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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
一章 夜会は血と怨嗟に塗れる
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宴は終われども——送辞——

次回投稿は7月14日となります

 ——夜も更けた公爵邸二階の廊下。喧騒に包まれた一階とは違い暗く静まり返ったそこを、トヴァルが手に持つ術具の明かりと窓から差す月明かりだけが照らし、彼の足音だけが規則的に響く。


 一言も発さず目的地に一人向かう彼の脳裏に浮かぶのは、先程の食堂での一幕だった。





 トヴァルの一言を聞いた使用人達の反応は劇的だった。それまでの様子は何だったのかと思うほど声を荒げ、叫び、暴れ始めたのだから。咄嗟に周囲の騎士達が間に入りすぐに抑えはしたものの、そこから彼らを落ち着かせるのには時間を要した。


 その後、落ち着いた彼らから大体のあらましを——アリスが行った所業について聞き出すことに成功した。最初は半信半疑だった騎士達も、使用人達の話とトヴァルの推察を聞くにつれてその表情をより険しくしていった。結界の書き換えとそれによる外部との遮断、彼女が見せた数々の呪詛魔法、そして公爵家に起きた惨劇。

 ——それらをアリスが起こしたという事実と、その危険性に。


 通常ではあり得ない、記憶と人格を維持している霊体系の魔物。それでありながらこれだけの事件を引き起こせる精神性。見た目は少女なのに、結界にすら干渉可能な魔法の腕前。それらがその存在の危険性を証明していた。

 ただの戦闘能力だけならばそこまでではない。魔法に関しては優れていたとしても、それよりも手ごわい魔物などごまんといるのだから。


 ——ただし、それが人の形をし、人間社会を熟知している。その事実が、アリスの脅威度を跳ね上げる。結界に干渉して自由に都市を出入りし、人に紛れて潜伏し、魔法を行使する。それは、どんなに恐ろしいことだろう。

 魔物として再誕してから僅か三カ月で彼女はこの惨劇を引き起こしたのだ。これから先彼女が進化を重ねて強大な存在になった時、一体どうなるか。——答えは、見えている。


 その事実に浮足立つ騎士や兵士達。トヴァルはそんな彼らを何とか宥め、この先の指示を出した。

 まずは、消えたアリスの捜索。屋敷から放たれた光を受けているのなら死んでいるのでは、という意見も上がったが、彼女が依り代としていた人形の残骸が無い以上、生きているだろうと結論づけられ、屋敷近辺の捜索が行われることとなった。

 また、現場の調査も引き続き継続させる。使用人達は途中で意識を失っていたため、ハーヴェスとイヴの身に起こった事に関しては知らなかった。当の本人達にしても、一人は重傷を負い治療中、もう一人はまるで反応が無いので話を聞くことも出来ない。なので今はこの場を調べるしかない。


 トヴァル専属の執事には、宝物庫の結界を調査するために、そちら専門の術士を手配させに行かせた。結界に干渉させたのは間違いない以上、すぐにでも術式核を調べなくてはいけない。とはいえ、頼んだのはあくまで手配まで。宝物庫の中で色々と作業を行う以上、トヴァルが立ち会うのは当然だからだ。

 そして執事がその手配に動いている間に、トヴァルはある場所を確かめるために一人である部屋へと向かっていた。


 そこはこの屋敷では宝物庫の次に厳重な場所。この屋敷の二階中央部に位置する部屋。——すなわち、ハーヴェスの執務室である。

 本来なら執事や護衛の騎士達を連れてくるべきであろう状況で、彼は一人でこの場を訪れた。執務室には彼らには見せられないような書類なども多々ある。もしここが荒らされていた場合、彼らにその意図が無くとも機密書類を見られてしまう可能性は十分にあり得る。トヴァルが供を一人も連れてこなかったのは、これが()()()()()()()()だった。


 やがて見えてくる、この屋敷の中でも一際重厚な執務室の扉。執事が戻ってくる前に、急いで調べなくてはいけない。そう考えながら扉に手を掛けたところで、トヴァルは一瞬動きを止める。



「......ふぅ。......入るぞ」



 一つ深呼吸し、覚悟を決め、彼は声を発しながら室内に足を踏み入れる。中に入ると同時に素早く扉を閉め、正面にゆっくりと顔を向ける。


 そこに広がる光景は、彼が可能性の一つとして予測していたもの。彼が一人でこの部屋に来た、()()()()()()()


「——こんばんは、トヴァル叔父様」


 執務室の中央奥。執務机の向こうにある開け放たれた大きな窓。窓から差し込む月光に照らされながら、彼女はその窓の縁に腰かけてこちらを見つめていた。

 時折妖しく輝く銀の髪。こちらを見つめる蒼く光る双眸。新雪の如き真白の肌。それと対比する漆黒の衣服。人形の体だというのに、見た目は人にしか見えないその姿。いや、その美貌はむしろ人の枠を超えていると表現した方がいいかもしれない。


 ——そして、否応も無く()()を思い起こさせるその姿に、トヴァルは一瞬言葉を失う。だがすぐに我に返り、彼女を見つめ返す。


「......ああ、こんばんは、アリス。元気そうで、......まあ、何よりだ」


 そこにいた今宵の狂宴の主催者——アリスは、トヴァルの答えにただ静かに微笑んだ。





「「————」」


 最初に挨拶を交わしてから、部屋は沈黙に包まれていた。どちらも静かに互いを見つめ、一言も発さない。ただし、そこに緊張や焦りは無く、トヴァルはむしろどこか心地よく感じていた。アリスの方も不快には思っていなそうだと思い、そこで彼の中で疑問が頭をもたげる。


()()()()()()、いったいなぜ......)


「......っと、こうしていても仕方が無いわ。叔父様、何か聞きたいことはあるかしら?出来る限りはお答えさせて頂くわ」


 そう考え始めたところでアリスの方から声を掛けられ、トヴァルはハッとする。そうだ、今はそれどころでは無かったと思い直し、彼女に向き直る。


「......なら、今宵の事件について、あらましを聞いても?」


「ええ、もちろん」


 トヴァルの問いに対して、アリスは素直に応じ、答え始めた。それは彼女から見た、この三カ月に起きた出来事と、今夜の惨劇の真実。本来ではあり得ない、犯人側からの犯行手順の自白そのもの。

 それらを聞きながら、トヴァルは自身が知っている情報と統合し、整理していく。大まかには予測していた通りのものだったが、貴重な情報も多かった。彼女が宝物庫から持ち出した物、結界をどう書き換えたか、そしてハーヴェスとイヴに何をして、どうなったか。これらのトヴァルが知り得なかった情報は、彼にとってとても重要な物だったのだから。


(......しかし、それなら、何故)


 そこまで聞いたところで、新たに彼の中で湧き上がる幾つかの疑問。それらについて問おうとしたところで、今度はアリスの方から彼へと問いかけてきた。


「そうそう、叔父様。ワタシ、とあるものを探しているんだけど、叔父様は知ってる?」


「......とあるもの、か」


 それに関して、彼は大まかに予想がついていた。恐らくこの執務室にあるであろう物で、彼女が欲する物。その心当たりは、彼には一つしか無かった。


「......執務机の右側、上から二段目の引き出し。鍵付きの二重底になっている。恐らくその中だろう。鍵については、ほれ」


 そう声を掛けて、ポケットから一本の鍵を取り出し、彼女に投げ渡す。執務室を調べるためにハーヴェスの衣服から持ち出してきたものだったが、持ってきたのは正解だったらしい。


「へぇ、どれどれ。ああ、確かに鍵穴が......」


 素直に鍵を受け取ったアリスはニコリと笑い、すぐにそこを調べ始める。その姿にまた疑念を抱くが、口を挟まずに成り行きを見守る。しばらく彼女はその引き出しを漁り、やがて数枚の書類を取り出した。


「......ああ、これね。ようやく見つけたわ。」


 書類を確かめ、満足そうに微笑むアリス。その反応から察するに、やはり()()が目的の物だったようだ。間違って無くて良かったとトヴァルはそっと安堵の息を吐く。


「ありがとう、叔父様。それにしても、よく()()を探しているって分かりましたわね?」


「お前がこの部屋で欲しがるようなものが他に思いつかなかったからな。そういう関係の書類はそこに仕舞っているとは知っていたから、もしかしたらと思ったんだが、合っていたなら良かった。......それで、だが」


 アリスの問いには簡潔に答え、今度はこちらの番だと言葉を紡ぐ。どうしても聞かなくてはいけないことがある、そうトヴァルが問いかけようとしたところで。


「——それじゃ、今度はワタシが叔父様の疑念を当ててあげるわ」


「なっ......」


 まさかアリスにそう返されるとは思っておらず、トヴァルは言葉を詰まらせる。だがアリスはそんな事は気にも留めず、話を続ける。


「まず、第一の疑問。『何故、アリスは私に何もしない?何故、私の事を信頼したような動きが出来る?』じゃないかしら?」


「っ!?」


 確かに、それはトヴァルが考えていたことそのもの。アリスが自身に向けてくる感情に、負の感情を一切感じなかったからに他ならない。

 トヴァルも公爵家の一員だというのに、彼女は彼に何もしようとはしない。むしろ、彼女は自身のことを信頼しているとすら感じていた。先程もそう、彼女は彼の言葉を信じ、疑いもせずに引き出しを調べていた。今まで散々な仕打ちを受けてきたはずの彼女がそんな態度を取るのか、トヴァルには謎でしかなかったから。


 それに対して、アリスは静かにこちらに微笑み、その理由を告げてきた。——彼女が知るはずの無い、とある事実を。


「だって、わたしがあの齢まで生きられたのは叔父様のお陰だもの。色々と手を回してくれていたことも知っているし、何より()()()がわたしに仕えてくれたのも、そのおかげじゃない。そんな叔父様に感謝こそすれ憎むことなどあり得ないわ」


「っ!?」


 トヴァルは二の句が継げなかった。まさか、アリスに気付かれているとは思ってもいなかったからだ。


 その言葉の通り、トヴァルはアリスの事を裏から支援していた。彼女の待遇を少しでも改善させるように動き、彼女に仕えたあの侍女もトヴァルが手配した。アリスの事を支えてくれるだろう、信頼できる人物として。

 ただし、トヴァルが裏にいるとは誰にも気付かれないように慎重に動いてきたはずなのに、何故気付かれたのか。彼の内心の疑問に答えるように、アリスは言葉を続ける。


「元々疑問には思っていたの。ある時点から食事が少しマシになったりして、何故か書物が置かれるようになったから。後はこの人形、これも叔父様の仕業でしょう?イヴの気に召さないようにお母様に似せて作らせて、わたしの元に来るように誘導した、ってところかしら」


「......何故、私がそこまでする必要がある?」


 アリスの考察は全て正しい。まるで全てを見ていたかとすら思える。だが、トヴァルはそれを認めはしない。認めるわけにはいかない。

 ——その行動の理由は、誰にも教えるつもりは無いのだから。


 そんなトヴァルの想いと裏腹に、アリスの言葉は止まらない。


「そう、それがずっと分からなかった。——これを読むまでは、ね」


 彼女がどこからか取り出したそれを見て、彼は目を見開いた。その手にあるのは二冊の手帳。片方は彼の兄ハーヴェスが持っていた物。そして、もう一冊は。


「その、日記は......」


「そう、これはハーヴェスの日記と、お母様がこの家に嫁いでから書いていた日記。あの子がハーヴェスの寝室に隠してあったのを見つけたの。これらのお陰でワタシは()()を知ることが出来た」


 真実。頭によぎる()()をトヴァルは咄嗟に振り払う。気付くはずがない、分かるはずがない。それは、()()()()の秘密。兄ですらまったく知り得ない、誰にも決して知られるわけにはいかない、ずっと隠し続けてきた事なのだから。


「そういえば、まだ叔父様の疑問を当てきって無かったわね」


「......それは」


 急にアリスが話を変えてきた。ただ、それが突拍子もない話の転換だとは、トヴァルも思っていなかった。否定しながらも、彼はほぼ確信していた。

 ——アリスが、全てに気が付いていることを。


「叔父様の疑念その2。『ハーヴェスに、一体何を伝えたらああなったのか』でしょう?」


 それでも、万に一つの可能性を彼は願うしかなかった。どうか知らないでいてほしい、ただそれだけを願って。


「ワタシはあの男にこう告げたの」


 ——その願いも空しく、アリスの口からそれが紡がれる。





「——()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()......とね」





「......ああ、そうか。やはり、知っていたんだな......」


 それを聞き、トヴァルはその場に崩れ落ちた。アリスはそんな彼をただ静かに見つめていた。

 やがてトヴァルは顔を上げ、アリスを見上げる。


「もう一度、聞くぞ。何故、俺を殺そうとしない。俺は、お前も、アリアも守れなかった愚かな男だ。なのに、どうして......」


 トヴァルはそれがどうしても不思議でならなかった。しかし、アリスはそれを聞いても、不思議そうに首を傾げるだけだった。


「?何言ってるのかしら?」


「......あ?」


 アリスは呆然としているトヴァルへと、粛々と告げる。彼女の想いを。


「さっきも言ったでしょう?わたしがあの歳まで生きられたのは、叔父様のお陰。そして、だからこそワタシはこうしてここにいる。だから、恨むわけないの」


 それに、と彼女は続けた。


「——お母様は最後まで貴方を想っていた。それが、全てじゃない?」


「————あ......」


 そうトヴァルに笑いかける彼女の顔が、記憶に残るアリアの顔と重なった。


「......あら」


 突然、アリスが顔を扉の方へと向けた。何かあったのかとそちらを見てから、トヴァルはようやくそれに気が付いた。徐々に近づいてくる、複数の足音に。


「——ここが潮時ね」


「っ!?」


 慌てて振り向くと、アリスは既に窓の枠に立ち、去ろうとしていた。


「まっ......!?」


 待ってくれ、そう言おうとしたトヴァルの目に、こちらに振り向くアリスの顔が映る。それを見て、ようやく、心の底から理解してしまう。

 ——自身とアリスの生きる世界は、もう交わることは無いのだろう、と。


「———アリス」


 だから、トヴァルは最後に彼女に告げる。自身の想いを全て込めた、一言を。





「——————いってらっしゃい」





 アリスは一瞬ポカンとして、そして微笑みを浮かべた。泣きそうな、でもとても嬉しそうな、そんな満面の笑みを。





「——————いってきます。叔父......、いいえ、()()()





 ——そして、アリスはその場から姿を消し、トヴァルは一人執務室に残された。






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