夜会は血と怨嗟に塗れる——従属者・後——
——ビチャリ、と音が響く。
「な、何をするんですか、止め、い゛っ、ぎぃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁ!?!?!?」
——声が、何処からか聞こえる。
「おい、何をしているんだ、俺は、公爵家のあ゛あ゛あ゛ぁがあぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁ!?!?」
——叫びが、悲鳴が。
「いや、いやよ、何で私がこんな目に、止めなさい、私を誰だと思ってい゛ぎいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?!?」
——懇願が、慟哭が。
「やめろ、お前は、自分が何をしているのか理解しているの、ぎぃやああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
——怒声が、断末魔が。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いもう止めでえ゛えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?」
——様々な音が、耳を通り過ぎていく、そんな中で。
「——ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
————壊れたような、自身の叫び声だけが、耳に残っていた。
「......え、あ———」
執事の意識が浮上する。彼を包みこんでいた、天国にいるかのような感覚が消えていく。
「————あ」
そして、彼は目にする、してしまう。
「あ、ああっ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」
——目の前に広がる、地獄を。
床も壁も天井も、飛び散った血と内臓で赤黒く染まっている。あまりにも濃い血肉の臭いが溢れかえる。人だった肉塊が——同僚や部下、そして使えるべき主君たちの遺体が、散らばっている。
そしてその地獄を生み出したのは、他でもない執事自身だった。
痛みに抗えず、湧き上がる快楽に身を任せて。
——侍女達をバラバラにしたのも。
——料理人を体の端からじっくり燃やしたのも。
——同僚の全身の骨を折り、ぐちゃぐちゃの肉塊にしたのも。
——若君の体にナイフとフォークを突き刺し、真っ赤なハリネズミにしたのも。
——奥方の腹を開き、生きたまま内臓を取り出したのも。
——主人の皮や爪、毛を丁寧に剥ぎ取り、失血死させたのも。
——お嬢様の四肢と首を切り離し、机に飾り付けたのも。
————全て、全て。
「——そう、これをやったのは、貴方よ」
声と共に、彼の眼前に現れる元凶。
「...これは、夢、だ。そうに決まっている。そうだ、きっと......」
「そうね。確かに悪夢よ。貴方が生み出した地獄のような悪夢」
必死に現実から目を反らし、逃げようとする執事だが、目の前の悪魔はそれを許さない。
「凄いわね。自由にとは言ったけど、ここまでとは思って無かったわ。貴方、拷問の才能があるんじゃないの?いや、芸術の才能かしら」
悪意を孕んだ悪魔の声が、彼に纏わりついて離れない。
「違う、私は、こんなこと......」
「望まなかった?でも、貴方の行動の結果が、これ」
蜘蛛の糸のように執事を捉えて、雁字搦めにしていく。
「ワタシに命令されていたのだとしても。それに抗わなかったのも、苦痛なく殺さなかったのも、貴方の選択」
底なしの奈落へと彼を引きずりこんでいく。
「自覚しなさい。たとえ、快楽に溺れた上での行動でも」
言葉が楔となり、無数に打ち込まれていく。
「——これは、貴方が生み出した地獄よ」
彼の犯した罪から、業からは、決して逃れられないのだと。
「ほら、見なさい。皆、貴方を見ているわよ」
その言葉に執事は恐る恐る顔を上げる。正面に立つアリスの周りに、いつの間にかそれらは居た。
「...やめろ」
彼が殺した人たちの、幽霊が。遺体と同じ無惨な姿で見つめていた。
「...見るな」
まるでガラス玉のような感情の無い瞳で。でも、執事の方をまっすぐに。
「...私を、そんな、目で——」
全てを見透かすかのように、瞬きもせず。全方向から、逃さないと語るかのように。
「頼む、そんな目で、見ないで——」
彼を、ただひたすらに、じっと。
「——見るなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
その視線に耐えられず、執事は手足を振り回して彼らに飛び掛かる。だがその拳はすり抜け、当たることは無い。その上すり抜ける度に、彼に向けられる視線が強くなっていく。
「あああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」
半狂乱になりながら執事はその場から逃げ出すが、視線の圧は強まるばかり。それでもその視線から、自身の罪から逃れたくて、彼は遮二無二に走り続けた。
「あああああああああああああああああああ、げふぅっ!?」
そうやって無我夢中で逃げる際中、執事は何かに躓いてその場に引っくり返った。
「っなに、が......」
執事は足を引っかけた物に目をやり、言葉を失った。
——それは、一本の剣。彼が最初に兵士二人を殺すのに使った、血で濡れた剣。
「...そうだ。そうすればいいんだ」
執事は何かに導かれるようにその剣をそっと拾い上げ、胸に当てるように構え。
「———最初から、こうするべきだった」
——剣を自身へと勢いよく突き立てた。
「......一体、何が?」
目の前でなにが起きたのか理解できず、宝物庫を守っていた兵士が呆然と呟く。もう一人の兵士も、突然の出来事に言葉を失っていた。
彼らの目の前にあるのは、執事の遺体。アリスとの話中に突然宝物庫に剣を取りに行き、すぐさま自身の胸に剣を刺して自殺した執事の姿だった。
「——あら、これでお終いかしら。呆気ないわね」
それを見ながら退屈そうに呟く少女——アリス。その口調は残念そうだが、口の端に浮かぶ笑みは隠しきれていない。それに恐怖を抱きながらも、兵士は問わずにはいられなかった。
「...この人に、何を、した?」
「呪詛魔法で幻覚を見せただけよ。内容は説明しないけど、その中で、耐えられなくなって自殺したの」
兵士たちは知る由も無かったが、執事が見ていた一連の出来事は、全て幻の中の事である。声に呪詛を乗せて執事の体に植え付け、幻の光景を見せた、ただそれだけ。それこそ執事の言っていた通り、悪夢を見せていただけに過ぎない。——執事は最後まで、それには気付けなかったが。
兵士の問いに淡々と答えるアリス。答えは簡素なものだったが、兵士達は体が震えるのを止められなかった。幻覚だけで、自殺に追い込むなど、何を見せたのか想像も付かなかったから。
「...何故、そんなことを?」
「呪詛魔法の試運転。後はまあ、前菜にあまり時間は使ってはいられなかったの。結果は上々、って程じゃないけど悪くはなかったわね」
兵士の背筋が凍える。彼女にとって、今の出来事はその程度のことでしかないのだと、理解させられる。そして自分達も同じような目に遭うかもしれないと考えるだけで、恐怖で体が震えるのを抑えられなかった。
そんなこちらの気持ちを見透かしているのだろう、柔らかくも恐ろしい笑みを浮かべ、アリスは話を続ける。
「安心なさい。貴方達を殺しはしないわ。元々、殺すのはこの執事を入れて六人の予定だったから」
その言葉に一息つくとともに、その殺す予定という六人とは誰なのか兵士が考え始めたところで。
「——だから、貴方達は寝てなさい」
兵士達の意識は、その一言と共に刈り取られた。
倒れた彼らの横を通り、ワタシは宝物庫の階段を上がり、目標が集まっているであろう食堂へと足を向ける。道中に倒れている侍従達の中でも見覚えのある者には呪詛魔法をかけて連れていく。彼らはこの先の大事な仕込み、逃すつもりは毛頭ない。後、必要な物を回収するための寄り道も忘れずに、と。
それにしても。こうして呪詛魔法を使うと対象の有り無しで感覚が大分違う。執事や使用人達に使うだけでもいい練習になった。やっぱり実践に勝る経験は無い。
そんなことをしつつ、ゆっくりと廊下を歩いていく。浮遊して向かった方が早いけれど、こうして屋敷を探索したことなんて無かったし。折角のこの機会、楽しまなければ損。
そして、遂に目的地に辿り着く。視界に入るのは、食堂の扉。気配も感じるし、目的の人物達が中にいることは間違いない。まあ、彼らがこの結界から逃げられるとは思っていないけど。
屋敷の結界は一カ月半掛けてじっくりと改造した。下手に機能を低下させないよう、慎重に、気を使いながら。それでいて自身の思い通りに動かせるように、幾つも書き加えながら。
それだけの時間を掛けなければいけないほど、屋敷の結界は高度な術式を施されていた。それこそそれを扱う過程での能力の向上により、もう一段階種族の進化が起きたくらいだ。
その甲斐あり、こうしてワタシの思い通りに結界は作用している。他の仕込みも万全。前菜だったとはいえ、あの執事もまあまあ楽しめたし。
——さあ、ここからが本番。わざと足音を立てながら、扉へと歩み寄る。辿り着いた扉の前で一息つき、ゆっくりとそれを開ける。
「——こんばんは、皆様方。招かれてはおりませんが、飛び入りで参加させていただこうと思いまして、来てしまいました。よろしくて?」
挨拶を述べつつ、食堂を確認する。標的の五人に、何人もの侍従達が床へと伏せている。うん、これで役者は揃い、舞台は整った。
「...アリス、なの、か?」
他の者が言葉を失っている中、ハーヴェスが何とか発したその問いに、ワタシは笑みを浮かべて答える。
「ええ、もちろん。それ以外の何に見えますの?」
当たり前の事実を、淡々と。ワタシが戻ってきたことを、示すように。
そして、ワタシは両腕を広げ、宣言する。
「——さて、始めましょうか」
本番は、ここからなのだと。
「————今宵の宴を。絶望に彩られた夜を!」
———悪夢の幕は、上がったばかり。