捕らぬ狸の......
——違法奴隷。国ごとによってそれの定義は異なるが、要は罪を犯して奴隷となった者——各国の法により犯罪奴隷と認可された者以外のことを指す。
犯罪奴隷は、罪を犯した者が国に捕まり、正式に認められた奴隷商の手によって堕とされるもの。一部を除き、奴隷にされるだけの理由があり、一種の更生と言えなくもない。まあ、軽い窃盗程度ならともかく、ある程度以上の罪を犯した者は基本的に一生奴隷なのだが。
ちなみに、一部の例外とはイザール聖教国の事を指す。この国では亜人が人として扱われない為、存在することそのものが罪とされている。イザール国内においては彼らを殺すのも捕まえるのも自由であり、もし近隣の国で聖典教会の信徒が亜人殺しを行っても、教会の権力によって釈放される場合がほとんどなのだ。
その一方、違法奴隷とは盗賊に襲われ、または犯罪組織に捕まり、或いは法外な借金によりその身を売るしかない、そういった様々な理由で捕らえられ、国に認可されていない形で奴隷商の手により奴隷とされた者達のことである。そして、そうした違法奴隷の多くは無法の都市、ガズへと運ばれてくる。
——その一部が、ここイング商会の地下に集まっている。子供から老人、男女問わず、並ぶ鉄格子の中に彼らは囚われている。その種族も人族を始め、獣人や鳥人、エルフやドワーフと様々な種族が揃っている。数にして、数百人はいるだろう。
これこそが、イング商会の裏の商品。彼らの扱っている、違法奴隷達だ。
「わぁ~!」
見慣れている会長の男からしたら何でもない光景だが、こういった場所を初めて見たらしい少女は、牢屋のあちらこちらに視線を向けて目を輝かせている。
スィアーチ商会では、犯罪奴隷と違法奴隷のどちらも取り扱っており、その内の違法奴隷に関する事業の纏め役をシアズ商会が担っている。その実働部隊の一つと言えるのがイング商会——シアズの元で動く盗賊団である。
元々は他国で名の知られた盗賊団だった彼らをシアズ商会が雇い、ガズへと連れてきた。シアズは彼らに支援を行い、代わりに他国から人を攫ってくる。そういう契約を結び、彼らはシアズの、牽いてはスィアーチの傘下へと入ったのだ。
彼らの仕事は主に二つ。各地での違法奴隷の仕入れと、それらの管理になる。
イング商会が攫ってきた者達は、能力や見た目によって選別をされる。その中でも特に優秀な個体——人体実験等に長期間耐えられるであろう者や特殊な能力を持つ者は、シアズへと引き渡される。そして残った者達はイング商会の元で管理され、用途に合わせてあちこちに出荷されることとなる。
イングは違法奴隷しか扱わない上、スィアーチ商会を支えるシアズの手足。ただし、外部からの仕入れを主活動としている以上、表に存在しなくては差し支える部分がどうしても出てきてしまう。ゆえにイング商会は表向きにはただの服飾店として偽装し、商売を行っている。
そのため、彼らの元に客が直接訪れて奴隷を買いに来ることはあまりない。基本的にはスィアーチ傘下の奴隷商会へと客は足を運び、求める商品がイングの元にあるならばそれを出荷する、というのが彼らの主な仕事の流れだ。
「ふぅ~ん......」
だから少女のように、こうしてここに足を運ぶ客は皆無とは言わないものの、非常に珍しい。
高貴な生まれであろう今回の客である少女。この場にはあまり似つかわしくない、その姿。この場を管理しているイング商会の配下の者達も、何処か戸惑った様子を見せている。怪訝な視線を向ける者、警戒をする者、中にはその美貌に対して邪な視線を送る者までいる。
(......あいつら、後で教育のやり直しが必要だな)
盗賊上がりとはいえ、客に対して欲望丸出しである手下達への再教育を考えつつ、会長の男も目の前の少女に目をやる。
先程までの目を輝かせていた時とは打って変わって、今は静かに奴隷達を見回している。その目つきは鋭く、とても見た目通りの年齢とは思えない。
その姿が、男の知るある人物と重なった。スィアーチの会長に連れられて行った祝賀会で、かつて一度だけ会ったことがある男——もう死んだはずの、ガズ一番の商会の長が連れていたとある少女と。
(まさか......、いや違うな。齢も容姿も噛み合わない)
ふと頭に浮かんだ馬鹿げた考えを振り払ったところで、少女がこちらを振り向く。
「おじ様、聞いてもいい?」
「もちろんでございます」
そう答えながら、男は内心冷汗を掻いていた。何か粗相があったか、商品が気に入らないのか。そう考えていた男に対して、少女は予想を超えた質問をしてきた。
「——この首輪、少し悪くない?」
「っ!?」
男は驚きを隠しきれなかった。まさか、そこを見抜かれているとは想像だにしなかったら。
慌てて態度を取り繕い、何とか返答をする。
「......魔術具は、製作者次第でその善し悪しが変わります。隷属の魔術具の場合、それを作成できる呪術師の数が少ないのもあって、最高品質の物の数は限られます。このガズでも、そうした最高級品の隷属の魔具はほとんどありません。我が商会では、それより二段階程の落ちた物を使っています。......とはいえ、それでも高品質な物であるのに変わりは無いので、ご安心ください」
魔術具を制作するに当たっての最大の欠点。それは魔術具の核——触媒に術式を刻むのは、それの使い手で無いといけないという事。しかも刻印者の腕前によって、術具の性能も変化してしまうのだ。都市を覆う結界魔術の核はこういった意味でも希少性が高く、その多くは太古の品だと言われている。
少女はそれを聞いて納得したのか、興味深げに何か考え込んでいる。
......その一方、会長は少女に恐怖を抱きつつあった。隷属の魔術具の質を遠目に見ただけで見抜くなど、人間技じゃない。しかもイング商会で使っている物だって十分に高品質ではあるのだ。それを最高品質の物より劣ると見抜けるなど、一体どんな審美眼をしているというのか。
「......あれ?」
そんな風に内心戦慄していた男の耳に、ふと小さな呟きが聞こえてくる。声のした場所はある独房の中。そこにいるのは一人の女奴隷——確か数日前に入荷したばかりの、娼館行きになる予定の商品。それが、客である少女を見つめて首を傾げていた。
それが妙に気になり、問いただすべく一歩足を踏み出した——。
「ねぇ、おじ様?」
「っ、はい。いかがなさいましたか?」
——ところで少女に声を掛けられたのでそちらを振り向く。先程まで頭に浮かんでいたものがさっぱり消えたことに気付かぬまま、男は少女の方へと近づく。
「ここにいるので全部?奥にもっといいおもちゃないの?」
「......それは」
少女からすれば、どうやらここにいるのでは気に入らなかったらしい。あくまで予想でしかないが、少女の身分ではこの程度の奴隷では物足りないのだろう。
ただ、男にはそれらを見せることは出来ない。
「......いないことは無いですが、それを売ることは......」
「......ダメ、なの?」
少女は目を潤ませ、こちらに懇願してくる。元の美貌が極まっているのだ、その破壊力は語るべくもない。つい頷きそうになるのを、男は必至で堪えた。
確かに奥にはそういった奴隷はいるが、男にそれを売る権限は無い。そこにいるのは上が扱う商品なのだから。あくまでイング商会はシアズ、ひいてはスィアーチ商会の傘下でしかなく、それに逆らうことは自殺同然の行為だ。
......ただし、目の前にいる少女は明らかに上客。これを逃すのは、あまりに勿体無さすぎる。それに、少女がお忍びで質の高い違法奴隷を買うにはここしかないから、あの金の割符を渡した叔母様とやらもここを彼女に紹介したのだろう。スィアーチではお忍びで行くのは厳しいし、シアズに至ってはその場所すらほとんどの者は、それこそ仕入れを請け負うイング商会の会長である彼自身すら知らないのだから。
どうするべきかしばらく考え込んでから、男は結論を出す。
「......お嬢様。今回、それらの商品を売ることは出来ません」
「......そう。残念」
明らかに落ち込む少女に対し、男は微笑む。
「ただ、上に事情を説明しておきます。次回来られた際にそちらを売ることが出来るよう、私が交渉しておきましょう」
「っ!ほんとうっ!?」
それを聞いた少女の顔が、ぱぁっ、と満面の笑みに変わる。
「ええ、ですので。またお越しください。我々イング商会は、いつでもお嬢様をお待ちしておりますので」
「ふぅ~......」
会長の男は自分の執務室に腰掛けながら、ようやく一息ついていた。
あの後、喜びを露わにする少女への対応で、すっかりくたびれてしまった。それに彼女と約束してしまった事もある。これから上と交渉しないといけないと考えると、頭が痛くなってくる。
ただし、その価値は十分にあっただろう。そう思いながら、机に置いた小袋を手に持ち、中の物を取り出す。
出てきたのは、五枚の白い光を帯びた金貨。白金貨と呼ばれる、一枚で金貨十枚の価値を持つ貨幣。少女に見せたかぎりの奴隷の中で一番高額だった奴隷でも、その価値は金貨三十枚程度。それを優に超える金額を、少女は『手付金』として払っていったのだ。
これだけ金払いがいい客など、滅多にいるものでは無い。これから少女が常連客になってくれるのなら、上への説得ぐらいなんてことは無い。
「ふっふっふっ......」
これからの明るい未来を想像して、男は一人笑うのだった。
——その少女が何者なのか、気付かぬまま。
同時刻、イング商会地下の独房。そこの入り口に備え付けられた扉が開き、一人の少女が入ってくる。それは先程客として訪れていた少女。音も消さず、姿も隠さず、堂々と入り、ゆっくり中へと歩を進める。
——なのに、誰も気付けない。見張りの男達も、囚われの身の奴隷達の誰も、少女に気が付かない。そこに居るはずなのに、それをおかしいことだと認識できていない。
「さて、いい加減この格好も元に戻そうかな」
少女がそう呟くと、その服がはためき、漆黒のワンピースへと変じる。同時にその髪は妖しい光沢を帯び、目の強膜が漆黒に染まる。
「......それじゃ、スニーキングミッション、スタート」
——イング商会地下にて。誰も気が付かぬまま、悪夢は密かに動き出した。
次回投稿は9月10日となります。




