4.転生王女は誘拐されるーⅠ
『――条件……?』
『そう。君にはアチラの世界で起こりうる出来事を変えてほしい。それが、君がもう一度生まれる為の条件だよ。』
『…………えーと…………。』
一瞬この人の言っている事が理解できなかった。
辺りは景色と呼ぶには言い難い不思議な白い空間。
私達の声以外、何も聞こえない異質な「"無"の部屋」。
そんな場所で更にこんなファンタジーな事を言われているのだから余計に現実味を感じられない。
『出来事というのは……その、どういう意味ですか? というか私がそれを変えるって……』
『うん、簡単だよ。あっちで起こる騒動、事件や戦争とか……それらにまつわる事案を間接的にでも変えられればいいかなぁ。』
簡単で片付けられそうにない事案だらけだ……。
『時系列は……そうだな。大体あの本に描かれている時代の頃に送るとしよう。』
『大体って……』
『「あの本は」もう読んだだろう? 』
そう言われて脳内で思い返してみた。目の前にいるこの人の図書館で見た、他のどの書物よりも惹き付けられた……一際存在感のある、あの名前のない本の内容を……。
――異世界のとある王国が舞台。
神の声に導かれた主人公の少年が、様々な人と関わったり問題に巻き込まれ解決していくお話。
けれど物語終盤で大きな敵と対峙することになり、世界全体が危機に陥る……という流れだ。
私は素直な感想を述べた。
『……あぁ。あの完結したのかしてないのか分かんない、何とも惜しい小説。』
『君は本当に辛辣な子だねぇ。』
思えば不思議だった。一冊の本にしては物語が未完成のように感じたし、確か最後はバットエンドでうやむやに終わって、読んでいて腑に落ちなかった事を覚えてる。
文を読んでいると、まるで架空の小説というより出来事の記録のように思えた。
『主人公は特にこれといった落ち度はないんですけど、導く神様が導いて無さすぎだったのが要因ですね。もっと親密度を上げてれば結末が変わったかもしれないのに。』
『ゲーム攻略みたいな事を言うねぇ……。』
淡々とそんな事を思い出しながら、私はあの本のストーリーをなぞらえていると同時にアレらを回避させることが難題だということに気付いてしまう。
『……因みに条件を達成できなかった場合は……? 』
『君はまた死ぬ。』
『何でっ!? 』
ちょっと涙目になった。
『正確に言えば「あの世界」そのものが、って事だけどね。だから死ぬわけだけど……うん、まぁ大丈夫! 僕……私は面に出られないけどその分全力で君をサポートするよ。……今度こそ。』
最後の言葉は小声でよく聞こえなかった。
……いやそんな力強くグットサインを出されても。
『そんな大それた役割……私に出来るとはとても思えないんですが……』
『出来るさ。』
……いや、だからその確信はどこから……
『だって君は、私が選んだ子なのだから。』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
《――――ピチョンッ……――――》
その水音に「ぴくっ」と反応した私はそっと目を開けた。
「――っ……?」
――――……ここは何処だろう……。――――
随分前の事だというのに、未だにこんな鮮明な夢を度々見てしまうのだから一向にあの時の記憶が薄れない。それ程忘れることのできない出来事なだけに、何とも複雑な気分だ。
死んだ時の記憶じゃないだけまだマシか……。
「…………。」
――それで、私はいつの間に寝たんだっけ。
「……で……だな……。――」
話し声がする。目を開けている筈なのに起きたてもあってか薄暗くてまだよく見えない……。何となく空気も薄い気がするし、あと少し肌寒い。
……よし、意識を失う直前の出来事を思い返してみよう。
確か庭園でニセ衛兵に変な香を嗅がされて、眠らされたんだっけ……? 不覚だったな……。
「……じゃあその手筈で進めるぞ。ここを去り次第、こいつで偽装する。」
「そうだな、分かった。」
「頭ぁ! これで俺らも大金持ちっすね!」
「油断するなよ。隠れてるとはいえまだ敷地内だ。王女の不在を知られる前に合図があり次第すぐ動くぞ。」
――これは十中八九誘拐事件かな……。――
私は両手を後ろに組まれ、縛られた状態で冷たい壁にもたれかかるように床に座らされていた。
そのまま後ろで指をそっと床に撫でてみる。……冷んやりして少し凹凸のあるザラザラした感触だった。石床、だろうか?
ようやく目が慣れてきたところで周りを見渡してみると、どうやらここは石造りの部屋のようだった。
面積はそこまで広がっていないけど四方の壁にはささやかな明かりが灯されており、幾つかアーチでできた通路が広がっている。
私のいる場所はその通路が集合する広間に思えた。目と鼻の先には三人ほど囲んで何か話している。
そしてまた天井から《ピチョンッ――》と、水滴が落ちる音がした。……窓もなく、石造りで冷たい空気の流れる場所というと……、
――――……何処かの地下……?――――
私は一体どこまで連れてこられたのだろう。
覚えている限りでは、私の前に現れた誘拐犯は六人ほどいたはずだ。今彼らの会話を聞いたところだとまだ王宮の中にいるみたいだけど。
地下牢……ではなさそう。この王宮には地下通路があるけれど、牢屋以外のエリアは王族だけしか知らないはずだし、情報が外部に漏れる可能性は低い。
それにしても宮の地下通路にこんな場所があっただろうか?
私の知る限り、答えは否だ。……起き抜けに思考を巡らせるのは疲れる。今何時なんだろう。
「――おや。お目覚めですか? 王女殿下。」
……声がした方へ顔を向けると……誘拐犯の一人がこちらに気づいたようだ。
この声……先刻、私に変な香を嗅がせたリーダー格の男だろうか。変装していた衛兵服から今は黒いマントに顔をターバンで隠した姿に変わっている。
あのターバン……異国のものっぽいな……。
見たところこの場に三人以上は見当たらない。他の仲間は見張り役でも担っているのだろうか……?
「――……此処は冷えますね。」
私は少し微笑む仕草をしつつ彼らを見据えた。
「手荒な真似をしてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。……本来ならば速やかに殿下の御身が安らげる場所へお連れしたい所ですが、宮からの脱出に時間を費やしておりまして。このような場所を隠れ蓑にしている次第でございます。ご無礼をどうかお許しください。」
……この人だけ纏う空気が違う気がする。
丁寧に頭を垂れて礼儀は欠かさないものの、やはり綽々としている雰囲気は変わらない。
紳士然としてはいても口調は上部だけ取り繕った台詞めいてわざとらしい。
どこか不気味に感じてしまうその笑みは端的に言って胡散臭い男の気だ。
そんな事を考えていると男は感心した様子で私を見ていた。
「――しかし驚きましたね、まさかもうお目覚めとは。まだ一刻も経っていないはずですが……あの眠り香にはどんな者でも少なからず半日ほどの効力があると聞かされていたのに、あの商人め。嘘を言ったのか……?」
――……そういう代物だったのか……。――
「……私は一体何処にいるんでしょうか。」
「さて、ね。どこだと思います? 」
――この男は絶対食えないタイプだな……。
「私は何処へ拐われてしまうのですか? 」
「貴女様を必要とされている方の元へ、といったところでしょうか。」
ふむ。つまりこの男達は雇われたその道のプロということになるのだろうか? まだ懲りずに『神の御子』を手に入れたいと画策する人がいるってこと? 昔は散々狙われたものだけど、ここ数年は平和だったからもうこの件は諦められたと思っていたのに……。
いやいや、これくらいじゃ動揺なんてしませんよ。子供の頃から私がどれほどの修羅場を四つん這いで掻い潜ってきたと思ってるのやら。……と、思っていると段々誰かの足音が響いてきた。通路の向こうから他の仲間らしき者が更に三人現れたのだ。
「……頭! 外は思ったより警備が厳重だぜ。やっぱり王女を連れ出すならまだここで待ってた方が賢明だ。」
「買収した門番の合図を待つしかないな。」
辺りの様子を見てきたのだろうか。リーダーの男の元へ駆け寄ってきた二人は状況を報告した。
「……んだよ。まだこんなじめじめしたとこで待たねーといけねぇのかぁ?」
「情報通りなら此所より安心な隠れ蓑はない。黙って頭の指示に従っておけ。」
報告を聞いた一人が苛立ちながら頭を掻いている。その拍子に被っていたフードが外れ、顔が見えた。それを見た別の一人もフードを取り、張り積めた空気を和らげるように深く息を吐いている。
「――お前ら気を抜くな。少数精鋭でかかってるとはいえここは王宮。……国で一番の戦力が揃った最難関の警備だ。見張りは怠らない方がいい。」
リーダーの男は仲間を窘めるように注意を促している。……素顔を晒した二人を見たところ、私の知る貴族には見ない顔ぶれだ。一人の口調からして平民の可能性が高いのかもしれない。……だとすると凄い実行力だな。
すると苛立っていた方の男が窘めたリーダーの男にヘラヘラと笑いながら手を降る。
「だーい丈夫だって。頭は慎重派だなぁ。この離宮ての? は誰も来ないから安心だし、後ろ楯には大臣サマもいるんだ。少しくらいのことなら庇ってくれ――……」
と、最後まで言い終える手前だった。
『――――バキィィッ!!!! 』
突然飛んできた拳が勢いよくその男の左頬を強く潰し、拍子に身体ごと大きく横に吹き飛ばしたのだ。
『――バアァンッ!! ――ガラガラッ……――』
飛んでいった男は壁に背中を強く打ち付け、その勢いで石壁にヒビが入り幾つか崩れ落ちてしまう。
(……な、……何事……? )
私もこれには流石に目を見開いて絶句する。
――びっ……くりしたぁ……。人から聞こえちゃいけない音がしたよ? 突然の物音は心臓に悪い。ばっくばくだ。
そして男を殴ったのはリーダーの男だった。
「――……阿呆かテメェは。何王女の前でペラペラ喋ってんだ。こちとら相当なリスク冒してるっつーのに気ぃ抜きやがって。次余計なこと言ったら……――殺すぞ。」
先程までのエセ紳士然が一転して、何とも粗暴で冷ややかな口調なのだろうか。絶対これが本性だな……。
殴られた男は小さく呻き声をあげ、血を流しながら倒れている。起き上がろうとしても身体が震えていて叶わない様子だ。他の仲間は目の前の光景を目の当たりにして何人か冷や汗をかいていた。私もかいた。
――ちょっとちょっと、神様。さっきから無言ですけどまさかこのまま流そうとしてませんよね? そうはいきませんよ。何でこの展開を教えてくれなかったんですか。誘拐事件なんて聞いてませんよ。
《・・・・ギリギリで教えようとしたではないか。》
「…………。」
言われて少し考える。
――……あ。……え、まさかあれですか? 「誰か来る」的なあの言葉ですか? めちゃくちゃギリギリじゃないですか。肝心なことは言えてないじゃないですか。滑り込みすぎて対策も何もないじゃないですか!! ていうか何でギリギリになっちゃうんですかっ。
《・・・・視るのを忘れていたのだ。》
「…………。」
常時発動型じゃないんかい。
思わず心の中の会話で軽いツッコミを入れてしまった。
視線を盗賊たちに戻して見ると、勢いよく殴ったせいかリーダーの男の顔に巻いていたターバンが緩み、男はそのまま布を「――シュルッ」という音と共に引っ張りその素顔を見せた。
褐色の肌に艶やかな黒い髪、蠱惑的な赤い瞳。右の耳には特徴的な刺繍が彫られた金の耳飾りを付け、その容姿は何とも色香の漂う端麗さ。
……あの姿……成る程。お陰で大分理解できた。
「――『銀浪』の盗賊さん。」
「……!」
私が言い放った一言に彼らは予想外とでもいうように全員固まった。……その様子に特に気にせず、私は言葉を続ける。
「……内々でお話されるにはもう少々控えめになさった方がよろしいですわ。
ね……? ――『銀浪盗賊団』頭目の「イーサン」殿。」
落ち着いた口調で私は彼らの正体を言い当て、にっこりと微笑みを向けた。
それに対し、男も不敵な笑みを返す。
「……へぇ。まさか見破られるとはな。近頃の王族様はこんなならず者のことまで知ってんだな? ……手配書には顔まで出回ってなかったはずだが。」
「私、勉強家ですので。」
「……ふっ。最近の教科書には盗賊の想像の姿絵まで載ってるらしい。」
口調を戻さないということはもう取り繕う気はないようだ。……やっぱりこの人達は西の森で暗躍してる盗賊だったのか。
……原作で読んでいた印象よりは割と整った顔してるなぁ。こんな色男を前にしたら女の子はイチコロだろうね。
《・・・・お前もその「女の子」だろう。》
――私は……ほら、その辺の感情バグってるんで。
《・・・・それはそれで問題だな。》
「……さっきから黙って考え事してるみてぇだが、この状況で随分と肝の座った女だな。今の制裁も顔色一つ変えてねぇし。
聞いてたところじゃ、王宮でのんびり育った……虫も殺さないような癒し王女っつー話だったが……。」
「ご期待に添えなかったでしょうか?」
私はリーダーの……イーサンに変わらず微笑みかけていた。……ふう、よかった。表面上は誤魔化せていたみたいだ。心の中ではばくばくだけどね。私の十数年磨いてきた微笑み演技は伊達じゃないみたいで何より。
けれど、驚きはしても不思議と恐怖までは感じていない。普通、意識奪われて誘拐されて暴力現場になんて立ち会えば女の子はトラウマものだよ。泣く叫ぶどころじゃない。
《・・・・その辺の感情もバグっているな。》
――やだそんな欠落人間みたいな。
「いや? 噂の印象じゃつまんねぇ女かと思ってたが……その度胸、中々面白ぇじゃねぇか。」
何だか興味を持ったとでもいうような言い方に聞こえたのは気のせいだろうか……。
「頭。所詮は温室育ちの箱入り娘だろ? ふん、無理に笑っちゃって……実は内心怯えてんじゃねぇの?」
先程から粗暴な口調の一人が、的外れな挑発をしてくる。
「――そう見えるのなら貴殿方の目は随分と節穴ですのね。……計画的にも、現実的にも……。」
「……あ"? 何が言いたい。」
おっと。うっかり素を見せそうになってしまった。悪者といえど、常に毅然として笑っていなくてはついボロが出てしまう。
……でも、まあ。……もうそろそろいいかな。
――私は後ろ手を組ながらも壁を重心に当ててその場からゆっくりと立ち上がった。
「こんな打算的な計画は時間の無駄だと言っているんです。……それに、そろそろ美味しい夕食が冷めてしまうやもしれませんので、私はこの辺りで失礼させていただきたいですわ。」
私の言葉に彼らは一瞬キョトンとし、すぐに笑い声が広間に響く。
「――ギャハハハッ! この状況で何言ってんだアンタ! 恐怖でおかしくなっちまってるぞっ! 」
三人ほど声をあげて笑っている。……何とも下品な笑い声。そして的外れだ。
「安心しろよ。何もすぐに引き渡すわけじゃない。その前に優しく可愛がってやるからよぉ? ――ギャハハハッ!! 」
――――この男……。――――
……目も完全に慣れたし、身体の感覚も戻った。これならもう充分に動けそうだ。私としてもこれ以上長居する気はない。
彼らに発した言葉は本心だ。今日の晩御飯は大好物のホワイトシチューなのだ。何としてでも食べねば。……食べたい。
「――大変申し上げにくいのですが……」
私は「すうっ」と息をつく。
「生憎、誘拐には慣れておりますのでこの程度では微塵の恐怖も感じません。見たところ貴殿方程度の相手ならこの場を切り抜けられると判断しましたし、そこで伸びておられる能天気でお喋りな人の会話のお陰でこの場所の大体の位置も把握できました。
よって、とっととこの茶番を終わらせますね。」
一方的に笑顔でつらつらと会話を並べ立てる私に盗賊たちは呆気に取られていた。
私は構わずにそのまま通路へと足を前に踏み始める。
すると私が外へ出ようとしていることを察した近くの者がハッと我に返ると、すれ違おうとする私の腕を掴みに来た。
「お、おい待てっ! 何勝手に動いて……――」
「――――邪魔よ。」
私は笑顔を止め、冷たい目と声で言い放つ。……とゆうか、縛られたまま腕捕まれるのって割かし痛いな。
急な口調の変貌に彼らは全員固唾を飲み、射竦められていた。……頭目以外は。
「……フッ。――ハハハハッ! こりゃあ良いっ! 何だあんた、まさかそっちが本性か? ハハッ、最高だ! とんだ腹黒王女じゃねぇか。」
何がそんなにお気に召したのか、我慢できずに突然吹き出したイーサンはお腹を抱えて笑っていた。
「――『神の御子』ってのは随分面白ぇ奴だったんだな。もう少しリサーチしとけば良かったか。……ふう。けどな、オヒメサマ? こんなとこまで来て俺らも弱ぇ奴は揃えちゃいない。
女一人どうにかできるくらいは朝飯前だ。……アンタは俺らから逃げられない。」
――今さっき貴方が殴り飛ばした男は果たして強かったのだろうか……。
しかしハッタリはかましていない。本心から言っているのだろう。……まあ、普通はこんな王女一人どうにかするなんてワケないか。
原作でもこの男は主人公の好敵手にあたるくらい、特に強かった。
――けれど私は残念ながら「普通」ではない。
「いいえ。私はこの場を難なく切り抜けることができる。……そして貴方たちはもうじき到着する衛兵によって、あえなく捕縛されることになるわ。」
敬語を止めた私の言葉に自信が含まれていることに不信感を抱いたイーサンは眉を潜めている。
「……何を根拠に言ってやがる。」
「そんなの決まってるじゃない。」
愚問だと言わんばかりに私は爽やかに笑顔で宣言した。
「――私には貴殿方が失敗する未来が視えているからよ。」