命運は既に尽きた
フェニア商会が支配する区域の一角。比較的大通りに近い南側——賭博街中心からは外れた、倉庫などが立ち並ぶ場所に、彼ら人攫い達の拠点は存在していた。
この区画には彼らと同じような、表には出せないような組織の拠点が幾つか存在している。彼らの扱う資材は人目に付く訳に行かず、管理の徹底も上から義務付けられてる。故に人通りの多い場所でなくこういった倉庫が立ち並ぶ区画に拠点を置くのが基本である。......いざ誰かに見られた際には処理しやすいという利点もあるのだが。
そんな彼らの拠点の周囲では、何人もの警備が周囲を警戒している。元より、彼らの事業は色んな方面から恨みを買いやすいため当然の措置なのだが、それに加えて今は抗争も勃発してる。通常なら防壁となる五大商家の看板も、その商家同士の争いでは意味を為さない。そして抗争において狙われやすいのは、騒ぎを起こしても目立ちにくく、それでいて適度な打撃を与えられる所——つまりは、人攫い達のような裏の組織だ。故にその人員もいつもより多く配備され、周囲は物々しい空気に包まれていた。
とはいえ、襲撃自体が起きないのなら徐々に気も緩むもの。現に今、彼ら警備の者も襲われるとは思っておらず、彼らの一部はすっかりだらけてしまっている。中には欠伸をかみ殺している者もいるくらいだった。
「ったく、警備何て面倒くせぇ......。いいよな、他の奴らは」
警備に当たる者の内一人の男が座り込みながらそう愚痴り始める。それを咎めるように、横で真面目に警備を続けていた男が鋭い視線を向ける。
「真面目にやれ。いつ何が起きるか分かんないんだぞ」
「って言ってもよぉ......」
注意してもまだグダグダ言おうとする男に対し、横にいた男は先程出ていった集団の事を口にする。
「それに、仕入れ班のほうで何か問題があったからボスはアイツらを動かしたんだろ?仕入れ班にも危険はあるんだろ。それとも、お前もそっちとかに行きたかったのか?」
「......いや、やっぱいいや。仕入れは女に手出せないから生殺しだし、危険な目に遭うのも勘弁だ」
「お前なぁ......」
そんな風に話していた時だった。彼らの耳に複数の足音が聞こえてくる。それも、酷く慌ただしそうに乱れている音が。まだ姿は見えないが、足音からして二、三人ではない。その音に警備の男達は緩めていた気を引き締め、各々武器を構えて警戒する。
やがて、足音を鳴らしていた集団が彼らの目に入る。そして、警戒を解いてほっ、と息をつく。やってきたのが先程出ていった者達だったからだ。
皆が安堵する中、その集団が来るのを見ていた男の一人——先程注意をしていた者——は、とあることに気付いた。集団の人数が半数に減っていることと、全員が浮かない顔をしていることに。
男は、拠点に到着した彼らの中で先頭に立つ男——ボスの腹心を務める男へと声を掛けた。
「お疲れ様です。......一体何があったので?」
「あいつらに聞け。俺はボスに報告してくる。ただ、......少々マズい事になりそうだ」
その言葉に、男は顔を強張らせる。腹心の男がそう言う以上、仕入れ班に起きたことはそれほど面倒な事態であるだろうから。
拠点内に駆け込んでいく腹心の男を見送り、男は残った集団へと目を向ける。皆が暗い顔をしており、中には青ざめている者もいる。他の警備の男達も、様子がおかしいことには気付いており、皆戸惑ってしまっている。
沈黙が続き、何となく聞きづらい雰囲気になってしまっていた。警備の者達が視線を交わし、お前がいけ、いやお前が......、というように押し付け合いが始まり、やがてその視線が腹心と話していた男へと集まった。
貧乏くじを引かされた男は溜息を一つつき、彼らの内比較的顔色の良い者へと近づいていく。
「......お疲れ様。さっき少しだけ聞いたが、想定外の事態があったらしいな。何があったか聞かせて貰っても良いか?」
「......何だ、それ」
話を聞いた男は、思わずそんな声を漏らしてしまった。それは他の警備の者達も同様であり、誰もが信じられない、と言いたげな表情を浮かべていた。
彼らは今、例の宿へと向かった者の内数人から話を聞いていた。他の調査隊の者も拠点内で同じような話をしているのだろうか、普段は建物内から聞こえてくる騒音がいつもよりも随分と静かになっていた。
そしてそれは彼ら、拠点外で警備に当たる者も同じ。つい先程まで彼らの間で緩んでいた空気も、調査隊の話を聞いたことで重々しいものへと変じてしまっていた。
朽ち果てた宿、消えた男達、残された頭蓋骨と血で塗りつぶされた宿泊記帳。聞こえなかった戦闘音、そして——謎の女の存在。
話の続きを聞くたびに、彼らは得体のしれない恐怖に襲われていく。
「......なあ、これからどうなると思う?」
横にいた男——先程愚痴を零していた者が不安げな表情を浮かべている。そう問われた男は、これからどうなるかを考えてみる。
「......まず、その女の調査だろう。どこから来たのか、目的は何か、今どこにいるのか、とかな。後は上への報告も必要だろうし、警備の増強もだろう。下手すれば上のその上、——フェニア商会本家が動くだろうな」
「......マジか」
それを聞いた他の男達は驚きの声を上げる。そこまでの事態になるとは思っていなかったのだろう。
だが、男は自分の考えがそう間違っているとは思っていなかった。ボスについている護衛は上から派遣された者だと噂になっていたし、話がそちらに伝わるのは間違いない。そして例の女がこちらの想定以上の存在だったら、上が動かなければどうしようもない事態に陥る可能性もあり得るだろう。
「後は、その女が次に動き出す前に、どれだけ手を打てるか、だが......」
そう口にする男だが、彼は一つ大きな勘違いをしていた。いや彼だけではない、彼の仲間達全員、分かったいなかったのだ。
その女が動き出すまでに時間があると、何故そう考えてしまったのか。
既に脅威は迫っていると、何故想定することが出来なかったのか。
——それが、彼らの運の尽きだった。
「......えっ?あっがぁっ!?」
「っ!?おい、大丈夫かっ!?」
突然先程まで話していた男が苦しみ始めた。慌てて駆け寄り、背を擦るが反応は変わらない。見れば、他にも何人かが同じように倒れこんでいる。
それが全て調査隊の者達だと気付き、男の背筋が凍る。慌ててその場から逃げようとするが、——もう手遅れだった。
「うぐっ、アガァァァァァァァァァ!?!?」
叫び声と共に、それは起きた。あまりの光景に、男は言葉を失った。目の前の事態が、男には地獄としか思えなかった。
「は、あ、あああああああああああああっ!?
「う、う゛ぉえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?!?」
「逃げ、逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
他の者達が逃げ戸惑う中、男は一人冷静だった。いや、そうなるしか無かった。目の前に広がる惨劇、それがどういうことか気付いてしまったが為に。
「ああ、そう言う事か......。これからどうする以前に、最初っから手遅れだったってことかよ......」
——それが、男の最期の言葉だった。
次回投稿は8月20日となります。




