幕間 四商会・人攫い
「——珍しいですね。会長がこちらにいらっしゃるなんて」
「たまにはな。それはお前もそうだろうが」
そこはガズの地下道で、ほとんどの者が知らぬ場所。辺りに並ぶのはイング商会地下と似た、しかしそれより比べ物にならない程広い、奴隷の収容所。
囚われているの奴隷の数は当然ながら、その質も極めて高い。美貌、能力、希少性、どれをとってもガズにおいて、いやアルミッガ大陸で最高品質を誇る商品であると、ここの主は自負していた。
——何故ならここは、シアズ商会の本拠地。スィアーチ商会の要の一つであり、アリスが探している場所に他ならないのだから。
そこを我がもので歩く影が二つ。大柄、いや肥満と言っていい体形で幾つもの指輪を付け、高価な服を纏った男と、反対に痩せぎすで質素に見える服装を着た小柄な男。
彼らこそがスィアーチとシアズの現会長、アルヴィン・スィアーチとニール・シアズである。
「私は表にはあまり出ないですから。ここの存在がバレる訳にはいかないですし」
シアズ商会はその仕事の重要性ゆえに表に店は一切持たず、その拠点の場所を徹底的に隠している。ここに繋がる地下道も二つしかなく、そのどちらも厳重に管理されており堅牢の護りを誇っている。また偽の地下拠点を幾つも用意するなど、偽装工作にも力を入れている。その徹底ぶりによって、シアズ商会はその拠点が見つからぬままここまで成長し、スィアーチを支える大商会へと成長したのだ。
「で、今日は何の用でこちらに?」
そんな場所であるから、人が訪れることはほぼ無い。まず場所を知る者が数える程しかいなく、彼らもシアズの重要性を分かっているために直接拠点に来ることは無いのだ。
「ああ、良い女がいれば貰っていこうと思ってな、グフフッ......」
例外は彼——アルヴィンくらいだろう。ガズ一の奴隷商を束ねる、この都市きっての大富豪。彼は時折ここを訪れては商品を持っていく。売る為でなく、自分の欲を満たすために。
......正直勘弁してほしいとニールは内心思っているのだが。スィアーチの長を務めるだけあって、アルヴィンの目は非常に肥えている。なので彼が連れていくのは一級品の商品の中でも最高の者ばかり。売れば途轍もない価値となるのに、それを差し出すなどトンデモない。
だがそれを口に出そうものなら、ニールの首は文字通り飛ぶことになる。アルヴィンにとって、彼の価値はシアズの会長という重要な駒ではあるが、それは彼に忠誠を誓っているからこそのものでしか無い。もし彼の不況を買えば、切り捨てられるのは目に見えている。
なのでニールはアルヴィンに付き従い、その意思を叶えるしか選択肢がない。なのでいつものように最高品質の奴隷の元に案内したのだが、——この日はいつもと違っていた。
いつものように商品を吟味しているアルヴィンなのだが、何だか様子がおかしい。表向きはいつもと変わらない。楽しげに笑いながら、女達を厳選している姿。だがニールには分かる。今の彼の反応は、どこか納得がいっていないような、或いは不満があるときのものであると。
ニールは内心冷や汗を掻いていた。何が原因なのか、それが分からなかったから。
容姿の質が落ちた?いや、それはあり得ない。何ならば以前アルヴィンが来た時よりも粒ぞろいだとすら思っている。
種族が気に入らない?だがどの種族も最高品質のものは確保しているし、仮にあまりに珍しい種族だとしても、アルヴィンなら最初からそれが欲しいというだろう。
芸の仕込みが良くない?彼なら一瞥しただけでそれくらいは見抜くだろうが、質を落とすような生温い教育は施していない。
ならば、一体なぜなのか?それを知るために観察を続けてるうちに、とあることに気が付く。奴隷を見ているアルヴィンの視線が、いつもの女漁りとは違う事に。しかもそれを巧妙に隠している。ニールがそれに気付けたのは、彼の卓越した観察眼とアルヴィンとの付き合いの長さゆえ。
そして、アルヴィンが周囲に隠してまで観察している奴隷に当たりをつけていったところで、ニールはようやく今回彼が急にやってきた理由に思い至った。
(......まったく。恐ろしい人だ。私もすぐには気付けなかったというのに、たったこれだけの時間でそれを見抜くのだから)
そうして一通り見終えたところでアルヴィンは少し考えこむように顎に手を当て、ニヤリと下卑た笑みを浮かべる。
「よしお前ら。今回は何人か連れていくぞ!とっとと出せいっ!」
そうして近くにいた部下に命令し、奴隷を指定していく。
「......よろしいので?」
その行動の意図を理解しつつも、念の為にと確認を取るニールに対し、アルヴィンは鷹揚に頷く。
「構わん。お前の考えも分からなくはないが、蛆虫は早々に潰さなくてはな」
そうしているうちに連れてこられたのは、三人の女奴隷。どの女達もその顔に隠しきれぬ不安を浮かべ、体を恐怖で震わせている——表向きは、だが。
女達の顔の裏に潜むのは、敵意と憎悪、そして好機を得たという興奮。その体を震わせるのはその身に宿す怒りによる武者震い。
(......舐められたものだ)
ニールは心の内でそう愚痴る。彼を、そして何よりスィアーチの長を、騙しきれると思っているとは。
「よぅし。これからお前らは俺の物って訳だ。喜べよ、グフフフフッ!」
そう笑うアルヴィンを、女達は何も言わずにじっと見つめるのみ。その反応が気に入らなかったのか、彼は途端につまらなそうな顔になる。
「まったく、愛想の無い女共だ。——奴隷解放運動なんて無駄をやってるからそうなるのか?」
「っ!?まさかっ!?」
「逃げっ......!?」
突然の一言に驚いた女達の演技が途端に崩れる。そして現状と身の危険を悟ったのか即座に逃げの姿勢を取るが、——そもそも、バレた時点でお終いなのだ。
「「「アガッ、ガガガガガッ!?」」」
隷属の首輪が起動し、女達の首を絞めていく。必死に抵抗しているが、それも全く意味を為していない。
「気づかないと思ったのか?あまり俺達を舐めるな。お前ら程度、俺なら一目で見分けがつく。ニールにワザと泳がされていることも分かってなかったようだしな。隷属の首輪を嵌められるのを承知でここに潜り込んだ度胸は褒めてやるが——無駄足だったな。ご苦労様」
「「「————」」」
首が絞まっている三人はそれに答えることも出来ず、呼吸困難で気絶する。
「連れて行け。情報を全て吐き出すまで拷問しろ」
アルヴィンの命令を受けて、配下の男達が崩れ落ちた女達を連行していく。
「敢えて商品になる事でこの場所を割り出そうとするとは......、無駄なことをするものだ」
「まったくです。それにしても......、今回の目的はそれだったので?」
「まぁな。最近妙に騒がしく動いているみたいでな。こっちもいい加減害虫にはうんざりしていたしな」
アルヴィンがシアズの拠点に来たわけ——それはレジスタンスを炙り出す事である。最近活発化しているそれは、違法奴隷を主に扱っているスィアーチやシアズにとっては面倒この上ないものだ。
あの女達もその一員。隷属の魔術具をつけられると分かっていて、それでもシアズの拠点を暴きだすためにリスクを冒してあえて商品となって潜り込んだ、といったところか。搬入の際には奴隷達に経路をバレないように徹底しているが、それも絶対とは言い切れない。
ニールもあの三人の存在には気が付いていた。隠してはいたものの、仕草などがおかしいのは彼の目には明らかだったから。ただし、彼はあえて泳がせてその尻尾を掴むつもりだったのだが、アルヴィンはシアズの拠点がバレる危険性は早々に排除すべき、と判断したのだろう。
「お前の考えも分かるが、あの程度なら拷問した方が早い。いい加減目障りになってきたし、潰しにかかった方がいいだろう。準備はしておけ」
「分かりました。......それと、今日は誰も持って行かないのですか?」
アルヴィンの命令を聞きながら、ふと疑問に思ったことをニールは口にする。いくら炙り出しに来たとしても、今まで奴隷を連れて行かない事は一度も無かったからだ。
そんな問いに対し、アルヴィンは珍しく顔を曇らせた。
「いや、連れていくつもりだったんだがなぁ......。これを見ろ」
そう言って胸ポケットから出したのは、一枚の紙。描かれているのは、銀の髪を持つ絶世の美少女——の姿をした魔物。
これにはニールも覚えがあった。ひと月以上前に起きた、隣国での事件で手配された魔物。悪夢と称される特殊個体の手配書だったからだ。
「これが、どうしたんです?」
「いや、この絵を見ろ。やばいだろう、これ。こんなの見せられたら、他の女じゃ何だか物足りなくなってな......」
「はぁ、そうですか......」
アルヴィンの言いたいことは分からなくもない。教会の手配書は、正しい情報を集めるためにもかなり正確に描かれる。つまり、この魔物の美貌はこの絵そのもの。確かにこれほどの上物は見たこと無いが、それにしたって魔物相手に欲情するのはどうなのか、とニールは思わずにはいられない。
そんな彼の態度をよそに、アルヴィンの妄想は過熱していく。
「ああ、こいつが手に入ったら最高だぞ。至高の上物を、俺の手で好きに......、グフッ、グフフフフフッ......」
「......はぁ」
人形の体でどうするというのか、そもそも呪詛魔法に長けた相手をどう捕まえるのか、そういう反論はいくらでも思いつくが、言えるわけもない。ただ見ているしかないニールの口から溜息が漏れる。
(......それにしても。ガンダルヴ公爵家、か)
その名には覚えがあった。一年以上前にニール自身が屋敷に赴き、とある女を奴隷として買い取ったから。秘密裏に連絡が来た時は驚いたし、相手が相手だったので彼が行くしか無かったのでよく覚えている。金払いも相当良く、あの一件のお陰でグラムに新しいパイプが出来たというのに、まさかあんなことになるとは彼も思っても見なかった。
売られた女も、まさか奴隷になったおかげで惨劇を逃れるとは運が良い。いや、あの女の行き先を考えたらそうでもないかも知れないが。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!滾ってきたぞぉ!!」
そんなことを考えていたニールだったが、妄想が加速しているアルヴィンの様子が段々おかしくなってきた。このままだと流石に不味いし、止められる者は彼以外にはいない。仕方が無い、と先程までの考えを頭から振り払い、ニールはアルヴィンを止めに入るのだった。
次回投稿は9月25日となります。




