表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
第三章 劫火の内で騎士は吼える
124/124

劫火の内で騎士は吼える——掌上——

(......どうして、どうしてっ!?)


 恐怖と混乱に襲われる綾の脳裏を占めていたのは、ただこれに尽きた。


 白霧に包まれた樹海の中、彼女は必至に足を動かす。一見するとなりふり構わない、証拠隠滅の欠片も無い動きにしか見えないが、例えこの場が人ごみの中でも、彼女の姿は誰も捉えられないに違いない。

 樹海内に、彼女の姿は映らない。布ずれや息づかい、雪を踏みしめる音一つせず、気配も感じ取れない。雪に残るはずの足跡すら、舞い落ちる虚ろな羽に触れると同時に、幻だったかのように消え去ってしまう。


 隠密系の固有スキル《夜梟》。召喚者たちの中で最も優れた潜伏能力は、今も彼女の姿を隠し通している。



 ——なのに。



 綾の目が緑に輝く。《千里の標》が周囲の情報を表示しようとし、——その中央に、歪みが走っているのを見て、彼女の目の端から雫が零れ落ちた。



 先ほどから、ずっとこの状態が続いていた。身を隠していても、綾の居場所を把握しているかのように、歪みが中心——彼女へと向かってゆっくりと収束していく。

 ならば、とその場から逃げ出しても、歪みを振り払えない。いくら走っても、歪みは彼女から離れることなく、標に記され続ける。


 いくら身を隠そうと、どれだけ遠くへ逃げようと、振り切れない。自身の固有スキルが通じない状況に、綾の精神はどんどん削られていっていた。


 相手の正体が分からないこともまた、その状況に拍車をかけていた。


 彼女がこの世界に召喚されてから一年近く経つが、このような歪みが現れた事はただの一度も無かった。その索敵能力は誰もが認めるものであり、味方であるはずのビレスト王国上層部に、余計なことまで暴かれかねないと警戒すらされていた。



 ——しかし、どうやっても歪みは消えない。この樹海を覆う霧のように、決して払うことが出来ない。



 綾は召喚者の中でも、特に戦いを苦手としている。任務の特殊性ゆえにこうして樹海に同行はしたものの、戦闘に関しては他の者にほとんどを任せていた。彼女の真価は二つの固有スキルにあり、それを十全に使いこなす術だけを磨いてきた。それ以外のスキルはほぼ有しておらず、大してそれらの能力を鍛えたりもしてこなかった。


 なぜなら、その必要が無かったのだから。二つの固有スキルさえあれば、綾はこの世界で生き抜ける。それだけの力、そして周囲が認めるだけの価値を示していた。


 ——それが今、正体不明の追跡者には全く通じない。


「なんで、なんでよっ......!?」


 綾の口から、悲鳴が漏れる。先ほどまでは少しでも身を隠す為に、固有スキルを使用したうえで声を潜めていたのだが、今はそれを気にする余裕すら失っていた。迫る脅威に涙を流し、嗚咽を漏らしながら、それでも何とか足を動かし、彼女は必死に逃げ続ける。


 ......動揺のあまり、《夜梟》の効果が剥がれ始めたことに気づかぬまま。


(......ようやく、剥がれましたね)


 ——その数m頭上に浮遊し、綾を睥睨するフューリにも気づかぬままに。



 無論、一連の出来事を引き起こしているのは彼女である。


 生き残りを逃がさぬようイオと二手に分かれた彼女は、綾の追跡を開始した。綾は他の二人と比べ、戦闘力は無くても潜伏・索敵能力の高い。その追跡には、元はグラム王国宰相お抱えの密偵である彼女の方が向いていた。


 魔物に新生したばかりで、戦闘力が低く、聖騎士や拓馬を相手するには不安が大きいという点もある。強大な魔法を操るアリスや、多種多様な毒を生み出すイオ、磨き上げられた武技を振るう黒騎士らと比べ、彼女の戦闘力はひどく劣っている。捕食した魔物も下位を数種のみ、人の頃に身に着けた技術も、今の結晶体では発揮できないものも多い。

 新生して数カ月で結界を書き換えられるような、規格外の主とは違う。フューリの力は、下位の魔物の枠内に収まる範囲のものでしかない。



 ——ある分野を除いて、だが。



 炎の矢雨の魔力から、アリスが晃の存在を感じ取ったように、魔力の性質——波長とでも言うべきものは個々に違うもの。生物に留まらず、森や砂漠といった地域ごとに、世界に宿る魔力というのは変化する。

 だが、それらにも育った環境や種族、属性の適性等で類似性は存在する。例えば同種の魔物であれば、似た波長になるように。

 生物であれば、そこから鍛錬や進化を重ね、強さを増す。それに伴い、魔力というのは独自性を強めていく。己だけの——唯一無二色へと、輝きを増していく。環境であれば、迷夢樹海のような特異な場所、そして魔境のような危険地帯は独自性が強い。


 対して新生したフューリ——その大元となったカオスビーストの魔力は、()()という他ない。狂人によって改造された魔物は、他の魔物を喰らい、その性質を取り込んで再現していた。それは姿形に留まらず、能力——そして魔力も同様。

 そうして吸収し続けた魔力は、核となったスライムのものに混ざり続ける。あらゆる要素を宿す、混沌としか形容しようのないモノへと。他に類を見ないものでありながら、強者の宿す唯一の色と比べると異常なもの。無数の絵の具を混ぜ合わせ、言い表しようがない色となったパレットだ。


 今のフューリもまた、その魔力の性質を継承している。新生後に捕食したわけでは無いので、姿や力は再現できなくても、魔力だけは《混沌》の性質を宿している。

 一見すれば、意味のない性質に思える。いくら魔力の性質を引き継いでいても、能力は再現できないのだから。


 だが、新生の際に彼女が得た力が、その魔力の真価を発揮する。



 ——固有スキル《混虹》。


 ()()()()での、カオスビースト同様の再現。それもただの再現に留まらず、混ざった魔力から特定の要素を複数抽出して掛け合わせることで、本来取り込んでいない魔力でさえも、再現できる。赤と青と黄を混ぜ合わせた混沌から、色を抜き取って黄緑や紫を作るように。

 カオスビーストから受け継いだ混沌を用いれば、それこそ無数の魔力を再現できる。人や魔物に留まらず、周囲の環境の魔力すらも、再現可能となる。


 それを用いた魔力の擬態こそが、《混虹》の能力。とはいえ、あくまで魔力だけなので、姿まで隠せるわけでは無い。だがフューリは元から、身を隠す能力を会得している。そもそもこの白霧の中では、姿を隠していなくても視認すら困難であろうが。


 これが、フューリが《千里の標》に感知されない要因の()()。何故なら《標》の索敵はデュバリィに気配読みや歴戦の勘とは違う、スキルだよりの魔力を用いた索敵なのだから。ただの隠蔽などよりも遥かに緻密な同化は、早々破れるものでは無い。


 そして《標》に生じている異変もまた、この魔力の応用によるものだ。


 混沌の魔力の波長は、もちろんフューリが発動する魔法にも影響する。今は再現できない以上、攻撃や防御ではあまり意味を為さないが——()()でなら、話は変わる。


 今フューリは、霧に紛れさせて極小の氷の結晶を展開している。無数に散らばった氷晶は混沌の魔力を周囲に散布する。それは言うならば、魔力版のチャフだ。

 混沌と化したパレットから放たれる、無数の色。そんなものをいっぺんに受ければどうなるか、現状の《標》がそれを物語っている。


 ——情報過多による、処理落ちという形で。


 固有スキル《混虹》と対魔力索敵用撹乱魔法《猜氷》。この二つを併用して、フューリは《千里の標》を完封していた。




 ......では、どうしてフューリは綾の潜伏先が把握できたのか。


 イオと別れた後、フューリは綾がどの一帯に隠れているかをある程度把握し、《猜氷》を使用した。しかしその直後に発動した《夜梟》により、その姿を見失っていた。

 綾の対応は、決して間違っていなかった。《夜梟》は問題なく機能しており、今のフューリの索敵能力でそれを見破ることは出来なかった。しかし、フューリは的確に綾を追跡し、混乱と動揺を誘い続け、《夜梟》に乱れすら生じさせた。


 それは、フューリの得た他の能力——によるものでは無い。

 フューリと綾との間にある明確な差——隠密としての()()()()に、他ならない。


 いくら優れた力を有していようとも、綾は隠密として活動していたわけでは無い。あくまで《千里の標》を用いた索敵が主とした、サポート要員でしかなかった。

 対して、フューリは元グラム王国・宰相直属諜報員。アリスに仕えていた期間もその技を研ぎ続けた、隠密の鏡。いくらアリスの件があろうとも、かの狂人が自身の傑作の核に、半端な者を据えることを容認するはずがない。

 姿を消し、痕跡を無くそうとも、素人の思考を読むなどフューリには容易い。強力なスキルがあろうとも、一度捕捉した対象を、フューリは決して逃がさない。


 つまり最初から、綾は詰んでいた。フューリと相対した時点で、逃げられるわけが無かったのだ。



 ......その事実を知らぬまま、逃げ惑う綾を見下ろしながら、フューリは内心で嘆息していた。   

 

 それは眼下の敵への呆れから、ではなく——()()()()()()()()()、主への驚嘆から来るものだ。


 《猜氷》は綾にとってあまりに有効打となり得る魔法。《混虹》のような固有スキルはともかく、何故そのような撹乱魔法を、フューリが会得していたのか。——それは前々から、主からの()()があったからに他ならない。


 橘有栖がこの世界に召喚され、死ぬまでの三カ月。その間に、有栖は当時の召喚者たちの能力、そのほぼ全てを把握している。

 それは大して難しい話ではない。多くの召喚者たちは自らが得た力を特に隠すことも無く、自慢し、振るっていたのだから。中には有栖に対し、試し打ちとばかりに力をぶつけてきたものもいた。

 そうでない者でも、何人かで集まった際に口にすることは珍しいことでは無かった。そしてその近くに有栖がいようと、誰一人気にも止めはしなかった。......知られたところで、有栖に何も出来はしないと、高を括っていたから。


 橘有栖はそれを全て、覚えていた。そしてアリス・クラウ・ガンダルヴと融合したことで、その記憶はより鮮明に刻まれた。死から時が経ても、その元になった能力は変わらない。そこからどのように成長していくのか、変貌を遂げていくか、アリスはずっと思考を巡らせてきた。


 ——いつの日か再会した時に、奴らを正面から食い破り、蹴散らす為に。


 アリスはフューリの力を知り、すぐに思い至っていた。——綾にとって、フューリは天敵となり得ることに。

 そうしてアリスの協力の元、フューリが生み出した魔法こそが《猜氷》なのだ。......まさかこうも速く、日の目を見ることになるとは二人して想定してはいなかったが。


 だがその狙いは、これ以上ない形で嵌った。今の綾は、俎板の鯉となんら変わらない。

 イオに拓馬を狙わせたのも、アリスの指示によるものだ。イオでは綾を捉えるのは難しく、フューリでは拓馬を相手できる絡め手や戦闘力が無い。




 ——つまり初めから、召喚者はアリスの掌の上で踊らされていたのだ。




(......流石は、お嬢様です)


 アリスへの畏敬の念を抱きながら、フューリはこの逃走劇に決着をつけることにする。

 結晶体の躰から、雫が一滴、零れ落ちる。霧に紛れたソレはポトッと綾の首筋に垂れ流れ、——直後に、その体の自由を奪い去った。


「............っ」


 声一つ上げることも出来ず、雪上に綾が倒れこむ。その効果の高さに、フューリは同胞の毒の即効性に、改めて感心していた。

 使用したのは別場所で拓馬にも使用された、イオの麻痺毒。《携行》という、亜空間収納の簡易劣化版の能力によって、持ち運んでいたものだ。今のフューリは戦闘能力に難があるため、対象を()()()素早く制圧するにはこれが手っ取り早い。


 フューリの姿が、結晶体を中心に変貌する。突如出現した純白のコボルトに、動けない綾が驚愕したのを感じ取りながらフューリはその体を肩に担ぎ上げた。下手な運び方は出来ないが、おんぶやお姫様抱っこはフューリの心理的にごめんこうむるため、これが一番いいと判断しての事だった。




 ——その直後、樹海に爆音が轟いた。




 ハッとして音の方角へと顔を向けたフューリと担がれた綾の視界が一色に染まり、強風が吹きつける。遠くに上がりながら、周囲の白霧を吹き飛ばし、天を突くほどに立ち上る——火柱の()一色に。


 綾は知っている。あの蒼炎が()によるものであるかを。直後遅ればせながら気づく。そしてそれは仲間が生きている証であり、——同時にそれを使わねばならないほどに、追い詰められているということに。


 フューリもまた想像がついている。聞いていた話から、あれが敵の攻撃であることに、そしてそれが主に向けられているであろうことにも。


 ——だが、その胸中に不安はない。何故なら、フューリは知っている。


 彼女の主は、常に備えてきた。いついかなる時、怨敵にまみえようと、それに対処できるように。


 ここまで速く会敵したのは予想外であり、異分子も混じっている。しかし、問題は一切ない。




 ——悪夢は、そう簡単に終わらない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
怨敵を追い詰めるバトル展開、いいわぁ☆
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ