2.神の御子
――少し昔の話をしてみよう。
遡ること十数年前、その王女は生まれた。
昔から男ばかり生まれてきた王室にとっては珍しい姫ということもあり、王女は周囲から大層可愛がられていたそうな。
――初めはただそれだけだった。次第に彼女の本質に気付いたのはそれから三年後のこと。
最初に違和感を覚えたのはお付きの侍女だった。王女は赤ん坊の頃から時折一人でおしゃべりをしているような仕草していたことから、子供が故の振る舞いだと思っていた為に見落としていたらしい。
王女がちゃんとした言語を覚え始めたことで、彼女が認識をもって「誰か」と会話をしていると気付いた侍女は魔法の類いかと思い、いつも誰と話しているのか聞いてみた。
すると当時の王女は子供らしく偽りのない素直な表情で『神様!』と答えたのだ。
王女は「神様」と会話をしているという。
他愛のない話をし、たまに未来の事まで教えてくれるのだと。
初めて聞いた頃はまさかと思い、ままごとの一種かと思われていたが、そうではなかったことが直ぐに三度程証明された。
一度目は当時、この国と商談を進めたがっていた国について。その国は軍事力も弱く、環境にもあまり恵まれていない目立たない国だったため、彼等が藁にもすがる想いで献上した鉱石にも大した価値はないだろう。と国王たちが商談を断るタイミングだった。
しかし王女はその鉱石を神様から「未知の原石」だと聞かされ、それを国王に伝えてから暫くして本当に鉱石が新種の美しい宝石となることが分かり、後日商談を受け入れることで互いの国にとっても大きな利益となったのだ。
二度目は他国の戦争の火種がこの国にも飛んでくると告げられ、半信半疑ながらも国王や大臣たちは一応警戒体制をひくこととして手を回すなか、その後本当に先を読んでいなければこの国まで戦地となってしまう事態となりかけてしまい、王女のお陰で九死に一生を得ることとなった。
三度目はある貴族の子供が暗殺されることが分かり、王女は直ぐにその事を伝えた。それから間もなく暗殺者がその子供を狙おうとしている現場を取り押さえ、ここまでで王女はかなりの人の命運を導いてきたこととなる。
――古くから伝わる伝承には神の力を授かった者が存在していたということもあり、魔法の存在が認知されるこの世では王女の不思議な力を信じざるを得なかった。
そしていつしか周囲はその王女の存在を、神力を授かりし『神の御子』と呼ぶようになったのだ……――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――そして現在。
「……リディア様だ」
「今日も素敵……。」
道行く人々がその存在を目に留める度にうっとりとした表情で眺めている。
リディア・ディ・オリエントはこの王国の第一王女だ。
その立ち振る舞いは可憐で慎ましく、幼い頃から変わらない穏やかな笑みは崩れることもなく、誰に対しても心優しいと評判のお姫様。
賢く優秀で特に芸事には突出した才能を持つらしく、彼女の奏でる楽器はどんな演奏家にも優るとも劣らない。との噂もある。
更に彼女は『神の御子』として特別な存在であるためか、この国で彼女を知らぬ者は滅多に居なかった……――。
…………と、いうのが私の主な紹介内容。……らしい。
可憐? 優秀? ……いやいや、これは只の外面。
中身はつまんない二週目庶民ですよ。
《・・・・あと腹も黒い。》
ーー失礼な。
この開き直った性格はさておき、私はこの世界では《神の御子》と呼ばれる王女として過ごしている。
最初は現実味を帯びなくて順応するのに苦労したが、この頭の中だか精神世界だかでいつも勝手に話しかけてくる誰かさんのお陰で割と今世に慣れることができた。
…………ん? この世界や今世ってのは何かって?
それは私が生まれるのは二度目だということだ。
そして最初とこの二度目で生まれた世界そのものも違うということも含まれる。
つまり私は転生者ということになるらしい。
神の御子の力云々のからくりもこの辺の事情が関係している。
……まぁそれは追々話すとして、昔話はひとまず置いておこう。今はあの小姑風の兄をかわしてでも行かなければならない用が私にはあるのだから。
と、長々とそんなことを考えている内にいつの間にか目的地まで来たようだ。
私室から徒歩五分余りのところにある王宮の敷地内……緑と色とりどりの花々の咲く庭園へ。
「――っ、姉様!」
私は庭園の中心にあるガゼボへ……――あの子との約束の目的地に辿り着いていた。
椅子に座っていたその声の主は私の姿に気付くとすぐに立ち上がり、笑顔で駆けてきた。
「ルクス。待たせてごめんね。」
「いいえ! 僕も今来たところですのでお気になさらないで下さい。」
遅れてしまったことに申し訳なくなった私に対し、その少年は全く気にしていない様子だった。
第三王子のルクス・ディ・オリエント。14歳。
明後日で15歳の誕生日を迎える、私の年子の弟。
白金色の髪と硝子の瞳はアレクセイ兄上様の幼少期に瓜二つ。だけどあの小うるさ……もとい、生真面目な人とは対極に、控え目でおとなしく草木や花々が好きな優しい性格の男の子に育っていた。
まだあどけない幼さが残るけれど、最近は剣術の鍛練にも精を出しているみたいで……父譲りの才能をみるみる発揮していると評判らしい。私も密かにこの子の将来を楽しみにしていたりする。
前の寂しい人生と違ってこんな可愛い弟ができて嬉しい!
《・・・・兄はどうした。》
ーー小姑の間違いでは?
「ルクスは相変わらずここの庭園が好きね。」
私はルクスとの会話を進めた。
「はい! ここに居ると、とても落ち着くので。……それにこの庭園の花は姉様と同じ優しい香りがするので……まるで姉様と一緒にいられるような気がするんです。」
「えへへ……」とルクスは人差し指で頬をかきながら控えめに微笑み、嬉しそうに答えていた。……か、可愛い。
「ね、姉様……?」
気付けば私は自然と弟の頭を撫でていた。……こんな天使みたいな笑顔に加えてそんな嬉しいことを言われたら、きっと誰でもこうしてしまうだろう。
年齢は一つしか変わらないけど私はルクスの身長よりほんの少しだけ高いので、ついこの子の頭を撫でたくなる。
ルクスは戸惑いながらも心地よさそうに大人しく私に頭を撫でられている。まるで子犬の様だ。ひとときの憩いの時間だ。
こんなに可愛い生き物を前にするとついつい……こう、頭をわしゃしゃしゃー!っと、撫で回したくなる衝動に駆られるのだが、そうするとこの子のサラサラな髪がぐっしゃぐしゃになってしまうし首を痛めてしまうやもしれないのでぐっと堪えた。危険な衝動である。
「そういえばルクス。明後日は貴方の生誕パーティーね。当日私は会場内には入れないけど、扉の前までなら行けるから見送らせて頂戴。」
「本当ですか!? わあ、嬉しいです!」
ルクスの表情が先程より一層明るくなった。よほど誕生日を迎えるのが楽しみだったのか、私の言葉に嬉しそうに反応していた。……近頃は王子教育にも熱心に励んで、その立ち振る舞いも大人っぽくなっていると思っていたけれど……こういう所はまだ子供だなぁ。
私としても可愛い弟の生誕パーティーは参加したい。本心はルクスの晴れ姿を一番近くから眺めたいのだが、残念ながら諸事情で私はパーティー会場に入れない。扉の前までなら許可が降りているので晴れ姿はその一時に拝むとしよう。
「……あ、あの……姉様……。」
ルクスは小さな声でしどろもどろと口ごもりながらも、私にあることを言いたそうにしていた。そして意を決したように私に顔を寄せ、ぽそぽそと耳打ちをする。
「…………その……僕、いつものアレをお願いしたいです……。」
アレとは、きっとアレのことだろう。
どうりで周辺にルクスの側近も衛兵の一人も見当たらなかったわけだ。……なるほど。最初からコレを頼むために人払いをしていたのね。
私はくすりと微笑んでから、こちらも侍女に席を外させてもらった。「アレ」を行う時は絶対に人目を避けてしかしないことをルクスは幼い頃から理解してるのだ。
よっぽど気に入っているのだろうか? 私の何てことない「アレ」が。
庭園には私とルクスの二人しかいなくなり、多少声を大きくしてもあまり聞こえないくらいには衛兵との距離も離れている。弟はワクワクしていた。
「姉様、姉様! 僕、『カナリア』がいいです!」
「ふふ。ルクスは本当に好きね。」
「もちろん、全部好きですよ? けれどアレが一番落ち着きます! ……僕の生誕パーティーが開かれるのは嬉しいのですが、やはり緊張してしまうので……。」
どうやら明後日のパーティーの緊張をほぐしたくて私にお願いしに来たようだ。……普段から大勢の人前に出るの、恥ずかしそうにしていたものね。皆ルクスが可愛くて一斉に話しかけてくるから、人見知りのこの子からすれば当然か……。
「――分かったわ。じゃあ、貴方の緊張が和らぎますように……。」
私はそっと目を閉じ、手を胸に当て、すぅっと息を吸って吐きながら自分の心を落ち着かせていた。ルクスは椅子に座り直し、背筋を伸ばしてソワソワしている。
――静かに目をあけ、私は弟が好きなカナリアを披露する。
「~♪」
ルクスは私が歌い出した瞬間、パッと明るい笑顔を見せた。
「~~♪~♪」
サァーっ と風がなびいて、花たちが揺らめいている。
庭園には私の歌声だけがささやかに響いていた。
「~♪~♪」
ルクスは私の声に耳を澄ませて心地よさそうに聴いている。
これは私が以前から歌っていた曲。聴く人の心が落ち着くようにと作った、バラード。今ではルクスのお気に入りの一曲となっている。
ルクスには私の歌が心地のいいものになっているみたいだ。
――前世では届かなかった、私の歌が……――。
「!」
《――ポゥ》っと、私の身体から光が現れる。
ルクスは光を確認すると優しい瞳で小さく微笑み、その光景を眺めていた。
光はそのまま粒となってルクスの身体にスゥ……っと入っていき、彼は先程より穏やかな面持ちになっていった。
――――私には、自分でもよく分からない不思議な力がある。
それは歌をうたう時だけに発言する金色の光。
幼い頃、この世界に生まれてから初めて歌ったときにこの光が現れた。
最初は魔法の一種かと思ってちょっとテンション上がったけれど、書物を読み漁ってみてもこの現象を説明してくれそうな文献は見つからなかった。
そもそもこの世界での魔法というのはそれを生まれ持った魔導師や神官にしか使えないものであり、そうではない人種の私たちはその魔力が込められた道具を便利に使用させて貰っているという仕組みだ。
なので、魔法の血筋ではない私には宿らないはずなのだ。
その時までは一人で歌っていた。体が光るのは何故なのだろうかとずっと思っていたけど、この光に力があると判明したのは、ルクスが3歳の時だったような。
転んで膝を擦りむき、泣いてしまったあの子をなだめるために私はこの世界では存在しないであろう「おまじない」を歌った。
「いたいの いたいの とんでいけー」と。
慰み程度の感覚で歌っただけなのだけど、そしたらやっぱり私の身体が光り、加えてルクスの擦りむいた膝から流れていた血が止まり、あっという間に傷が治っていったのだ。
その後も歌う度にそれを聴いた相手の身体の傷や疲労を癒すことができることを知り、このことを知るのは亡くなった母様と、ルクスと、もう一人を加えて三人が知る秘密となっている。
……この頭の声の誰かさんも合わせたら四人?
秘密にしているのは娘を思っての母様の希望だった。私もその方がいいと思ったので母様が亡くなってから今に至るまで公に公表していない。ルクスたちも誰にも話さずにいてくれてる。
母様はこの力は私が『神の御子』だからではないかと言っていたことがあった。
……まあ実際、私は神様の力で生まれたのだけど。
でもそれは予知云々の出来事から知らぬ間に言われたことであって、私自身は平凡なはず。……もしやこれが本当の神力だったりして……、なんてね。
うん、今はまだ分からなくてもいいや。
不思議は残ったままだし前世では何もなし得なかった特技だけど、今度はこうして純粋に聴いてくれる子がいる。心が安らぐと言ってくれた人もいる。今は、それだけでいい。
《・・・・それがよもや、あのような事が起きようとは……という展開がありそうだな。》
――ちょっと黙っててもらって良いですか。