強奪者の最期
フェニア商会の下部組織、そこのボスを務める男は、自分の執務室の机の影からその光景を見ていた。上から寄越された護衛兼監視役の男が、手も足も出ずに敗北する姿を。
決して弱い男では無かったはずだ。フェニアの雇う傭兵の中でも中堅以上の実力者。自分の持つ配下を総動員してもどうにもできないその男が、相手に傷一つつけることも出来ずに死亡する姿は、男には衝撃的すぎた。
そして次は自分だと考えると、体が絶望で震えるのを抑えられなかった。
(どうするどうするどうするっ!?)
どれだけ考えても名案は浮かんでこない。ボス自身の実力は大したこと無いし、配下は既に全てがあの悍ましい人花へと化した。一番の強者だった男は敗北し、この拠点の地理的にも上からの援軍は期待できない。
かといって逃げ出そうにも場所がない。護衛が死んだ以上階段を塞いでいた氷はもうないだろうが、拠点の階下は恐らく人花で覆われている。正面に開いた大穴から逃げようにも、窓からこっそり抜け出そうにも、あの女に見つかる可能性が高い。その上余計な事に、護衛の男がボスに聞けだのと言い残したことで、向こうには男を探す理由がある。
(最後に面倒なことをしやがって、あの野郎っ!?)
内心そう愚痴るものの、状況は好転しない。ここは何とか隠れ過ごして、去ってもらうのを待つしかない。そんな考えに一縷の希望を託すしかないボス、だったが。
「——無駄よ、逃がしはしないわ」
気が付いた時には遅かった。急に体が重くなり、動けなくなる。そして穴の付近にいた筈のあの少女が、いつの間にか自分の正面に立っていた。
(なっ、何でだっ!?)
ボスは少女がいる場所から一切目を離さなかった。警戒もしていた。なのに、何も見えなかった、気付けなかった。それがその場から動く姿も、体が拘束される瞬間も、何も捉えることが出来なかった。
少女は、ボスの男が普段使う執務机へと腰掛け、男をじっと見つめてくる。何も言わずただ座っている姿すら、男の恐怖を煽ってくる。何か言おうとするが、口を開いても何故か声が出てこない。
「......何か言いたいわけ?あの男みたいに素直に話してくれるなら嬉しいのだけど」
少女がそういった瞬間、声が戻ってきた。途端に男は感情のままに叫び出した。
「お前ぇ、こんなことしてただで済むと思ってんのか、あぁっ!?」
その言葉に少女が何か返そうとするが、男の言葉がそれを遮る。恐怖と怒りから、言葉が次々について出る。
「俺達は、フェニア商会の傘下だぞっ!?このガズを支配者の一角、いや、すぐにこの都市を掌中に収める、最高権力者だ!お前、そこを敵に回して、どうなるか分かってるんだろうなっ!?」
何も言い返してこない少女。今更敵に回した相手の大きさに気が付いたのか、そう考えたボスは少し気分を良くしながら叫び続ける。
「あいつらを助けに来たのか、それとも敵討ちか!?無駄だったな!あの女どもはもう全員死んでいるし、お前にフェニアは倒せない!お前の行いは、ただの自殺行為でしかないんだよ!」
ボスの脳裏に、先程あの護衛が発した言葉が浮かぶ。ただ正面で聞き続ける少女の煽るかのように、溢れ出る感情に身を任せる。
「シアズにも用があるのか!それは本当に徒労だったなっ!あそこに売られた奴に未来はない!それはお前の友人か、恋人か、あるいは家族か!?お前もそいつも、もう終わり......」
『——黙れ』
その一言に背筋が凍る。昂っていた感情が急激に沈下する。少女の体から、あの花よりも悍ましい、恐ろしい気配を宿した瘴気が溢れ出し、黒に覆われた蒼い双眸は何処までも冷たい光を宿す。
「あ......、あ、あ......」
ここでボスはようやく思い出した。目の前にいるのは、あの惨劇を生み出した張本人なのだ、と。あれだけのことが出来、あの護衛の男を圧倒するだけの実力を持つ、怪物なのだと。
「......十分言いたいことは言ったでしょう。後はこっちの問いに答えて、いや吐いて貰うわよ。知ってること全部、ね」
そう問い詰める少女に抗う術は、ボスには存在しなかった。
——フェニア商会が始めた奴隷事業が、何故ガズ内部での人攫いから始まったのか。それは、ある理由から新鮮な女を必要としたからだ。
ここでいう新鮮とは、若さや美貌ではない。無論それも大事なのだが、より必要となるのは恐怖や絶望に染まっていない女達。長年奴隷だった絶望に浸り続けた者ではなく、未だに希望を抱き続ける者や、攫われるまで普通に生きてきた女が相応しい。
——何故なら、その女達は凌辱用の生贄として使われるからだ。商会のお得意様、一部の貴族等にはそういったことを趣味とする人間が一定数いる。その者達が散々に甚振って殺すための、商品。それの心が折れるところも見たいために、直前まで平穏に生きてきた女こそが質の良い商品として喜ばれる傾向にあったのだ。
そしてその接待の仕様からして、基本的に女達は使い捨てとなる。なので、それに向いた商品の入荷は欠かすことが出来ない。そして問題は、ガズという砂漠の孤島ではそれを仕入れるのが難しいということだ。周辺に仕入れられる土地はない上、仮にあったとしてもそういった場所はスィアーチ商会の縄張りとなっているために。
それを知っているために、スィアーチはそういった奴隷をフェニア商会やその息が掛かった人間に対し、段々と法外な値段で売るようになっていった。商会もお得意様を失う訳にはいかない為、買わざるを得ない状況に陥っていった。
困った商会が取った手段、それが自分達の手による奴隷の仕入れ。そして彼らにとって幸運なことに、その事業は好成績を残すこととなった。なにせそうやって仕入れた奴隷は、この都市にやってきてから理不尽にも奴隷とされた者達。まさにお得意様の求める新鮮さを維持している商品だったのだから。
そして五大商家間の抗争が勃発したことで、フェニア商会はこれを元手に奴隷事業を拡大することを決定した。さらに値段を上げられたことでスィアーチから奴隷を買うのが現実的で無くなった以上、これからは完全に自分達の手で仕入れる必要性が出てきたために。
——目の前にいる少女の姿をした怪物に、目を付けられることとなるとも知らずに。
「......なるほど、あの男が言ったのはそういう事ね」
目の前の少女が静かに呟く。その身に先程宿していた瘴気は今無いものの、ボスにはそれが嵐の前の静けさとしか思えなかった。
「......最後に女を仕入れ——捕まえたのは二週間前。あいつらには仕込みすら必要ないから、捕まえてから一週間以内にはお得意様の元に行くことになる。そいつももう、生きてはいないだろうがな」
今男に出来るのは、情報をひたすら話し続け、僅かに見逃してもらえる可能性に掛ける事しかない。
「シアズ商会って言うのは?」
「あ、ああ......。スィアーチ商会を支える屋台骨ともいわれる商会の一つだ。ただ、そこに売られた相手はろくな未来が待っていない、って話だ。噂では麻薬の試験体にされたり、何かしらの人体実験の素体とされたり、闘技場でえげつない魔物の相手や、餌にされたりする、らしいが......」
「......へぇ」
少女が呟いた瞬間、周囲の空気が一層重くなる。ボスからすれば、生きた心地がしなかった。
「その商会の場所は?」
「......い、や」
少女の問いに思わず口ごもってしまうボス。すぐに答えない男に対し、少女の目つきが鋭くなった。
『......早く答えろ』
「し、知らないんだよっ!?あいつらの拠点はスィアーチの最重要機密だ、他の商会どころかスィアーチでも一部しか知らないって話だっ!噂じゃ、地下にあるって話もあるけど......」
少女の圧に怯えながらも、知りはしないという事を正直に答えるしかない男。恐怖のあまり必死に弁解しようとした彼は、つい関係の無い事まで口にしてしまう。
「......地下?」
すると、少女がそれに興味を抱いた。その態度を好機と捉えた男は、状況を好転させるべく必死で頭を回転させ、ゆっくりと話し出した。
「あ、ああ、そうだ。この都市の地下は、元の遺跡からあった無数の地下通路があるらしい。中には大きな空間も幾つかあるって聞いたことがある。あまりの広さに地下の全貌を知る者は誰もいない。だが......」
「だが?」
「最近、こんな噂が広まってる。この地下の全貌を示した地図を、アウルーズ商会が所持していて、逃げ出した二人の跡取りがそれを持っているって話だ。上は、それを必死で探してんのさ」
それも当然の事。未だ明らかにされていないこの都市の地下の全貌、それを掴めれば途轍もなく大きな利益となるのは目に見えているのだから。
そして目の前の少女もその地図に対して興味を示す。ここが決めどころだと、ボスは少女へと捲し立てる。
「正確な場所までは分からなくても、それさえあればシアズの拠点だって見つけられるかもしれない。な、どうだ?俺と取引するのは?その地図を見つけてくれれば、上に掛けやってやる。今回の事を手打ちにしてもいい。どうだ、悪くないだろう?」
それは男が考えた、起死回生の策。この現状を打開し、その上で自らの失態を挽回するための究極の一手だ。少女は目的の地を見つけ出せるし、男は地図が手に入れば今回の失態を挽回する事も出来る、互いに利益のある提案。咄嗟に思いついたものとはいえ、内心自画自賛してしまうくらいには良い策だと彼は考えていた。
だが少女は彼の提案に耐えし、答えを返さない。今の条件では納得できないのだろうと判断した男は、まだ譲歩するべきかと内心で舌打ちしながら言葉を続ける。
「なんなら、お前の探し人を見つける手伝いをしてやってもいい。大事な家族とかだろう?フェニア商会が後ろにつけば、そんなのすぐに......」
そこまで言った時だった。トンッ、と男の胸に軽い衝撃が走る。何だ、と視線を向けた男の視界に映るのは、——彼の胸に突き刺さる、少女の貫き手だった。
「......は?」
「逃がすわけないでしょう?あの子達に誓ったのよ、ケジメをつけるって」
次の瞬間、男の体は爆発四散した。辺りに胴体や四肢の残骸が、血肉の雨となって飛び散る。
頭だけになった男は、床に転がりながら、その光景を他人事のように見ていた。
「お前なんて、後での利用価値もない。そのまま、ゴミのように死になさい」
その言葉と共に、ボスの男の意識は急速に消えていく。
「......ワタシに、家族なんて言う資格、有るわけないじゃない」
——掠れ消えそうな少女の呟きを、耳の端に捕えながら。
次回投稿は9月1日となります。