9.月明かりの夜にーⅡ
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「――お待たせ致しました、リディア様。お食事をお持ち致しました。」
リーナが夜食をワゴンに乗せて再び入室する。
私は既に起き上がり、肩にブランケットを羽織って待っていた。
私の身体を気遣ってくれたのとルクスのうたた寝を邪魔しないでおこうと思ってくれたのか、リーナたちは私のベッド上にサイドテーブルを用意してそこに食事を並べてくれた。
部屋の照明を付けるとルクスを起こしてしまうなぁ。と思った私は弟の可愛い寝顔を優先することにし、ベットサイドに備えられてる照明だけ灯してもらうことにした。ルクスには毛布をかけてもらった。
……そして私は食事を摂ろうとソレを視認した瞬間、思わず感極まった。
「――こ、これはっ……!?」
薄暗くても私にとってはキラキラと目映い後光が差している……!
――食欲をそそる香り、白く綺麗なクリームスープ、コトコトと煮込まれた色とりどりの野菜たちとお肉。……こ、これはまさしくっ……!?
「本日の夕食メニューのシチューですわ。」
不意打ちのサプライズに嬉しさを隠しきれなかった私に、リーナが微笑ましそうに答えた。
誘拐の件は格別気にはしてないが、今日に限って夕げを逃してしまったことに関しては物凄くショックを受けていた。
だってこればっかりは何度食べても飽きない、私の大大大好物なのだから。
私は普段からあまり人前では感情の起伏を晒すことはない。けれどこの面子ならまぁいいかな、と頬の緩みを抑えずに目をキラキラさせている横でリーナと彼が会話を進めている。
「――すみません、色々とありがとうございました。後は自分に任せて頂いて大丈夫です。」
「畏まりました。それでは奥の間で控えておりますので、何かございましたらお申し付けください。」
リーナは丁寧に「では失礼致します。」とお辞儀をしてから席を外していき、私の部屋では彼と私の二人になってしまった。(あとルクス。)
リーナが出ていくのを確認した彼は静かに口を開いた。
「――相変わらず好物は変わらないんですね。」
「あら、ダメかしら? 」
「いいえ、私もシチュー好きですよ。」
「貴方は確かビーフシチュー派だったわね。」
「覚えてくださっていたんですか?」
「そんなにやわな記憶力じゃないわ。」
何気ない会話に、少しおどけて見せた私に彼は口元に軽く手を当て、くすくすと控えめに笑っている。こんなにゆっくり話すのは久しぶりだな。
「――それで? 貴方の用事を聞きましょうか。」
「あ、そうですね。私が訪問した理由は……――」
……やれやれ。まだその口調で話す気だろうか。
「敬語はもういいわよ? ……アレン。」
部屋には私と彼。……ルクスはいるけどまだ寝てるし。(にしても起きないなぁ。)私たちの間には畏まった礼儀は必要ないと子供の頃に決めている。
彼こと……――アレンは、私が許可すると静かに微笑んだ。
「分かりました。では失礼して……――話すのは久しぶりだね、リディア様。」
「ええ。」
様呼びはそのままなのか……。
私はさっきうっかり「レン」と呼んでしまったけれど、この人はちゃんと徹底しちゃってて……何かズルい。
――彼はアレン・ラセル。17歳。
実家は代々男爵家に仕えてきた平民家系の青年だ。
茶色の髪と琥珀の瞳に、纏う雰囲気はごくごく平凡だけれど顔立ちはよく見たら中性的ともいえる。
何というか……実は整った容姿をしているのに、ぼやぼやしてるせいで気づかれないタイプかもしれない。
そして実はちょっと凄い人。平民ながらも剣術の才能を見込まれて、14歳で騎士学院に推薦入学をしている。
その後見事に首席で卒業を果たし、この春からは第二王子・アレクセイ兄上様の優秀な主席補佐官を務めている秀才。
平民としては出世コースの大成功例だ。
王女と平民ということで身分的に中々会うこともなさそうな私とアレンだけど、彼と初めて会ったのは私が5歳になる頃だった。
ちょっとした事を食い止めるために訪れたとある場所で彼と遭遇し、その時はこれっきりの出会いだと思っていたのだけど……その後何の因果か「第一王女付・遊び相手役」としてアレンが王城にやってきた。
希望してきた候補者の中から選出するというシステムだったけど、彼はその試験を見事合格。
私とアレンはそのまま幼少期の七年ほど共に過ごした、所謂幼馴染みという間柄だろうか……?
アレンが騎士学院に入学すると同時に私への任は解かれたけど、その名残で彼は私の部屋の入室許可証を持っている。私が返上しなくていいと言ったから。
けれど本来ならば主従でもない未婚の男女が私室に二人きり、なのは……ダメではないが少々誤解を生むことになりかねん。
しかし彼は貴族に仕える家系出身だからか執事教育も嗜んでいるため、遊び相手を務めてくれてた頃は私の執事としても振る舞ってくれていた。
そんなアレンにならお世話を任せても問題はないと、リーナたち侍女は理解してるので席を外したのだ。
それにアレンは私が唯一仮面を被らなくてもいい相手でもあるので、疎遠になるのは少々寂しい。
「……ところでそれ……その、食べられる?」
アレンは少し遠慮がちに私の左横で未だスヤスヤと寝たままのルクスに視線を向けていた。
ルクスはずっと私の左手を握り続けている。……この子は就寝時の間に一度寝たら絶対に朝まで起きない、二度寝しないタイプだ。……まぁ深夜だし、まだ子供だしね。
持ってきてもらったのはシチューと水を注いだグラスだけとはいえ、このままでは食事を摂りにくいのではと希有するアレンは、すぐに思い付いたように満面の笑顔で私に提案してきた。
「食べさせてあげましょうか?」
――何故、敬語。
「……右手で食べれるよ……。」
キラキラの笑顔を向けて……絶対面白がったな。私は彼にジト目を向けつつ、起こさないようにルクスの手をそーっと離した。
――私は貴族も平民も、身内に対しても基本は敬語で会話している。弟や侍女たちには多少砕けてはいるけど……相手にふと、キレてしまった時だけそれが外れることもあるが、いつもの微笑みは崩さないままだ。
私の素は王女らしからぬと自負している。営業スマイルを貫いた方が世渡りがスムーズにいくのだ。……だから前回でもそうしていた。
アレンとは過ごした時期が長いからか最初は線を引いていた私だけど、そこは追い追い話すとして……とりあえず色々と紆余曲折した今ではすっかり素で話してしまえるほど気の置ける友人だ。
それにまともな会話をするのは久しぶりだった。この人普段はアレクセイに付いてるからね。
卒業後の進路は家業に就くか騎士を目指すだろうと周りから噂されていたらしいけど、何故かあの堅物兄上直々のご指名を受けてこの道を選ぶことになった。
当時は宮中での話題になっていたけど、私は元から知ってたからそこまで驚きはしない。今のところ、彼に関する一番の驚きはやはり予想外のお遊び相手役の件だけだ。
アレンが就職した今では大体、アレクセイと面した時に遭遇するくらいの少ない頻度でしか顔を会わさなくなった。
元お世話係ではあっても、私は人の目がある時は絶対に砕けて話さないし、アレンもそれが分かってるからかいつも一歩後ろに下がったまま、私と兄上様とのやりとりを見守っている感じだ。
例えば今日……あ、もう昨日か。ルクスに会いに庭園へ向かう途中でアレクセイに遭遇してしまった際、いつも通り彼の後ろに控えていた。食事の際も普段通りならば昨日の夕食の場にも側に居た筈だ。結構最初から居る。
《・・・・お前の捜索時にも居たぞ。支えておった。》
神様が話している声を聞くまでもう我慢できなかったのか、私は既にシチューを口に含んでいた。
……うん、やはり美味しい。このトロトロ食感が堪らないっ! 野菜もよく煮込まれててほんのり甘いし、お肉はスプーンでほどけてしまう柔かさ! 食リポできるほどの表現力はないけど、とにかく美味しい! 食べれて良かった! リーナありがとう……!
私は脳内でリーナがにこにこ微笑んでいる姿が見えた。……そんな私の様子をアレンは微笑ましそうに眺めている。……うっ、子供っぽかっただろうか?
とりあえず、本題に入ろう。
「――こほん。……そ、それで? アレン。私への用件は何? 」
「もう済んだよ。」
…………まだ何もしてないよね??
「私……あ、いや。俺の役目は、ちょっとしたおつかいだよ。
君が健やかに眠れているか様子を見て、起きていたら食事を手配して、メニューは好物のシチューを運んで、何の問題なく食べられているか確認して、誘拐の件で実は落ち込んでいなかったか判断して、それからちゃんと就寝するまで見守ること……かな?
後半はこれから見ていかないといけないけどね。」
「…………。」
…………アフターケアが過保護すぎない?
何ソレ。どこのサービス? ……え? 食事の手配やらシチューやら……ってアレンが事前に? そういえばリーナと何か話してたな。アレってそういう……? ていうか、後半は完全にカウンセラーじゃん。医師の人が聞いてくるやつじゃん。補佐官ってそんなことも仕事の内なの? 執事に戻ったの?
何故アレンだったのだろう。子供の頃とはいえ、彼が私の遊び相手を務めてたのは4年も前なのに。
……あぁ、気兼ねなく話せるから? 適任だと判断されたのだろうか。
「誰にそんな面倒くさい業務頼まれたの?」
「……分からない?」
分かりません。
「じゃあ、内緒だよ。」
アレンは人差し指をそっと口に当てた。……うーん。父? 兄? ……いや、アレクセイはないだろう。妥当なのはシリクスか大神官様とか……。
……もういいや、触れないでおこう。
私は考えるのを止め、引き続きシチューの味を堪能していた。
「……その様子だと誘拐されたことについては全く気にしてないみたいだね。……良かった。」
アレンは柔らかくこちらに微笑んでいる。……無害そうな顔して、こういうときに不意打ち……。ルクスとはまた違った可愛らしい表情をされると流石に鼓動が軽く跳ねそうになるから止めてほしい……。
「誘拐にはもう慣れっこだからね。」
と、言いながら私はシチューを綺麗に完食した。ごちそうさまでした。
「倒れた時は皆心配してたよ。看てもらった王宮医の人によると、外傷はないから精神的ショックでは……って。」
「はは……。」
「君は身体が丈夫じゃないって話だし、更に心配されてた。」
……良い人多いな。心が痛いよ。
「また何か無茶でもした?」
……ギク。
その問いに私は内心ぎくしゃくしながら、誤魔化すようににこにこ微笑みながらグラスの水を口に含んだ。
「――……さあ、どうでしょう?」
「今回はどれを使ったの。」
……バレてたよ。
「正当防衛だから……。」
「あ、認めた。」
な!? 引っかけたなっ。
「俺にまで隠さなくていいよ? もう知ってるんだし。あの歌以外は使うと疲れるんでしょ?」
「う"……。」
「君が単に病弱ってワケじゃないことも、俺は知ってる。「力」を使っちゃったから疲労したんだよね?」
「うぅ……。」
「今日はしっかり休んでね。」
「………………はい。」
アレンは私の「力」の事を知っている。彼はルクスや母様と同じく、私の歌の力を知る人物の一人だ。
そしてもう一つ、アレンだけは神力の能力のことも知っている。
私が幼い頃に一人だとふんで神力の特訓をしていた所をうっかりアレンに見られたことがある。なので私は口封じも兼ねてアレンにだけ神力の秘密を打ち明けることにしたのだ。……何か私、やらかしてばかりだな。
だからこそ、彼は私の身の安否を普段から気にかけてくれている。……役目の事や前世については、話すことは出来ないけれど……。
と、私が少し思い出している間、上着のポケットから何かを取り出したアレンはソレを静かに私へ向けた。
「……そうだリディア様、これを……。」
「え、何……っ……?」
――ふいに近付いてきたアレンの手はそのままゆっくりと私の髪へと触れてきた。……な、何だ何だ!?
思わずたじろいでしまったからかベッドの音が僅かに軋んだ。薄暗い部屋でささやかな灯りだけが点るなか、私が突然の距離の近さに反射的に目を閉じてしまった間に、彼は目的を済ませた。
「――はい、出来た。」
「え? ……あ。」
ソレは私の髪飾りとして元の形に戻っていた。
「! これ、私のリボン?」
「代わりに届けるようにも言われたから。」
……だから誰に。
「あまり無理しちゃダメだよ。」
アレンは微笑みながらもどこか不安げな表情をしている。……その手は、私の頬に軽く触れていた。
「君は色んなものを溜め込んでいる様に見えるから……。」
「そ、そんなことは……。」
――…………な、何だこのほんのり甘そうな空気は。
アレン……いつもと同じ、穏やかそうに微笑んでるけど普段のぼややんな感じが違うような……。な、何で手、顔に触れたままなの? ちょっと距離が近いのは何故? 私は何を動揺してるんだっ!
「だからこそ俺は、どんな形でも君の傍で……――」
「ア、アレン? ちょっと近い……。」
……待て待て待て、近い近い近い! 何かを訴えかけるような真剣な瞳に私はいたたまれず、何となくアレンとの距離を離そうとするも、頬をホールドされては二人の間に両手で壁を作ることしかできない。
ちょっと、アレンくん? 何を考えてるの? ……これでは迫られてるみたいになってしまうじゃないか!
「――ナニをしているんです?」
「「 !? 」」
この妙な空気を遮ったのは私の弟だった。
「ル、ルクスっ!? いつから起きてたの? というより起きたの?」
これには、「いつも熟睡派なのに途中で起きることあるの? 」の意が含まれる。後ろめたいことなど何もない筈なのに無用に狼狽えてしまうのは何故……。
ルクスの突然の声でびっくりした拍子にアレンは私の頬から手を離し、身体を後ろに下げていた。……理由は分かんないけど良かった。何となく助かった気がする……。
「姉様、無事に目覚められて何よりです! ……ですが、申し訳ありません。僕が最後まで姉様をお送りしていればこんなことには……。」
「え。……いいえ、それならもういいのよ。私は大丈夫だから。」
やっぱり気にしてたのね……。私の言葉にルクスはパッと明るい表情に戻っていった。
「ありがとうございます、姉様。――……本当ならお目覚めになられた姉様を、僕が一番にお声がけしたかったんですけどね……。」
あれ? ルクスの表情にみるみる陰りが……。
寝起きにも関わらず、ルクスはいつもより満面の笑みのキラキラオーラを放っている……筈なのに。
……な、何故だろう? どこかモヤモヤと黒い気配が感じられる様な。
「ル、ルクス様。お邪魔しております。」
そこでアレンが慌てて挨拶をした。その取り繕う笑みには頬が染まっている。……何で?
けれどルクスはお構いなしと言った様子で淡々と答えていた。
「――これだけ傍で会話されていれば流石に僕でも起きます。
ところで、何故アレン殿がここに……いえ。……姉様の寝室にいらっしゃるのでしょう?
任はとっくに解かれているはずですよね。それに、今しがた姉様の髪やら頬に手を触れていた様に見受けられたのは……僕の気のせいでしょうか。」
……ね、寝起きなのに随分単調に話すなあ……。
ルクスが誰かとこんなに……それも一方的に話しかけるのは珍しい。
立て続けに問い詰める口調には少しも温度を感じないし、心なしかルクスの頬に怒りの四つ角マークが見える気もするし、笑ってるのに笑ってない……。
……え、どうしたの? いつもの天使はどこ? この二人、昔は仲良かった筈なのに。
「いえ、あの……私は使者として……」
「――の、割には不必要だと思われる点がいくつかありましたよね?」
「!? い、いつから起きていらっしゃったんですか?」
「誰かさんが不必要にも僕の姉様のお髪に触れられた時からですが、何か。」
「いや、あれはその……髪飾りをですね……。」
あ、良かった。神力の話は聞かれてないっぽい。
答えに困るアレンと、何やら追求するルクス。
私の入れそうな余地はないみたい……。
……そろそろ寝てもいいかなぁ。
こうして、色々とよく分からないまま夜は更けていく。




