劫火の内で騎士は吼える——考察——
——漆黒が荒れ狂う。黄金を喰らい、すべてを蹂躙せん、と。
天に無数の漆黒の矢が浮かび、聖騎士達に向かって降り注ぐ。彼らはそれを避けながら、対処すべきものだけを的確に見極め、聖術を使って防ぐ。宙に現れた金色の盾は漆黒の矢と衝突し、激しい光を放つ。直後にそれは弾け、双方が相殺されて消し飛んだ。
しかし聖騎士達に休む暇はない。何故なら、攻撃はまだ止んでいないのだから。
残る闇は地面に衝突するが、それは地面を沈み、直後触手のようにうねりながら大地から生え、迫りくる。
「洸よ、薙ぎ払え!」
それを予期していたデュバリィが準備していた聖術を発動し、金色の剣閃が奔った。それは闇の樹木を刈り払い、しかし途中で呑まれて消え去った。
「——チィッ!?」
その光景に思わず舌打ちを零したデュバリィだったが、息を突く暇もなく闇が迫る。
もう一人の聖騎士が盾を張るが、闇の進撃は止まらない。金色の盾とわずかに拮抗した黒は数瞬でそれを砕き、呑まんと迫りくる。しかしその僅かな間で彼らは十分に後退し、再び放たれたデュバリィの聖術によってようやく闇が晴れる。
「グッ、ガァァァッ!?」
直後、聖騎士がその場に崩れ落ちる。先ほどの闇に僅かに触れていたのか、その左腕の表面が抉れ、そこを悍ましい呪詛が蝕んでいた。
「っ!?癒しよっ!」
咄嗟にデュバリィが浄化を聖騎士に施すが、その隙を闇は逃さない。今度は天に巨大な槍が生成され、二人を丸ごと貫かんと襲い掛かる。
「させるかっ!」
その声と共に、金色の風が吹き荒れる。風は槍に纏わりつき、防ぎきれなくともその勢いを減衰させた。
「助かりましたっ!」
その隙に治癒を終えたデュバリィはまだ動きの鈍い聖騎士を抱えて急いで後退し、僅差で槍が墜落する。先ほどまで二人がいた地面が消し飛び、二十mはあろう大穴を穿つ。
「......まじかよ」
その光景に、聖騎士の背筋に冷汗が流れる。後数瞬遅かったら、彼の体もまた、あの穴のように消し飛んでいただろうと、否応なく実感してしまったから。
それは、彼を支えるデュバリィも、そして後方で翼を広げる京香も、その腕に抱えられた晃も、誰もがその光景に息を呑む。
『————』
そしてそれを睥睨する、闇纏う黒銀の少女——アリスは静かに上空に佇んでいた。
いざ悪夢を討たんと剣を抜いた聖騎士達は、しかし終始劣勢に追い込まれていた。
理由は決まっている。——悪夢の力が、彼らの想定を遥かに上回ってたからに他ならない。
聖騎士達の放つ聖術は、その悉くが悪夢の闇と呪詛に相殺される、どころかむしろ押し負けてしまう。本来、聖術の性質上、魔物や呪詛に対して特攻に近い効果を持つ聖術が、である。
それも単純に込められた魔力量の差、で無理やり相殺されているわけでは無い。悪夢の魔法に込められた魔力量は感じ取れる限り彼らの聖術とそう変わりないにも関わらず、相性の差を覆すほどの結果を引き起こしていた。それは、悪夢の魔法練度、ひいては魔力制御の技量が並外れていることを如実に物語っていた。
魔力制御は、魔術・魔法双方において、とても重要なファクターになっている。
魔術の場合、魔術式とそれに対するイメージのすり合わせが大切だが、それと同じくらい魔力制御は重要な技術となる。魔術式を発動させるには、そこにいかに正確に、素早く魔力を流すかが大事になってくる。
魔法もまた、それは変わらない。術式を必要としない、意思で発動できる魔法もまた、その制御能力が足りなくてはイメージを十全には反映出来ないのだ。
そして魔力制御の練度を上げることで、より正確に、繊細に魔力を操れること以外に、二つの利点が生じる。
一つは、魔力量の増大。個の魔力量は日々僅かに上昇する傾向にあるが、魔力を多く消費することでその幅が増える。そして制御能力の練度もまた、増加量に大きく影響する。より優れた者ほど、その魔力量は桁違いに跳ね上がっていく。
もう一つは、魔力の質。魔力は、制御能力を伸ばす過程で精錬され、質が向上していく。質の向上は魔法・魔術全般に大きく影響し、全く同じ魔術においても魔力の質の差によってその威力はまるで変化する。
——目の前の光景はまさに、その差を見せつけるものだった。
「......どうなっているっ」
思わず、デュバリィの口から悪態がついて出る。それも当然だろう、悪夢の魔力の質は、とても誕生して一年も経たない魔物のそれではない。聖騎士の中にも、ここまで質の高い魔力を持つ者はいない。
生まれながらに桁違いの質を誇る聖人ほどで無いにしろ、聖典教会の精鋭たる聖典騎士をも上回りかねないほどに。
あまりにありえないその事実に、彼女は思わず戦慄する。噴き出る冷や汗が、止まらなかった。
......しかし、それは当然の事でしかない。たかだか三カ月で、空間魔術を理解し、高度な結界に干渉可能になった存在が、果たしてその段階に留まったままでいるだろうか?
——否、そんなことはありえない。
アリスにとって、魔法は主力武器の一つ。だからこそ、この一年、その根幹たる魔力制御の鍛錬には力を注いできた。そしてアリス・クラウ・ガンダルヴが怪物と呼ばれた一端——その圧倒的な学習能力は、それにおいてもいかんなくその才を発揮した。
だからこそガズの騒乱の際、彼女は都市全域の死霊を呼び起こすことが出来た。疲労した状態でも無数の魔物を砂漠に転移させるという力技を可能としたのだ。
その成長は、止まることを知らない。今の彼女の魔力量は、上位の魔物の上澄みと言っていいほどに延びている。
——そして魔力の質に至っては、災害級に匹敵するレベルにまで成長、——否、進化していた。
一般的に中位とされるグラッジドール、しかしその脅威度は、もはやそんな基準では測れない。
デュバリィの懸念は、間違っていなかった。確かに彼女の前にいる存在は、間違いなく災害となる存在。
しかし、同時に見誤ってもいた。いずれ災害と化す、のではない。
————すでに悪夢は、災位の域に一歩、足を踏み入れていた。
「......やはり、おかしいですね」
デュバリィの口から、疑問が零れ落ちる。それは、目の前の悪夢に対してのもの。ただし、それは異常な実力に対して、ではない。むしろそれを一端であれ理解しているからこそのもの。
——悪夢は、明らかに手を抜いていた。
その実力差を、身を以て味わっているからこそ、彼女は分かっていた。もし本気で悪夢が攻撃してきたら、自分達では太刀打ちできないことに。今もそうだ、なぜか悪夢は攻撃を止め、追撃してこない。あれほどの力があれば、もっと簡単に四人を蹂躙できるに決まっているのに、だ。
......それと彼女にはもう一つ、気になっていることがあった。手を抜いているにも関わらず、悪夢はその身から抑えきれないほどの憎悪を滾らせていた。
——そしてそれは何故か、後ろの召喚者たちへと、向けられていた。
その理由が、デュバリィには分からない。これが彼女や聖騎士に向けられているなら、まだ理解できた。魔物にとって教会は不倶戴天の敵であり、何より悪夢の前身は聖痕と、深い繋がりがあるのだから。
しかしなぜか、悪夢の矛先は召喚者に向けられてた。思えば最初の襲撃もまた、晃に狙いを定めたものであった。あれは直前に放たれた火の雨のせいかとも考えていたが、今の彼女はそうではない、と薄々察知していた。
——悪夢が滾らせるソレは、そんな生易しいものではない。もっと根の深い、あらゆる負の感情を煮詰めた怨念とでも言うべき、昏く怖ろしいものだと。それこそ、死霊として誕生した根幹に関わっているのではないかと思うほどに。
しかし、それはありえないと彼女は内心で首を振る。悪夢が誕生したのは、アリス・クラウ・ガンダルヴが死した時、つまり召喚者たちがこの世界に喚ばれてから、三カ月しか経っていないはずなのだ。同国内ならともかく、聖教国を挟んで隔たれた二国で、どうしたら繋がりが生まれようか。
デュバリィはその可能性を振り払おうとする。が、一度芽生えた疑問は晴れない。なにせ、眼前にその種がいるのだ、彼女はそのことを考えずにはいられなかった。
そしてふと、彼女はある可能性に辿り着く。
(......本当に、目の前の悪夢は、アリス・クラウ・ガンダルヴか?)
——自分たちの認識が、もしかしたら根本から間違っているのではないか、と。
悪夢がアリス・クラウ・ガンダルヴなのは、グラム王国の調べからして、間違いはない。ただ、目の前の個体がそれと同一の存在だとは、決まっていない。
もちろん偶然同じような存在が、それも特殊な存在が現れるなど、本来はありえない。しかし、もしも偶然でないなら、どうか。
デュバリィは知っている。魔物の種は、それこそ無数に分かたれることを。そして中には、複数の個が共鳴し、体を幾つも持ちながら、群体型の魔物として誕生することもあることを。
「......お二人に、聞きたいことがあります」
未だ追撃してこない悪夢から視線を外さず、デュバリィは後方の二人に問いかける。
「あなた方は、悪夢と何かしら関わったことはありますか?」
彼女の問いに、後方の二人は顔を見合わせた。当然だろう、彼らにとって、悪夢という個体はあくまで手配書で見たことのある、その程度のことしか知らなかったのだから。
二人の反応を感じ取った彼女は、続いて本命の質問をぶつけた。
「......なら、それ以外でも構いません。——アリスという名に、心当たりは?」
——反応は、劇的だった。
「「————ッ」」
晃と京香は、言葉を失った。当然だろう、彼ら召喚者にとって、その名は禁忌に等しい。彼らが貶め、虐げ、その命を奪った、——彼らの罪そのもの。
「......たち、ばなっ」
「京香っ!」
京香の口から、その名が微かに零れ出る。晃の叱責を受け、はっと正気に戻った彼女は慌てて口を塞いだが、デュバリィの耳はその小さな声をはっきりと捉えていた。
(......やはり)
彼女は確信する。悪夢と召喚者には、何かしら因縁があることを。それも、決して浅からぬ、根の深い問題が。
そのことについて考察しようとするが、しかしそれを妨げるように、悪夢の魔法が再び襲いかかってきた。
「おいっ、どうするデュバリィッ!?このままじゃ、俺たちはっ......」
同僚の言いたいことは、彼女も当然分かっていた。今は悪夢の考察は後回しだと、思考を切り替え、目の前の脅威に向き直る。
このままでは、勝ち目がないことは、目に見えていた。どうあがいても、眼前の怪物との戦力差は歴然。重傷者もいては撤退もままならず、そもそも空間魔法に長けた敵相手に逃走は無謀。
デュバリィにも、切り札はいくつか残っている。しかしそれはどれも一度切ってしまえば、二度目には大きく効果を損なうものばかり。そしてその切り札では、悪夢に決定打を与える力は無い。
(——必要なのは、圧倒的な火力)
そして幸い、その手札がここにはある。悪夢の魔法を捌きながら、彼女はその手札の持ち主へと問いかけた。
「......晃殿、ひとつ伺ってもよろしいですか?」
「っ!?な、なんだよ一体......」
先ほどの問いのせいか、声が少し尖っている晃に対し、彼女は先程とは別の話だと宥め、質問を続ける。
「......もし悪夢の動きを抑えられたのなら、あれを一撃で仕留められる何かを、貴方は持っていますか?」
「——ある」
即答だった。自信のある、覇気の乗った声が、デュバリィの耳朶を打つ。
「炎装の中で、最も火力がある武装。それに俺のもう一つの固有スキルを合わせれば、多分災位にも通じるはずだ」
予想以上の答えに、彼女は拳を握りしめる。だけど、と晃は続けた。
「一回使えば、他の炎装含めてしばらく使えなくなる。もう一つの固有スキルも使うなら、なおさらだ。それと、反動も大きいから、味方に被害が出ないとは言い切れない。......なにより、転移を使える相手に当てられる自信はない」
一回きりの、博打。その問題を加味して、それでもデュバリィはいけると判断した。
「——なら、動きを抑えて、当てればいいでしょう?」
それに最適な手札を、彼女は持っているのだから。
同僚の聖騎士が悪夢の魔法を捌きながら、目を見開く。デュバリィが何をするつもりか、彼には分かってしまった。
「おい、アレを使うつもりかっ!?わかってるだろっ、あれは——」
「——ええ、分かっています。万が一、骸王と接敵した際に切るべき、たった一度きりの手札だということは」
それを聞いた召喚者たちは、ぎょっと目を剥く。そんな切り札を、ここで使うつもりなのかと。
しかし、彼女に迷いは無かった。
「ここで切らねば、私達に勝ち目はありません。相手がいつ、本気で襲いかかってくるかが分かりませんから」
油断なのか、警戒なのかは分からない。しかし悪夢が本気を出していない今だからこそ、まだ可能性は残っている。
デュバリィは四人の手札を脳内で再確認し、作戦を組み立てる。たった一度きりしか機会のない、大博打の一手を。
「——では、作戦概要を伝えます。これで、悪夢を仕留めます」
——それを、悪夢はじっと見つめていた。魔法を無造作に放ちながら、しかし決して目を離すことなく。
『———フフッ』
————笑みを湛えながら。