夜会は血と怨嗟に塗れる——光——
気付けば後ろから聞こえていたはずの叫び声が止んでいる。どうやら、そっちも片が付いたらしい。
振り返れば、命令を遂行した駒達はその場に佇んで、次の命令の受理を待っている。
そしてその足元に転がる、二つの残骸。それはこの屋敷の夫人だった人物と、その御付きの侍女の成れの果て。
——撒かれた血濡れの骨片の上に横たえられた、かろうじて人の形をしている真っ赤な肉塊と、挽肉の絨毯の上に綺麗に並べられた、赤黒く染まった全身骨格がそこにあった。
「......ここまでするようには命令してないと思うんだけど」
確かに、肉を剥ぎ取るか、骨を抜き取るかは指示したけど、こんな飾り付けを命令した覚えはない。狂獣の呪詛、どうやら検証がまだまだ必要なようだ。
まあでも、それは今度の機会で。もうあまり時間は無いだろうし、最後の相手に移らないと。
佇んでいる使用人たちに最後の処理を施してから呪詛を解く。彼らは次々に解放され、それと同時に気絶してその場に崩れ落ちる。
「......お休みなさい。安心しなさい、貴方達にはもう何もしないわよ」
やがて、全員がその場に崩れ落ち、食堂が鎮まりかえる。その場にて動いているのはワタシと、あともう一人だけ。
「——なるほど、それが彼らへの復讐かしら」
声のした方——残った最後の一人に顔を向ける。普段の天真爛漫な顔は鳴りを潜め、鋭い視線を向けてくる少女。他に誰も起きていないからか、本性を露わにした、本日の主役だった者。
——イヴ・クラウ・ガンダルヴは、ワタシにそう話しかけてきた。
それに対してワタシは答えず、続きを促す。彼女の予想を聞くために。
「自分の主人や上司を自らの手で惨殺させる、それが彼ら使用人たちへの復讐なんでしょう?後はそうね、記憶が薄れない様に呪詛を掛けて、その記憶に常に苦しめられ続ける、そんなところかしら?」
彼女の予想の正確さに小さく拍手を返し、ついでに補足説明しておく。
「付け加えると彼らはこの先ずっと正気を保ち続けられて、自殺を厭うようにもなるわ。ワタシからのおまけって所ね」
「おまけって......、それ、狂う事も死ぬことも出来ずに生涯苦しみながら生き続けなくちゃいけなくなるって事じゃない。本当に悪辣ね、あなた」
「誉め言葉として受け取っておくわ」
表面上は穏やかに進む会話。だけど、その水面下では憎悪、敵意がぶつかり合い、火花を散らす。
イヴにとって今日は、ワタシという不安要素をようやく除去でき、何一つ憂いなく、自らの輝かしい未来に飛び立つための門出の日となる——はずだった。それを滅茶苦茶にされた。長年かけて水面下で動いて成し遂げた計画を全て無かったことにされ、更には家族も殺され、公爵家の看板に泥を塗られた。憎しみを抱くのは当然だろう。
ワタシにとっても、それは変わらない。彼女は復讐の対象であり、後は、そう。これに関しては完全に八つ当たりだけど。
——その手口、そのやり方がよく似てると思ってしまったから。私を利用した、あの忌々しい女と。
ああ、でもこっちの感情は、今は閉まっておこう。これは、あの女にぶつけるべきものだから。
「——それで?いつから気付いていたのかしら?」
「あら?何の事?」
唐突な問いにそう惚けると、苛立たし気に睨まれた。
「無駄に惚けるのは止めなさい。どうせ色々とお見通し何でしょう?」
「......流石、と言うべきかしら?」
「貴方に褒められても嬉しくないわ」
どうやら彼女も、ワタシの態度を見て、ワタシがどれだけ分かっているのかを、なんとなくだが察しているらしい。
——わたしの死を、裏で手を引いていたのが自身であるとバレていることに。
「......ホント、なんで気付いているのかしら。私、結構慎重に動いてきたつもりなんだけど?痕跡が残っているわけでも無いし......。そもそも、生前中に貴方と私が顔を合わせる事なんてほとんど無かったじゃない?」
「記憶力は良い方なの。......一歳の赤ん坊を危険視する幼児を、警戒するなという方が無理だと思わない?」
「......ああ、そういうこと」
流石、ワタシの一言だけでイヴは凡そを理解したらしい。
—-それは、記憶の片隅に残る光景。屋敷の外れで出会った、当時五歳程のイヴが赤子のわたしに向けていた、警戒の眼差し。あの時の視線は良く覚えている。わたしを嘲るのでもなく、ただ憎むでもない。わたしを敵と見なし、油断なく見つめるあの眼を。
「はぁ......、油断したわね。あれから隙は一切見せなかったのに、まさか最初の一手で致命的なミスを犯しているなんてね......」
「確かに。あれさえなければ、ワタシは気付けてなかったでしょうしね」
イヴはそうボヤいているけど、彼女の手口はほぼ完璧だった。あの視線を感じたのはその時だけ。それ以降に会った時には、その視線を感じることは無かった。もしあの時に見ていなければ、わたしは彼女の擬態に気付けなかっただろう。
「まあ、でも。貴方が気付こうと気付くまいと、結果は変わらなかったのかもしれないわね。どちらにしろ、貴方は魔物として生まれ変わり、復讐を果たそうとしたでしょうから」
「......それは否定しないわ」
彼女の言う通り、裏で彼女が動いていると知らなくてもわたしは私と混ざってワタシになっていただろうし、同じように復讐を行っただろう。
「でも、ワタシはそれを知ることが出来た。——だから」
もしそこに違いがあるとするならば、それは。
「一切の容赦無く、貴方への復讐を果たすわ」
彼女の命運が完全に潰えた、その一点に尽きるだろう。
「それで、何をするつもり?」
ワタシの宣言を聞いても、イヴの声色も表情も一切変わらない。肝が据わっているというか、覚悟が決まっているというか......。本当、ヒュンケルなどとは器が違うわ、この娘。
——だからこそ、油断はしない。最後まで気を抜かず、目的を達成する。
「貴方には、これらを使うわ」
そういって手の上に呼び出したのは、宙に浮かぶ三つの球体。球体は白い色を帯びながらも向こう側が透けていて、ユラユラと不規則に揺れている。
それが何なのか、イヴはすぐに気が付いたらしく、目を見開いている。
「それは、まさか......。でも一体誰の......、お母さまっ!?」
「......驚いた。まさかそこまで見抜くの」
思っていた以上に的確な答えに、こちらが驚かされた。
そう、これは先程死んだ、ヒュンケル、イリナ夫人、エイミー、三人の魂。死んだ直後に回収しておいたものだ。霊魂への干渉は初めてだったけど、元々死霊系の魔物であることや固有スキルも影響してあっさりと成功した。
「......そうよね。アンデッド系の魔物なら、死霊属性に適性を持っているのは当然じゃないの」
イヴが納得したように呟いている。まあ、私は生前から適性があったんだけれど、彼女がそれを知るはずもないので、そのことを言うつもりは無い。
それでは、ここでワタシからイヴにクエスチョン。
「生者の体に死者の霊魂を入れたらどうなるか、知っているかしら?」
「......肉体は複数の魂が体内にある状況に耐えられずに死に至る。魂も、他の霊魂に対して拒絶反応を起こし精神崩壊、だったかしら?」
「良く知ってたわね、満点よ」
「......むしろ、それだけじゃ済みそうにないわね」
「それも正解、察しの良いこと」
イヴは自分がこれからどういう目に遭うのか理解したらしく、顔がわずかに引きつっている。いや、むしろこの状況でここまで落ち着いていられて、正しく現状を分析できているのが素晴らしいことなのだけど。
イヴの想像通り、これから行われることはそれだけでは済まない。三つの魂の人格は、先程までの拷問からの処刑で半ば崩壊し、半狂乱の状態といっていい。また、その過程で感じた痛みや感情が、これでもかと刻みこまれている。
これを体内に取り込めばどうなるか。通常の拒絶反応に加えて、彼らの感情や痛みが濁流となって彼女の内に押し寄せることとなる。肉体も、複数の魂に耐えられず、あっという間に死に至るだろうけど、それは苦悶の呪詛で引き延ばすつもり。
——まさに、地獄と言っても過言では無いだろう。
イヴの頭のすぐ横にしゃがみ込み、その目の前に三つの魂を持ってくる。
「それじゃ、これでお別れね。何か言い残すことはあるかしら?」
「......それじゃ、一言だけ」
イヴは一瞬全てを諦めたような顔を浮かべたが、すぐにそれを正し、ワタシを睨みつける。
貴族らしく堂々とした表情で——そしてその目の奥に、激しい憎悪を湛えて。
「——貴方が一日でも早く来ることを、地獄で待ってるわ、アリス」
「......覚えておくわ。——さよなら、イヴ」
それだけ告げて、ワタシはイヴに——わたしの最大の敵であった人に、魂を叩きこんだ。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!?!?!?」
声にならない叫びが、響き渡る。魂が混ざりあり、イヴを混沌と絶望にへと叩き落す。
口から血や泡を吹き、血涙を流し、四肢を激しく震わせ、体が暴れる。その動きに耐えかねた皮膚が裂け、爪が弾け、血が飛び散る。
そんな姿になっても、イヴはこちらを睨み続ける。最後まで目を離すものかと、強い意志を秘めた瞳を。
ワタシもまた、目を離さずにその姿を見続ける。
——油断しない。警戒を解かない。彼女相手にそれはしてはいけないと、ワタシの本能が告げていた。彼女が本当に死んだと確認できるまで、決して目を離してはいけないと。
言葉にしようもない、捉えようもない予感。根拠は一切ないけど、それにワタシは従った。
——そして、ワタシはそれに助けられることになる。
初めは微かな違和感。——何かがおかしい。何か、嫌な、そして覚えのある感覚。イヴ、だけではない。彼女とその周囲の空気に何かが混ざり始めたのを知覚し、すぐにソレの正体に辿り着いた。
「なっ、聖属性っ!?」
イヴの周りに聖属性の魔力が満ち始めていた。徐々にそれは濃くなり、そしてイヴの体から金の燐光が舞い上がったのを目にした瞬間、ワタシは襲い来る恐怖と共に全力で防御を行い、そして。
——パァーンッ、という大きな音と共に、金色の光が辺りを包み込んだ。
光が止み、周囲の景色が元に戻る。見た目には、大きな変化は起きていない。家具や屋敷に傷がついた後は無いし、使用人たちも倒れたまま。先程と同じ、屋敷の食堂に変わりない。
——ワタシとイヴを除けば、だけど。
先程の光——聖属性の魔力を浴びたワタシの体はあちこちが軋みを上げ、罅が入っている部分もある。衣服の一部も破れ、そのどちらからも薄く煙が上がっている。そのワタシの目の前に浮かんでいるのは、ボロボロの黒い板。咄嗟に張った、闇属性の防御魔法の残骸。
魔物のワタシにとって、聖属性の——浄化の光は天敵に等しい。正直、これだけで済んで良かった。防御が間に合っていなければ、この程度じゃ済まなかった。
——そして、その光の発生源である、イヴはと言えば。
先程まで激しく暴れていた体はその動きを止め、静かに地に伏している。自分に何が起きたのか理解できていないらしく、困惑の表情を浮かべている。
その体は、薄っすらではあるもののまだ金の燐光を纏っている。
そして、一番の変化。仰向けに寝転がる彼女の左頬に。
——布の巻き付いた杖を象った、金の紋章が浮かんでいた。
......その輝きをワタシは、いや私はよく知っている。浮かび上がる紋章の形は違う。それが現れている体の部位も違う。
——けれど、その輝きを、あの忌々しい金色の光を、ワタシは決して忘れない。
私とあの子を殺した、あの勇者と同じ、聖なる光を、一度も忘れたことは無い。
「......まさか、ここで見る事になるなんて。————聖痕」