被害で土地は荒野と化してしまう。優秀な人材の多くはその戦いで命を散らしてしまう。

 何より魔物の存在の消失に、今の社会は耐えられない。生活の基盤たる魔術具の殆どが魔石を核として動いている以上、その根幹が崩れ去ってしまう。魔物の肉などが食料として浸透している国だって少なくない。更には魔物だけじゃなく亜人を滅ぼそうとして、今度は人同士の争いが起きてしまう。

 その結果訪れるのは、——人類の大幅な減少と文明の衰退でしかない。


 ワタシからすれば、聖典教会が掲げる理念は聖者達の妄執が生み出した破滅願望としか思えない。魔王が倒された当時ならまだしも、それから数千年以上経った現代の社会とは全く合っていない。その時代を知る者もいないのに、何が世界の回帰だというのか。正気とは到底思えない。まさに、聖者が遺した負の遺産だろう。

 ......まあ、それ以前に魔物なワタシとは絶対に相いれないんだけど。


「ガズでお仕えされているのは、そんな現状をどうにかしたいとお考えになられたからですか?」


 そんな考えはおくびにも出さず、司祭との会話を続ける。


「ええ、現状をどうにか出来ないかとここにやってきたのですが......。なかなか上手くは行きません。他にも何人かいる同僚達と共に力を尽くしているのですが、信仰無き地での活動がここまで大変だとは思いもしませんでした」


 そう言って恥ずかしそうに頭を掻きながら、司祭は周囲を見回す。そちらを見れば、未だ開封されていない木箱が乱雑に置かれている。よく見れば、掃除が行き届いていない場所も幾つかある。


「そのせいで本来真っ先に行うべき礼拝堂の管理すら満足にこなせていないのですから、本末転倒もいいところなのですよ」


「......でも、それだけ信仰に殉じていらっしゃるという事でしょう?」


 その言葉に司祭はきょとんとして、それから嬉しそうな笑みを浮かべた。


「......ええ、もちろんですとも。我らは諦めません。我らの信仰が——聖者の理念が、世界に広がるまで」


 そう言って笑う司祭だったが、ワタシは見逃さなかった。




 ——その目に灯る、剣呑な光を。





次回投稿は9月28日となります。

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