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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
第三章 劫火の内で騎士は吼える
122/124

劫火の内で騎士は吼える——嚥下——

「............?」


 樹海の中で剣を交える二人の内、先にそれに気づいたのは、拓馬の方だった。いつの間にか、周囲に少しずつ、白い靄が立ち込め始めてきていることに。

 悪夢によって、廃都およびその近辺の晴らされていた迷いの霧が、徐々に元通りになりつつあった。密集した木々が霧を纏い、只でさえ戦いにくい地形なのに視界まで奪われ始める。


 しかし、相対する二人の表情に、焦りの影はあまり見られない。伊達にここ一カ月以上、この樹海をひたすら歩き、戦い続けてきたわけでは無い。いくら特殊な環境であろうとも、双方ともにある程度は、この樹海に適応出来ていた。

 それどころか拓馬にとっては、この霧は悪いものでは無い。《番犬の意地》のおかげで、彼は視界が霧に遮られていようと、敵の存在を見失うことは無い。固有スキルのおかげで、感知能力において彼は聖騎士の上を行く。単純な実力では劣る彼にとって、白霧はむしろ助けになる......はずだった。


 相手の位置を見失わないよう、《番犬》の出力を上げ、......そのおかげで彼は気づくことが出来た。


 ——何かが、おかしいことに。


 その直感に従い、拓馬は聖騎士から意識を外さぬまま、辺りを急いで見渡す。


 霧が戻りつつある樹海に、異常な点は見当たらない。ここ一月以上見てきた、無造作に伸びる木々と、幾重もの根が重なり合う地面。地を覆う雪と木々が纏い始めた霧が、世界を白に染め上げている。

 ぱっと見では、おかしい点は見当たらない。樹海は元と変わりなく、今彼を襲う最大の危険は聖騎士の刃以外にはあるわけもない。


 それでも、拓馬の勘が——《番犬》の危機に対する嗅覚が告げていた。



 ——魔の手が、すぐそこにまで迫りつつあることを。



 拓馬の意識が、聖騎士から少し削がれた。その変化を、相対する聖騎士が逃すわけもない。隙を突いて一息の間に拓馬の懐に潜り込み、彼の無防備な胴へと袈裟斬りを放つ。


「グゥッ!?」


 不意を突かれた拓馬だったが、咄嗟に《方陣》を張り、致命傷を防ぐが、体勢を保てずに地面に倒れこんだ。後頭部を根の一つに打ち付け、視界に火花が走る。

 途端に優勢となった聖騎士はそれでも油断することなく、追い打ちをかける。立ち上がれない拓馬の胸元へと足を叩き込み、そのまま押さえつけた。


「ガ、ハッ......!?」


 今度は《方陣》を展開する余裕もなく、もろに追撃が決まる。拓馬の肺から空気が一気に押し出され、呼吸もままならない。そんな彼の顎下に、冷たい感触が触れる。突き付けられた聖騎士の剣が、白霧の中で鈍く光った。


「......まったく、厄介この上ない」


 勝敗は決したものの、勝者となった聖騎士の表情は浮かない。こうして直接剣を交えたことで、彼は改めて召喚者たちの力を実感していた。


 結果的に彼が勝利したものの、その内容はとても褒められたものでは無い。聖騎士という、教会騎士団でも優れた人材に入る彼が、この世界に来て一年も経たない、それまでは戦いとは一切無関係だった者に、苦戦させられたのだから。

 本来なら、もっと手早く片付いたはずだった。その差を覆しえるだけの固有スキル、それがいかに厄介なものであるかを、聖騎士は身を以て味わった。そしてビレスト王国に召喚された者全員が、それと同格の力を有していることが、この先どれだけ脅威となり得るのかも。


(......もし、こいつと剣を交えたのが一年後であったなら、果たして俺は勝てただろうか?)


 そんな疑問が、聖騎士の脳裏をよぎる。思い起こされるのは、この一月で目にした、召喚者たちの姿。


 堅い上に捉えられない、拓馬の方陣。類を見ない機動力を誇る、京香の翼。索敵と隠蔽に特化した、綾の目と影。他を圧倒する破壊力を内包する、晃の武装。


 たった一年で聖騎士と渡り合える力を身に着けた召喚者たち、彼らがこのまま成長したら、どうなるのか。


 拓馬であれば、何人にも破られない守護者となりえる。


 仮に綾を暗殺者として育て上げたら、唯一無二の死神になるかもしれない。


 天を舞う京香の翼は、地を這う者共を抜き去り、届かぬ空から蹂躙できる。


 晃なら一人でも、軍に匹敵する戦果を単騎で上げられるだろう。


 しかも、召喚者はそれだけに留まらない。数で言えば三十を超え、その全員が四人と同様の力を有している。

 ——そして、一行を従えるは、()()()()()()。最強の一片を宿した、第十聖痕の聖人。


 その光景を幻視した聖騎士の背に、ゾクリと怖気が走る。  

 ......もし、そんなことになれば。イザールとビレスト——否、アルミッガ大陸全体の、国家間のパワーバランスが大きく崩れる事態になりかねない。


 無論、あくまでそれはいつかそうなるかもしれない、という話でしかない。召喚者たちがその領域に至れたとしても遥か先の事。それに彼は知りもしないが、今の召喚者たちの多くは現状に満足し、彼の想定程は成長欲があるわけでもない。

 しかし、その可能性がある以上、彼はそれを見逃すわけにはいかない。保守派として、教会の権力を脅かす芽は、早いうちに潰すに限る。


 このことを知られれば勇者を敵に回す可能性はあるが、幸いこの地でなら隠蔽は容易い。元より綾を攫うなり消すなりする予定だったのだ、一人も二人も今更変わりはしない。それよりも、この好機を逃すべきでないと、聖騎士は判断した。

 ここで《方陣》を展開されれば、先程の焼き直しになりかねない。そうなる前に始末をつけるべく、聖騎士は喉元に突きつけた剣に力を込める。首の肉に切っ先が僅かに食い込み、鮮血が流れ出る。


 拓馬が呻きながら、聖騎士を睨みつける。しかし目の焦点は定まっておらず、反撃どころか《方陣》も使えないのは明らかだった。


「......恨むなら、未熟な自身を恨むことだな」


 聖騎士は最期にそう告げ、構えた剣を真下に押し込んだ。




 ——鮮血が、吹きあがる。




 辺りが、静寂に包まれる。既に霧は樹海を覆いつくし、あらゆる色彩を塗り潰していた。


 その純白の世界に、鮮やかな華が咲く。命を象った、真紅の華が。


 続いてボスッと、何かが雪の上に零れ落ちる。白の中でそれは——切っ先を僅かに赤く彩った鋼の剣は、主の姿をその刀身に映す。



 ——目や口から鮮血を流す、()()()の姿を。



「............ア゛?」


 聖騎士が、濁った声を零した。奥から湧き上がる血の濁流に溺れ、まともな言葉にもならない、小さな音が。

 何が起こったのか、彼には分からなかった。何故なら、それを把握する前に、既に彼の意識はほぼ闇に堕ちていたのだから。聖術による治癒も、自身が使えないのでは間に合わない。もう彼に、出来ることは何一つありはしなかった。


 ぐらり、と体が傾く。まるで糸の切れた操り人形のように、力を失った聖騎士の肉体が倒れ伏す。その眼に、もう光は宿っていない。周囲の白を真っ赤に染めながら、彼の体はもう二度と、動くことは無かった。


(......は?)


 その光景を、拓馬は未だ揺れる視界の中、呆然と見つめていた。何が起こったのか、まるで理解が追い付いていなかった。

 彼の横に倒れ伏す聖騎士に、動く気配はない。その顔を見れば、完全に事切れているのは明らかだった。つい先程まで絶体絶命の状況だったというのに、その下手人が突然死したことに、彼の頭はまだ追いついていなかった。


 それでも徐々に、状況を理解していく。彼は体を起こすことなく、ゆっくりと天を見上げる。既に一帯は霧が覆いつくし、木々もその先の空も、何一つ見えはしない。

 しかし彼はそこに、死の気配を感じ取った。彼の力が、そこに危険が漂っていると、そう伝えていた。


(......()、だ)


 その正体は、不可視の毒。拓馬の《方陣》のように、目で捉えることのできない毒が、空中に滞空していた。それも聖騎士に察知されず、なおかつあっという間にその命を奪えるほどの、即効性の非常に高い、致死毒が。

 彼が助かったのは、毒が漂っている位置に彼が接していないからに他ならない。もし今立ち上がれば、聖騎士の二の舞を踏むに違いなかった。その運の良さに、彼は内心で安堵の息を吐く。偶然にも、体勢を崩していたおかげで毒から逃れられた、と。



 ——()()



 拓馬は目を見開く。そんな偶然が仮にあったのなら、あまりに彼に都合が良すぎる。

 彼は即座に、その甘い考えを捨てる。これは、決して偶然などではない。この毒は、聖騎士だけを仕留めるために、——あるいは()()()()()()()()()()()()()に、放たれたものなどだと。


「......キュッ」


 ——鳴き声が、耳朶を打つ。拓馬のすぐそばで、樹海を覆う静寂を破るように。


 声の主は、すぐに見つけられた。仰向けに倒れる彼の体の上に、いつのまにかそれは乗っていた。


 それは、小さな蛇だった。穢れの無い白磁の鱗を持つ、美しい蛇。翡翠に彩られた宝石の如き双眸が、彼をじっと見降ろしていた。



 ——全身に、悪寒が走った。



 目の前の魔物が何なのかは、拓馬は無論分かっていた。つい先程死の雨を降らせ、王国や教会の騎士、兵士たちを融かしさった、猛毒を操る怪物。横に倒れる聖騎士の死因も、恐らくはこの魔物なのだろう。

 ......けれど、そんなことはどうでも良かった。今、彼の体を震わせるのは、そんな所業などでは無かった。


 ————拓馬を見下ろす、蛇の瞳。その翡翠の奥に、()が潜んでいた。


 嫌悪、忌避、怨嗟、軽蔑。あらゆる負の感情が乗った、憎悪を滾らせるその闇に、文字通り蛇に睨まれた蛙のごとく、動くことが出来なかった。......()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その闇に呑まれて。


 いや、それだけではない。いつの間にか拓馬の体は、なぜか指一本動かすことが出来なくなっていた。まるで、気づかぬうちに麻痺毒でも盛られたかのように。


 彼の頭上で、白蛇が膨れ上がる。その体躯を大人以上のものへと変貌させ、口が大きく開かれる。

 鮮やかな口腔が、拓馬に迫る。それがどういう意味を持つのか、そんなものは言わずとも知れていた。


(......このまま、生きたまま喰われるのか?)


 自身の身にこれから降りかかる災厄を前に、拓馬の体に怖気が走った。恐怖が迫りくる中、どうにか打開しようと意識を手中させる。

 しかし、彼の体は動かない。どれだけ逃げようとしても、既に一切の自由が奪われており、助かる手立てはない。


 もう助かる方法は無い、それを理解した拓馬は、絶望に支配される。彼に出来るのは、処刑台でギロチンを待つ罪人のように、蛇に呑まれる時を呆然と見つめるだけだった。



 ......だが、彼は勘違いしていた。生きたまま喰われる、その認識は間違っていないが、決して()()()()()()()()ことに。

 


 白蛇が、拓馬を一口で呑み込む。抵抗することも出来ず、彼の体は肉に包まれていく。周囲から迫る肉壁が、彼の全身をきつく締めあげる。その圧に、体が軋み悲鳴を上げた。

 しかしどういう訳か、その肉壁の中で彼は問題無く呼吸出来ていた。てっきり、窒息すると思っていたばかりに、彼は魔物の体内だということを忘れ、呆けてしまう。


 ——それを嘲笑うかのように、拓馬の体に激痛が走った。


(ア゛、アアア゛ア゛ァァ゛ァ゛ァ゛!?!?)


 声にならない悲鳴を上げ、彼はあまりの痛みにのたうち回ろうとする。しかし動かない体と周囲の肉壁が、彼が逃れることを許さない。


 原因は、明らかだった。いつの間にか、肉壁が派手な色彩の液を分泌し始めていた。体液——獲物を消化するための胃酸は、彼の衣服や鎧を瞬く間に融かし、彼の全身を覆った。

 焼けつく痛みが、拓馬を襲う。皮膚が爛れ、傷口からさらにしみ込んだ酸が、体内まで侵していく。外だけでなく内側からも激痛に蝕まれ、酸に融かされる。経験したことの無い鬼畜の所業に、彼は声なき絶叫を上げることしか出来なかった。


 しかし、これで終わりはしない。彼を締め付ける肉壁の力が、急激に強くなる。突然強まった圧力に彼の体は抵抗するも、動けない上に酸に侵されていたのでは満足に耐えることも出来ず。


 ——体の内から、何かが砕ける音が幾重にも響いた。


 それが何の音か、拓馬には一瞬、理解できなかった。しかし直後、彼の体に走った新たな痛みと共に、強制的に理解させられた。


 ......体の骨を、幾つも折られたのだと。


 もし外から白蛇の姿を見ている者がいたのなら、何が起きたかすぐに理解できたに違いない。

 今その体は、拓馬を呑み込んだ際よりも、明らかに縮んでいた。今の形状は、どちらかというと蛇よりもツチノコに近い。その膨張部分に誰がいるのか、それは言うまでもない。


 縮小した体躯、その変化に彼の体は耐えられず、彼の骨は無残にも砕けてしまった。


 酸が、肉圧が、あらゆる激痛が、拓馬を襲う。折れた骨の内いくつかは内臓に刺さり、そこに酸が侵入し、さらに内側を焼いていく。止まらない激痛の嵐に、彼はいつ発狂してもおかしくなかった。


 全身がぐちゃぐちゃにされ、融かされるその光景は、凄絶という他ない。その中心で、彼はただ受け続けるしかなかった。体を融かす酸を、砕ける骨を、時折襲う衝撃を、余すことなく、逃げることもできずに。このまま消化されて死ぬのか、他の皆はどうなったか、そんなことを考えることすら、今の彼には出来なかった。




 ......だから、気づかなかった。


 ただ殺すつもりなら、聖騎士と一緒に毒で殺せば良かったことに。


 これだけ白蛇の胃酸を浴びながら、視界を始めとした五感に、一切影響が無いことに。


 頭蓋骨などの大事な骨は砕けておらず、心臓などの生命維持に直結する臓器にも刺さっていないことに。


 時折襲う衝撃が、白蛇が移動する際の揺れだということに。


 ——時折、肉壁から別種の液体が分泌され、僅かに彼を癒していることに。


 

 ————白蛇に、()()()()彼を、殺すつもりが無いことに。

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