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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
第三章 劫火の内で騎士は吼える
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劫火の内で騎士は吼える——妄信——

「......どうすれば、いいの?」


 ぽつり、と三塚綾は零す。混沌とし始めた樹海の奥地で、彼女にはそう呟くことしか出来なかった。

 


 誰より先に敵の存在に気づいた彼女は、何とかあの死の雨から逃れることに成功していた。前衛でない彼女は召喚者の中でも身体能力は低い方であり、決して王国の騎士たち程動けるわけでは無い。

 それでもあの猛毒から逃れられたのは、いち早く気づき、一番に動くことが出来たから。毒が兵士たちを溶かす前に、彼女の目はそれが何よりも危険なものだと、即座に看破していた。


 ......あとは、無我夢中だった。


 彼女を捕らえていた聖騎士の手から逃れ、迫りくる死の雫から全力で離れた。《標》の能力で逃走ルートを割り出し、何とか樹海に逃げ込みながらも、速度を落とすことなく走ることが出来たのだった。


 ひとまず死の手から逃れられた綾だったが、状況が最悪なことに変わりない。仲間の三人とは離れ離れ、共に樹海にやってきた騎士や兵士はほぼ全滅状態。

 彼女の目——《千里の標》に、生存者はほぼ映らない。感知範囲外に逃れた可能性もあるけれど、あの雨の中で次々と兵士たちの反応が消えていくのを見ている以上、希望は無い。


 残る感知内にいる人の反応は、二つ。《標》は個人で僅かに反応に違いがあるので、少しは見分けがつく。恐らくその二つは拓馬と保守派の聖騎士であり、——二人は現在、刃を交わしていた。

 晃と綾、それに二人の聖騎士は相変わらず彼女の感知範囲外で、どうなっているかは分からない。ただ時々北の方から轟音が微かに聞こえてくるから、恐らくは晃を襲った何かと戦っている最中。


 ——この状況で、どう動くべきか。綾には、判断できなかった。


 樹海に逃れたのは追撃の手を撒きやすいからだが、北の晃達と合流する手もあった。何せ彼ら一行の最高戦力がそちらにいるのだから、合流した方がいいに決まっている。


 ......それが出来なかったのは、彼女は白蛇以上に、晃を襲った未知の襲撃者を恐れたからに他ならない。


 もちろん、あの毒の雨はとても恐ろしく、悍ましいモノだった。人が融け崩れるあの光景が脳裏を過るたびに、彼女は嘔吐しそうになるのをなんとか堪えていた。


 ——しかし、それよりもあの襲撃者の方が、彼女にとってはよほど恐ろしいものだった。


 彼女の《標》は、広範囲の敵や脅威を捕らえ、彼女に知らせてくれる。その力は彼女の生命線の一つであり、この危険に満ちた世界で生き残るために、何よりも頼りにしていた。


 ——けれど、何も見えなかった。


 あの時、《標》には何も映らなかった。彼女は何も捉えられず、気づいたら晃が吹き飛ばされていた。

 それが範囲外からの攻撃なのか、或いは彼女には知覚できないほど速い存在なのかは、分からない。けれどどちらにしろ、彼女の力が通じない存在なことには変わりない。


 ——だから、綾はそれから離れた。一瞬でも速く、一歩でも遠く。


 人は、理解できないものを恐れる。彼女にとって、滅殺の劇毒より、不可視の襲撃者の方がよほど理解できず、何よりも恐ろしいものだったのだ。



 そうして一人樹海に逃げ込んだ綾は、どう動くべきか判断できずにいた。


 まずは仲間——同郷の召喚者達と合流すべきだ。けれど、片や聖騎士と戦闘中、もう一方は範囲外で生死不明。


 拓馬に合流しようにも、聖騎士と争っている中に彼女が割り込めるわけがない。彼女の能力は有能なものではあれども、戦闘能力は召喚者の中でも下位。二人の戦闘に介入したところで、拓馬の助けになるどころか足を引っ張りかねない。

 それに、保守派の聖騎士は彼女の身柄を狙っている。そこにほいほい出ていっては、まさに鴨が葱を背負って来るのと変わりない。

 

 だからといって、北の二人や聖騎士達と合流するのも難しい。例の襲撃者への恐怖で足が竦むを置いても、未だ晃の放った炎が廃都を覆っており、そちらに繋がる道を阻んでいた。晃が吹っ飛ばされた道なら炎も消えていただろうが、それにはあの猛毒の発生源にまた近づかなくてはならない。それは自殺行為と変わりない。


(......このまま、逃げちゃう、とか)


 そんな考えが頭を過るのを、綾は必至で振り払う。だが実際、彼女がここから生き残るには、それが一番確実な方法であった。


 人を惑わし迷わせる樹海も、彼女の《標》なら道を導き出せる上、徘徊する死霊達も事前に察知できる。それに彼女のもう一つの——否、主力の固有スキルは、これまでよりも今の状況でこそ、進化を発揮する。

 その二つがあれば、一人で樹海を抜け出すことは、難しい話ではない。


 けれど、彼女は躊躇してしまう。仲間を置いて、見殺しにして、一人で逃げることに。かつて同郷の一人の時のように、目を反らし、自分が助かろうとすることに。


 その葛藤が、彼女に二の足を踏ませていた。


 ——それが、間違いだった。


 彼女は、逃げるべきだった。何も考えずに、一心不乱に、一人で樹海の外を目指して、走り続けるべきだったのだ。


 そうすれば、万に一つの可能性であっても。




 ————悪夢から、逃れられたのかも知れないのだから。





 ふと、綾は気がつく。《標》が、奇妙な反応を示していることに。 


 《標》の発動中、彼女の視界には小さいディスプレイが表示される。そこに《標》に記録された地図と、効果範囲内の敵性反応等の感知結果が表示され、彼女の意識と情報を同期するようになっている。


 現在その画面に映るのは、樹海の一部と廃都の南部。東に進んだ位置に拓馬と聖騎士がいるが、それ以外に人の反応は無い。

 その二人に向かい、ひとつの敵性反応が——先ほど毒の雨を受けるときに見たものと、全く同じ反応が、徐々に迫りつつあった。


 ......しかし、今の綾はそんなものを見てはいなかった。彼女が見ていたのは、地図のただ一点だけ。それ以外のことを気にしている余裕など、一切無かった。

 


 ——歪み(ノイズ)が走っていた。



 綾を中心として、半径数百mの範囲。その一帯のディスプレイがジジッとぶれ、歪んでいた。

 それが何なのかは、分からない。《標》では、捉えきれず、けれどその存在だけは主張するように。彼女こそが獲物だとでも言うように、周囲だけを覆いつくして。


 ——間違いなく、ナニカが、そこに潜んでいた。


「っ......!?」


 綾は思わず足を止め、口から出かけた悲鳴をなんとか呑み込んだ。息を殺し、周囲に視線を走らせる。だが、彼女の目には何も映らない。当然だろう。彼女自身の《標》で捉えられないモノを、肉眼で発見できるはずもない。


「フーッ、フーッ......」


 乱れる呼吸を必死に落ち着かせる。湧き上がる恐怖を何とか抑え込み、どうするべきか全力で頭を巡らせる。

 しかし、この状況を打開する考えを、彼女は思いつかない。パニックに支配され、まともに働かなかった。




 ——召喚者にとって通常、固有スキルは切り札であると同時に、心の支えでもある。


 故郷から遥か遠い、未知の世界。心から信じ、頼れるものがほぼいない中で、その身に新たに宿った強力なスキルは、彼らがこの世界で生き抜くために大事な力であり、また心の平穏を保つための大きな支えでもあった。

 これさえあれば、大丈夫。他に頼れなくても、手元にあるこの力さえあれば、何とかなる。そう彼らが錯覚するほどの特殊性と有能性が、固有スキルにはあったのだ。


 ——しかし固有スキルは決して、無敵ではない。


 固有スキルは、決して召喚者のみが持ち得るものではない。数は少ないとはいえ、この世界の強者であれば、固有スキルに目覚めた者はいる。それに聖痕という、聖者の遺産を受け継ぐ聖人もいる。

 歴戦の強者と、偶然力を手に入れた一般人。その差は、言うまでもない。強力なスキルはあっても、一年間鍛えても、召喚者は未だ、この世界の強者の枠には入らない。


 それに、召喚者とそれ以外の固有スキルは、その成り立ちからして根本から異なっている。


 かたや、召喚の際に偶発的に手に入れた、棚ボタの産物。

 もう一方は、生きていく中で磨き上げたモノが、結実した結晶。

 同じく強力な力を有してはいても、それを得るまでの過程の違いが、両者の間に大きな差を——簡単には越えようがない壁を生んでいた。


 一番分かりやすいのは、スキルだろう。


 ステータスに表記されるスキルは、「自身が身に着けている技巧が、言語化されて表記されたもの」である。スキルを得たから力を扱えるのではなく、力を身に着けたからステータスに反映される、という理屈だ。

 これは、召喚者たちも同様の話。固有スキルも、「召喚の過程でどういう訳か力を得た」からステータスに記されたのであり、特殊な例ではあってもスキル獲得の原則からは外れていない。


 ......そして、召喚者たちの多くは一年近くたってなお、固有スキル以外のスキルを数個しか獲得していなかった。中には、召喚当時とステータスがほぼ変わってない者までいる始末だ。


 本来、固有スキルを会得した者ならば、そんなことはありえない。強力なスキルは、いくつもの技術を会得し磨き上げ、その果てに開花するもの。それを得るまでに積み重ねたモノは、決してスキル一つに収まるようなものではない。

 スキルの数が多いほど強い、という訳ではない。同じスキルを有していても、本人の技量で大きな差が生じるのも確か。だから、ステータスだけでその者の力量を測れるか、と言われれば否だろう。

 だが、固有スキルを有する者が他のスキルを対して有していない、それがいかに歪なことか。


 強くなってはいる。召喚された当時と今の彼らでは、その力には雲泥の差があるのは事実。

 しかしそれは、固有スキルという強力な武器にのみ頼りきったもの。一本の柱にのみに背を預けた、一見丈夫に見えても、よく見れば上は一点でバランスを取っている、不安定なものでしかない。


 ......もし、その柱を失ったら。彼らの力が通じない時が来たら、どうなるか。



 ——まさに今の綾の姿が、それを如実に表していた。



 頼りにしている《標》が通じない、それは彼女の神経を大きく削り、消耗させる。成長したとはいえ、自分たちがまだ弱いことは、聖騎士達と行動していれば自然と分かることであり、彼女自身も自分が未熟なことは理解していた——はず、だった。

 けれど、彼女は想定していなかった。——《標》が通じない相手がいるとは、思ってもみなかったのだ。


 これは、彼女に限った話ではない。召喚者たちの多くは固有スキルを過度に頼っている。そしてその力は絶対であり、また不変なものであると思い込んでいる。


 それは過信——いや、妄信と言ってもいい。


 彼らの故郷よりも遥かに危険な世界で、心の支えにもなっている、個々の切り札。その力は絶対で、覆りようがないという、根拠なき自信。それが彼らの目を曇らせ、事実から遠ざけた。

 ......未だ強者に達しない召喚者たち、そんな彼らの有する力もまた、未熟なままだということに。



 ——ゆえに綾に残された選択肢もまた、それに頼ることだけだった。


(......や、きょう)


 ——綾の周囲に、漆黒の羽が舞う。


 音も気配もなく、形も虚ろな、まるで影のような羽は彼女の周囲を数秒漂うと、空気に溶ける様に崩れ去った。

 それと同時に、彼女の姿が薄れていく。再び周囲に満ち始めた霧に溶け込み、世界からその姿を消していく。僅かな布ずれの音も、荒くなった息づかいも、恐怖に震える体も、そのすべてが朧となっていく。



 ——夜梟。


 綾の持つ、もう一つの固有スキル。召喚者たちの中で現状最も優れた、潜伏能力。


 音や気配だけでなく、魔力や体温、果てはその姿すら隠蔽し、隠し通すことが出来る。他者に付与することも可能であり、樹海で一行が死霊達との戦闘を避けてこれたのには、この能力の存在も大きかった。


 しかし《夜梟》の真価は、一人の時にこそ最大限に発揮される。


 これを使えば、例え都市の中心部を堂々と歩いていても、誰も彼女の存在を捉えられない。格上の聖騎士に拘束されていても、発動の隙さえあれば逃げられる。



 周囲を捕捉する《標》と対を為す、綾の生命線。


 そしてこの能力は、周囲の環境次第で、より強力な効果を発揮する。この迷夢樹海は、まさにうってつけの場所だった。これさえあれば、やり過ごせる、そう彼女は考え、敵が退くのをただひたすら待って、身を縮こませた。



 ——ならば、その結末もまた、見えている。



 綾は、気づかなかった。彼女の眼に映るディスプレイ、そこに走る歪みが少しづつ、彼女を中心として、収束し始めていることに。

 

 そして、肝心なことに思い至っていなかった。......仮に、《標》が通じない相手ならば。




 ——《夜梟》もまた、通じないかもしれないということに。


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