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Nightmare Alice  作者: 雀原夕稀
第三章 劫火の内で騎士は吼える
117/124

劫火の内に騎士は吼える——黒雨——

 ——時は、少し遡る。


 デュバリィ達が晃を追いかけ、駆け出した直後の事。

 咄嗟に行動した聖騎士二人の後ろ姿に、残りの者達も後に続こうと走り始めようとした。

 晃の身を心配する者、緊急時における戦力の分散を危惧した者、彼らの最強戦力であるデュバリィに続く者、内心の意図は違っても、彼らのほぼ全員が同様の行動を取ろうとした。


「——動くな」


 ——二人だけを除いてだが。


「「「!!??」」」


 場に響いた一声、誰もがその方向へと目を向け、思わず動きを止めてしまう。

 彼らの視線の先、そこには一組の男女がいた。


 ——デュバリィが離れたことで拘束が解けた保守派の聖騎士と、彼に後ろから首元に剣を突き付けられ、身動きの取れない綾の二人が。


「おい、一体何を......!?」


「動くな、といったぞ」


 突然の暴挙に、拓馬は顔を怒りで赤く染めるが、彼が一歩踏み出す前に、聖騎士の剣が綾の首に触れる。剣の刃を伝う赤い雫に、その足がぴたりと止まる。


 人質という手段は、召喚者たちにとってとても効く。数少ない同郷の仲間が危険に晒されることに、平和ボケした世界から来た彼らは耐性が低い。こちらの騎士や兵士たちとは、比べ物にならない程に。......()()()()()()()()()、だが。

 だから、彼は動けない。首筋に走った赤い筋と、恐怖に青ざめた綾の表情に、体が固まってしまう。彼に、他に取れる行動は無かった。


 そして動けないのは彼だけでなく、この場に残る全員に言えることだった。

 ただ人質を取られているわけでは無い。この樹海において、綾の存在は他に変えの聞かない、唯一無二の価値を持つ。下手すれば、彼らはこの樹海で永遠に彷徨うことにもなりかねないのだから。


 彼らが動かないことを確認し、聖騎士は満足そうに頷いた。


「はははっ、まさか、こんな好機が訪れるとはなぁ!誰かは知らないが、襲撃者には感謝しないとな!」


 そう、拘束が解けた今、保守派の男にとって絶好の機会が訪れていた。自身を阻む同僚も、制御不可能な召喚者もいない、最高の機会が。

 ここから綾を連れて樹海を脱出すれば、任務は容易に達成できる。王国勢や、厄介な改革派の聖騎士達はこの地に置き去りにしてしまえば、彼らが自力で脱出できない限り、ビレスト王国本土に真実が伝わることは無い。王国に不和の種を持たれても、知らぬ存ぜぬで押し通せる公算は、十分にある。

 そう、彼にとって現状は、これ以上ないほど運がついていた。


「さて、三塚綾殿。あなたには我々と共に、聖教国までご同行願おう。ああ、答えは決まっているので、悪しからず」


「っ!?それ、はっ......」


 男の身勝手な通告に対して、剣を突き付けられた状態の綾は満足に答えられなかった。無論他の者達は抗議の声を上げようとするが、聖騎士はそれを言わせない。


「私に従うなら、教会騎士の同行を許そう。安心しろ、ここで従うなら先程の無礼な言動も許してやる。帰国した後、烙印の話も無かったことにしようじゃないか」


 それは暗に、従わないならこの場に置いていくという、死刑宣告そのものだった。ここに来るまでにこの樹海がどれだけ複雑で、怪奇な場所であるか、彼らは十二分に味わっている。ここで置き去りにされたら、生きて帰れる確率はほぼ無いに等しいことは、容易に想像できてしまった。

 彼の一言に、教会騎士たちは誰もが反論すら出来なかった。


 その態度に満足した聖騎士は次に、王国勢へと向き直る。


「ビレスト王国の者達には悪いが、ここに残ってもらう。聞けないならばどうなるか、分かっているだろう?」


 そう言いながら突き付けた剣を微かに食い込ませ、綾の首からさらに赤い雫が流れ出る。

 拓馬の顔が怒りで激しく歪む。王国騎士もまた、強く歯ぎしりしながら聖騎士を睨みつけた。


「......お前に、彼女は殺せない。ここで殺せば、お前だって帰還の手段を喪うのは同じだ」


 その脅しをハッタリだと言う王国騎士に対し、聖騎士は笑みを深めた。


「それがどうした?確かに、私の第一目標は彼女の確保だ。だがもし、それが不可能である場合、せめてその手段を消せ、という命も受けている。お前たちが従わないのなら、その命を実行するだけだ」


 それは本当ではあったが、半分はハッタリだった。

 教義派と違い、保守派の男には教会の任務に、自身の命を懸けるつもりは毛頭ない。ここで彼女を殺して、自身を犠牲にする気はさらさらなかった。

 それでも、その命を受けたことは嘘ではない。ゆえに、その言葉の説得力は、王国勢に二の足を踏ませるのには十分すぎた。


 王国勢は、決断を迫られることとなる。保守派の男の言に従うか、それとも抗うか。


 従った場合、彼らはこの地に取り残されることになる。この後に晃、そして彼を救いに行った三人と合流しても、綾がいなくては脱出できず、遠からず全員死ぬことになる。そうなれば、国からの命は果たせず、骸王討伐は白紙に還る。それどころか最悪の場合、四人が帰ってこないことで、王国と召喚者たちとの間で、新たな亀裂が生まれることにもなりかねない。

 なら彼女を取り返すしかないが、それもまた、厳しいと言わざるを得ない。

 数は王国勢の方が多いが、個人の戦力は教会勢の方が上。向こうも聖騎士二人が欠けているとはいえ、彼らとて召喚者が二人もいないことは同じ。何より人質を盾にされれば、彼らの動きは鈍ることは目に見えていた。

 何より、抗ったことで綾が命を落とす結果になっては、元も子も無い。


 ......それでも、彼らには他に選択肢は無かった。そっと構えられた拓馬と王国騎士たちの剣に、場に緊張が走った。

 劣勢であるのは承知の上。それでも王国勢が抗うことにしたのは、綾を助け出せる可能性が低くないと踏んだからであった。

 残る召喚者、守護に長けた力を持つ拓馬。彼が聖騎士の隙をついて綾を助けられれば、状況を変えられる。誰も口には出さなかったが、当の本人、そして騎士たち全員が、その事を理解していた。

 

 王国側の判断に、教会勢も応えるように戦意を高める。彼らの多くは、聖騎士のやり方に賛同しているわけでは無い。しかしこの状況では、彼らにも他に取りえる手段が無かった。

 デュバリィ達がこの場にいれば話は違っただろうが、襲撃を受けた晃を追っていった彼女達が戻る気配はない。そして彼らでは、武力や権力において、保守派の聖騎士に抗うことは出来なかった。

 

 王国勢と教会勢が、無言で睨みあう。辺り一帯で火が燃え広がる音だけが、場に轟いていた。まだ火の手は彼らの位置まで及んではいないが、それだっていつまでも続きはしない。緊張が高まり続け、いつ戦いの火ぶたが切られてもおかしくは無かった。




 その中で、人質となっていた綾は一言も発せず、動くことも出来なかった。


 冷たい鋼の刃が当たっているはずの首筋は、焼けたように熱を孕んでいた。その痛みと流れ出る血潮の感触に、彼女は死を感じずにはいられなかった。かつて初めて実戦に出て、混乱の中魔物と戦った、その時よりもなお一層、はっきりと。

 それでも、彼女もこの世界にきて一年経ち、経験を積んできた。最初は恐怖に呑まれ、身動き一つとれなかったが、少しずつ気を落ち着かせていく。そして身動きの取れないこの状況を打破する手を、必死に考える。自身の持つ手札で、何か出来ることは無いかと。


 ......そこでようやく、彼女は気づく。突然の事態の連続に、索敵が散漫になっていたことに。そして彼女の〈標〉が、すぐ近くに、それこそ一行のいる場所の中央に、魔物の気配を察知していることに。


 ——それが、今にも攻撃することを告げるように、激しく点滅していることに。


「っ!?にっ、逃げてぇッ!?」


 咄嗟に叫んだ綾だった。が——既に遅かった。

 高まった場の緊張が、彼女の叫びによって破られた。予想外の声に、誰もが一瞬、声の主に気を取られてしまった。




——そしてその隙をつくように、白蛇が彼らに毒牙を向く。




 教会勢と王国勢が向かい合う中間付近、そこから突如として沼が出現する。濃い死の気配を宿した、見ただけでおぞけだってしまう、滅紫色の毒沼が。

 そして反応が遅れた双陣営の幾人かがその毒に足を呑まれた、その直後。


「「「が—————」」」


 一瞬にして、彼らの足が()()()()()。足を失い、崩れた落ちた体は沼に触れ、数秒後には彼らはその姿を消した。

 悲鳴を上げる暇すら無かった。熱された鉄板に落とされたバターみたく、彼らの体は融解してしまった。頑丈な鎧も、血肉骨一つ残らず、数舜の間にそこから人は融け去っていた。


 誰もが、言葉を失った。目の前のあり得ざる光景に、己が正気を疑った。

 誰が想像できるだろうか?つい先ほどまで横にいた者が、一瞬のうちに消えてしまうなど。終始一貫、間近で見ていてもなお、それは彼らには理解しがたいものだった。


 しかし、現実は変わらない。たった今消えた同胞は、二度と帰ってくることは無い。その死が覆ることも、決してない。


 ——そしてなお広がり続け、彼らの足元にまで迫りつつある滅紫の沼もまた、消えることは無い。


「「「あ、あ、ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」」」


 彼らは、一斉に逃げ出した。王国勢も教会勢も関係なく、先程まで争っていたことも頭の中から消し飛んでいた。一瞬でも早く、一歩でも遠く、眼前に広がる死から離れることに、誰もが必死だった。


 ——ここから今すぐに逃げなければ、死ぬ。


 その思いだけが、彼らを動かしていた。背後から迫る死の手に比べたら、辺りを覆いつくす炎すら、かわいいものだとすら思えてしまった。


「——キュ」


 ......しかし、むしろここからが始まりだった。


 毒沼の中央に、白蛇が姿を現す。彼女は獲物を睥睨しながら、おもむろに天を見上げる。


 彼女の主の手によって、既に()()()()()は済んでいる。ゆえに、加減も遠慮も必要ない。......そして目の前の、視界に入れるだけで苛立ちを抑えられなくなる輩共に、慈悲を与える気も一切無かった。


 沼から、白い柱が立ち上る。巨大化した身を天に伸ばし、大きく開かれた白蛇の口。




 ——その奥から、死の雫が解き放たれた。




 滅紫の液体が天へと上り、一気に弾け飛んだ。遺跡と樹海に降り注ぐその光景は、先程の火矢を彷彿とさせた。


 ————しかしこれより降り注ぐ死の雨は、そんな物とは比べ物にならない殺意を帯びていた。


 無数に分かたれた雫の先駆けが、地に触れる。その瞬間、周囲の地面が抉り取られる。......否、そうとしか思えないほどの刹那の間に、融解し消し飛んだのだ。


 当然だろう。これは白蛇の持ちうる毒の中でも、最も危険なもの。災位に至る、毒の王の残滓より得た、この世界でも屈指の毒。未熟な彼女ではその力を十全には発揮できないが、しかし今はそれだけで十分。

 本来は、災位の魔物にすら通用する猛毒なのだ。たとえ劣化していようと、宿す力は凶悪としか言いようがない。それに耐えられないものは、酸に触れたかのように融け崩れ、消えゆくのは必須。


 とある狂人が生み出した怪物しかり、周囲の地面しかり、沼に融け落ちた兵士たちしかり。



 ——いのちからがら逃げようとする、彼らしかり。



 天から、死の雨が降り注ぐ。地面も木々も廃墟も炎も関係なく、触れた端から消し飛び、崩れていく。樹海の木々と遺跡が溢れていた一帯が、一瞬にして穴だらけになって拓けていく。辺りに満ちていた灼熱がかき消され、死に誘う冷たい雫に呑まれていく。


 そして死の手は、容赦なく兵士たちに襲い掛かった。


 ある王国兵は、雫を頭に受け、断末魔を上げることすら出来ずに首なしとなった。次の瞬間には全身が消し飛び、跡形もなく消え去っていた。


 ある教会騎士は、足を撃ち抜かれ、地面に倒れこんだ。しかし地に打ちつけられる痛みを感じる前に、そこに広がっていた毒に呑まれ、影も形も無くなった。


 かつて京香達に苦言を呈した王国騎士は、建物内に避難してやり過ごそうとした。しかしそれも焼け石に水でしかなく、黒紫の雫は建物ごと彼をハチの巣にした。


 退くことはできないと声を上げた教会騎士は、聖術で咄嗟に盾を作った。聖なる光は死の雨を防げはしたが、その格の差に魔力は激しく削られていく。活路を見出そうにも、雨と沼に退路を失い、逃げることも出来なくなった。魔力が尽きるまでの僅かな間が、彼に残された最後の時間となった。



 

 死の雨が降り注いだのは、そう長い時間では無かった。精々三十秒から一分弱と言ったところだろう。


 ——その僅かな間に、辺り一帯は変貌していた。


 降り注いだ雨は、何もかもを根こそぎ消え去った。あるのはただただ巨大な穴と、そこに溜まった、光すら呑むほどに黒々とした猛毒の海。

 しかもそれは広がり続けている。満ちた毒によって、周囲の地面が抉られ続け、被害を拡大していく。全てを溶かし呑み込むゆえに、音は無く、波ひとつ立つことなく、しかし留まることを知らずに。


 このまま放置すれば、際限なく広がっていくのは誰の目にも明らかであった。


「——キュキュ」


 その毒沼の中央に、ひとつ影が浮かぶ。滅紫の湖面に漂う唯一の白に、陰りは見られない。無論、その影が毒の主である以上、当然の話なのだが。

 波ひとつ立っていなかった沼が、大きく揺らぐ。次の瞬間、猛毒の池は激しく揺れ、収束し始める。栓を抜いた風呂のように、中央に向かって吸い込まれていく黒紫の液体は、数秒後には跡形もなく消え去っていた。

 

 後に残ったのは、綺麗に溶かされ凹凸一つない、深く開いた大穴。そしてその中央に鎮座する、白蛇のみ。それ以外のものは、何一つ残っていなかった。建物も、植物も、土も、......人も。


『......終わったみたいですね』


 その頭上から、声がかかる。イオが顔を上げると、そこに蒼い結晶体が浮かんでいた。主の元から戻ってきた、新たな同胞が。


「......キュ」


『ええ、分かっています』


 同胞の言葉に、彼女は首を横に振る。それに同意するように、フューリはその体を明滅させた。二人の体が、外へと向けられる。——その先にいる、生き残りの気配に向けて。




『——我が主君の仇敵。逃がすわけがないですから』




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