それぞれの天幕で
「......なるほど、そんな話をね」
デュリィ改めデュバリィの思惑を聞いた次の日の早朝、召喚者達四人は彼らだけで、天幕の内で顔を合わせていた。目的は無論、聖騎士から聞いた件についてに他ならない。
話を聞いた京香と拓馬は、難しい顔をしたまましばらく黙り込んでいた。やがて顔を上げた二人は、胸中のものを吐き出すかのように大きく溜息を零した。
「......受け取らなくて正解。ありがとう、綾」
「だな。こんなもの下手に受け取ったら大変だ」
二人の言葉に、綾は大したことは無いというように首を左右に振る。対して、不満げな顔をする者が一人。
「おい、俺に礼は無しかよ?」
愚痴を零す晃に、二人が冷たい視線を向けた。
「......あんた、何かしたわけ?大方、難しいことは綾に任せて黙って見ていただけでしょ?」
「というか、お前だけだった受け取ってただろう、絶対」
「うっ......」
二人の追及に、痛いところを突かれた晃は顔を顰める。それでも、反論があるのか小声で呟きを漏らす。
「いや、流石に受け取りはしねぇっての......」
「そうね。あんたの場合、嫌な予感がする、とか言いそう。野生の危機感と言うか、変なところで嗅覚が鋭いものね」
「............」
その反論に、京香は皮肉を返す。図星を突かれた晃は、今度こそ何も言えなくなり、臍を曲げたようにそっぽを向いた。
((......カカァ天下だ))
その光景に、二人は思わずそんな感想を抱く。とは言え、それを口にはしない。虎の尾を踏むようなこと、進んでするわけが無いのだから。
二人が何か失礼なことを考えていると察しつつ、突かない方が賢明だとスルーしながら、京香は話を戻した。
「......けど、何でこのタイミングで彼女はあの話を出したのかしらね?」
彼女が疑問を抱いたのは、デュバリィの真意。自身の身分を明かす、ここまでは良い。晃を始め、召喚者達は彼女に対し疑念を抱いていた。それを解消するだけなら、身分を明かすだけでいい。わざわざ手帳の話をあの場で出す必要性は無いのだ。
「あの場には、俺達とあいつしかいなかった。しかも、索敵に関して最も優れた二人がいたから、見られていたもすぐに分かる。そういう機会を狙ったんじゃないのか?」
「その程度なら、別に後でも機は得られるでしょ?問題は、何で亡国跡地という、最も危険な地に踏み込む前にそれを渡したのかって事よ」
もしもの時の為、という話は通らない、そう京香は考えていた。この遠征隊で最も強い者は、紛れも無くデュバリィだ。だからこそ、彼女がそれを手にしていることが最も安全であるし、何かがあっても問題視されるのは彼女の行動になる。
しかしあの場で受け取って、もし召喚者達に何かがあって手帳を紛失した場合。その責を彼らも負う事になりかねない。その危険性が最もある地に踏む込む前にそんな重要な物を渡そうとしたこと、京香はその意図を読むことが出来なかった。
彼女の考えに、三人は黙り込む。彼らに対し、常に親密な態度で接してくる、女性聖騎士。その笑顔の裏に、どんな狙いが隠されているのか。
「......昨日の様子を見た限りだと、悪い人だとは思えないけどね」
綾の脳裏に浮かぶのは、昨夜のデュバリィの姿。先祖の力を継いだ、まだ見ぬ者への憧れを隠そうともしないその姿を思い返すと、どう見てもオタクのそれにしか見えなかった。晃も同様らしく、綾の言葉に頷いている。
一方、その姿を見ていない残りの二人は、それを鵜吞みには出来ない。
「それも嘘ではないんだろうけどな。けど、それだけで聖騎士という教会のエリートになれはしないだろう。戦闘の実力だけでどうにかなる地位じゃなさそうだ」
「......エリートかぁ。確かに、厳しい試験とかありそうだよなぁ」
「だろうな。どの世界でも、上に行くのは簡単じゃないってことだ」
教会内の事を彼らはよく知りはしない。それでも、聖騎士という地位が簡単に就ける仕事ではないことは想像に難くない。そう言葉を交わす男の二人の会話を聞いていた京香が、何か思いついたらしく、ぱっと顔を上げた。
「......そっか。彼女の狙いって——」
「試し、ですか......」
一方、陣内の別の天幕。そこでは、二人の聖騎士が向かい合っていた。
いや、正しくは違う。一人は鎧を着たまま地面に正座し、もう一人がそれを立って見下ろしているのだから。
「え、ええ......。ですから、決して先走った訳では無くて......」
正座している人物——デュバリィは足に食い込む鎧の位置を、座ったまま器用にズラし、痛みを上手く誤魔化していた。いくら彼女が鍛えていても、長時間この姿勢を続けることは楽ではない。
言い訳を口にしながら、足を崩そうとする彼女に対し、立っている男——改革派のもう一人の聖騎士は鋭い視線を向けてその動きを止める。そんな彼女を見ながら、彼は呆れたように息を吐く。
「......ええ、言いたいことは分かりました」
何故こんなことになっているのか。それは無論、昨夜のデュバリィの行動を彼が問題視したからに他ならない。
今朝になって彼女自身から受けた、身分を明らかにしたことと手帳を渡そうとしたという報告。独断専行ともとられかねないその行動に対し、彼が問いただそうとするのは当然のことだった。
そもそも、今回の遠征に際して、改革派には幾つもの目的がある。骸王討伐への足掛かりを作る事、それが第一の目的であることに変わりは無い。しかし、狙いはそれだけでは無い。
第二の目的、それは改革派と王国の、否——召喚者との繋がりを作ること。教義派や保守派と関係を持たれる前に、彼らとの縁を結ぶ。その実力、潜在能力が未知数である彼らを、改革派は味方に引き込むつもりでいた。
改革派は教会の三大派閥と言われてはいるが、他の派閥に比べると遥かに影響力は弱い。教会の頂点に位置する教皇を頭に掲げる教義派、上層部の多くが籍を置く保守派。それに対して、改革派は明らかに戦力としても、政治的な意味合いでも劣っている。
そして、その状態を突き崩すのは容易ではない。近辺の国々では、既に他派閥の影響が大きい。改革派の場合、その在り方故に帝国などの勢力と手を組むという手段もあるが、当の帝国が教会との繋がりを完全に切っている為そちらとの接触も簡単ではない。
そこで彼らが目を付けたのが、召喚者。王国に護られている為に教会との繋がりが薄く、それでいて隣国にいる、将来有望な者達。しかもその中には、聖痕を継いだ勇者までいる。これを味方に引き込むことが出来れば、改革派にとってこれ以上ない躍進となる。
勝算はあると、改革派の者達は考えていた。過去の事例から、召喚者達は亜人達に対して好意的な者が多く、教義派とは反り合いが合わない。また、保守派の場合はそもそも別世界から来た召喚者を内に引き入れ、今まで築き上げた体制に変化が起きることを望んでいない。
何より、彼らには切り札があった。召喚者の中にいた勇者。彼が継ぐ〈水晶紋〉との、浅からぬ縁を有しており、彼らにとって何よりも助けとなり得る手が。
......しかし、そうだとしても。
「......その切り札を、いきなり晒す馬鹿がいますか」
「............」
聖騎士の男は、呆れを隠そうともしない。対してデュバリィは、何も言えずに黙り込んでいた。
マルカ・テイラーの手記。それは改革派の中でも特に重要視されている物だ。ただでさえ聖者の遺物である上に、後世の継承者の為に残された物。その上、今代にそれを受け継ぐ者がいるとなれば、その価値は計り知れない。だからこそ、その切り札は迂闊に明かすべきものでは無い。
でありながら、彼女はその存在を仄めかすどころかいきなり暴露し、その上渡そうとしたのだ。問いただされるのも当然のことだろう。
同僚に叱られ、しょぼくれるデュバリィを見下ろしながら、しかし聖騎士の男も彼女の狙いは理解していた。
そもそも、彼女はあの場で手帳を渡すつもりは甚だ無かった。綾に言われなくても、当然アレは直接勇者に渡すべき代物なのだから。
それでもあえてあの場で手渡した理由。それは召喚者四人を試す為に他ならない。彼らがどういう意図で、どのような考えで動くのか、それを見極める為に、わざとあのような行動を取ったのだと。
あのタイミングで動いたのは、これからの彼らの行動を見る為であった。退却時や別れ際に伝えたのでは、彼らがどういう行動に動くのか、見極める時間が無い。故に、出来るだけ早く動く必要性があったのだ。
それを理解しているからこそ、彼は必要以上にデュバリィを責めることは出来なかった。むろん、言うべきことに関してはしっかり伝えるべきなので、こうして正座させている訳なのだが。
彼はもう一度大きく溜息をつくと、デュバリィの前に腰を下ろした。
「......それで、あなたの目から見て彼らはどうでしたか?」
彼の言葉に一瞬キョトンとした彼女だったが、その意味を理解すると顔を引き締める。
「実力に関しては、あなたも見ての通りです。固有スキルという特異性あってのものとはいえ、この世界に来て一年足らずとは思えないですね。教会に対して、思う点はあるみたいですけど悪感情は抱いていなさそうです。手帳の件を見る限り、先を見ない行動を簡単にとったりはしないと思います」
それが、ここ数日間彼らと共に過ごしてデュバリィが感じた事だった。概ね好印象であり、少なくともこのまま繋がりを持っておくことに問題は無いと、そう判断していた。
......ただし、それは決して問題が無いという訳では無い。
「彼らと初めて顔を合わせた時の事から見るに、彼らと王国の間には何かしらの亀裂があります。それが彼ら四人だけなのか、それとも召喚者全体に言える事なのかは分かりませんが」
それは聖騎士の男も感じていた事ではあった。あの時、王国と召喚者達で明らかに意見が食い違っていた。決して険悪な仲では無いのだろうが、何かしらの確執があることは容易に見て取れるほどに。
そして、手帳の件に関してもそうだった。綾と晃はあの時、その事を王国に伝えるとは一言も言わなかった。それも、彼らの間に何かがあった、その疑いを深める一因となっていた。
「......それと、もう一つ。あの日、我々改革派がどういう派閥なのか、伝えていた時のことです」
——改革派。それは今の教会の、そして社会の在り方を見直すべき、それを根底に置いている。人々を護る為に、何を優先すべきで、どう変わっていくべきか、ということを。
例えば、亜人の扱い。魔物の血が混じったとされる彼らは、人では無く魔物として扱われているが、それは正しいのか。
後は、魔物の撲滅。現代において、魔物は魔石などを始めとした素材として、生活に深く馴染んでいる。そんな中、果たして撲滅を掲げることは正しいのか、そしてそれは本当に可能なことなのか。
——そして、呪詛や死霊術。純人であろうとも、生まれながらにそれらを始めとした禁忌とされるものの才を持って生まれる者がいる。彼らは何も罪を犯していないのに迫害される、それは正しいのか。
彼女は見ていた。その話をしていた時、無意識ではあったのだろうが。
——彼らの顔が、微かに歪んでいたことを。
「今回の任が終わり次第、調べてみるべきでしょう。王国で何かがあったのは、間違いないでしょうから」
「......となれば、一先ずは様子見、ですね」
とりあえずの結論を出し、話し合いを終えた二人。ひと段落したところで、聖騎士の男は気になっていることを聞いた。
「ちなみにですが、彼らと繋がりが絶たれた場合、手帳はどうするつもりで?」
「?もちろん勇者様に渡すに決まっていますけど?」
即答するデュバリィ。そこに偽りは一切ない。裏に意図はあろうとも、彼女は手帳を五十嵐武人に渡すことに躊躇いも逡巡も無い。そこに改革派の利益を始めとした、邪な思いなど全くありはしなかった。
聖騎士の男は、予想していた答えにもう一度溜息を零した。それは呆れであり、同時に感心でもあった。
——これでこそ、改革派の旗頭なのだと。
「......しばらく正座していてください」
「そんなっ......!?」
......ただし、それはそれ、ではあるのだが。




