1.その王女は転生者
――とある王国のとある王宮にて。その少女はいつも通り静かに宮内を歩いている。
透き通るように煌めく白銀色の長い髪を靡かせながら、神秘的な翡翠の瞳を瞬かせて……。
少女は普段と変わらない穏やかな表情で散歩をしていた。
道行く人が少女を見て振り返る。
それは彼女に気付いたほぼ全員に当てはまることだった。そのくらい、少女は存在感のある雰囲気があったからだ。
そして当然存在感だけではなく、少女はこの王宮にて知らぬ者はいない人物でもある。
「……! あっ……。」
王宮の渡り廊下で ――スッ……っと、少女の靡く髪に気付いた者がその方向へと振り返り、小さく声をあげる。
その者は少女の姿を目に留めた瞬間に頬を赤らめた。手元の資料を見ていたせいか、まだ気付いていないであろう隣にいた友人にも彼女の存在を教えた。
「……おい、見ろ。 リディア様だ。」
そこでようやく顔を上げた友人も気付き、少女へと振り返った。
「! 本当だ……。今日もお美しいなぁ。」
王宮の誰もが知る存在であり、その美しい容姿に必ず見惚れてしまう。男女問わず羨望の眼差しを浴びる人物。
このオリエント王国の第一王女。それが彼女。
リディア・ディ・オリエント姫殿下だ。
もうじき16の歳を迎えるとはいえ、実年齢よりもやや大人びて見える魅力的な美少女でもある。
「俺、ご挨拶してくる。」
「あっ、ずるいぞ。俺の方が先に気付いたのに!」
男達はどちらが先にリディアにご挨拶をするかで揉め始めていた。
《 ・・・・ナンパのノリだろうか。》
「「....あ。」」
ふと、二人の声が重なる。くるりと、リディアが彼等の方へ振り返ったからだ。そこまで距離も離れておらず尚且つ視線を感じたからだろう。彼等の存在に気付いたリディアは気付かれて慌てた二人よりも早く……、
――にっこり。
と、普段通りの穏やかな優しい微笑みを向けた。
(!? どきゅ――――んっ!!)
すると彼女の癒しスマイルに秒で心を射ぬかれた二人はその場で身体が直立不動に固まったまま、とっさに挨拶の言葉をのべた。
「お、おぉ、お、王女殿下っ! 本日もご機嫌麗しゅうございますっ!!」
「ございますっ!!」
一人が固まりながらも震える声を必死に出し、お辞儀をする。続いてもう一人は更に動揺していたのか、最後の言葉を真似て言うだけになってしまった。
この国の制度がもう少し厳しい法で縛られていたならば減点対象であっただろう。優しい国で良かった。現に、リディアは特に気に留めない様子で声をかけた。
「ごきげんよう。ターキル卿、ベルン卿。」
自分たちの名を呼ばれた二人は驚いて咄嗟に顔をあげた。
「わ、我々の事をご存じでおいでですかっ!?」
「勿論です。お二方は我が国の王宮書士として日々励んでおられますもの。そんな大切な方々を覚えていないはずがありませんわ。」
リディアは人目見ただけで殆ど面識のないはずの彼等の名と職を自然に言い当てた。
因みに先に彼女の姿に気付き、挨拶をする勇気が中々出なかった結果、片言の挨拶をしてしまった方がターキル卿で、後から気付いて恥じらう友人を茶化した結果、最終的に不意打ちの動揺で言葉足らずな挨拶をしてしまった方がベルン卿である。そして二人とも貴族階級は子爵だ。
「いつもご苦労様です。それでは。」
「はいっ!」
リディアはそのままゆっくりと元来ていた方へ向き直り、歩いていく。いつものことながら彼女の王女スマイルは効果テキメンである。
二人は去っていくリディアを見つめながら恍惚の笑みを浮かべ呆けていた。
《・・・・お前たちは女子か。》
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――リディアはその足で王宮の庭園を囲む渡り廊下へと訪れた。外の景色をゆったりと眺めながら歩くリディアの前に、今度は一人の青年が無骨に声をかけてきた。
「相変わらず人を手込めにするのが上手だな。」
今のやりとりを見ていたのだろうか。その青年は仏頂面で手厳しい一言を放った。はたから聞こえれば嫌味である。
「――あら、兄上様。」
リディアはその声の主に気が付き、にこりと微笑んだ。この無愛想な青年は彼女の兄君だ。
王国の第二王子、アレクセイ・ディ・オリエント。
年齢は21歳。肩まで伸びた輝く白金色のサラサラ髪でガラスの様に綺麗な瞳の持ち主。
王国随一の眉目秀麗、宰相にも負けぬ頭脳明晰ぶり、剣の腕にも抜かりはない、美しき完璧超人たる人物。
部下や国民からは厚い信頼を寄せられているが……生真面目が祟ってか、少々疑り深く厳しい性格なのがたまにキズ。
兄は王族らしく今日も補佐官や護衛騎士数人を引き連れていた。
「……まあ、ふふ。手込めにするだなんて……。兄上様こそ相変わらず意地悪なことを仰るのですね。」
「ふん、本当のことを言ったまでだ。お前の笑顔は……胡散臭い。」
優雅な所作で微笑み、落ち着いた口調で話すリディアを前にアレクセイの側近や護衛たちは不意打ちに頬を染めてしまう。そんな妹にアレクセイはすかさず再び手厳しい一言を放っていた。
「あら、心外です。……少なくとも、誰かさんよりは上手に笑えているかと存じますわ。」
リディアは兄の言葉に1ミリもダメージを受けていない。指摘された笑みも寸分違わずいつもどおり穏やかな笑みだ。そして何やら含みのある言葉を返している。
「……無駄な笑顔を振り撒く必要はないだろう。」
《 ・・・・では一体どうしろというのか。》
この兄妹の温度のありそうでなさそうなやりとりは日常茶飯事だ。そして二人に悪気は一切ないため、喧嘩になりそうでならない。その為、互いの後ろに控えている侍女や護衛たちはこの独特な空気感にヒヤヒヤしている。
アレクセイはリディアを一瞥して溜め息を吐いた。
「……それよりリディア。いい加減、自分の正式な側近を一人くらい付けろ。宮とはいえ傍に置く者が一介の侍女だけでは王族として危機管理が足りんぞ。」
リディアはきょとんとした表情で、自分のすぐ後ろに控えている一人の侍女を見る。
侍女は申し訳なさそうに萎縮していた。リディアは彼女以外に人を連れていなかった。
「城下に出たことがない世間知らずとはいえ、宮が必ずしも安全とは限らないからな。……それに、お前は特に身の安全に注意を払わねばならんだろう。成人も近い。いい加減、腕の立つ騎士を一人くらい付けておけ。必要なら俺の護衛をお前に――……」
「申し訳ありません。」
くどくどと放たれるアレクセイの言葉を途中で遮ったリディアは、いつもより更に満面の笑みを向けて言い放つ。
「ご厚意は大変有り難いのですが、私は兄上様のように何人もぞろぞろと人を連れて回れるほど大きな人間ではありませんので、私の人見知りが少しづつ改善されていきましたらその時はきちんと傍に置く騎士を選ばせていただきますね。」
にっこーっと、笑顔だけ見れば多くの男女が見惚れてしまう可愛さだが放つ言葉は辛辣を少しだけオブラートに包んだだけである。
確かに、リディアには正式な側近がいない。たまに会談の際に兄や弟の護衛から人を数時間だけ借りるだけであった。そのせいか普段の付き人はいつも第一王女付きの侍女だけである。いつも三人以上は連れて歩いている兄と違って、確かに心許ない。
最も本来ならば王族ともあれば必ず護衛を付けなければならないが存在だが、リディアは珍しく王宮の外に出ることは殆どなかった。普段から城の中でのんびりと過ごしている。
その為、護衛を付けずともさほど指摘されにくいのである。彼女の兄を除いては。
アレクセイの注意を軽やか(?)にかわしたリディアは、自分があっさり断ったことで更に仏頂顔になった兄をよそに庭園の方へ向かい始める。
「――っ待て、リディア! まだ話は終わっていないぞっ!」
「ごめんなさい、兄上様。私これから誰かさんと違って素直で可愛い弟に会いに行く途中ですの。お話はまた日を改めて、失礼致しますわ。」
どんなことを言われても、寸分違わぬ微笑みで嫌味を言い返したリディアはその場を後にする。
《・・・・うむ、このやりとりが面倒だったのだろう。》
「……っ! 全くあいつは王族としての素養が欠けている!」
「まぁまぁ。アレクセイ様。リディア様は自由を好む気質ですが、ご自分のことはきちんと考えているお方だと思うので……。」
リディアの奔放な態度に機嫌が悪くなるアレクセイを、傍に控えていた補佐官がなだめていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
後ろでまだ兄が何か言っているようだがリディアは特に気にせず歩みを進めていた。
――やっぱり側近って必要でしょうか……?
《・・・・立場上であれば必要な権利だろう。》
ーーでもそうしたら私、動きにくくないですか? 行動、制限されちゃいますよ。話すわけにもいかないですし。
《・・・・本当にやり遂げてくれるのか? 》
ーーえぇ、やりますよ。……だってそれが条件でしょ?
《・・・・相変わらず見た目に反して逞しい心を持った娘だな。》
ーー前回の経験が生きてるんです。……あと、いつも思うんですけど……時々人の頭の中で解説やツッコミを入れるのは止めてくださいね。貴方の声は私しか聞こえないんですから返しに困ります。
《・・・・これは失礼した、いつもの癖でな。いやな、こういった語り部があってこその、物語世界の醍醐味だと思ってな。
しかしさすがにもう疲れてきたな。代わってくれるか?》
ーー飽きるの早いですね。……分かりましたよ。ここから先は私が語っていきます。なのでしばらく私の頭の中だか精神世界だかで休んでいてください。
……ちゃんと見守っていてくださいね? ……カミサマ。