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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
一章 夜会は血と怨嗟に塗れる
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夜会は血と怨嗟に塗れる——従属者・前——

 その執事は、代々ガンダルヴ家に仕えてきた家の出自であった。自身の父から執事の仕事を教わり、17の頃からハーヴェスに仕え始めた。それから早三十年、主の傍で仕えて彼の仕事を支え続けてきた。その忠義は厚く、公爵家に仕えるものの中で最も忠誠心の厚い人物といっても過言ではない。

 ハーヴェスに長年仕える間に、彼も優秀な執事へと成長した。実に多くの事を経験し、並みの事では動じないようにもなってきた。

 

 ——ただし、こんな状況になるとは想定すらしていなかったが。

 

 正面、開かれた大扉の所に立つ銀髪の少女。ガンダルヴ公爵家の庶子にして、呪われた忌み子。死んでいなくなったはずの、——公爵家の汚点。


 ——それが舞い戻ってきた。消えた筈の存在が、魔物となって。


 見た目も、生前の痩せ細った死に掛けの姿ではなくなっている。彼女の母と瓜二つの、もし健康に育っていたらこうなっていただろうと思わせる容姿。この屋敷を害するものだと分かっているのに、その美貌に執事は思わず見惚れてしまいそうになる。

 ただし、その身に纏う禍々しいまでの瘴気が彼を即座に現実へと引き戻す。目の前にいる存在は人ならざるものなのだと。


 魔力と体力が奪われていく中、執事は何とか上半身を起こし、彼女の方を向く。彼女——アリスはそんな執事を見ながら妖しい笑みを浮かべた。


「あらあら、あまり無理はしない方がいいと思うのだけど?」


「...屋敷の執事として、礼を尽くのは当然ですので」


「ふふっ、元々ワタシに敬意なんて抱いてないでしょうに。敬語なんて使う必要は無いわよ」


「グッ...」


 彼女の言葉に思わず執事は口を閉ざす。まるで全てを見透してるいかのような言動が、彼には腹立たしく感じた。呪われた忌み子の分際で長年公爵家に仕えてきた私を見下すなど、一体何様のつもりだ、と。


 公爵家の使用人としては、仮にも主人であるハーヴェスの血を引いている子に対して相応しい姿勢とは到底言えないだろう、本来ならば。

 だがアリスの場合、実際の立場は屋敷内では最も下——それこそ使用人達に見下されるのが当然な程下に扱われていた。本当に最低限、口調だけは礼儀を払っていたがその言葉には敬意など全くない。それが、公爵家でのアリスの立ち位置だったのだ。

 故にそれから見下ろされる事が、執事には我慢ならなかった。 


「...いえ、公爵家の執事として、これは当然のことですので」


「あら、そう?なら、好きにすればいいわ」


 そんな本心をなんとか飲み込み、執事はあくまで敬語で話し続ける。例え本心を見抜かれていようとも、執事としての矜持、礼節を曲げることは彼自身のプライドが許さなかったから。

 恐らくその見栄すら見抜いているだろう、アリスが笑みを深めながら彼らに近づいてくる。


「さて、と。まずは貴方の疑問に先に答えてあげるわ。何から聞きたいかしら?」


 親切に会話の時間を設けようとするアリスに、執事は眉を顰める。随分と余裕のある、というより傲慢な態度。魔物になったことで自由を得て、驕っていると彼の目には映った。ならば、これは好機。情報を引き出しつつ、異変に気付いた騎士達がここに来るまでの時間を稼ぐべく、彼はアリスに問いかけた。


「...屋敷の結界を、書き換えられたのですね?」


「ええ。建物に刻まれた術式は効果範囲の設定が主。結界術式そのものは核に刻まれているのだから、それを弄るだけで屋敷の結界はどうとでも出来る。結界魔術の弱点よね」


 ...冗談じゃない、と執事は内心で毒づく。それが出来ないように核は最も厳重に守られているのだ。それを弱点と呼べるのは、その護りを破れるだけの実力者にだけ許された特権でしかない。それが出来るのがおかしいのだと彼女の異常性に恐れを抱きつつ、別の疑念が思い浮かぶ。


「結界魔術の知識はどうやって、いやそれ以前に魔術は一体いつ...?」


 そう、アリスが魔術を学ぶことをハーヴェスは許しはしなかったことを彼は知っている。だというのに、今の彼女は結界を書き換えられるほどの魔術に精通している。まさか生前、彼や他の使用人達の目を盗んでそれらを学んでいたのかと疑う執事だったが、アリスは何でもない事のようにその答えを口にする。


「あら、魔術に関する書物ならいくらでもここにあるじゃない。あれだけあれば十分よ」


「...まさか、この三カ月で?」


 その事実に、執事は戦慄する。一から魔術の知識を学び、公爵家の結界魔術の核を見つけ出し、それを書き換えるほどの実力を身に着ける。それを三カ月で実行でき、さも当然のことのように言う——言えてしまう目の前の存在がいかに異常なのか。あらためて、その事実を突きつけられた為に。

 背筋が寒くなるのを感じながらも、なんとか時間を稼がなくては、と執事は恐怖を抑え込んで質問を続ける。


「今の結界は、どうなっているのですか?闇属性のようですが...」


「ええ、屋敷内は闇属性によって魔力と体力を奪われるように。屋敷の外側には呪詛による認識阻害と人払いの効果をつけてるわ。外からじゃ異常に気付けないし、そもそも近づこうとすらしないようにね。公爵家に仕える騎士や兵士は決して無能ではないけれど、結界の効果に気付けはしないでしょうね」


「なっ......」


 その言葉に執事は驚愕する。今の言葉が示す、アリスに時間稼ぎが気付かれていることはまだいい。最悪それもあり得るとすら思ってはいたから。だがら何かしらアリスにも時間を稼ぐ為の何かがあるとは彼も予想していたものの、人払いと認識阻害の呪詛が屋敷全体に施されているとは想定すらしていなかった。何故ならば。


「...魔力は、それに必要な魔力は一体どこからっ!?」


 そう、結界も魔術である以上、魔力を必要とする。普段は宝物庫でしか機能していない結界の維持も、公爵家の資金力あってこそ常時発動が出来ているのだ。それを屋敷全体に広げ、なおかつ複数の効果を発揮するのにはそれ以上に魔力を必要とするはず。それをどうやって用意したのかが執事には全く分からなかった。

 その執事の焦り様に気分を良くしたのか、アリスは満面の笑みで答える。


「宝物庫の結界にはね、宝物から漏れ出す魔力を蓄積する機能があるのよ。本来なら、緊急時にはその魔力を引き出して屋敷全体の結界を発動させるようになっているの。その魔力を使用しているだけよ」


 執事すら知らされていないことをあっさりと口にするアリス。それを聞きながら、執事の顔はより一層青ざめていった。

 今の話が真実ならば外の騎士や兵士達は屋敷の異変に気付けないし、誰かがやってくることもない。屋敷内にも兵士たちはいるものの、今日の祝宴を邪魔しないように最低限しか配置されておらず、その実力も騎士に及ぶべくもない。この状況を解決するどころか、彼や宝物庫の兵と同じように拘束されている可能性が高い。    


 だとすれば今自分達の置かれている状況は思っていた以上に不味いのだと、執事はようやく理解した。助けが来るとしても、果たしてそれがいつになるか彼には想像がつかなかった。最悪、朝まで誰も気付かない事も十分にあり得た。

 そして。この状況を作り出したもの——アリスが、ここまでの事をしておいて、それでハイ終わり、などとなる訳がない。突きつけられた事態の深刻さに、執事の顔はどんどん蒼白になっていく。


「——さて、時間稼ぎに付き合うのもここまでね」


 その言葉に執事ははっと顔を上げる。そこにいるのは、銀の少女。公爵家が迫害してきた、恨みを持っているであろう、忌み子の成れの果て。


「あなたから、始めるとしましょうか」


 それが、とても美しく、そして血の気が引くような顔と声で彼へと語りかけてきた。


「...復讐ですか、馬鹿馬鹿しい」


 そんな状況でありながら、その声を聞くだけで執事は何故か奥底から元凶(アリス)への怒りや嫌悪感が湧き上がってくる。


「こちらからすれば、呪われた忌み子に最低限の礼を払うのすら忌々しかったのですが。屋敷を追い出されず、その齢まで生きられただけでも旦那様や一族の皆々様方、そして我々にも感謝すべきなのでは?」


 口にするたびに執事の中で感情が昂り、言葉が荒くなる。


「仮にも、公爵家の一員だというのに見苦しいですな。貴族ならば、有終の美を飾るべきでしょうに。生きているだけで周囲に迷惑を掛けてきたのだから、大人しく死んでいれば良かったのです」


 溢れる感情に身を任せ、彼は次々に言葉を紡いでいく。


「今からでも、遅くはありません。とっととこの結界を解いて、騎士達の手で滅されるとい

い!」


 言いたいことを散々にぶちまけ、執事はその口を閉じる。荒くなった呼吸を落ち着けながら、彼は自身の放った言葉を思い返し、——ぞっとした。

 先程まで時間を稼ごうとしていた筈なのに、今彼が口にした言葉はその全てを無に帰していた。こんなしたところで怒りを買うだけであり、自身の命を縮める自殺行為でしかない。兵士二人も突如アリスへと叫び出した執事の言動が信じられず、目を見開いて彼を凝視している。


「...本心を暴露させてみれば。さすが公爵家に長年仕えてきた執事ね。忠誠心の高いこと」


 聞こえてきた声に執事の全身が総毛立つ。その言葉は彼の言動が言わされたものだと示唆していたのだが、当の本人はそれに気付くことは無かった。何故なら、彼は目の前の存在から意識を逸らすことが出来なくなっていたのだから。


 アリスは先程と同じ場所に佇んでいる。口調も、声色も、表情も一切変わらず、執事へと微笑みかけていた。

 そう、同じはず。なのに執事の血の気はどんどん引けていき、身震いが止まらない。


「本当に、忠実ね。夫人に言われてわたしを疎外するように手を回し、長男に言われて食事に毒を盛る。ええ、本当に忠実、まるで犬のよう」


 淡々と紡がれる言葉が示すのは、執事がアリスに行ってきた所業。自らの行いがその口から語られる度に、彼は生きた心地がしなかった。


「なら、これから試してみましょうか」


「...何、を...?」


 そうニコリと満面の、それでいて怖気だつ笑みを浮かべるアリスへと、執事は何とか問い返す。


「分かるでしょう?」


 その返答で、執事は理解させられる。内容までは分からなくとも、アリスが彼を逃すつもりが一切ないことも。


「——あなたの忠誠心が、果たしてどこまでのものなのかを、ね」





 ——自身の命運が、ここで尽きようとしてしていることにも。





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