劫火の内で騎士は吼える——会敵——
——幾度、その背に焦がれただろうか。
——幾度、その姿を求めただろうか。
多くを喪ったあの日。それでも護ろうとした、祖国の灯火の。
朱に彩られた世界で、最後に目に焼き付いたもの。
————何一つ護れなかった自分の掌から最後に零れ落ちた、あなた。
————散華しながら、浮かべた微笑みを。私は、いつまでも忘れられないのだろう。
空という場では、踏ん張るのが実に難しい。手や足を着ける場がある訳では無いから、当然のことだけど。自在に飛行する鳥だって、空に足を着けて休むことは出来ないし、羽を休める事も不可能。
ワタシのように浮遊している状態であっても、地面に立っている時とは安定感が違う。別に足場を宙に出現させてはいないからね。どちらかと言えば、無重力という状態に近いかな。
自身に掛かる重力を操作して、宙での様々な移動を可能にする、というイメージ。なので、決してその場で安定している、とはとてもでは無いが言えない。
「——こらっ、少し、落ち着き......、なさいっ!?」
......つまり、何が言いたいのかというと。こうして繋いでいる者に暴れられてしまうと、途端に浮遊が難しくなるのよねっ!?
ワタシの足元にぶら下がっている黒騎士が、その拘束を破ろうと激しく暴れていた。彼の動きに呼応して、その鎧を縛る氷の鎖に引っ張られて躰が左右に揺れる。空間固定の方も、無理に宙に留めているのもあって、いつ破られてもおかしくない。
片手では抑えきれなくて今は鎖を両手で掴んでいるけど、体格の違いやらパワーの差やらでは向こうが上回る。咄嗟に鎖を頑丈にしていなければ、すぐにでも解き放たれていたに違いない。
『キュッ、キュ~~!?』
その被害を受けているのはワタシだけではない。首に巻き付いていたイオは、激しい動きに軽く目を回していた。フューリは自力で浮遊できる為、少し離れた位置に上手く逃げていたけど。ワタシ?人形に三半規管は無いからね、酔いはしない。抑えるの、すっごい大変だけどねっ!?
『■■■■————ッ』
そして当の黒騎士は、氷の鎖を破ろうと藻掻きながら、眼下の一点——要塞の上に立つ一体の死霊だけを、ただ一心不乱に凝視し、声にならない咆哮を上げていた。その反応は祖国の変貌を見た際よりも顕著で、民の成れの果てを見た時よりも激しい。下に立つ者が彼にとってどれだけ大事な存在なのかは、誰の目にも明らか。
——だからといって、ここで行かせることは出来ないのだけど。
『————彼女を殺せるの!?』
声に呪詛を込め、ワタシは全力でそう叫んだ。
それは、この樹海に入ってから何度も問いかけてきた事。不可思議な呪縛が解けていない今の状態では、ワタシ達が彼らを解放するにはその魂を消滅させるしか選択肢が無い。それは、眼下の彼女であっても変わらない。
『————ッッ』
それをようやく思い出したのか、黒騎士の動きがピタッ、と停止する。ようやく状況を思い出してくれたことに安堵しながら、この機を逃さぬように説得を掛ける。
「言ったでしょう?彼らを今すぐ苦しみから解放したいのなら、その魂を消すしかない。それが認められないのなら骸王を殺す以外に方法は無い。今あなたが彼女の元に向かって、果たして何が出来るというの?」
キツイ言葉かも知れないけど、こればかりは納得して貰わないと話にならない。ただでさえ格上の骸王、戦力が足りない中貴重かつ優秀な前衛である黒騎士の存在は必須なのだから。
少しの間黙り込んでいた彼だったけど、その兜がこちらへと向けられた際には普段の冷静さを取り戻していた。......あくまで表面上は、だけど。
『......失礼した。動揺を、抑えられなくてな』
彼は謝罪を口にしながら、再び眼下に視線を向けた。
『話には聞いていたから、祖国がどうなっているのかは知っていた。民たちが耐えがたい苦痛を味合わされていることも想定していた。......樹海に入る前から覚悟を決めていたから、ここまでは何とか平常心を保っていた』
だが、と彼は続けながら砦に目をやる。
『......あれは、流石に抑えが効かなかった。先ほど聞いた、彼らが受けている仕打ちも、......あの方のあのような姿も』
ワタシも、彼に釣られるように眼下へと視線を移した。五十余年という月日が経つ中で、覚悟を決めていた筈の黒騎士。滅びた祖国の荒廃も、それを為した怨敵に縛られる同胞の惨状も、分かっていた事ではあった筈。
——それでもなお、抑えられないものがあった。
そこに立つ者——屍の姫は、その場に佇んだまま動きを見せない。彼女の姿は一見すると人そのまま。生前を知る彼からすれば、月日が経とうと変わらないその姿は、亡くなった筈の者がそこにいる事実は、何よりも動揺する事だったに違いない。
「......ゾンビやグールにしては、見えている肌の状態がいいわね」
死霊系の魔物の中で、屍肉が残っている種族で代表的なのは、ゾンビやグールと呼ばれるもの。ただ彼らの場合、肉が腐乱しているのが普通。一方、兜をかぶっていない女性の顔を見れば、その肉に腐敗は一切見られない。となれば、その種族は限られてくる。
フューリもすぐに、その種族に思い至ったらしい。
『......レヴァナント、でしょうか』
「恐らくね」
——レヴァナント。グールなどよりも上位に位置する、動く屍と称するのに最もふさわしい魔物。死霊術などでも生み出すのが難しいとされる種族の為、ワタシは初めて見る。
距離が大分離れているので断定は出来ないけれど、他に思い当たる種も無いからおおよそあっていると思う。動く屍肉系統でより上位の種族だとヴァンパイアとかがいるけど、そこまで行くともはや災位の範疇。流石にそこまでの力はあの女性からは感じない。
それでも、樹海に入ってからは初めて見る種族。この地に徘徊する魔物はゾンビやレイス、スケルトンといった種族ばかりだった。それだけでも、特別な存在だと分かる。その上、黒騎士の言が正しいのなら、生前の彼女は一角の人物。
——シルヴィア・ヒダルフィウス。
騎士の国ヒダルフィウス最期の姫君。病床に伏した王に変わり、彼の国の象徴とも呼ばれた、騎士姫。生前ヒダルフィウスの資料を目にする機会があったのだけど、そこに記載される程には名の知れた人物だったと記憶している。とはいえ、大した情報は知らないのだけれど。
まあ、問題無い。この場には、彼女を他の誰よりも知っているだろう者がいるのだから。
黒騎士に彼女の事を尋ねるべく、口を開く。無論聞くべきは人柄などでは無く、その脅威に関してだけど。
「......彼女の実力は?」
『......武の腕前なら、私の方が上だろう。ただ、殿下は魔術にも長けておられた。総合的な強さでは、互角といったところだろう。無論、あくまで生前の話ではあるが』
どうやら、騎士姫の名に偽りは無いらしい。生前とは言え、黒騎士と並ぶ腕前というのは、決して伊達では無い。種族を加味すれば、今は黒騎士よりも強い可能性もある。一般的に黒騎士の種族デスナイトは中位の魔物で、レヴァナントは上位の魔物。無論彼の力は中位に収まりはしないけれど、元が強いというのは姫も同じなのだから。
その上、まだ警戒しないといけない点があるらしい。
『......鎧に関しては色は違うが、私のと同じ素材から造られた物だ。だが......』
遠目ではあるけどその鎧、黒騎士のと似通った意匠をしている。恐らくはこの国の指揮官クラスで、鎧のデザインを統一しているのだろう。男女の差もあるからか、彼と姫では形状や色などは大分違うけれど。
だけど、武装はそうじゃ無いらしい。彼が指したのは、彼女が構えている長剣。本来は純白なのだろうその剣は、長い年月手入れされてこなかったのか、ところどころ錆びているのが上空からでも見て取れた。
『我が国の宝剣——ネルヴェゲン。他国でも類を見ない、唯一無二の武具。アレを使われたら最後、私が勝てたことはほとんど無い』
......業物だとは思っていたけど、そこまでのものなのね、アレ。黒騎士の武器、漆黒のハルバードだって十分良い武器だろうけど、流石に相手が悪いらしい。
......こんなことなら、宝物庫から武具もかっぱらってくるんだった。当時は空間収納も今以上に制限があって、使い道ないと思って素材やら薬品やらを優先したからなぁ。後、夫人の宝石もか。あそこの武装なら、不足ない物もあっただろうに。
まぁ、無い物の事を考えても仕方が無い。頭を切り替えよう。まだ彼に聞かないといけないこともあるからね。
「あなたが知る限り、彼女に匹敵する者は他にいるかしら?」
本来なら、死霊として使役するのに怨念が必要な以上、それ以前に亡くなった勇傑が蘇る可能性は低い。ただ、骸王の場合はその前提が崩れる。警戒対象は、大いに越したことは無い。
黒騎士は迷う素振りすら見せずに即答する。
「陛下だ。生前は病床に臥せっておられたが、死霊にされていれば病は関係ない。全盛期の実力であれば、私や姫様よりも強いお方だった。軍の指揮能力も、わが国一と言っていい」
......最後の騎士王。聞いていた以上に傑物だったみたいね。
他に心当たりはいないらしい。国王の先代は亡ぶよりも数十年は前だったらしい。遺骨が残っていたとしても、それだけ時間が経っていれば、流石に死霊として使役するのは不可能......なはず。
当時騎士団に所属していた騎士たちも、黒騎士には及ばないらしい。ただ騎士団としての実力は個々だけではなく、連携能力も含めての話。そしてベルメール騎士団の実力は、言うまでもない。
情報を整理し、これからどうするべきか検証する。とはいっても、答えはもう決まっているようなものだけれど。
「——城塞を避けて、山脈に入りましょう。この地に彼女がいる内に、骸王を殺すわよ」
ヒダルフィウスの民の内、個の戦力で危険視するべき二人。ただでさえ骸王は格上なのに、黒騎士以上の実力を持つその二人が合流されたら、勝ち目はほぼ無い。なら、今この場にその片割れがいる内に山脈に入り、骸王の元に向かうのが最善だろう。
骸王が何を警戒しているかは分からないけど、騎士団の戦力が分断されているだろう今はチャンス。無論、まだ死霊の兵は山脈にいるだろうし、ギラール内の魔物だってその数は分からない。けど、ここで戦力が割かれているのを逃す手は無い。
『............承知した』
黒騎士はそれでもまだ迷いを見せていたけど、それでもここで彼女らを解放できない事は理解したらしい。兜の奥から歯を食いしばるような音を立てながら、ゆっくりと首肯した。イオとフューリも異論は無いらしい。
「なら、行くとしましょう......」
そうと決まれば、善は急げ。下の軍勢に見つかる前に向かおうとした、——その時だった。
——突如、背後から魔力が立ち上った。
「————!?」
慌てて振り向いた視界の先、その上空に一条の炎が昇っていた。
——それを見て、思考が停止した。
——ここで見るはずの無い、ありえざる光景に。
——そのせいで、反応が遅れてしまった。
「っ、しまっ!?」
気づいた時には手遅れだった。炎が弾け、矢の雨となり、——廃都に降り注いだ。
動揺が糸を引いて、咄嗟に出来たのはこちらに降り注ぐ矢を防ぐので精一杯だった。そして降り注ぐ炎は、廃都を赤く染め上げた。
熱風が吹き上がり、蒸発した雪が水蒸気となって視界を塞ぐ。結界によって影響は無かったけれど、それ越しに感じる熱が、眼下の炎の勢いを物語っていた。
少しして、視界が晴れる。露わになった光景は、先程とはまるで違うものとなっていた。
『......あ、あ』
——眼下の廃都は、地獄と化していた。
静寂に包まれていた地は、炎の燃え広がる音が轟いている。色を喪っていた国を、赤い焔が蹂躙していく。
——そして、死霊の軍勢が、炎に呑まれていた。
砦に陣を敷いていた死霊達が、炎の内でのたうち回っている。灼熱の焔は彼らを蝕み、滅びに追いやらんとする。骸王に隷属させられている彼らは、逃げる事も出来ずに火に巻かれるしかない。紅い劫火の内で、亡者たちが呻き、苦しみ、哭いていた。
「————それは、ないわよっ......」
そして、ワタシの目には見える、見えてしまう。炎の中、力尽き倒れ伏す、無数の死霊の影。そこから立ち上る、青白い光が。
——限界を迎え、砕け散っていく、無数の魂の、最期の輝きが。
分かっていたことだ、彼らの魂が当に限界を迎えていたことは。だからこそ、骸王を討って解放するべく動いていた、それなのに。
——眼下の炎はそんなワタシ達をあざ笑うかのように勢いを増していく。囚われの魂達を炙りながら、それらを次々に消し去っていく。
『————殿下ァ!?』
————砦の上に立っていた、姫騎士諸共に。
躰が再び激しく揺さぶられると共に、氷が砕ける音が響く。何が起きたのか、言わずとも分かっている。黒騎士が拘束を破り——砦へと向かって飛び降りたのだという事は。
「こっ、のぉ!?」
咄嗟に止めようとするけれど、既に彼は城塞に迫りつつある場所まで落下していた。かなり離れていたから届かないかもと思ったけど、風魔法で上手く落下地点を誘導している辺り、何も考えずに飛び降りた訳では無いらしい。
——だからと言って、こんな上空から飛び降りる普通っ!?いや、気持ちは分かるけど、それでも後先考えなさすぎでしょうっ!?
最近の自分を棚に上げたような事を考えながら、ワタシは魔法を発動する。
止められないにしても、手の打ちようが無いわけでは無い。彼が落着する前に、体表に急いで結界を張る。彼ならもしかしたら大した傷を負わないかも知れないけど、念に越したことは無い。
その直後、破砕音と共に黒騎士が砦上に落下する。砕けた城塞の破片が砂塵となり視界を隠すが、数秒後にはそれも晴れ、僅かに炎の吹き飛んだそこに黒騎士が立っているのが遠目にも見て取れた。パッと見では、大きな傷を負っている様子では無さそうだ。
それに安堵の息をつくこともせず、ワタシは視線を眼下の炎へと向けた。
......本当ならば、今するべきことは黒騎士の救出だ。
実力だけで言うなら、彼がやられることは早々ない。炎に巻かれても、残っている死霊は少なくない。それでも、黒騎士を討てはしないだろう。周囲に広がる炎も燃え盛ってはいるけど、先程の矢と違って、恐らく彼を焼く力までは無い。
一番危険視するべきは、やはり例の姫騎士殿下だろう。先程の話からしても、実力や武装共に黒騎士の上を行く可能性が高い。あの爆発にどの程度巻き込まれたかは分からないけど、強敵であることに変わりは無い。
それでも、不利な立場であろうと黒騎士だってあっさりやられはしないだろう。実際に戦ったことのあるワタシからすれば、黒騎士だって十分に強いことは分かり切った話。相手が強敵であろうと、実力を発揮さえすればそう簡単にやられるはずが無い。
——発揮できれば、だけれど。
問題は、彼の心境の方だろう。彼が相対するは、祖国の民、かつての同僚や部下、そして今なお敬愛する主。
その魂が炎に呑まれ、救えずに魂が砕け散っていく中で、果たして黒騎士は戦えるのか。自らが護りたかった者に、刃を向けられるのか。
————消滅という、引導を下せるか。
......答えは、決まっている。
先程までの取り乱しようを考えれば、一目瞭然。彼に、己が手で死霊達を滅する事は出来ない。彼らを救う手立ても有していない。......打つ手など、ありはしない。
だからこそ、今は一刻でも早く彼を救出し、体勢を立て直す事が最善策。当初の予定通り、骸王を討つという目的に変わりは無い。説得は難しいだろうけど、その為にもまず、この状況を変えないといけない。
ただその前に、この炎を引き起こした元凶を確かめないといけない。あの規模の攻撃を繰り出せる存在をそのまま放置という選択肢は無い。このまま黒騎士の元に向かい、そこをまた攻撃などされたら堪ったものじゃないもの。敵対するかはともかく、少なくても相手の正体だけでも確認しなくては。
............いや、そうじゃ無い。ワタシには別に、確かめねばならない理由がある。
あの炎の矢を見た時から胸の内に宿っている、既視感。
制御されること無く、ただ燃えている炎。
————覚えのある、魔力の残滓。
それを、ワタシは確認せずにはいられなかった。決して忘れられはしない、あの光景を過ぎらせる炎の使い手を。
——それは、すぐに見つかった。
廃都の南側、先ほど気配を感じた場所。一部だけ炎が吹き飛んだ場所があり、そこに複数の人影が見えた。数は凡そ五十ほど。その多くが白、或いは鋼色を基調とした装備を身に着けている。
そのどちらにも見覚えがあった。鋼のそれは、死ぬ前にあの国で。白のそれは、騒乱のガズで。
————そして、そのどちらも身に着けていない者が数人。
この世界では珍しい、見慣れた漆黒の髪。
立場が分かるように特別に作られた、向こうの制服を元とした特殊な装備。
魔物の優れた視力は、奴らの顔をはっきりと捉える。
『————やっぱりか』
分かってはいた。この地が、奴らの拠点に近いことは。
王国が、骸王を狙う可能性があることも。
実力を伸ばした奴らが災位に挑もうとした場合、ちょうどいい目標となる事も。
この樹海を攻略できる、力の持ち主がいる事も。
『————ああ』
......あれから、半年以上。その顔、ひと時を忘れはしない。
————宇野晃。城之内拓馬。三塚綾。来栖京香。
ついに、遂に、ついに遂についに遂に—————。
『————見ツケタ』
————ようやく会えたわね。我が、怨敵達よ。