崩落の痕跡
壁の内への侵入は簡単だった。五十余年放置された壁は劣化している部分も多く、ワタシ達の中で一番体格の大きい黒騎士でさえくぐれる場所は、少し探せば見つけることが出来た。まぁ、もし見つからなくても、転移なり浮遊なり中に入る方法は幾らでもあったけどね。流石に、彼の前で壁を壊す気は無かったけど。
壁上から全体を見渡そうかとも思ったけれど、濃霧で覆われたこの地では満足に見えはしないだろう。晴らすことは簡単だけど、そのせいで骸王に警戒されるような事態になっては元も子も無いからね。
——そうして壁を越えた先、その内は時が止まったかの様に色と音を失っていた。
樹海程ではないけれど、草木が生い茂ったその地はかつて人が住んでいたとは到底思えなかった。
濃霧に覆われ、先が見通せなくとも、そこに人の息吹は感じない。
地を覆う雪には跡一つ無く、周囲を一色に染め上げる。
周囲には樹海と同様に死霊の姿がチラホラと見える。ただここ一帯にいるのは霊体の者ばかりで、今にも砕け散りそうなほど淡く弱々しい光を放ちながら、フラフラと漂っていた。
——命を一切感じない、灰白色の世界。かつてこの地に人がいたとは思えないほど色褪せ、静寂に包まれたその光景は、五十余年という歳月を否応なく実感させるものだった。
『『『............』』』
変わり果てた祖国の光景に、黒騎士は静かにその場に立ち尽くしていた。無理もない。彼だって、この地が滅びたことは理解していた。骸王の軍勢に蹂躙され、滅びゆく様をその眼で見たのだから。それでも、こうして滅び去った故郷の惨状に、慟哭するのは当然だろう。
故郷に良い思い出が無いワタシにとって、土地に対する執着は無い。それでも、数少ない人々との思い出を汚され、それを護れなかった気持ちは、分かるつもりだ。
横に立つフューリと懐のイオも、彼の気持ちを察してか、声を掛けることは無かった。
黒騎士が動けるようになるまで待ちつつ、ワタシは以前目にしたこの地の情報を記憶から呼び起こす。
北部に築かれた砦、その左右の端からU字を描くように伸びる外壁。最南部に内外を行き来するための門を構え、そこから続く中央部に人々が生活する区画、東西には食糧を賄うための農耕区画があるんだったっけ。
そして東西南北、四方にはそれぞれ騎士団の駐屯地が存在する。中でも北部——ギラール山脈に面する場所には要塞が築かれ、それがこの地の君主——ヒダルフィウス家の屋敷を兼ねていたらしい。
普通の都市ではあり得ない造り。これは先に砦が建造され、その後国として独立してから壁が増設され、都市部を形成した、というのも理由の一つらしい。
けれど、本来なら領主の住まいはもっとも危険の少ない場所に築くもの。例えば、街の中心部など、最も侵入の難しい場所。或いは、背後に巨大な川が流れている、断崖絶壁で囲われている、など土地の特色により護られているとかも挙げられる。
確かに、ヒダルフィウスの砦も断崖絶壁に近い場所ではある。けれど、そもそもギラール山脈から魔物が下りてくる流れに通じている以上、間違いなく一番危険な場所はそこだ。最も危険性の高い場所に住む権力者なんて、普通はいない。それは決して自己保身や権威のためだけでは無く、上に万が一の事があったら最悪、都市が成り立たなくなる可能性があるからでもある。
それでも、ヒダルフィウス家はその危険性を分かっていてなお、それを呑んだ。元々侵略を防ぐ砦として建造され、やがて馬鹿王国の権力者達によって翻弄された。それを良しとしない民たちは、王国では無く彼らを護らんとした領主を選んだ。
——そんな民を、必ず守り通す。そんな覚悟が、この地の造形から見て取れた。
地形情報と共にそんな事を思い出しながら、ワタシは今いる場所を再確認する。ワタシ達は樹海の西側から、山脈に沿うように東に進んできた。
という事は、今ワタシ達がいるのは西側の農耕区画に当たるのだろう。その証拠に、辺りに人が生活していたであろう建物の跡は無い。五十年も経てば崩れているものも多いとしても、跡さえ無いのはそもそもここが居住区域じゃないからだと想像はつく。
『......すまない、待たせたな』
ワタシがそう予想を立てていると、黒騎士が傍までやってきていた。
「構わないわ。もう動けるのね?」
『ああ、問題無い。いつまでもここにいる訳には行かないからな』
念の為に確認するが、黒騎士は静かにそう答える。......あくまで表向きには、だけど。
兜で顔が隠れていても、冷静に見えても、そんなのは馬鹿でも分かる。その冷たい鋼の内側で、憎悪の焔が轟々と滾っていることなど。
......まぁ、ワタシもそれは似たようなものか。この光景を胸糞悪く思っているのは、決して彼だけでは無い。
惨劇という意味でなら、ワタシが公爵家でやった行為も規模は小さくても悍ましいものなのには違いない。何だったら、ワタシの方が容赦ないと思う者もいるだろう。いくら相手が復讐対象であろうと、あれが倫理に反した行いであるのは端から分かっている。まあ、だからと言ってワタシはワタシの好きにすると決めたから、何を言われようと気にしないけど。
これは骸王とワタシとの、死霊に対するスタンスの違いと言うべきかな。
骸王は、死霊を道具の様に使役している。魂が劣化し、朽ち果てそうになってもなお縛り続け、最終的に消滅するまで扱き使い、絞り尽くす。
ワタシだって、死霊達を使役しないわけでは無い。ガズで暴走した際の死霊達を、糞野郎を討つ為に使役しているし、この樹海でも彼らに道案内をさせているもの。
けれどワタシは、死霊達を道具の様に扱うつもりは無い。ワタシだって、彼らと同類の死者なのだ。そんな彼らを縛り続けるなど、出来はしない。......なお、復讐対象は除く。
これは、奴とワタシの誕生の経緯に差があるからなのかもしれない。噂によれば、奴は死霊術師だったという。つまり、ワタシの様に死して死霊に変じたのではなく、自らの術によって新生した存在。そうした違いが、死霊に対する扱いの違いとなっているのかも知れない。......性格の違いと言うのも、十分にあり得る話だけど。
そういう訳で、ワタシも黒騎士とはまた違う理由で、これを受け入れられはしない。チラッと横目で見れば、フューリやイオもまた、この光景に思う事があるのだろう、明らかに嫌悪と呼べる感情を放っていた。
だからこそ、いつまでもここに留まってはいられはしない。ワタシ達の目的はこの先、ギラール山脈の奥にいるのだから。各々の内で決意を固めながら、誰にともなくワタシ達は歩み始めた。
農耕区域を進むにつれ、チラホラと建物の残骸が目に入り始める。その数は徐々に増えていき、やがては住宅街と呼ぶのに遜色ない程になってきた。それに伴い死霊の数も増すけれど、呪詛によってワタシ達の姿が彼らの目に止まることは無かった。
『......かなり損壊が激しいですね』
周囲を見渡しながら、フューリがポツリと零す。彼女の言う通り、今進む住宅地跡の損傷はかなりのものだった。家々の殆どは倒壊し、あちこちに瓦礫が散乱している。今進んでる道も元は整備されていたのだろうけど、あちこちに家屋の残骸が転がり、積もる雪を掬えばその下からボロボロにされた舗装の跡と荒れた地面が剥き出しになる。
いくら五十年経っていようと、ここまで損傷するのは稀だろう。......何より、それらに残る跡には、明らかに人為的としか思えない傷が残っていた。
それが何の跡なのかは、言わずとも誰もが理解していた。
——骸王による侵略。蹂躙された街の光景は、それがどれほど激しいものだったのかを無言で物語っていた。
これを見るだけでも、骸王の軍勢がいかに強大であったのか、嫌でも理解できる。奴が表舞台に出てきたのは五十七年前が最初で最後。それ以前も以降も、奴はその姿を見せたことは無い。そもそも目撃者すらほとんどいない為、今もその存在すら疑問視する者も結構多いという。
けれど、当時の僅かな生き残りにより、それが人型をした死霊である事、そして死霊の軍勢を従えていた事だけは伝わった。何より小国とはいえ国一つが滅ぼされたという事柄そのものが、災位の魔物が存在する事実を裏付けていた。
とはいえ、骸王は中央大陸に存在しながら、現状その実態がほぼ掴めていない。元々活動していた足跡が掴めない上、樹海によって道を断たれたことで唯一被害を受けたこの地さえ調べられていないのだから、当然なのだけど。元が死霊術師だろうという話も、例の目撃証言から言われている噂に過ぎない。まぁ容易く国を堕としている点から考えても、人間社会を理解しているだろうことは伺えるので、間違いでは無いだろうけど。
だからこそここに残る痕跡は、かの災害による侵略がいかに激しかったのかを物語っており、奴が災位であるという事実を否応なく突き付けてきた。
そうして中心部に進むにつれて、損壊は一層激しさを増していく。五十年も経っている以上、血痕などは当然残ってはいない。それでも眼前の崩れた街並みは、ここでどれだけ激しい戦闘があったのかをありありと物語っていた。
その光景に、ワタシはある違和感を抱いていた。それは進むにつれ、どんどん大きなものになっていた。進むにつれ無視できなくなっていくその点に、ワタシは思わずそれを零していた。
「......いくら何でも、損壊が激しすぎないかしら?」
ワタシの零した疑問に、フューリは獣の首を傾げる。
『戦闘があったのだから、当然なのでは?ここは居住区域ですし、護るべき人も多くいたでしょうから』
確かに、彼女の言う通りかもしれない。けれど、それは前提が間違っている。
「そもそも、魔物の大規模侵攻があったなら、普通は避難するでしょう?だって、その為の砦じゃないの」
『っ!?』
ヒダルフィウスの北方に築かれた、巨大な要塞。山脈から下りてくる魔物を討伐するための要塞は、その道を塞ぐように建造された。それじゃあ、無数の魔物が下りてくる程の道は、一体どれほどの大きさで、それを塞ぐ砦はどれだけの威容を誇るでしょうか?
——東西に数キロは伸びる大要塞。それこそが、ヒダルフィウスの護りの象徴。緊急時は、当時十万を超える住民全てを収納可能であり、彼ら全員を数カ月は賄えるだけの食糧すら貯蓄していたらしい。要塞としての堅牢さ、巨大さではガズの遺跡には劣るものの、それでも大陸で屈指の大きさを誇る大要塞。ヒダルフィウス家も、その要塞の存在があったからこそ、国として独立したと言っていい。
本来、魔物による侵攻を受けたならまず、その砦に民を避難させるはず。そして彼らが避難したのなら、魔物が襲撃するのは当然人の集まるその砦の方だろう。そうなれば魔物との戦闘痕もむろん、砦の周囲にこそ多く残るはず。
それに、先程通ってきた壁。確かに劣化してはいたけれど、そこまで激しい損壊は負っていなかった。黒騎士が通れる隙間を探す必要があったくらいなのだから。霧のせいで見える範囲は限られていたけれど、ワタシの知覚範囲内では、魔物の軍勢に侵攻されたような跡は見つけられなかった。
けれど、この居住区に残る痕跡は、ここで激しい戦闘があったことを物語っている。その点が、ワタシにはどうしても腑に落ちなかった。
——そもそもの話、どうしてこの国は一夜にして滅ぼされたのか。いくら災位相手とはいえ、例の大要塞がそんな簡単に堕とされたとは思えない。砦も当然のこと、この地に在留する騎士団が精鋭であることは周知の事実。その護りをどうやって打ち破ったのか?
全部を確認してはいないが、見た限り壁に破られた痕は無い。そもそも壁を越える為には必然的に北の山脈から下りてくるため、騎士団が対処するのは当然。そうなればもちろん砦への避難が始まるはずなのに、居住区には激しい戦闘痕が残っている。空からの奇襲、という手もあるだろうけど昔見た資料を思い返す限り、この地にも結界は施されていた筈。
それに先程通ってきた農耕区域には、ここ程の戦闘痕は残っていなかった。もし壁が破られたのなら、四方に駐在する騎士団が対応した筈なのに。
明らかにおかしな、幾つもの疑問点。それらをそのまま口にすると、フューリも納得したのか、その疑念に顔を顰めた。そしてワタシ達の視線が、一点に向かう。全てを知っているであろう者——黒騎士へと。
彼はそれを予測していたのか、ワタシの問いに対する答え、その一つを端的に告げた。
『...........奴の軍勢による蹂躙は、この一帯がきっかけで始まったからな。ここの損壊が激しいのも当然だろう』
「......何ですって?」
彼の言葉に、思わず足が止まる。今の話の中に、明らかに聞き流せない事があった。......それが、真実ならば。
「——もしかして骸王は、外からで無く内からこの国を崩したの?」
『............』
ワタシの問いに対し、黒騎士は答えなかった。その代わりに、彼は腕を上げ、道の先にある一点を指さした。
むろんここも霧に覆われている以上、そこに何があるか見えはしない。それでも、空間魔法で周囲を把握できるワタシには、そこに何があるかすぐに理解出来た。そして理解したからこそ、なおさら混乱した。......一体、どうやって?
黙り込むワタシに対し、まだ分かっていないフューリとイオは顔を見合わせ、首を傾げている。けれどワタシは二人の疑問に答える余裕は無かったし、黒騎士は見せた方が早いと思ったのか無言のままそちらの方向に歩を進め始めた。
指差した方向に進むにつれ、それは霧の奥から姿を現した。
住宅街の一角が不自然に開けている。その一帯を囲っていたらしい柵は見る影も無い程に壊され、ほぼ全てがこちら側に向かって倒され、ぐしゃぐしゃに拉げていた。
その内側に転がるのは、無数の石の残骸。バラバラに散らばりながらも、どこか列をなすように並ぶように見えるそれらをよく見れば、砕けたそれらどれもが元は四角に整えられた上に、文字が彫られていたことは一目瞭然。
そしてそれらの間を縫うように積もる雪の中に、不自然に凹んだ箇所が存在する。よく見れば分かる、それは雪のせいで埋まっている——無数の穴だという事が。
そこでようやく、フューリは目の前にあるのが何なのか理解したらしく、目を瞬かせた。そして、恐る恐る、それが何なのかを口にした。
『——墓地、ですか?』
ヒダルフィウスの形状ですが、巨大な壁に覆われた某街を想像して頂けると分かりやすいかもしれません。
そのうちU字を塞ぐ部分が、壁ではなく巨大な要塞となっています。
砦の内部には空間魔術による拡張も行われている為、見た目以上に広大な建造物となっております。
現在となっては魔力の供給が滞っている為、結界も空間拡張も機能していませんが。




