劫火の内で騎士は吼える——主従——
——父の仇を討ち、殿下に命を助けられた後。
国に生きて帰った私は、それまでと大きく生き方を変えた。
日々鍛錬を重ねるのは同じだが、その原動力はもう恨みによるものからではなくなっていた。
こんな私を案じてくれた家族や同僚の思い、思い出すことが出来た父の言葉、そして命を救ってくださった、シルヴィア殿下。
私は、決して一人で生きているわけでは無い。魔物が跋扈し、死が近くにいるこの地で、互いに助け合い、支えあい、手を取り合って生きていく。私もその一人として、今まで支えてもらった分、今度は自分が国の、同胞の為に力を尽くそう。
怨ではなく、恩。それが、私の新たな根幹となった。
騎士団として送る日課は、そう変わりはしない。けれど心持ちひとつ変化しただけで、その中身はまるで別物へと変わっていた。
見回り一つとっても、それまでとは世界の見え方がまるで違っていた。今までも、決して不真面目に行ってわけでは無い。けれど仇への恨みを常に抱えていた私は、その営みを正しく見ていなかった。小さいころから知っているはずの景色は、騎士になった目から見たら全く違うものだった。
今まで当たり前だと思っていた暮らしが、どれだけ互いが繋がり、支えあうことで成り立っているか。そして彼らを護る騎士団が、どれだけ民の支えになり、そして騎士団もまた、民に支えられているか。
ただ身分としてでなく、騎士となって初めて、私はこの国の本当の姿を知り、それに誇りを抱いた。そして私もまた、この一員になろうと、そう誓った。
正しく向き合えば、騎士団の同僚達ともすぐに仲を深めることが出来た。彼らの中には、私と似たような境遇の者も少なくなかった。それでも憎悪に呑まれず、騎士として正しき道を歩んでいた姿に、対して何も見えていなかった自分の事を恥じた。
彼らと任務を重ね、ともに成長する日々は充実したものだった。仲間と共に征く戦場は、背を支えられているだけでとても頼もしかった。一人より二人、二人より三人、いやもっと大勢で競い合い、高めあうことで、孤独だった時よりもずっと強くなることが出来た。体や技術だけではなく、精神的な面においても。
その中でも、かつての日々と最も変わった点を挙げるとするならば。
あの方——シルヴィア殿下の存在が最も大きいだろう。
殿下はあれからも時折、私の様子を見に来てくれた。自身が助けた者のその後を、わざわざ気にかけてくださったのだろう。私が前を向き始め、正しく騎士の道を歩き始めたことに、助けた甲斐があったと朗らかな笑みを浮かべていた。
その際、私は殿下に一手指南を求めた。死にかけとはいえ、仇を仕留めた腕を一度味わってみたかったのだ。
本来、仕える主君に対して臣下が願い出るべきことではない。けれど殿下は快く引き受けてくれ、騎士団の練武場で私達は剣を交えた。
結果は、私の完敗。武の腕ではほぼ互角だったが、殿下の巧みな魔術を合わせた戦法に終始押され、叶わなかった。
そのことに、私は驚きを隠せなかった。仇を討つために、全てを掛けて剣の腕を磨いてきたのに、それに並び立たれ、加えて魔術では手も足も出なかったことに。
けれど同時に、納得もしていた。剣を交えながら、殿下のそれが才能だけではなく、厳しい修練を重ねてきて得たものであることもまた、感じ取ることが出来ていた。
何より、殿下の剣は——重かった。
力とは別の、意志の重みが乗っていた。その根幹が殿下の背負うモノ——この地の君主の後継としての重圧と覚悟の体現だと、否応なく感じ取れた。
......だから、誓ったのだ。あの日、私に勝った殿下が剣を突き付けながら、朗らかに笑う姿を見て。国の為、民の為に力を尽くすのは当然として。多くのモノを負うその背を、支えられるようになろうと。
——私の命を繋いでくださった、殿下の為に、これからはこの剣を振るおう、と。
......その決意の奥に芽生え始めた別の想いには、この頃は全くと言っていいほど気づいていなかったが。
『——グッ!?』
体に襲い来る衝撃に、黒騎士は思わず声を漏らす。しかし予想していた程の衝撃では無かったからか、ギリギリ体勢を崩さず、その場に踏みとどまることが出来ていた。遥か上空から着地、いや墜落に近い形で砦に降りても、彼に傷らしい傷は無いのは、死霊と化した影響が大きい。
魔物となったことで、彼の肉体強度は生前を上回っていた。そしてそれは体だけでなく、その身に纏う黒鎧も同様。騎士国由来の業物である鎧もまた、既に魔物のとしての彼の体の一部であり、死霊化の影響でより強固なものに変じていたのだ。
それでも無傷で済んだのは、咄嗟に張られたアリスの結界もあっての事だったが、今の彼にはそんなことを気にする余裕は一切なかった。
彼が降り立った衝撃で、砦屋上の炎は一部が吹き飛び、視界が開けていた。そこから、かつて彼が愛し、しかし護れなかった国を一望することが出来た。
人がいなくなり、先ほどまで色を喪っていた亡国は、朱に彩られていた。廃墟に、荒れた田畑に、火の手が襲い掛かる。下を覆いつくす焔が、人がいた痕跡を跡形もなく蹂躙していく。
それが、彼の記憶を刺激する。この目に焼き付いて離れない、最も忌まわしい光景。
——全てを失った、あの日の惨劇を。
黒騎士の怒りを体現するように、骨が激しく軋む。肉を失った鎧の内部で、その音は大きく響いて聞こえた。
そんな彼の視界の端に、——白い光が奔った。
『————ッ!?』
咄嗟に構えた彼の斧槍の柄に、何かが激しくぶつかると共に高い金属音が鳴る。漆黒を切り裂かんと迫る白刃と、それを構えるある死霊の姿に、彼の体が僅かに強張る。直後刃が斧槍から離れるが、今の彼はそれに反撃を返すことも出来ず、その場に立ち尽くす。少し離れた位置に降り立った襲撃者の姿に、再び骨の軋む音が響いた。
『......シルヴィア、殿下』
黒騎士が、思わずそう零す。五十余年ぶりに再会した、主君の無残な姿を前に。
姫騎士の姿は、生前と大きく変わらない。レヴァナントという屍の姿を残した死霊は、グールのように肉が腐ることなく、ぱっと見ただけではほぼ人と言ってもいいだろう。遠目に見ただけなら、とても死人とは思えないに違いなかった。
しかし眼前の黒騎士には、ソレはまるで別物に見えていた。
純白の髪は艶を失い、枯れている。白い肌は生気が抜けて、人形のような無機質なものに見えた。その眼はガラス玉のようで、顔に表情は一切宿っていない。
——それでも、これは自身が仕えたお方だと、彼は悟っていた。彼が護れず、この地に散った主君の、成れの果てなのだと、否応なく。
『——殿、下......』
黒騎士の感情が、激しく揺さぶられる。伽藍洞になり、魔石が浮かぶだけの鎧と骨の身の内で、炎が燃え盛る。
それは、五十余年、片時も消えることの無かった炎。主を、国を護れなかった悔恨。そしてその元凶たる、怨敵への憎悪。
今その業火は、再び故郷に帰り、目の前の惨劇を目にしたことで、かつてないほどに猛り狂っていた。
『......骸王、ここまで、ここまでするのか、貴様はぁ!!』
黒騎士から咆哮が放たれると同時に、再び姫騎士が——否、屍姫が剣を振るった。
今度は黒騎士もそれに対応し、斧槍と剣が激突する。激しい音を立てながら、黒と白が火花を散らす。その場に留まる黒騎士の周囲を、屍姫が舞い踊る。朱に彩られた砦の上で、白刃が吹き荒れた。
『............殿下』
——しかしそれは、黒に届かない。
常人どころか、デュバリィほどの実力者で無ければ捌けないほどの猛攻を受けてなお、黒騎士はその全てを見切り、完全に受けきっていた。
彼にとって、その剣は幾度も受けてきた、勝手知ったる主君のもの。永い時を経ても、それを忘れることなどない。
『————』
屍姫はしかし、その結果に顔色一つ変えず、速度を一段階引き上げる。——レヴァナントの身体性能を十全に生かした、さらなる猛攻へと。
剣劇の音が轟く。絶え間なくぶつかる刃は、曲を奏でる如く音を途切れることなく響かせる。
死霊として、生前より遥かに優れた身体機能。それはより速く、力強い一撃を生み出す。呼吸を必要としない体は、敵に休む暇を与えない。
獲物を仕留めるまで止まることを知らない剣閃の嵐が、黒騎士へと迫る。
『————申し訳ございません、殿下』
——その剣嵐を、漆黒の斧槍が一閃で断つ。
屍姫の左腕が断ち切られ、あらぬ方向へと吹き飛んでいった。振るった斧槍を構えなおしながら、黒騎士はそれを悲し気に見つめる。兜の内で、きつく嚙み締めた歯が鈍い音を立てていた。
死霊に変じたのは、何も屍姫だけの話ではない。彼もまたデスナイトとなり、生者の軛から放たれていることに変わりはない。
けれどデスナイトが一般的に中位の魔物に分類されるのに対し、レヴァナントは上位の魔物。よほどの特例で無ければ、魔物の位階の差はそう簡単に覆らない。黒騎士はその特例の一例だが、屍姫もまた生前からの実力者であり、上位の中でも上澄みに近い力を有している。
その事から、本来なら屍姫に分があるはず、だったのだ。
事実、黒騎士は先ほどの猛攻の全てを見切れていたわけでは無い。屍姫の肉体性能は彼を上回っており、その剣技もまた生前と変わりない冴えを残していた。
————けれど、その剣は軽かった。
かつて彼の主君が背負っていたモノ。国を、民を愛し、護らんとする想い。その意志無き剣はいかに力強かろうと、彼にはひどく軽く感じた。
——こんなものは、殿下の剣ではないと。
だからこそ、彼はその斧槍を振るうことが出来た。このような無残な主君の姿を、これ以上このままにしておけなかった。
腕を落とされ、下がった位置で動きを止めた屍姫に向け、黒騎士は斧槍を構える。
『......殿下、どうかご辛抱を。すぐに、貴方様を縛る鎖を、解き放ちますので』
そう言い放つ黒騎士だが、彼は屍姫を斬るつもりは無かった。たとえ振るう剣が違えども、目の前にいる者が主君であることに変わりはない。そしてその魂を無に還すことなど、彼に出来るはずもない。
しかしこうして対処できるなら、拘束も十分に可能だと彼は判断した。ならこのまま主を捕らえ、保護すればいい。面倒な点はあるだろうが、協力者である少女の手を借りれば、いい方法も浮かぶに違いない。
そう黒騎士が決意した、——その時だった。
——屍姫の腕が、再生し始めたのは。
『——ッ!?』
思わず、黒騎士の動きが止まった。彼の視線の先で、腕の肉が盛り上がり、徐々に腕の形を生成し始める。
彼も、レヴァナントという種族についての知識はある。死霊系統の中でも上位の魔物であり、災位に当たるヴァンパイアの劣化種族であることも。しかし、腕を即座に生やすほどの再生力を持っているなど、彼は聞いたことが無かった。
もしや、骸王による特殊な仕込みなのか、そう疑った彼は、直後にそれが間違いだと気づく。
——ほぼ再生を完了させていた腕が淡い光に包まれていること、そして屍姫が右手に持つ剣——その柄の意匠が、微かに違う物に変わっていることに。
『——まさかっ!?』
その事実が何を意味するか、黒騎士がようやく思い至った時には、もう遅かった。
屍姫の腕が再生しきった直後、鎧の無いその左手に純白の剣がもう一振り現れる。そしてまた意匠の違う剣を両手に構え、屍姫が身を沈ませた直後。
——黒騎士は吹き飛ばされていた。
『ガ、ァ!?』
砦の屋上を転がりながら、黒騎士は何とか体勢を立て直す。まだ燃える炎が身を焦がすが、彼にそんなことを気にする余裕は一切なかった。その眼は、彼を吹き飛ばした下手人——屍姫から離れない。その両の手に構えられた剣に、彼は再び歯をきつく噛み締めていた。
先ほどとは一線を画す動きの原因を彼は知っていた。けれど、それを使えるとは、先ほどまでの彼は考えてなかった。敬愛する主君の意志のない屍姫に、剣が力を貸すとは思ってもみなかったのだ。
『——どういうつもりだ、ネルヴェゲンッ!?』
憤怒の咆哮が轟く。しかし黒騎士の問いに、剣は答えない。ところどころ錆びつつも本来の純白を残す剣は、主の手の中で鈍く光るだけだった。
再び、屍姫の姿が彼の視界から消える。とはいえ、彼も歴戦の騎士。捉えきれなくても、反応できないわけないわけでは無い。甲高い金属音と共に、斧槍と右手の剣が激しくぶつかる。黒騎士も吹き飛ばされることは無く、しかし脅威は止まない。
吹き飛ばされなかったのは、先程とは違うからだと、彼もよく分かっていて、それでも間に合わない。
次の瞬間、彼の腹部に激しい衝撃が奔る。黒騎士の隙を突いて振られた左手の剣が、その胴を薙いだ。その一閃は鎧に微かな傷を付けつつ、しかし内部に軽くないダメージを与える。まるで、鎧をすり抜けたかのように。
『グフッ......』
その衝撃に黒騎士は思わず苦悶の声を上げる。しかし、彼は知っている。この程度では、まだ終わらないことを。
直後、彼の足元に魔力が収束し、——砦の屋上から火柱が吹き上がった。
火柱に呼応して、砦を覆う火の手が再び激しくなる。その中に、ひとつの影が立ち尽くしていた。
屍姫は火柱から少し離れた場所で、目の前の光景を光の宿らない眼で見つめていた。彼女の手に握られた二振りの剣も、その刀身に炎を反射し、鈍く光っている。
『グ、オオォォォォォ!!』
眼前の火柱の中から、雄たけびが轟く。炎は内から膨張し、轟音を立てながら破裂した。周囲の炎を吹き飛ばしながら、その中心から黒騎士が姿を現した。しかし、その様相は先ほどとはかなり変化していた。
鎧のあちこちが焦げ、煙を立ち上らせている。兜の隙間から零れる青い双眸の炎も、幾分か弱まっていた。体勢は保っているものの、ひどく消耗しているのは誰の目にも明らかであった。
『......まったく、相変わらずでたらめな性能だな』
思わず愚痴を零す黒騎士だが、状況は変わらない。斧槍を構えなおしながら、彼は屍姫を見据える。
確かに、今の屍姫にかつての意志は無い。けれど、それを補って余りある切り札がある。その意志無き今、使えるはずがないと黒騎士が考えていたものが。
——宝剣ネルヴェゲン。騎士国に伝わる、先祖がとある種族から賜った物から鍛造された、八対一組の剣。
この世界でも数少ない、————精霊を宿す、意思を持つ武装。