夜会は血と怨嗟に塗れる——高慢・中——
——ヒュンケル・クラウ・ガンダルヴは、ガンダルヴ公爵家の長男として生を受けた。公爵家の長子、唯一人の男子、次期公爵家当主の座。生まれからして、彼の人生の栄光は約束されたのも同然だった。
小さい頃から母イリナや使用人達に、自分は特別な存在なのだと言い聞かされて育ってきた。由緒ある公爵家の血を引く跡取りで、いずれは宰相の座を継ぐ者なのだ、と。自分自身でもそうなのだと信じて疑わなかった。尊敬する父の跡を継ぎ、宰相となる。それが彼の目標であり、夢だった。
——そんな彼の前に立ちふさがった巨大な壁、それは他でもない、文官を目指す彼が敬愛する父や叔父だった。
当時の宰相たる父や、外交官として活躍していた叔父は、紛れもなく天才と呼ばれる人種だった。一方ヒュンケル自身は、秀才というレベルでしかなかった。どんなに努力を重ねても、父や叔父には到底及ばない。教師達も表面上は褒めてくれるものの、ことあるごとに父達と比べられる。そして自身には彼らの様な才が無いのだと、彼は否応もなく気付かされることとなった。
自身が特別だという誇りと、天才に敵わないという挫折と劣等感。そんな中彼が縋れるのは母の教え――自分が特別な存在であるという思い込みだけだった。故に彼は自らが持つ力——公爵家の血に対してどんどん執着するようになり、身分が低い者を見下すようになっていった。同時に自身の才が劣ることから必死に目を反らし続け、それでもそれを捨て切れないからこそ自らより才に溢れる者を見境いなく、無意識の内に憎むようになっていった。
——そしてヒュンケルは今の彼に至った。血を尊び、他者を見下し、自らより才をある者を妬み嫉む、高慢な貴族へと。まるで、彼の母の写し身かの様に。
そんなヒュンケルにとって、アリスは何よりも許せない存在だった。平民の血を引く妾腹の子、呪われて生まれた忌み子。自分より劣る存在——その筈なのに、彼女の能力は彼より遥かに優れていた。
特に三年前の課題での一見は、アリスとの差を否応なく突き付けられた。そして、認められなかった。
忌み子が自身より優れていることが、父の才を自身より引き継いでいることが。
——何より、表には出していないものの。父がヒュンケルより忌み子の能力を認めていて、比べられていることが酷く屈辱的だった。その奥に潜むただ一人愛されていた妾の影が、忌々しかった。
だから彼は憎悪を抱いた。アリスが生きていることすら認められなかった。一日でも早く消える事を願い、思い付きのままに毒を盛るように手配した。
そして、アリスは消えた——筈だった。
「あははははははっ、ようやく、ようやくだっ!」
ヒュンケルは笑いが止められなかった。目の前に転がるのは、首の切れた体。彼が討伐した、忌み子の成れの果て。
死してなお、彼の心の奥底にこびりついていた影。しかも魔物として蘇ってくる始末。本当に忌々しい存在だったが、それももういない。今度こそ悪夢は消えた、いや、彼自身の手で消し去った。
気分が高揚し、哄笑が溢れでる。ここまで清々しいことは彼にとって初めてといってもいいかもしれない。自分にとって最も認められないものに、自分自身で片を付けることが出来たのだから。
ヒュンケルは後ろを振り向く。そこにいるのは家族や使用人たち。彼らが称賛の目を向けてくる。母も歓喜の表情を浮かべている。
そして父ハーヴェスも、きっと、今度こそ認めてくれるに違いない。そう思いながら見た父は。
——険しい表情を浮かべていた。
予想外の反応にヒュンケルの思考が停止する。何故そんな顔をしているのか、彼には理解が及ばなかった。彼の母イリナや使用人達もハーヴェスの反応がおかしいことに気付き、場が静まり返る。
そして、ハーヴェスと同様の顔をしている者がもう一人。その横にいる人物——ヒュンケルの妹であるイヴも不安そうな表情をしており、戸惑いながら彼へと問いかけてきた。
「......お兄様。本当に、それは死んだのですか?」
「......はぁ?何を言っている。こいつの首を見ろ。死んでいるに決まって......」
「——まだだっ!」
あまりにもおかしなイヴの問いに、ヒュンケルは思わず呆けてしまう。首を斬っているのだ、死なないわけが無いのだから。恐らく急な状況の変化に付いていけていないのだろう、そう結論づけた彼は呆れながら妹に返答しようとし、——それを切り裂くようにハーヴェスの鋭い声がその場に響いた。
「......はぁ。父上まで一体何を......」
「分からぬのかっ!?」
ハーヴェスへの方へと向き直りながらため息をついてしまうヒュンケル。まさか父までそんな反応をするとは思ってもいなかったから。いかに優秀だった父とは言え、齢で耄碌し始めているのかも知れない。そんな風にまで考えていた彼だったが、それはすぐに過ちだと気付かされることとなる。
「それは死した存在、即ちアンデッドの類だ!なら、何故体があると思う!?」
「っ!?それ、は......」
その問いに、彼は思わず言葉が詰まる。そうアリスは死んだ。そしてその遺体は父の手配した聖典教会の神官の手によって、即日処理されたはず。......なら、ここに転がる体はなんだというのか?
咄嗟の問いにヒュンケルが混乱する中、ハーヴェスの言葉が解を続ける。
「結界を書き換えたことから、この三カ月奴が潜んでいたのは結界の核がある宝物庫!ならその体は、そこに運び込まれた人形の可能性が高い!」
「......人、ぎょ、う?」
そう言われて初めて、ヒュンケルは父が言いたかったことに気付いた。それが示す、見たくない事実にも。そしてその恐怖に突き動かされるままに彼は振り返り、首を切ったはずの体に視線を向けた。
——もう、遅いけれどね?
「人形の首が切れたところで、死ぬわけが無いっ!」
——次の瞬間、地面から伸びる、黒い影。ワタシの放った呪詛魔法がヒュンケルの四肢を貫き、彼は崩れ落ちる。
「ガッ、あぁ......、ま、さか......」
「......ここまで上手くいくなんて。やっぱりお兄様はその程度よね。折角来ないほうが身の為って、忠告してあげたのに」
そう言いながらワタシは転がった首を拾い上げ、くっつけながら立ち上がる。ヒュンケルは驚きと恐怖で顔が真っ白になっている。まあ、殺したと思った存在が首拾いながら立ち上がってくることは恐ろしいか。
「......死んで、いなかったのか」
「当然でしょう?というより、随分と都合のいい勘違いをしているのね?」
「......何?」
ああ、それにすら気付いていないの。こっちとしては当たり前の事なんだけど。
「貴方、自分で首を切り落としたと勘違いしているけど。あれ、剣に合わせて首を分けただけよ」
「っな、あっ......」
——分離。人形の体を自在に切り離す能力。それを使ってヒュンケルの素人以下の剣に合わせて首を切り離し、死んだふりをしていただけに過ぎない。それに加えて。
「それに自分で破ったみたいに勘違いしているようだけど、貴方の拘束もワタシが解いてあげただけなんだけど。ワタシが怯えたように足を下げたのも演技に過ぎないし」
「ま、さっ、か......」
ヒュンケルは絶句しているが、当たり前だろう。あの時の自信満々に立ち上がる姿に、まさか本当に気付いていないのかと驚いたのはこちらのほうなのに。屋敷内の兵士が破れていないのに、どうして自分なら出来ると思ったのか。
「まさか、本当に自分の力だと思っていたの?随分と自己評価が高いわね?傲慢なこと」
まああんな剣、実際に受けたところでこの躰に傷なんて一つも付かないし、拘束もわざと解く必要は無かったかもしれない。
——それでも、それをやったのには理由がある。
「グッ、きっ、さまぁ......」
ヒュンケルが歯を食いしばり、こちらを睨み付けてくる。そう、全てはこのため。彼のプライドを、へし折るための仕込みだ。
「貴方程度の剣で首を切れるわけないのに、随分と自信満々に叫んでいたわね?『我が家の害悪を倒した』?よくそんなことが言えるわね?」
「......う、るさっ、い」
「父はすぐにおかしいって気付いていたわよ?いや、それどころかイヴも何か気付いていたのだけど?」
その言葉に、ヒュンケルの目が見開かれる。父であるハーヴェスはともかく、イヴのことに関しては完全に予想外だったらしい。まあ、それは彼が鈍い以上にイヴが優秀だったからだろうけど。同じ父と母を持つのに、どうしてこうも違うのか。
「......う、そだっ」
「まあ、そう思い込むのは勝手だけどね。所詮あなたの能力はその程度でしかない。父どころか、イヴにすら劣っているのよ」
淡々と事実を突きつける。その身に宿す内に秘めた劣等感を増長させ、彼の誇りを踏みにじる。
「あなたは、単にワタシの手の上で踊っていたにすぎないの」
「......ぁ、まれ......」
彼の顔色が、青、赤、白と変わっていく。歯がガチガチと震わせるのは憎悪か、或いは恐怖か。
「どう、自分が無能だと思い知らされる気分は?」
「......だまっ、れぇっ!?」
けど、まだヒュンケルののプライドは折れていない。かろうじて、その牙は残っている。
「それじゃ、始めましょうか」
「......何っ、を」
——ならば。
「貴方への、復讐を」
——それを、徹底的にへし折るまでだ。




