劫火の内で騎士は吼える——混迷——
「くそっ、どうなっているっ!?」
感情に任せて悪態を垂れ流しつつ、保守派の聖騎士は樹海を駆けていた。ヒダルフィウスの遺跡からは十分に離れていたが、彼が足を緩める気配は一切なかった。
「なぜ、なぜだっ、折角の好機だったというのにっ......」
彼の愚痴が止まることは無い。まぁ、ここまで状況が二転三転したのでは、そう漏らさずにいられないのも当然かもしれないが。
......きっかけは、保守派の上層部からの司令だった。
改革派が、ビレスト王国と接触を図っている。その監視、ひいては不測の事態となった際の処理、それが彼の受けた命令だった。彼が選ばれたのは、骸王に対するある程度の事情を知っている者の内、ちょうど手が空いていたからに過ぎない。
そのために聖典教会騎士団の樹海遠征隊に同行した彼は、さっそく想定外の事態に直面することとなった。王国の樹海内への遠征、それに改革派が協力すること、それはまだ想定の範囲内だった。それだけだったのなら彼も、自身の任務を監視だけに留めることが出来ていた。
何故なら、その行く手を阻むのは難攻不落の樹海。五十年もの間誰一人として侵入させたことの無い、霧に包まれた木々の迷宮を抜けることなど、出来るはずが無かったはずなのだから。
......そう、そのはずだったのだ。
彼の想定は、三塚綾という王国の切り札によって、根本からひっくり返されることとなってしまった。
迷霧樹海を攻略するにあたって、まさにこれ以上ないほどうってつけの人物の登場に、彼は即座に上層部へと指示を仰がざるを得なくなった。王国騎士たちと同様に通信の魔術具を使って連絡を取り、事態を報告。それを受けての上からの指示は、以下の通りのものだった。
——三塚綾の身柄を確保、不可能であるならば排除せよ。
この指令に、保守派の聖騎士は文字通り頭を抱えざるを得なかった。
人一人の拉致など、簡単にいく話ではない。対象が単独で動いているならともかく、向こうには同郷の召喚者や王国の騎士たちがついている。彼の聖騎士としての実力は、単騎であれば彼らを上回るが、相手が集団となればそうもいかない。彼に味方してくれるだろう保守派の者も少なく、数の差は覆しようがない。
だが何より、デュリィの存在が彼の任務を阻んでいた。同じ聖騎士でも、二人には大きな差がある。エリートではあっても聖騎士としては一般的な域を出ない彼と、さらに上位に位置する聖典教会騎士団の精鋭——聖典騎士にいずれ届きうる逸材と噂される彼女では、力の差は歴然。
数の差に加えて、力の差まであったのでは、彼に打てる手はほとんどなかった。それでも、彼には任務を実行するしか選択肢は無いのだが。
狙えるチャンスは、二回。樹海への出発前と、帰還後のみ。
そもそも、樹海内で綾を狙うのは無謀過ぎた。戦力差に加え、地形があまりに複雑な場所で拉致を行うのは危険すぎた。それに綾が死んでしまった場合、最悪彼自身も樹海内に取り残されかねない。樹海内で事を起こすのは、よほどの好条件が重ならなければ不可能に近かった。
なので当初、彼は出発前の綾を狙うことにしたが、これは上手くいかなかった。予想以上に王国騎士の目が厳しく、手を出す隙が無かったのだ。想定よりも優秀な王国の動きに、彼は出発前に動くことを諦めるしかなかった。
......王国騎士が目を光らせていたのは護衛ではなく監視が目的とは、今もってなお気づいていなかったが。
事前に手を打てなかった聖騎士は、樹海の遠征に同行するしかなくなった。今回の遠征で、一行が樹海奥地に辿り着く可能性は十分にある。その結果、骸王の秘密に辿り着かれることだけは、何としても避けなければいけない。ゆえに、その動きを制御するためにも、彼は隊に加わるしかなかった。
幸い、それを可能とする手はあった。勅命書という、万が一の為に上から授かった切り札が。
後はそれを切るタイミングだが、彼は奥地に到着したその時とした。そこなら骸王に接触される可能性は低く、ある程度は王国側に譲歩したようにも取れる。それに、後で綾を拉致した際、奥地への路が確立できていれば彼女の価値はより上がる。そうすれば自身の評価もより上がる、という野心も少しは含まれていた。
......その作戦は、途中までは順調に進んでいた。予想以上に召喚者たちの実力は優れていた誤算はあったが、正面からぶつかるつもりは無いので問題は無い。むしろ対象の能力をある程度詳しく知れたことで、より実行可能な計画を練ることも出来た。
後は勅命書を使い、事を思い通りに運べば済む、......そのはずだった。
——デュリィ、否デュバリィ・イクス・テイラー。彼女さえ、いなければ。
彼女の隠していた切り札が、全てを台無しにした。よりにもよって血族の一人だとは、想像すらしていなかった。ただの実力だけでなく、権力の後ろ盾においても、彼は彼女に敵わなくなってしまった。
しかも、骸王の秘密にすら彼女は辿り着いた。少なくとも彼女の推測は、彼の知る限りの事実を見事に言い当てた。改革派という敵対派閥と他国の勢力に、明らかにする形で。
それに追い打ちをかけ、誘拐任務まで言い当てられてしまった。さらにそれを引き金とした晃の暴挙ときた。自身の失態が挽回しようがないものなのは、どう見ても明らかだった。拘束もされてしまった以上、彼に出来ることはもう何もなかった。
——しかしそこで、奇跡が起きた。
突如の、謎の第三者による襲撃。そのおかげでデュバリィが離れ、彼の拘束も解かれた。全員の警戒が襲撃犯に割かれ、目標はすぐ近くにいる。
まさに、絶好の機会だった。任務を果たした上で、自身の失態を帳消しに出来る、これ以上ないほどの好機。
ここで彼女の身柄を拘束し、連れ帰れば全て上手くいく。勅命書は燃やされたが、命令が無くなったわけでは無い。デュバリィさえいなければ、依然有効な切り札のまま。教会騎士たちを従えることは、実に容易い。
王国勢や厄介な改革派など、余計なことを知った者達は奥地に置き去りにしてしまえばいい。綾を失ってしまえば、彼らがこの樹海から脱出する術は無い。
それでもデュバリィの実力、樹海を広範囲で燃やせる晃、空を飛べる京香、この三人がいては脱出される可能性はまだ残ってた。けれど、例の第三者の存在が、彼に味方した。
彼でも感知出来なった、間違いなく格上の乱入者。それを相手すれば、いかにデュバリィがいても無事では済まない。少なくても重症、場合によっては死者も出ることだろう。突然の襲撃で吹き飛ばされた晃などは、既に死んでいるかもしれない。
そうなれば、彼らが樹海から生還できる可能性は著しく下がる。この機を逃す手は、彼には無かった。
だからこそ、無理やりにでも行動を起こした。最悪の状況をひっくり返し、任務を成功させるために。
事は上手くいくはずだった。綾の拘束は容易く成功し、教会騎士も彼の側についた。王国側の抵抗も想定の範囲であり、すぐに片が付くはずだった。
——その目論見を、別の乱入者の手でさらにひっくり返されるまでは。
「なんだ、なんなんだっ、あれはっ!?」
全力で走りながら、聖騎士はそう叫ばずにはいられなかった。
聖典教会騎士団の中でも一握りの者しかなることのできない聖騎士。無論彼がその地位に着くまでに、多くの経験を積んできた。上位の魔物とも何度も戦いを経ており、現時点の召喚者たちを上回る実力は決して伊達ではない。
それでもなお、彼は逃げることしか出来なかった。あの黒紫の破滅から、僅かでも遠くに、一歩でも離れようと、ただ必死だった。
彼とて、人々が魔物に襲われ、地獄と化した光景は何度も見てきた。そこにはいつも血の臭いが漂い、悲鳴が溢れ、混沌に満ちていた。
——けれど、あれは、それらとはまるで違った。
人が、融け崩れた。抗うことすら出来ず、影も形も無くなった。
天から落ちる小さな雫が、世界を削り取っていった。
悲鳴すら、ほとんど聞こえなかった。音すら融かされたように、静寂だけが残っていた。
——黒い雨が、何もかもを消し去り、奪っていった。
こんなものは見たことが無かった。全てが消え、塵ひとつ残らない光景が、目に焼き付いて離れなかった。
「あの、小娘ぇっ、どこに消えたっ!?」
しかも、彼を襲う不運はそれだけに留まらない。樹海を駆ける彼の近くには、誰の姿も無かった。——人質に取っていた筈の、綾の姿さえも。
毒の沼が現れ、部下が融けたあの瞬間。目の前の信じがたいものに気を取られていた僅かな間に、聖騎士は彼女を見失ってしまった。その能力を知っていて、警戒していたうえでなお、彼は対象を逃してしまった。
「まったく、厄介な力だ......」
樹海を進む間は頼もしかったが、こうして相対すると実に厄介な代物だと、思わず彼は悪態を零してしまう。
こうなってしまうと、彼一人では綾を見つけることは難しい。それでも、何としても彼女を見つけ出す必要があった。
もう死んでいるかもしれないが、自分よりも先に逃げ出していたことを考えると、生きている可能性は十分にある。そして彼女を見つけ出さなければ、彼がここから出ることは出来ず、もし外に出られて事のあらましを報告されでもしたら、保守派の名に傷をつけられかねない。
そして、それは決して不可能ではないと聖騎士は考えていた。召喚者が身内を見捨てられないことは、一月以上同行している間に分かっていた。そこから考えるに、安否不明の晃や京香がこの地に残っている以上、彼らをおいて一人帰還することは無い。それに綾の実力では、道が分かっていて、身を隠す手段があってなお、一人でここから出れるとは到底思えなかった。
なら、後はどう見つけるか、そう考えてた彼は、自分に近づいてくる気配を察知し、腰の剣を抜く。その直後、木々の間から彼に向って鋼の輝きが迫ってきた。それを弾き、反撃とばかりに剣を振り下ろす。放った鋭い一撃はしかし、敵を捕らえることは無かった。
彼の剣は、相手に届く前に停止していた。彼が弾いた敵の剣ではなく、何もない空中で、見えない何かによって。
「……なるほど、お前か」
それを見て、聖騎士は敵が誰なのか気づいた。当然だろう、これもまた、ここ最近で何度も見てきたものなのだから。
「綾を、どこにやったっ!?」
不可視の盾・《守護方陣》。——召喚者・城之内拓馬の持つ、不壊の固有能力。
瞳に怒りを滾らせながら、拓馬は剣を聖騎士へと振るう。彼はそれをあっさりと受け止め、また反撃に出る。先ほどよりも速く、鋭い一撃だが、それもまた不可視の壁に阻まれた。
その光景に、聖騎士の顔が苦々し気に歪んだ。
単純な剣技だけなら、彼と拓馬には覆しようのない差がある。片や争いの無い世界から来た、一年しか剣を学んでいないもの。片や幼いころから鍛錬に明け暮れ、いくつもの戦場を経験してきたもの。いくら召喚者の成長速度が速かろうと、そこには簡単に覆せはしない積み重ねが存在する。
——固有スキルという、破格の力さえなければ。
自由自在に操れる、不可視の防壁。非常に硬い上に、見えないのでは守りの隙を突くことも難しい。敵対すると、改めてその厄介さを実感し、彼は思わず顔を顰めてしまう。
(......なら、これならどうだ)
数歩下がった聖騎士は、素早く詠唱を唱える。直後拓馬の周囲に、金色の術式陣がいくつも出現する。それは眩い光を放つと、聖なる矢を降らせた。
襲い来る矢の雨に、拓馬の足が止まる。直後、光の雨が全方位から襲い掛かった。しかし、それらもまた届くことなく、空中にぶつかって激しい光を撒き散らす。
「くっ!?」
あまりの光量に、拓馬の目が眩む。それでも不可視の護りは破れることなく、主を護りきった。数秒の後ち、光の雨が止む。それと同時に、見えざる盾も人知れず崩れる。
破格の性能を持つ固有スキルだが、当然それだけの力を発揮するだけの魔力が必要になる。拓馬の《守護方陣》もそれは変わらない。全方位から、しかも格上からの攻撃を受け続けたのでは、それ相応の魔力を消費する。直後に思わず、方陣を解いてしまうほどに。
——その隙を、聖騎士は逃さない。
拓馬の背後から、剣閃が襲い掛かる。不可視である点を逆手に取った、目くらましからの奇襲。盾も無く、その上視界も奪われている状況では、格下の拓馬には防ぎようがない——はずだった。
剣が当たる直前、拓馬の体が勢いよく反転する。光にやられ、目を開けないにも関わらず、彼は間違いなくその一撃を察知していた。剣と剣がぶつかり、金属音が響く。直後、拓馬の体が吹き飛ばされ、地面を転がっていく。
いくら察知していても、端から実力差がある上に不利な姿勢からの受けでは、彼に勝ち目は無い。幸い致命的な一撃は防いだものの、剣を握る手には痛みと痺れが走り、地を転がった体のあちこちも痛んでいた。
好機とばかりに聖騎士が追撃に入るが、直後に何かに足を取られ、体勢を崩した。何とか倒れずには済んだが、立て直した時には既に相手も立ち上がっていた。
「チィッ......」
折角の機会を逃した聖騎士は、思わず舌打ちを零していた。固有スキルの手強さを、彼は身をもって実感していた。
《守護方陣》という、見えざる盾。防御力もさることながら、不可視という点がその厄介さに拍車をかけていた。先ほど彼が体勢を崩したのも、足元に方陣を仕掛けられ、それに足を引っかけたから。こうして罠として仕掛けられると、不可視の特性が大きく牙を向いてくる。
そしてもう一つの固有スキルもまた、厄介と言わざるを得なかった。
召喚者は通常、複数の固有スキルを有している。しかもそれらの能力は相性が良いものが多く、シナジーすら生むものすら存在している。
——拓馬の持つ二つ目の固有スキル《番犬の意地》。
五感や第六感を引き上げ、より広範囲かつ素早い感知を可能とする。流石に綾の《千里の標》ほど広範囲ではないものの、近距離での感知速度は彼女の上を行く。
また指定した対象をマーキングし、高精度で追跡する能力も有しており、守護方陣と合わせれば護衛に最適な力と言える。聖騎士に追いついたのも、とある理由から綾を追えなかったため、代わりに彼を追跡したからであった。
聖騎士による綾の拘束や、白蛇の襲撃など捉えられなかったように、未熟ゆえに使いこなせているとは言えない。しかしこと一対一の戦闘であれば、視界を奪われた上での格上からの奇襲であろうと、対処できるだけの力は引き出せていた。
固有能力の有能性を体感し、思わず眉を顰める聖騎士。そして対する拓馬もまた、険しい表情を浮かべてた。
何とか固有スキルを駆使して食らいついてはいても、彼は終始聖騎士に圧されていた。反則な力があるから渡り合えてはいるが、実力では圧倒的に敵が上。頼りの固有スキルも、魔力の残りから考えると《番犬の意地》はともかく、《守護方陣》はいつまでも使えはしない。そして方陣が無ければ、あっという間に敗北することは目に見えていた。
その上、仲間の安否が分からないことも彼の神経を削り続けていた。もう死んでいるからか、或いは別の理由からか追跡できない綾。襲撃された晃と、それを追いかけた京香もまた、距離からか無事も確認できない。
たった一人、危険地帯で残っている現状は、確実に彼の精神を蝕み続けていた。
互いに相手を厄介に思いながら、それでも彼らは剣を引きはしない。
聖騎士はここで拓馬を抑えれば、綾に対する人質に出来る。拓馬もまた綾を見つけ出すために、聖騎士から情報を得る必要があった。
片や任務を果たし、片や仲間を見つけ、そして互いに生き残る為に。
......そもそも何から逃げていたのか、大事なことを失念したままに。