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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
一章 夜会は血と怨嗟に塗れる
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夜会は血と怨嗟に塗れる——開宴——

 この日、王都フロトの一角にあるガンダルヴ公爵邸は朝から非常に騒がしかった。誰も彼もが慌ただしく動き、ところに寄っては怒号さえ響いている。余りに公爵邸らしからぬ光景ではあるが、それも当然。

 ——何故なら、今日は長女イヴの15歳の誕生日だからである。





「——準備は滞りないようだな」


 騒がしい公爵邸だが、こんな日でも変わらない部屋もある。その内の一室、執務室にて公爵家当主、ハーヴェス・クラウ・ガンダルヴは執事とここ数日の確認を取っていた。


「問題ございません。明日の準備に関しても、こちらの書類に記載した通りでございます。次に...」


 執事はその問いに淀みなく答えていく。長年仕えている執事の為、この手の事には慣れている。とはいえ、今年は昨年とまでとは違う事も多いのだが。

 イヴの誕生日は数日掛けて祝われる事となる。まず誕生日当日、つまり今日は身内のみでのお祝いを行う。これは毎年行ってきたことなので、問題は一切ない。


 本題は、翌日の舞踏会。イヴの社交界へのお披露目を兼ねて、屋敷の大広間にて行われる事となっている。この舞踏会では名だたる貴族や王族を招くこととなっており、今屋敷が慌ただしいのもこれが原因である。会場の準備、食事の用意、名簿の確認、やらなくてはならないことにキリは無い。どれ一つでも至らなければ、それは公爵家の恥、つまりは当主のハーヴェスや当日の主役であるイヴに泥を塗ることになってしまうのだから。

 そんな侍従達だが、実は心の中では安堵している者もいる。公爵家の()()()()は、もういない故に。


 それはさておき、報告を行っていた執事だが、とある部分に差し掛かったところで一度口を噤んだ。これを伝えていいものか、少し迷っていたために。しかしハーヴェスの訝し気な視線を受けて、しぶしぶ口を開いた。


「...実は、トヴァル様が今日は出席できそうに無いとのことでして......」


 その言葉に、ハーヴェスの眉がピクリと動いた。

 トヴァル・クラウ・ガンダルヴ。現グラム王国宰相にして、ハーヴェスの弟。前宰相の自分と同様、優れた宰相として、その名は周辺諸国にも知られている。

 事前に聞いていた話では、仕事は前倒しで終わらせて出席するという事だったので、ハーヴェスは少し驚いていた。


「どうやら急な要件らしく、今日の内に終わるかは分からないとのことでして。『ガズ』とだけ

伝えてほしいと言っておられました」


 それを聞き、ハーヴェスは顔を顰めた。ここ数カ月きな臭かった犯罪都市ガズで何か動きがあったのだろう。


「明日の夜の舞踏会には出席されるそうです」


「...了解した」


 今日のは所詮身内で開かれるパーティーだ。問題など無い。精々イヴとイリナの機嫌が悪くなるくらいだろう。


「後は何も変わらないな?」


「お、奥方様が、新しい装飾品が必要だと...」


「...いつもの事だ。規定金額内で抑えるようにだけ伝えておけ」


「畏まりました」


 イリナの浪費癖には呆れたものだが、アレは放っておくのが一番楽だ。あんなに装飾品ばかり揃えて何になるというのか。そこまで考えて、ハーヴェスはあることを思い出した。


「そうだ、()()に関してだが、夕食が開始したらすぐに出してもらう事となる。場所は覚えたな?」


「ええ、旦那様に教わりました通りに」


「なら、早めにこれを渡して置く。後は頼んだぞ」


 そう言いながらハーヴェスは赤い宝石——宝物庫の鍵を手渡した。





 日も沈み、外は暗くなった頃。公爵家の食堂には家族全員と幾人かの侍従が集まっていた。食卓にはいつもよりも豪勢な食事が並べられ、各自格好も華やかな物となっている。


「おめでとう、イヴ。もう貴方も15歳、少し前まで子供だったのにあっという間に大人になるのね」


「本当に大きくなったな。もうどこに出しても恥ずかしくない、立派な淑女だ」


「ありがとうございます、お母様、お兄様」


 二人の祝福に満面の笑みで答えるイヴ。そこにハーヴェスが声を掛ける。


「イヴ、お前も今日で15歳。社交界に出て、正式に公爵家の一員と見られることとなる。貴族として、恥じない行動を取るよう心掛けるように」


「...畏まりました、お父様」


 父の言葉に、イヴの表情が少し悲し気に曇る。それを見かねて、イリナが咄嗟に口を挟んだ。


「貴方、折角の席ですのに硬い事ばかり仰らないでください!お祝いの言葉の一つくらい掛けてあげるのが父親では無くて?」


「...そうだな。おめでとう、イヴ」


「!ありがとうございます、お父様!」


 途端に元気を取り戻すイヴ。その笑顔に母や兄、それに侍従達も身惚れ、思わず笑みが零れる。...内心では、本当に扱いやすいお母様、などと考えてはいたが。


「さて、イヴ。前から話していたアレについてだが、変わりはないな?」


「っ!ええっ、希望は変わりません!」


 父の問いにイヴはハッとして答える。それは今日のメインの一つ、宝物の贈与である。

 公爵家では15歳の祝いに、宝物庫に納められたものを一つ送られる事となっている。むろん危険物などは除くものの、それ以外ならほぼなんでも許されている。イヴは数カ月前から、ハーヴェスの持つ目録を見て厳選し、とあるネックレスを選んだ。


 確認を取ったハーヴェスは合図を出し、執事が席を立つ。これから宝物庫に向かい、それを取り出す手筈となっている。


「イヴが何を選んだのか、楽しみねぇ......」


「ええ、そうですね」


 イリナの言葉に同意するヒュンケルだが、言葉の意味合いは異なる。イリナは、単純にその宝物を見たくてしょうがないという欲求からだが、ヒュンケルの場合は見定めの意味合いも含まれている。この宝物を選ぶ際の目利き。何を、一体どういう基準で選んだか。どれだけそれを見極められるだけの才が、力があるのか。この宝物の贈呈にはそんな意図も含まれているのだ。


 イヴの選んだものは、一見すればただの豪華なネックレスでしかない。しかしながらそこには巧妙に複数の術式が仕込まれている、魔術具とても非常に価値の高い物になる。それこそ、国宝に匹敵すると言ってもおかしくないくらいに。

 父ならばともかく、兄ではそれの本当の価値に気付けはしない。これならば兄の劣等心を刺激せず、かつ父に認められることは間違いないとイヴは内心でほくそ笑む。

 

 そうして他愛のない団欒をしていたイヴだったが。イリナのある言葉がふっと耳を突いた。


「それにしても、随分と遅いわね。執事はまだ戻ってこないのかしら」


「大方、探すのに手間取っているのでしょう。何せ宝物庫は広いですから」


 二人の会話がどこか引っかかり、壁の時計を見やるイヴ。確かに宝物を取りに行くだけにしては少し時間が掛かっている。兄やあまり気にしてないようだが、父の表情は少し険しくなっている。どうやら父も彼女と同様、何かおかしいと感じているらしい。

 何かトラブルがあったのかと疑うイヴだが、すぐにそれを否定する。どのようなトラブル——例えば宝物庫内で怪我をしたとか、可能性は低いが執事が持ち逃げした——が起きたとしても、あの場には見張りの兵が二人もいる。その状況で全く報告が無いのはおかしい。

 そこまで考えたところで、ある考えがイヴの頭を過ぎった。そう、報告が無いのがおかしいのならば。

 

「......報告すら出来ない状況になっている?」


 イヴがそうボソリと呟いた時だった。




 ——フフッ——




 その声にイヴの全身に悪寒が奔る。あまりの嫌悪感から椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がった彼女に、周囲の者達は驚きの視線を向ける。


「きゃっ!?ちょっとイヴ、いったいどうしたのよ!?」


「っそうだぞ、急に立ち上がって。...おい、イヴ?」


 母や兄が突然のイヴの行動を注意するが、当の本人には彼らの声は届いていなかった。彼女の頭の中を埋め尽くしていたのは先程聞こえてきた声。聞き覚えのある、だがそれよりも遥かに邪気と悪意を孕んだ、悍ましいもの。それが何なのか結論が出るよりも前に、彼女の本能が警鐘を鳴らしていた。このままこの場にいるのはマズい、と。


 その本能に身を任せるようにその場を離れようとするイヴだったが、——彼女の判断は一手遅かった。彼女が逃げ出そうとしたまさにその時、突如として部屋の壁や床に漆黒の光が、複雑な術式を描くように縦横無尽に奔った。

 一瞬の間に現れたそれらを見て、イヴは悟ってしまった。

 



 ——既に、逃げ場は無いことを。




 光が部屋全体を覆うのと同時に体が一気に重くなる。力が入らなくなり、魔力が奪われていく。数瞬の内に立っている事すらままならなくなり、イヴは思わずその場に膝をついてしまう。


「...むぅ!?」


「きゃあ!?なに、何なの、これぇ!?」


「何が、起きている!?」


 部屋にいた家族も侍従達も同じように崩れ落ち、その場から動けなくなる。屋敷の内外には兵士達が居るはずなのに、食堂に来る気配はない。となると外も同じようになっているのか、あるいはこの部屋だけで外には何も影響がないのか。


「誰か、誰かいないのか!?早く助けに来ないか!?おい、聞こえないのか!?」


 ヒュンケルが必死に叫ぶが、それに返事はない。その様子を横目に見ながら、イヴは状況を整理する。


 公爵家に仕え、その屋敷を護る任に就く兵士達は忠誠心の高い者が選ばれる為、この状況で助けに来ないのはおかしい。となれば可能性は二つ、この部屋が外部と隔絶されていて外に届いていないか、それとも外の兵達にも何かが起きているか。


「落ち着け、ヒュンケル」


「っ父上、ですがっ!?」


 イヴがそう思考している間もただ叫び続けていたヒュンケルだったが、それを父ハーヴェスが止めに入る。


「どんな状況にしろ、すぐに救援は来る。この部屋だけに何か起きているとしても使用人が気付かぬはずは無いし、そうでなくとも外には騎士達がいる。これを起こしているのが何者であれ、ガンダルヴ公爵家を敵に回したことを後悔することになる事に変わりは無い」

 

 当主の普段と変わらぬ頼もしい言葉に、他の者達の不安が和らぎ、顔が僅かにほころぶ。イリナに至ってはすっかり普段の調子を取り戻してガミガミと不平不満を口にしており、それをヒュンケルと専属侍女が宥めている。

 だが、そう口にしたハーヴェス本人の顔は険しい。この場を落ち着かせる為に先程はああ口したもの、彼は今の状況が決して良くないことに気が付いていた。今も部屋中を走る光が結界のそれであり、この事態を引き起こした元凶はその結界に干渉できるだけの実力の持ち主だという事になるからだ。

 

 そしてもう一人、イヴもそのことに思い至っていた。いや、彼女はある意味ハーヴェス以上に事の真相に迫っていた。何故なら彼女は聞いてしまったのだ、あの美しくもおぞましい声を。

 あり得るはずの無い、自分にだけ聞こえた声。ならば幻聴に違いない、そう自身に言い聞かせるもどうしてもその声が彼女の頭から離れない。


 ——ありえない、ありえない、ありえない。

 

 アレは、間違いなく死んだ。魔物として蘇っていたとしても、死んだその日には浄化も行われている。それを逃れているわけがない。

 それにもし仮にアレがまだこの世にいるとしても、あれからまだ三カ月しか立っていない。その程度の期間で公爵邸の結界に干渉できるわけが、しかも誰にも気付かれずになど不可能に決まっている。


 そう考えながらもイヴの頭から離れない、ある一つの考え。


 


 ——()()()()()()()()()()()()()()()()()——




 ——コツッ。

 

 その時、食堂の扉の向こうから音が聞こえてきた。

 

 ——コツッ、コツッ。


 恐らくは、足音。助けが来たに違いないとイリナやヒュンケル、使用人達は安堵の表情を浮かべる。だがハーヴェスとイヴだけはその音に警戒を強め、安堵した者達も徐々にそれがおかしいものだと気付き始める。

 

 ——コツッ、コツッ、コツッ。

 

 騎士や兵士が助けに来たにしては軽すぎる、そしてゆったりしすぎている、小さな、だけどはっきりと聞こえてくる足音。よく聞けばその他にも足を引き摺るような足音が幾つも聞こえるが、軽い足音はそれらよりも響いて聞こえてきた。

 ゆっくりと近づいてくる奇妙な音に全員が黙り込み、食堂が静まり返る。

 

 ——コツッ、コツッ、コッ。

 

 足音が食堂の大扉の前で止まる。そしてゆっくりと音を立てて、大扉が開け放たれた。





 ——初めに目に入ったのは、生前と同じ蒼い瞳。空のように透き通ったその瞳が、生前と違い闇に覆われてこちらを見ていた。銀髪は光を受けて紅に妖しく輝き、白磁の肌に穢れは一切見えない。光を呑むような黒のワンピースと靴はとても簡素だが、その肉体の美を彩るのには十分といえよう。


 まさに、完成された美。その容姿にその場にいた全員が思わず身惚れそうになるが、それが身に宿すおぞましい気配によってすぐに現実へと引き戻される。


「——こんばんは、皆様方。招かれてはおりませんが、飛び入りで参加させていただこうと思いまして、来てしまいました。よろしくて?」


 聞き覚えのある声が食堂に響く。以前と違うのは、その声に込められたいるのは恐ろしい程の呪詛と怨嗟であるという事か。

 ほとんどの者がその存在の放つ気配に呑まれて、喋ることさえできなかった。その中で、ハーヴェスだけが()()へと問いかけることが出来た。


「...アリス、なの、か?」


 それを聞き、目の前のソレはニッコリと笑みを浮かべて、優雅に一礼する。


「ええ、もちろん。それ以外の何に見えますの?」


 そう答えてから、ソレ——アリスはバッと両手を広げた。まるで舞台の始まりを告げる、道化のように。




「——さて、始めましょうか。今宵の宴を。絶望に彩られた夜を!」




 ——ここに、悪夢の幕が開いた。


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