夜会は血と怨嗟に塗れる——簒奪・前——
ヒュンケルの残骸から目を離し、辺りを見回す。
先程の断末魔から、まるで音を失ったかのように食堂は静まり返っている。ヒュンケルの最期が信じられないのか、はたまた自分達も同じような目に遭うと思っているのか。
まあ、そちらの都合など知ったことでは無い。サッサっと次に移ろう、と残る者達に声を掛けようとした時だった。
—-ギリィッ、と何かを擦るような音が——歯ぎしりが響いた。
音の先にいるのは、殺気立ちながらこちらを睨み付ける、一人の女性。
「よくもっ、よくも私の息子を殺したわねぇっ、この小娘がぁっ!?」
「......アレを見てもそんな態度を取れるなんて、随分と元気がよろしいこと、——イリナ夫人」
女性——この屋敷の女主人であるイリナは憤怒の表情を浮かべ、体を震わせている。もし拘束されていなければ、すぐにでもワタシに飛び掛かってきただろう。いや、彼女の性格からしたら自分でなく部下に命令するかな。
そして、その後ろで顔を青ざめさせて成り行きを見守る一人の侍女。
——ずっとその顔を見たかった。わたしにあの呪いを掛け、母が死んだ原因を作った人物を。
「こうして話すのは初めてね。名前は......、何だったかしら?」
「わ、わた...し、は......」
あらら、随分と怯えている。まあ、当然だろう。むしろ、アレを見て普段通りでいられるイリナ夫人の方がおかしいし。
それに、彼女の場合はそれ以外もあるのだろうけど。
その時だった。ずっとワタシを睨みっぱなしだったイリナ夫人が、突如ばっと後ろを振り向いた。爛々と目を血走らせながらも、どこか期待を込めた眼差しをその視線の先にいる人物——例の侍女へと向けていた。
......いや、まさかね?彼女を見た理由には何となく検討が付くけど、流石にそれは無い、と思っていたら。
「エイミー、貴方がいたじゃない!そうよ、貴方なら呪術でどうにか出来るでしょう?あの小娘とは格が違うのだと、見せつけてやりなさい!」
「っ!?」
「......うわぁ」
まさか本当にそんなことを言い出すとは......。言われた本人は、あまりの無茶ぶりに顔が真っ白になってしまっているし......。ワタシが言うのもなんだけど、正直同情する。あと、名前エイミーっていうんだ。
そして、そんな事こんな場で言ってしまえばどうなるか。
「......呪術、だと?......ああ、そういう事か」
—-その声は、小さいはずなのにやけに周囲に響いた。先程まで喚いていたイリナ夫人もその声の圧に口を閉ざしてしまう。そして恐る恐る目を向けた先にいるのは——彼女の夫、ハーヴェス。
「どこで呪術を扱える人間を手配したのかと思っていたが......、まさか侍女だったとは。実に予想外だった」
「......あぁっ!?」
ここで、夫人はようやく自身の失態に気付いた。呪詛魔術を使える人間が——つまりはハーヴェスが唯一人愛した女を呪い殺した者がすぐ近くにいたのを、自ら暴露してしまったことに。そして言葉にはしていなくとも、彼女自身がその指示を出していたことまで。
......まあ、今の発言からして、実行犯はともかくそれを指示したのが夫人だというのはとっくにバレていたみたいだけど。逆に、よくも今まであの侍女の存在を隠し通せたものだと感心すら覚えてしまう。
まあ、ハーヴェスが実行犯に気付けなかったのも無理はないけど。
「まあ、そこの侍女、エイミーの呪術の腕は素人同然。それを使う事もほとんど無かったでしょうからね」
そう、エイミーが使える呪術は精々が相手を弱体化させ、生命力を削るというもの。それも、母体では効かないから胎児だったわたしに掛けるしかなかった、という程度の腕前でしかない。ゆえにそれを使える場面も限られていて、ハーヴェスも気づくことが出来なかったのだろう。
だからこそ、母の件に関しては、あそこまで上手くいったのは奇跡と言っていい。普通なら、胎児が呪術など受ければ只では済まない。むしろ、死産になる可能性の方が余程高いだろう。......元々はそれを狙っていたのかもしれないけど。母は殺せずともその子供だけも、と。
そうならなかったのは、母がわたしへの呪詛の影響をその身に受けたから。——それが、呪いを一身に背負う事で自身の命を削る事になると知っていながら。
そして、その呪詛が解かれることは無かった。胎児に掛けられた呪詛を解く、ということが出来る人物が見つからなかったから。
それも当然の事。ただでさえ呪詛を解くことが出来る聖術——聖属性の魔術——の使い手は少ない。しかも、解呪の対象は胎の中の胎児という、か弱い存在。下手すれば呪術を解こうとして、誤って自身の手で胎児を、しかも公爵家の子を殺してしまうかもしれない。そんな仕事を受けようと思う者はいないだろう。
その結果、エイミーは母アリアの殺害には成功した。わたしが生まれるという想定外の事態はあった訳だけど、ハーヴェスは母の命を代価に生まれたわたしを愛することは無かった。成果は上々、最高に近いと言ってもいいだろう。
そして見事、彼女はイリナ夫人の信用を勝ち取り、専属侍女という安泰の地位を獲得した、という訳。
......こちらはそれを許すつもりなど毛頭ないけれど。
そして、だからこそ彼女は今人一倍怯えている。自身が恨まれているだろうことに気付いているから。そして、たとえ実力が低くとも呪術に通じている彼女には、分かってしまっているから。
どれだけ隔たりがあるかまでは分からなくとも。
——ワタシと彼女との、圧倒的なまでの実力の差に。
夫人はエイミーの表情を見て、彼女では無理と悟ったのか、次に周囲に転がる使用人たちに目を向けた。ハーヴェスに関しては、彼があれから黙りこくっているのを良いことに、今は置いておくことにしたらしい。
「貴方達、誰でもいいからあの小娘をどうにかしなさいっ!?このガンダルヴ公爵家に仕えるものとしての責務を果たし、矜持を示しなさいっ!」
そう叫ぶものの、誰も動きはしない。というか、動ける訳がないだろう。ヒュンケルの場合はこちらがわざと拘束を解いただけに過ぎない。彼ら程度では、この拘束を破れはしない。
......たとえ動けたとしても、動いた者はいないだろうけど。彼らではどうしようも無いことは一目瞭然だし、なにより目の前に広がる残骸を見て、動ける者はこの中にいはしない。
誰も動かない事に、夫人の顔が忌々し気に歪む。自分の思う通りに行かないことが腹立たしいのだと、その表情がありありと物語っていた。
「まったく、この役立たずどもっ!」
怒りのままに叫ぶ夫人に、思わず溜息が出る。と、それが聞かれていたのか、今度はその視線がワタシへと向けられた。
「お前、何よその顔はぁっ!?」
「......いえ、貴方はそうやって気に入らないものを排除してきたのだろう、と思っただけよ。自分の気のままに、配下たちを手足のように使って、ね」
——そして、母もその犠牲者の一人だった。
「それの何が悪いのよっ!?目障りな物を消すのは当然でしょう!あの醜い売女もそう、私の手であの女も惨めに死んだはず、だったのにぃぃぃぃぃっ......」
夫人は顔を真っ赤にして、怒りのままに喚き散らす。それは、自身が絶対者であると勘違いした上での、思い通りに行かない事への憤り。
本当、息子とそっくりなまでに傲慢なことだ。いや、息子が彼女に似たというのが正しいか。
......まったく腹立たしい。こんな奴らにわたしは、そして母は殺されたのだから。
「......そうね、確かにあなたの言う通り。目障りな物を消すのは、当然の事よ」
ワタシの声に不穏な物を感じたのか、夫人の声が止む。こういうところは鋭い、と感心しながらワタシはソレらを取り出す。
虚空から突如として出現したのは、宝石や装飾品の数々。並みの貴族では手に入れないであろう、希少な品々が次々と現れては積み上げられていく。
とはいえ、これは宝物庫から持ってきたものではない。
「それ......、私の宝石じゃないの!?一体どこから!」
そう、これはイリナの私物。先程ここに来る前に夫人の部屋に寄り、空間魔法によって亜空間に保管していたものだ。まだ空間収納の容量が少ない上、宝物庫から厳選して選んできた物が先に入れてあるから、流石に一部しか持ってこられなかった。
残念な点ではあるけれど、それは仕方がないと割り切る。今回の復讐の為だけに使う物よりもそっちの方が重要度高いし。それに、これだけでも量としては十分。
「ならば、当然でしょう——」
そして、宝石を取り出し終えると共に呪詛を発動させる。対象は、イリナ夫人と侍女エイミー......、ではなく。
『『『あっ、がっ、あがががががががががががががががががっ!?!?!?』』』
——その周囲に這いつくばっている、使用人たち。
彼らの体に黒い根が張り、体を痙攣させ始める。おっと、泡を吹いている者もいる。呪詛が少し強かったかもしれない。......まあいいか、こいつらのことなど気に掛ける必要は無いし。
呪詛の根付いた者から順に拘束を解く。体を縛る枷が無くなり次々と立ち上がり始めるが、彼らはその場に立ち尽くすのみで動きはしない。......ワタシの命令があるまでは。
今の彼らは、呪詛に侵され、白目を剥き、腕をだらんとさせ、その場に立つワタシの下僕。
——あの二人への復讐を果たすための、只の駒でしかない。
「——ワタシにとって目障りな貴方達を、貴方達がしてきたように消すことは」