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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
二章 狂想曲は業都に響く
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イング商会

 ——イング商会。スィアーチ商会の傘下に属しており、主に衣服販売を手掛けている中堅規模の商会の一つだ。娼婦を着飾る為のものから貴族向けの高級品まで、幅広い商品を扱っている。


 その商会の会長を務める男は、いつものように店にある自分の執務室にて仕事をしていた。この日は来客の予定も入っていなかったため、集中して書類作業に当たることができていた。最近のガズは色々ときな臭く、上からも()()()命令が回ってくることが多かったため、こうして本来の仕事にのみ集中できる日は、彼にとって久々だった。

 そうして仕事をしていた男だったが、昼を過ぎた頃合いで執務室の扉がノックされた。


「入りなさい」


 仕事から手を離さずに、返事をする。扉を開けて入ってきたのは彼の部下だった。どうやら緊急事態という訳ではなさそうだが、その顔に浮かぶ困惑の表情は隠しきれていない。


「会長、仕事中に申し訳ありません」


「構いませんよ。それで、どうしたのです?」


 そう尋ねると、部下はその表情のまま話し始めた。

 

「......とあるお客様なんですが、会長を呼んでほしいと」


「?それは構いませんが、何をそんなに戸惑っているのです?」


 この商会の長である自分が、店を訪れた客に呼ばれることは別に珍しいことでは無い。店の商品を気に入ってくれた貴族や、反対に不満を抱いた者、後は他の商会がコネを作るために訪ねてくることだってある。一日に数回呼ばれる事だってザラにある。なのにどうして部下がここまで困惑しているのかが、会長には分からなかった。

 部下は未だ戸惑いつつ、彼へとその理由を告げた。


「......実はそのお客様、まだ十代くらいの少女なのです」


「......はい?」


 部下と同じように、彼も困惑することとなったが。




 執務室を出て、会長は店の応接室へと向かう。どうやら少女ながら目立つ容姿をしているらしく、店舗内からそちらにお通ししたとのこと。

 その道中で、彼は訪ねてきた少女が誰かなのかを考える。一番あり得るのはお得意様である貴族の子なのだが、生憎と心当たりがない。しかも、見た限り護衛を一人も連れていないという。もし貴族ならばその親は間違いなく護衛をつける。特にガズで子供を一人歩かせるなど、オークの群れに女を放り込むことと変わりない。


 色々と疑念が浮かぶ中、応接室前へと到着した会長は、ひとまずそれらを頭の片隅にしまう。どんな事情があれどお客様として訪ねてきた以上、丁寧に対応するのが商人だ。最悪の場合、彼の命を狙う暗殺者の可能性もあるが、信頼できる護衛も連れているから問題は無い。


「失礼いたします、お客様————」


 そう言いながら応接室に入った彼は、その客の姿を目に入れた瞬間に言葉を失った。


 応接室の椅子に腰かけるのは、恐らくは十代前半であろう少女。だが、彼にはそれがとてもその年頃とは思えなかった。

 確かに顔立ちは少々幼さが残るものの、そこには美が宿っている。流れる銀の髪、鋭い蒼の双眸、朱を帯びた口元、染み一つない白磁の肌、そのどれもが少女とは思えぬほどの艶を放っている。

 身に着ける衣服は、赤と黒の二色で彩られた相当に上質なドレス。しかも長年衣服に関わってきたイング商会の長である彼をしても、それがどのような製法で、そしてどんな生地を使って作られた物なのか判別することが出来なかった。


 そんな不思議な衣服を纏う、絶世の美少女。会長にはその姿はある種の芸術品の様にすら見えてしまい、息をすることすら忘れる程に見入ってしまった。


「ん?おじ様がこの商会の会長さん?」


 その言葉でようやく意識を引き戻した彼は、慌てつつもそれを表に出さないようにし、深々と礼をする。


「ええ、はじめまして、お嬢様。ようこそ、我がイング商会に起こし下さいました。失礼ですが、お名前をお伺いしても......」


 そう尋ねると、少女は愛らしく、かつ妖艶さを漂わせながらそっと人差し指を口元に当てる。


「名前、はひみつ。伯母上からも、始めは名乗らなくてもいい、って言われたし」


 その言葉に、彼女の姿仕草に魅了されかかっていた彼の思考が動き出す。確かに、貴族の中にはその身分を明かさない者もいる。特に初めての来客者なら特に。だが、それは決まって()()()()を買いに来た者のみの特徴。

 この少女もそうなのか。それを確かめるために、内心で気合を入れ直しつつ彼女と相対する。

 すると少女は正面に腰掛ける彼を見ながら、クスリと笑みを零した。


「?何か?」


「ううん、おじ様がきちんと仕事をしてくれそうだから、つい」


「っ......」


 その一言で会長の背筋が凍る。彼は、今に至るまでその表情や姿勢は一切崩していない。心の内でいくらどう思っていようと、それを表に出さないのが商人という者。彼もその手の技術は身に着けていたし、何なら自身の技術に少しの自信すら抱いていた。

 ......だが、目の前の少女はそれをあっさり見破った。長年積み重ねきた経験が、こんな年端もいかない少女に、だ。


 会長は、彼女への認識を改める。歳と合わない程の妖艶さと老獪さを兼ね備え、見たことも無い素材で出来た衣服を着る少女。恐らくは相当上級階級、下手すれば王族に連なるレベルの生まれであるのだと。護衛を連れていないのは疑問だが、恐らくこちらが気付けない程の腕利きが影に控えているのだろう、と判断する。

 そう自身の中で結論づけ、目の前の少女へと向き直った。


「......では、改めまして。此度はどのようなご用件でご来店を?」


「決まってるでしょ。()()()()を見に来たの。他でも良かったのだけど、ここには珍しいのもあるって聞いているしね」


 それは、ある意味予想通りの回答。彼女程の者がわざわざこんな中堅商会を訪ねてくるなど、理由は一つしか無いのだから。

 だが、そう言われても素直にはい、と言えるわけでもない。可能性は低いだろうが、自身の命を狙った暗殺者、もしくは他の商会の手先でないと完全に否定出来る訳ではない。いくら身分が高かろうが、手順は信用を維持するためにも大事な事なのだから。


「あ、ごめんなさい。伯母上から渡されていたんだった。これ、見せないとね」


 そう答えようとしたところで、少女が思い出したように何かを取り出した。それを目にした瞬間、男は再び驚愕した。机に置かれたのは、金色の光沢を放つ割符。スィアーチ商会及びその傘下に所属する商会で使われている、身分証明の為に上客に渡す割符の中でも最上級のもの。

 ——スィアーチ商会本家が認めた、最上の客のみに渡す割符。


「......どうか少しお待ちください」


 動揺を何とか隠し、応接室を飛び出す。執務室に戻り、金庫に厳重に仕舞ってあるもの——先程の割符に対応したものを取りだす。まさか、これを自身の商会で使う機会があるとは彼は思っても見なかった。念の為にと上から渡された時に、素直に受け取っておいたのは正解だったと、かつての自分の判断を褒める。もし割符が無いと言って追い返すことになっていたら、大問題に発展していただろうから。

 応接室へと戻り、割符を合わせれば、見事に合致した。これは視覚的にだけでなく、魔術的にも処理が施されたものなので、誤魔化すのはまず不可能だ。


 ——つまり、彼女は間違いなく客であり、しかもスィアーチが認める程の大富豪の縁者。


 そんな人物が何でこんな場所に来たのかは不思議だが、恐らくは本人が述べていたように、もの珍しさからなのだろう。確かに、彼の扱う()()は他と違うものも多く取り揃えているから。

 何にしろ、彼女が客である以上、それを案内することに問題は無い。


「——では、案内させていただきます」


「ええ、よろしく♪」


 会長の男の答えに、彼女はニコリと笑いながらそう返してきた。




 応接室を出て、店の奥にある古めかしい扉へと向かう。古めかしい、とは言ってもあくまで見た目だけであり、その中身はまるで別物なのだが。

 胸元から取り出した鍵を使い、扉と共に貼られた結界を解除する。扉の先にあるのは、地下へと続く階段。そこを会長の男と彼の護衛、そして少女の三人で下っていく。


「♪~、~~」


 先頭を進む彼の背後から、少女の鼻歌が聞こえてくる。どうやら随分とご機嫌らしい。


(貴族というのは子供でも、いや子供だからこそ残酷なものだな)


 そんな少女の様子に、彼はそんな感想を抱く。何せ、この先にあるのはそういう商品なのだから。


 階段を下り終えると、そこには再び扉がある。それも鍵で開けた先、そここそが彼らの目的地。イング商会の、裏の商売品の管理場所。


 そこに広がるのは、横一列に続く独房。中に繋がれているのは、ボロボロの人間。老若男女、種族を問わず、それらはそこに閉じ込められている。

 何故なら、彼らは商品。このイング商会の、重要な資金源。


「では、改めまして。ようこそ、()()()()()()()()へ。何をお求めでしょうか、お嬢様?」




次回投稿は9月7日となります。

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