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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
一章 夜会は血と怨嗟に塗れる
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夜会は血と怨嗟に塗れる——盲愛・前——

 ——それは、運命の出会いだった。

 

 12年前、彼女を初めて見た時、ハーヴェス・クラウ・ガンダルヴはそう思った。他国での仕事を終え久々に戻った屋敷で、彼は彼女と——当時使用人だったアリアと遭遇した。


 中庭で仕事をしている彼女の格好は使用人が着る侍女服、髪は縛り上げられ、化粧っ気も無い。しかしその肌は白く艶やかで、銀の髪は太陽の光を浴びて輝いていた。

 何よりもハーヴェスを引き付けたのは、彼女の瞳だった。どこか憂いを帯びた蒼玉の瞳に、ハーヴェスは心奪われた。彼の生涯の中で、此処まで心動かされたことは一度もなかった。

 

 すぐに使用人に彼女の身元を調べさせた。代々公爵家に仕える平民の家の出であること、恋人等の影は無いであろうことを突き止め、すぐに妻とするべく動いた。彼女程の人物だ、いつ相手を見つけてもおかしくないと思ったからだった。父や母、正妻のイリナには反対された。長年仕えてきた家の出とはいえ所詮平民、しかもすでに息子がいて娘も数年前に生まれたばかり。わざわざ側室を持つ必要は無いと判断されたからだ。

 しかし、彼はそれらを強引に押し切り、説得に成功した。今まで感情を表にすることの無かったハーヴェスのあまりの豹変ぶりに周囲は驚きの声を上げていたが、彼には気にならなかった。

 

 そして一週間後、異例の速さでアリアは公爵家の側室として迎え上げられた。アリアは妻になったことに何も言わず、ただ静かに微笑んでいた。その目は、初めて彼女と出会った時のように憂いを帯びていた。その憂いを晴らし、満面の笑みを浮かべさせて見せる。それがハーヴェスの生きる目的に加わった。

 

 彼女は優秀だった。正妻のイリナは贅の限りを尽くしていたが、アリアはそれらを一切求めず、妻というより秘書のようにハーヴェスの仕事を支えた。

 そんなアリアをハーヴェスは常に気にかけ、何か欲しいものは無いか、と問いかけたが、彼女の答えはいつも同じだった。


「当主様、私は公爵家に迎えられただけで果報者でございます。なので、気になさらないでください」


 ならばどこかに出かけないかと誘っても。


「主様、私にそんな贅沢は必要ありません。お気持ちだけ受け取らせていただきます」


 彼女は常にハーヴェスに付き従い、何も不平を言わず、仕事に従事した。最初は何かしてやろうと思っていたハーヴェスだったが、やがて彼女の意思を尊重することにした。彼女は元々平民、まだこの家になれていないだけだ。いずれ慣れてくれれば、それでいいと。


 数か月後、彼女の妊娠が判明した。あまりに早い妊娠報告に、周囲からは様々な視線を向けられたが、ハーヴェスは気にもならなかった。何故なら、懐妊したことを知ったアリアが、一瞬とはいえ満面の、心から嬉しそうな笑みを浮かべたからだ。それだけで、彼は幸福だった。彼女と子を愛し続けよう、そう誓いを立てた。


 —-だが、そんな幸せも、永くは続かなかった。腹の子が、呪いを持っていると分かったから。ハーヴェスはすぐに対処しようとしたものの、胎児に魔術を行使すればその命を奪いかねない、そんな仕事を受ける者はいなかった。

 彼を何よりも苦しめたのは、その呪いの影響をアリアが受け続けていたからだ。日に日に弱っていく彼女の姿に、彼は耐えられなかった。


 胎児を諦めるよう、彼女に告げた。彼にとって、胎児の命は大事なものの、アリアの命には代えられなかったから。しかし、そう告げられた彼女は今まで見たこともない形相でハーヴェスを睨みつけた。


「当主様、この子は私の愛しき子。この子を諦めるつもりは決してありません」


 その固い決意に、ハーヴェスは折れるしかなかった。ならばせめて無事に出産できるよう、手を尽くした。宰相としての伝手を最大限に使い、弟トヴァルを始めとした多くの者の手を借り、出来るだけのことをした。


 ——そして出産当日。出産を行っている部屋の外で、彼はひたすらに妻と子の無事を祈り続けた。傍ではトヴァルが付き添い、懸命に自身を励ましてくれていた。

 やがて、赤ん坊の泣き声が上がり、二人は揃って部屋へと駆け込んだ。


 部屋の中心には、息も絶え絶えながら、赤ん坊を抱えたアリアがいた。アリアは自分達が入ってきたことに気が付いたのか、自分の方を見つめてきたが、その目の焦点はどこか合っていなかった。


「旦那、様......。無事、生まれ、ましたよ......」


 そして、彼女はあの日と同じ満面の笑みを、腕の中で眠る我が子へと向けた。


「アリス......。旦那様との、愛しき、やや子......。どうか、すこ、や、か......に......」




 ——それが、彼女の、最愛の妻の最後の言葉だった。




 ハーヴェスは、アリアを失った悲しみに暮れた。そして、彼女を奪ったアリスを愛することが出来なかった。だが同時に、彼女を——妻の面影を持った子を捨てることも出来なかった。

 故に、最低限の生活だけ送れるようにし、干渉はしなかった。正妻や使用人たちが何をしようと興味を向けなかった。

 彼女の才を知った時には驚きはしたが、それだけ。アリアを奪ったことに対する恨みを、彼は捨てられなかった。


 ——そう、ハーヴェスが愛したのはアリアだけ。彼女だけが、彼の愛の全てであった。





 二人の絶叫が響く中、ワタシは次の標的に近寄る。そこに伏せているのは、ハーヴェス・クラウ・ガンダルヴ。この家の主はただ静かにこちらを見つめてきた。


「......これが、お前の復讐か」


 そう問いかける目には、ワタシへの憐みと憎悪が浮かんでいた。


「......まったく、くだらない。恨みつらみで魔物と化し、復讐に身をやつす。その道の果てには、破滅しか無いというのに」


 ......ああ、この男との話は、本当にイラつく。


「くだらないのはそっちでしょう?」


「......何?」


 ワタシの言葉に心当たりが無かったのか、ハーヴェスは首を傾げる。いや、当然でしょう?


「貴方がワタシに向ける感情は、妻や息子、使用人を痛めつけられ、殺されたからじゃない」


 ハーヴェスの心に、愛は無い。この男は妻であろうと息子であろうと、他者に情や愛はほとんど抱いていない。でなければ、この状況でここまで冷静でいるはずがない。


「公爵家を害され、自身の命運も尽きようとしているから、......でもない」


 彼は、現状を正確に把握し、自身が死ぬことすら受け入れている。公爵家に関しても、弟——現宰相のトヴァル叔父様がいれば最悪の事態は免れると分かっている。この状況でも、彼の判断力に狂いはない。流石は宰相を務めただけはある。

 なら、ハーヴェスがワタシに向ける感情は何か?......決まっている。


 ——彼が生涯で唯一、その愛を向けた人物——母アリアの事に他ならない。


「貴方のその感情はお母様の死を代償に生まれたわたしに対する憎悪、そして魔物になり怨念に囚われ続けているワタシという娘を持ってしまったお母様への憐憫、でしょう?」


 そう、この男の感情は、母に起因するもの。想いに囚われているのはむしろこの男の方だろう——母アリアの存在に。


 ワタシの言動が余程気に喰わなかったのか、ハーヴェスの顔が憎々し気に歪む。こんなに感情をむき出しにした彼は初めて見た。


「公爵家当主ともあろうお方が、一人の女に心奪われ、それの愛に溺れている。それをくだらないと言わずに何というのかしら?」


「貴様っ、貴様がアリアを語るなぁっ!」


 激高し、響き渡る叫び声をかき消すような声量で、ハーヴェスが吼える。どうやら、彼の琴線に触れたらしく、息を荒げ、後ろで暴れている使用人たちのような唸り声すら上げている。


「貴様が呪いを受けたのは、貴様の意思では無かったのだろう。呪術を掛けたのはあの侍女で、イリナの指示だったのも分かっている。だが、だがなぁ、貴様を庇って、アリアは死んだのだっ!貴様を呪詛から庇わなければ、あるいは堕ろしていれば、アリアが死ぬことは無かった!それを貴様が、死ぬ原因となった貴様ごときがアリアを語ることは、私が許さんっ!」


 ハーヴェスの咆哮が響きわたる。その声に乗せられた感情は本物で、その想いに偽りは無いのだと、それをワタシに伝えてくる。





 ——それを聞きながら、ワタシの中から湧き上がるのは、激しい憎悪。


 ああ、やはりこの男は気付いていない。

 愛を向けていようとも、その愛の行方を見ようとしないこの男は、理解していない。





 ——母の、真実の愛(おもい)を。





「いいか、よく聞け、貴様は......」


「————お母様は、貴方を愛してなどいなかった」




 未だに叫ぶハーヴェスの言葉を切るように、ワタシはそう告げた。





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