19. 転生王女は賭けてみるーⅠ
――時刻は二十一時を過ぎた頃。夕げを済ませてから二時間ほどが経過していた。
ここは……王宮内にある私室の中ならば、一番広いといえる部屋だろう。
扉を開けて直ぐの応接間から既に広い空間だ。
私はその部屋の主を護衛する側近に誘導され、その奥へ続く執務室に訪れていた。
白い壁に金の装飾。赤をベースにした高級そうな模様の絨毯。天井には大きな金のシャンデリア。長方形の長く大きな窓とカーテン。……デカイ本棚、高価な絵画。……はぁ。
…………広い。無駄に広い。
執務室に入ってその政務机までに何歩歩けばいいのだろう……。確実に二、三歩の倍の倍以上は進まなくてはならない。
――流石は「国王の間」である。
私がその人の前まで来ると、誘導してくれた側近の人が丁寧に私たちにお辞儀をしつつ執務室を出て扉を静かに閉めた。……どうやら既に人払いの命でも出していたのだろう。
これで、この部屋にはかの国王とその娘の二人だけとなった。
「――賭け……だと?」
「はい。父上様。」
今しがた発した私の言葉に父は意図が汲み取れず、怪訝そうな顔をしていた。
……うーん。立ってるだけでも威厳溢れているのに、眉をひそめている姿も合わさると迫力満点だ。
私はドレスの裾を摘まみ、優雅に礼をしてみせた。
「――先程は大変失礼いたしました。
……ですが、この件に関しては私も諦めるわけには参りませんわ。なのでこれからする「勝負事」に私が勝てば……当初の約束通り、成人の生誕日を節目に宮から自由に出る許可を下さいませ。」
この申し出に、父は目を見開いた。……このような手段に出るとは思わなかったのだろう。
入ってくるなり夕げでの論戦の続きをするものかと思っていたら、突然藪から棒に私が勝負で片を付けましょうと発言したのだから。
「私が負ければ、父上様の言うことには何でもきちんと従いますわ。」
私は姿勢はそのままで、静かに顔をあげて柔らかく微笑んだ。嘘はついていない。
……負ける気もないけど。
すると父は疑問を投げかけた。
「……ほう。私の言うことに従う……と? 随分と範囲が広そうだが。」
私は笑みを崩さなかった。……聞くよ? 負けたらね。負けないけどね。
父は私の目を見ながら、暫く考える素振りで横を向いた後、直ぐに視線を戻して頷いた。
「――……いいだろう。
その賭けとやらに乗ってみよう。」
「ありがとうございます。父上様。」
……よし。受けた! これで言質は取れたし、勝敗がどう転ぼうとも父は約束を守ってくれるだろう。
この人は勝負上での約束事は必ず守る。漢だから。……普通の約束も守ってほしいものだけど、今回は仕方ない。だから私も最終手段に出るのだ。
父は私の存在をよろしく思っていない。
そんな私がこれからは大人しくするというのだからこの賭けは父にとって魅力的に映るだろう。
「――して、夜も更けた時間に何をするというのだ?」
こんな夜更けに外で取っ組み合いの親子喧嘩をするつもりなんてないしそれも嫌。
今は十月の中頃……。秋とはいえ、この時間の夜は少し冷えてしまう。
おまけに刻限は就寝前……。食後のタイミングでも出来ることにしては、アレは丁度良いだろう。
日を改めるなんてことはしない。多忙の彼が時間を空けている合間に済ませてしまおう。
父の問いに私は悪戯げにふっ……と笑い、こちらから見て政務机の左横に配置された「あるもの」へと手を前に翳した。
「――そちらに勝敗を託す……と、いうのは如何でしょう?」
私が指定したのは……一つの遊戯具。
二人専用テーブルの上に置かれた、木製でできた正方形のマス模様の盤。その上に綺麗に定位置へ並べられた、白と黒の二色のチェス駒……。
私の手の方向とそのチェスボードと、交互に視線を向けた父は一瞬驚いた表情を浮かべるが、私が冗談を言っていないと察すると思わず笑みを溢した。
「……ほう? チェスか。……リディアよ。相変わらずお前は予測の付かぬ娘だ。
この私の特技の一つがチェスであると知っていて挑もうとするのか?」
父が確かめるのは当たり前だ。……この人はチェスが特技どころじゃない。
この国でも、各国ですらその腕前は随一と謳われているチェスの名手なのだ。
現代風に言っちゃえばチェスの世界チャンピオンに等しい。世界一が身近にいるよ。凄いよね。
普通の頭で考えれば誰が聞いても確実に無謀だなんだと、正気を疑われるほど私はおかしな人になる。……私はいつでも正常運転です。
だけどこのくらいしないとこの人の考えは絶対に揺らがないだろう。
よって私は父が絶対的な腕と自信のあるコレで文字通り白黒を付けようと提案するのだ。
……今気付いたけど上手いこと言った訳じゃない。
こういう人には、己の自信のあるもので挑んだ方が効き目があるのだ。
「勿論ですわ。父上様。これならば、私の声にも耳を傾けて下さいますでしょう?」
「嘘つかないよね?」と笑顔で念を押す私に、父は佇んでいた窓辺からおもむろにチェステーブルへと足を向け、椅子に腰をおろした。
「……座りなさい。」
――……ゲームスタートだ……。
――東の大国に君臨する現オリエント国王。
アウグスティヌス・ディ・オリエント。……アレクセイとルクスより濃い色の金髪に紺碧の瞳の人。
年齢に関わらず、昔からその屈強たる身体と佇まいに厳格な立ち振舞い。
剣と武と知の才を生まれ持った……この国の、絶対的に偉大たる人物。
公務では厳しく、時に柔軟に。人とは真摯に向き合う。それ故民に信頼され、臣下に慕われ、彼を支持する声は後を経たず、常に国のことを重んじる……。彼は紛れもなく良き王様だろう。
兄たちも幼い頃から父自らが教育していたためか、彼らは父の背中を見て育ってきた。
才能に期待しているからか、息子だからかは分からないけど……普段ほぼ変化を見せない表情も、子供に対しては時折優しい目を向けることもある。
アレクセイは父を尊敬しているし、シリクスも何だかんだで嫌ってはいないだろう。
…………私は、これまで父に優しく接されたことなんて……ないけれど。
――コトッ。
「……ほう。中々悪くない手だ。」
「恐縮ですわ。」
私たち以外誰もいない静かな執務室では、互いのチェス駒を置く音だけがしていた。
白の駒は私、黒の駒は父。序盤はいたって他愛ない選局。一手一手を基本から抑えていこう……。
父とチェスなんてするのは初めてだ。兄たちは遊戯は勿論のこと、鍛練や狩猟などして共に過ごすことは多いみたいだけれど、……まぁ性別が違えばそうなるだろう。
元来、父と息子はアウトドア。母と娘は毎日女子会。みたいなものだし……。あくまで個人の見解だけどね。
というより、父と会話以外をする事自体が初めてなのだ。案外この人と私は接する機会がない。
……最も、自発的に私が遠ざけているのが大きな点ではあるけれど。
「お前がチェスを嗜んでいたとは知らなかったな。」
父はそう言いながら駒を置いた。
そりゃ知らなかったでしょう。この世界ではまだ実際に披露したことなかったからね。
「以外……でしょうか? 平和的解決ならば父上様に対してですと、コレしかないと考えたものですから。」
私はそのまま駒を進め、控えめに笑った。
「それで私が得意とするチェスでの賭けに出たということか。お前は中々に勝負師だな。……それほどまでに外に出たいか?」
出たいですとも。何年がかりで対策を練ってきたと思ってるの。何のトラウマもない、いたいけな少女が一生外に出たくないなんて思わないわよ。私は生前からアウトドア派だ。
「私も独り立ちの準備をしなくてはならない年頃です。いつまでも誰かの比護を受け続けるだけでは、人間的な成長が見込めませんもの。
王女として、娘として、立派な人間になるためにご理解願いたいのですよ。――父上様。」
父の手は駒を進めつつも、私の言葉を静かに聞いていた。……少しは分かってくれたかな? 大分大袈裟に良い子ぶってみたけど。
すると、父はすぐに不満げな表情を現した。……あれ、何かおかしな事を言っただろうか。
「……私が勝った場合、試しにまずはその余所行きの呼び方を直せと言ってみるとしよう。」
え、そこ? ……兄といい、父といい、そんなに上様呼びが嫌ですかね……。最上級の敬意を現した呼び方だよ?
まぁ昔は砕けた呼び方にしてたけど、今はもう呼ぶ気にならないし……。
負けたら呼び方戻されるの? 絶対嫌だよ。
「――それにしても、今回の件は随分と固執しているようだ。お前は何事にも執着しない性分だと思っていたが……。」
……あぁ、やっぱり気になりますか。普段は私に興味の片鱗すら見せないくせに。
「父上様こそ、何故そこまで頑なに外出の許可を下さらないのでしょう。」
「それは分かっているだろう? お前が《神の御子》だからだ。大きな力を持つ者は、それ相応に身を守る必要がある。」
……つまり私の中の神力が大事だと言ってるようなものね。力と私は切り離せないから、私ごと閉じ込めておく必要がありますもんね。
「しかしあと7日も経てば私は大人の仲間入り……。もう幼くはありませんし、己の身を守る術も知恵も、ある程度身に付けておりますわ。
……今回は賊に後れを取ってしまいましたが、いざというときには神のご加護が働くということも判明しました。
今一度、前向きにお考え下さってもよいのではありませんか……?」
私は柔らかく落ち着いた声で父を諭してみた。……冷静に、冷静に。
的確に言葉を選ぶのよ。……ほらほら、安全対策はバッチリだよ。少しくらいならいいよね? 城からほんの数キロくらいなら許してくれてもいいんじゃないの?
ここで説得できれば楽なのだけど……。
「それもそうだが………………――いや、やはりダメだな。認めるわけにはいかん。」
……そんなに私は信用なりませんか。
――カツン……ッ!……
思わず強く駒を置いてしまった。……父が音にピクリと反応してこちらを見た。
……ダメだよ。ダメダメ。この頑固ジジィとか思っちゃ駄目。ここで声を荒げちゃ、只の我が儘になってしまう。
落ち着いて。とりあえず心の中で深呼吸だ……。
選局も段々厳しくなってきた。まだ本気を出していないみたいだけれど、やはり父は強い。
私の駒も取られてきたし……、勝てるだろうか……。
「――父上様こそ、固執されていますよね。」
私がぽつりと呟いた一言に、父は少しばかり眉を潜め、同時に駒を盤の上に置こうとした手前でその手が止まった。
「……他の国ならばともかく、不自由を憂うこの国で……王女が民とふれあう事のない生活を続ければよろしくない噂が出回りますもの。」
この国は平和自由主義なんですよ。
「それに今回のように宮内に賊が忍び込む自体も、いずれは起こるべく事だったかもしれません。
…………だからこそ、アレが造られたというのに……父上様は一向にアレを私に渡す素振りがないのですね。」
その言葉に父は駒を盤の上に置いた後、驚いたようにゆっくりと私を見た。
「……知っていたのか……。」
知らないとでも思ってた?
「父上様は、そんなに私を篭の中から出したくないのですね。」
――私は、父の目を真っ直ぐ見つめ返した。笑わず、真剣な声で、冷静に。
父は何か言葉を発しようとした様子だったけど、堪えるようにぐっと口を閉ざした。
……けれどここで諦める私ではない。
そっと盤の上の駒を右手で持ち上げた私は、父の方へ悪戯っぽく、くすっと笑ってみせた。
――……カツン……。
おもむろに置かれたその駒の位置を確認した父の表情に、陰りが見え始める……――。
「――チェックです。」




