亡き祖国への帰郷
——それは偶然だったのか、或いは必然だったのか。
父を亡くしてから十年以上経った頃。騎士見習いから正式に騎士となり、それでも私は行動を改めることは無かった。魔物を殺すことに固執し、剣を振るい続ける日々。同僚達からも遠巻きにされ、いつも一人で過ごしていた。
そんなある日、非番だった私は山脈の麓へと赴いていた。休日だからこそ、周りに静止されること無く思う存分に魔物を殺せるからだ。そうして麓に赴いては魔物を殺すことに明け暮れる、今となっては呆れてしまうような、非番の日課と言ってもいい。
だが、その日はいつもと違った。普段はうじゃうじゃ居るはずの魔物が異様に少なく、ほとんど出会う事が無かった。
始めは、騎士団の討伐によって減ったタイミングなのかとも考えたが、すぐにそれは間違いだったと気付かされることとなった。
——その直後に、一体の魔物が現れたからだ。
全長は5mに届くだろう、人に似た形をした二足歩行の魔物。牛に似た頭を持ち、筋骨隆々の体は毛皮に覆われており、体中にある傷から見ても歴戦の個体であることは容易に見て取れた。手には騎士達から奪ったであろう重厚な武器を構え、こちらを睥睨してくる。
その魔物の事は良く知っていた。ミノタウロスと呼ばれる、半牛半人の魔物。中位から上位に分類される、当時の私では相手することが厳しいであろう怪物。血で塗れたそいつの姿を見れば、周囲の魔物を殺したのがそいつであることは明白だった。
本来なら即座に撤退するべき相手、それでも私は下がろうとはしなかった。何故なら、私の視線はある一点にのみ注がれていたからだ。そのミノタウロスの右腕の下から生えている、三本目の腕へと。
——そう、私は知っていた。その腕を持つ怪物の事を。
『——三腕。お前か』
——何故なら、そいつこそが、父を殺した仇なのだから。
次の瞬間、私は剣を手に、魔物へと猛然と飛び掛かっていた。積もりに積もった憎悪が、目的の存在を見つけたことで爆ぜ、私の体を奔らせた。
その後、どのように戦ったのかは正直覚えていない。気が付いた時には、明るかったはずの空は黒に染まり、月が昇っていた。周囲は荒れ果て、私は全身血だらけで地に伏せていた。傷だらけの体はピクリとも動かず、ザルから零れるように血が流れ出ていた。骨が折れているのか、或いは内臓がイカれているのか、それすら判断がつかなかった。
だがそれでも、自分がもうすぐ死ぬだろうことだけは分かっていた。何故なら、目の前に父の怨敵が立っていたからだ。
月光に照らされた魔物は、私と同じように半死半生の状態だった。三本の腕の内二本は無くなっており、最後の腕もちぎれかけており腕の機能は既にない。体の傷からは内臓が零れ出て、角は折れ、両目も切り裂かれて視力を失っている。
それでも、そいつはまだ生きていた。僅かに残った嗅覚でこちらの場所を知覚し、ゆっくりとこちらに近寄ってきていた。
『——ここまでか』
既に、自分が助からない事は分かっていた。たとえ腕が無くとも、目の前の怪物なら自分を容易く殺せる。何なら倒れるだけで、その質量に潰されて私は死ぬのは目に見えている。
だが、その怪物が助からない事も分かっていた。いくら魔物であろうと、あれだけの傷を負っていたのなら死は免れないだろうことは明白だった。
——自分は死ぬが、仇は討った。
最後に仇敵が死ぬのを見れないのは心残りだが、それでも父の仇を討てたことに私は満足していた。眼前にやってきた仇敵が私を踏み潰そうと足を上げるのを見ている事しか出来ないときも、それは変わらなかった。
頭上に差し掛かる足を見ながら、最後に脳裏を過ぎったのは、母や同僚達の顔だった。自分勝手な行動を取る私を見限らず、諫め、心配してくれた人たち、彼らの悲し気な表情が次々に思い浮かんだ。
『——悪い』
脳裏に浮かぶ彼らに、思わず謝罪が口から零れ出た。その直後、頭上から怨敵の足が振り下ろされるのが見えた。
ゆっくりと上がっていた足が降ろされるのは一瞬の事。次の瞬間、その足が私の頭蓋を踏み砕くのは、誰の目にも明らかだっただろう。
——だが結果として、それが私に振り下ろされることは無かった。
『——それは、直接伝えるべき言葉だろう、この阿呆が』
————鈴が鳴るように、軽やかな声が聞こえてきた。
樹海に入ってから、既に十日ほどは経過しただろうか。順調に進んでいたワタシ達はようやく、樹海の中央、ヒダルフィウスの都に迫る地まで足を踏み入れていた。
今までは順調に進めていたけど、ここから先はそうは行かない。何故なら、この先に出てくる死霊は、今まで出会って来た者達とは一線を画すから。
——ベルメール騎士団。かつて黒騎士も籍を置いていた騎士の国を護る象徴。そして今は、この地に踏み入れる者を排せんとする、骸王の手先となった者達。
流石に、護りである彼らを雑に扱う事は骸王もしなかったらしく、ワタシの愛し子の力でも支配権の塗り替えは出来なかった。となると、これから先は彼らと相対しながら進まなくては行けない——。
『......と、思っていたのだがな』
横を歩く黒騎士は、溜息を吐きながらそう零す。それに反応することなく、ワタシは死霊の先導に従って、樹海を奥へと進んでいた。
——この地を護る死霊兵達の横をすり抜けながら。
「わざわざ相手をする必要は無いでしょ?」
『......貴公の多彩さには、驚かされるな』
ワタシが得意げに鼻を鳴らすと、黒騎士は再び溜息を洩らした。
そう、別に死霊魔法が効かなくても問題は無い。認識阻害の呪詛があれば、彼らに認識されることは無い。流石に戦闘行為に移ったら話は別だけど、移動位ならいくらでも誤魔化しが効くからね。今も横を通り過ぎた十人小隊の死霊達は、ワタシ達に気付く素振りすら見せていない。
『............』
そうして進みながら、ワタシは横の黒騎士へと視線を向ける。一見落ち着いているようにも見えるけど、その視線はすれ違う死霊兵達へと向けられ続けていた。
「......言っておくけど、彼らも同様よ?」
念の為に釘を刺すと、彼もそれは分かっているのか、無言のままゆっくりと被りを振った。
......彼の思いは分かる。彼にとって、死霊兵達は同胞であり、そして部下でもあった者達。今まで見てきた死霊達と同様ヒダルフィウスの民であると同時に、彼の戦友でもある。ある意味では民以上に近い関係の彼らを見て、憤りを抱くのも当然だ。
けど、彼らを解放することはワタシには出来ない。一応解析したけれど、やはり彼らに掛けられた魔法にも謎の異物が紛れ込んでいた。しかも彼らの場合、森を徘徊する死霊達よりもそれは強力な代物。ワタシが支配権を書き換えられないのも、この異物がワタシの魔法を邪魔してくるからに他ならない。
樹海に入ってからずっと、この異物の解析を進めているけど、ワタシは未だにその正体が掴めずにいた。
「ああ、考えすぎてもしょうがないか。それで、あとどれくらいで到着するか、大体の見当はついているのかしら?」
思考が袋小路に陥っているのを感じ、ワタシは別の話題を切り出した。既に結構な距離を進んできている為、そろそろ到着してもおかしくない頃合いの筈なのだけど。
黒騎士は、少し考えこみながら答え始めた。
『恐らくではあるが、そろそろの筈だ。樹海のせいで分かりにくいが、歩いてきた距離で考えればな。外壁が残っているなら、そこで樹海は途切れているだろうしな』
『......外壁、と言うとガズのような?』
フューリの疑問に黒騎士は首肯する。
ヒダルフィウスは、国家としては特殊な形をしている。
元々この地は北のギラール山脈から下りてくる魔物が暴れ、荒野と化していた。当然人が住めるような場所ではなく、当時のヒダルフィウス家が領都としていたのはそこより南方、今は迷霧樹海の南にある街だったらしいけど。
だがビレストから離反する際、その街は王国に返上し、ヒダルフィウス家は彼らに付き従う者達と共に砦へと居を移した。その砦こそがヒダルフィウスの唯一の都市であり、国土。
——いわゆる、都市国家だ。
ウート商国も形としては近いかな。あの国の場合は、複数の都市が砂漠を挟んで協力し合う、都市国家連合と言った方がいい。他大陸との交易の中心と言える、中央大陸最大の港湾都市である商都トロキと砂丘船という運搬の要を担う交都——業都ガズを柱とし、大陸北部と東部、そして南部へと繋がる砂漠の他方に位置する都市という、五つの都市からなる国。
対してヒダルフィウスは、その他に一切の都市を持たない、単一の都市国家。その在り方は、ウートの中でも異質な、独立国家といえる状態だったガズに近い。そして、ガズやヒダルフィウスが成り立つ前提も、似通っている。
——魔物の跋扈する荒野や砂漠でも人が生きられる、それだけの護りを有する砦を元としているという点が。
数百年前、ギラール山脈南方に築かれた砦。魔物の侵略を防ぐ為に建設されたその砦は、元々外部からの援助が無くとも成り立つように設計されている。人々の住居、食糧を生産するための畑や農場、様々な鍛冶場や工房、兵士達の駐屯所、亡くなった者を弔う墓まで。全てをその中で完結できる、街そのものの機能を有する大要塞。
最盛期、亡国となる直前には10万人を超える人口、それを全て受けてもなお有り余る広大さを持つ、大要塞。それこそが、ヒダルフィウスが国として独立出来た大元。人々が力を合わせ創り出した、努力の結晶。
しかし、その砦が健在だったのは骸王の襲撃を受けるまで。国が亡ぶ際、砦は襲撃により半壊したらしい。迫りくる無数の死霊の群れに呑まれた大要塞は、五十七年前に崩れ去った。
それでも、都市国家として機能するほどの砦の外壁、その大きさは途轍もない。流石にガズのそれには劣るとしても、決して簡単に崩れ去るようなものでは無い。
かつてわたしが住んでいた、グラムの王都フロトを始めとして、大きな都市には外壁はつきもの。ただ、ガズやヒダルフィウスと言った、魔境と呼べる環境に造られたソレは、それらのとは一線を画す、重厚さと堅牢さを持っている。そうしないと、侵略を防ぎきれないからね。
『骸王の侵略時も、壁が崩されたのは一部のみ。大半はそのまま残っていた筈だ。手入れなどはされていないだろうが、それでもあれが綺麗さっぱり無くなってしまったとは考えにくい』
「なら、それを目指せばいいわけね」
その壁が残っているなら、確かにそれは大きな目印になるだろうしね。
残りの道行きが後少しだと確認し、ワタシ達は再び進み始める。
そうしていると、また死霊兵達とすれ違い、彼らに掛けられている魔法の事に思考が偏る。後少しで骸王に邂逅するかもしれないのに、謎が解けていないという少しの焦りもあるかもしれないけど。
「......本当に何かしら、これ」
......ああ、気持ち悪い。何か引っかかりを覚えているのに、それに辿り着けない事がもどかしい。
......やはり、ワタシはこれを知っている。未知では無い、既知の力。けど、ワタシの頭に掠める何かとはどこか違う気もする、そんな物を。
となると、どこかでこれに似た力と対峙したことがあるのかもしれない。例えば、そういう力を有する魔物とかだろうか。ガズでも色々見たし、そこに向かう道中でも色々相手はしてきた。......後、ビレスト王国に居た頃とか。いや、あの頃魔物の相手をしたのは一回だけだから、アレは無いか。
「......そういえば、あいつらもいたっけ」
ふと脳裏を過ぎったのは、あの忌まわしい召喚者達、彼らが有している固有スキル。奴らの力はどれも有能で、種類も多彩。もしかしたら、あの時に見た力の中に、異物に近い物が......。
——固有スキル?
ふと、何かが頭を過ぎった。何か、大事な事を見落としている。その正体を探ろうと、思考を巡らせ始め——。
「へぶっ!?」
注意を散漫にしていたワタシは、目の前にあるソレに気付かず激突した。幸い脳などは無いのでくらくらすることは無いけれど、考え事をしている内にどうやら黒騎士を追い抜いていたらしい。浮遊による移動は普通に歩くよりも早く進める。だからここではペースを合わせていたのだけど、集中していて気付かぬうちに速くなっていたみたい。
『......何しているんですか、お嬢様』
振り向けば、後ろにいたフューリからジト目を向けられ、思わずバツが悪くなって目を反らした。というか、先に黒騎士が進んでいたのだから、彼が声を上げてくれればよかったのでは?そんな責任転嫁をしながら彼の方へと視線を向けるが、当の本人はワタシの視線に全く気付いていなかった。
黒騎士は、その場に呆然と立ち尽くしていた。上を見上げ、濃霧の奥に聳え立つソレを、言葉を失ったまま見続けていた。
ワタシも再び振り返り、ソレへと視線を移す。
濃霧に紛れるように、ソレはそこに存在していた。霧と同色の、巨大な建造物。長い年月手入れされていなかったせいか、あちこちがひび割れ、かつての栄光は見る影もない。それでも、ソレは崩れ去る事無く、今もなおその場に残り続けていた。
——国が滅び、民が死に絶えてもなお、その地を護るかのように。
「......着いたわね」
『......ああ、ようやく、帰ってきた』
かつて、騎士の国最大の護りであった、白亜の城壁。それを目の前に、黒騎士は万感の思いを込もった呟きを零した。
——骸王によって滅ぼされて、早五十年余り。難航不落の樹海を乗り越え、ワタシ達はようやく、ガズへと到達したのだった。




