九狐族の戦い
「あなた……九狐族の者ね?」 シュリが言った。
「……いかにもそうだが?」
それを聞いて、シュリがわずかに後ずさる。
そして俺たちにそっと耳打ちした。
「あなた達、ここは下がってなさい。かなう相手じゃないわ」
意外な優しさが垣間見えたが、力量は見誤らないで欲しい。
「俺たちなら大丈夫。むしろシュリ、あんたが下がれ」
「な……! こっちは心配して言ってるのに! あなたのような子供に死なれたら、目覚めが悪くてしょうがないでしょ!?」
さっきは、子供だろうとぶった斬るとか言ってなかったか?
「安心しろ。お前ら全員逃がすつもりはない」
キツネ男が冷たく言った。
そして言葉通り、一瞬で間合いを詰めシュリに斬りかかる。
「くっ……!!」
ギリギリでシュリが剣を構え、キツネ男の暫撃を受け止めた。しかし、歴然とした腕力の差によってシュリは後方へと吹き飛ばされる。
「ひゅう! 速いのう」
織姫が感心したように言った。
「くく、余裕じゃないか。まるで他人事だな」
キツネ男がそう言いながらこちらに向きを変えた。
「零度結界」
キツネ男が言い放った瞬間、足元から巨大な氷柱が突き出し、俺たちを囲んだ。
「逃げ場はない。大人しく眠っていろ」
キツネ男が刀を反し峰を向けた。
「ハシラ、氷柱を切れ!」
「おう!」
織姫のかけ声と共に、ヤタオロチで氷柱を斬り裂く。
「な!!」
崩れた氷柱をかわすキツネ男に、素早く斬りかかった。
キツネ男は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに体勢を持ち直し、指先で術式をなぞる。
「火結・円の型!」
瞬く間に円形の炎が現れ、視界を奪うとともに、落ちてくる氷柱を呑み込む。
「ハシラ、左じゃ!!」
織姫の言葉通り、視界の左から暫撃が飛んできた。素早くヤタオロチで受け止め、暫撃の主へひと太刀浴びせるべく剣を振る。しかしいつの間にか、目の前には新たな氷柱が視界を阻み立っていた。霊力を探りキツネ男の位置を確かめる。
上だ!
空から刀を突き立て降りてくるキツネ男を避け、後方へジャンプする。男が着地した瞬間、再び間合いを詰め剣を振る。一瞬の攻防ながら、男は刀で俺の振り下ろした剣を受け止め、後方へ下がった。
なるほど。これが術を使った戦い。
力任せに襲ってきた火熊とは、強さの精度がまるで違う。
「やるな、小僧」
キツネ男が言った。もともと口数の少ない男なのだろう。言葉には、その男なりに最大限の賞賛が込められている気がした。
「あんたもなかなかだよ。たぶん妖狸族であんたに勝てるやつはいない。それがどうして、わざわざ里に火を放った上、泥棒みたいな真似をする?」
「……。今の俺に、選ぶ権利など与えられていないのさ」
「どういうことだ?」
「悪いが立ち話に付き合うつもりはない」 そう言うとキツネ男が再び刀を構える。次で決めるつもりのようだ。
◇◇
シュリは混乱の中で立ち尽くしていた。
相手が九狐族と知った瞬間、戦いに勝つことではなく、生き残る方に考えを切り替えた。
妖狸族と違い、戦闘に特化した武闘派の種族。その力は絶対的に格上であり、しかも相手は見るからに九狐族の中でも上位の力を持っている。
なぜ九狐族が里を燃やし、耀玉を盗みだそうとしているのか。この際理由は後回しでも良い。
いかに耀玉を取り戻すか。命を失う可能性はどのくらいか。答えの出ない計算式を頭に浮かべたその時、暫撃が訪れた。
かろうじて剣で受け止めるが、そこには絶対的な膂力の差がある。
想像より遙かに大きな衝撃で後方へと吹き飛ばされた。
昨日の山ノ神の暴挙。その一連の黒幕がこの男なのだとしたら、かなうはずはない。操術とは格下の相手にしか使えないのだ。この男は山ノ神を凌ぐ強さを持っているということ。それは山ノ神を崇め、仰ぎ見る我々には到底届かない強さだと示している。仰向けに空を見ながら、シュリは思考を巡らした。
だがそれはわずかな時間だ。勝てないからと逡巡しているヒマはない。耀玉とは、かつてこの国の主より預かりし宝。それを守り継いできた妖狸族の名誉がかかっているのだ。命に代えても取り戻さなくてはならない。
起き上がり、剣を構える。しかしそこで目にしたのは思いがけない光景だった。
昨日、客人として急遽イヌナギが連れてきた謎の少年と少女。彼らが、あの九狐族と互角の攻防を繰り広げていたのだ。
時間差なく発現される男の術を、少年はその異様な剣でいなしていく。結界を剣で薙ぎ払うなど、かつて聞いたこともない。あの子供は、一体何者なの?
戦えば斬られるのは私――。イヌナギの言葉をシュリは改めて思い出していた。
◇◇
俺と対峙するキツネ男は再び隠遁を使い姿を消した。
先程同様、気配を立った完璧な隠遁だ。
だが、霊力を視覚している状態の俺には意味などない。
男が自らの剣に狐火を纏わせ、必殺の技を仕掛けてくるのがはっきりと見える。
ここで選択肢がいくつかに別れる。
男の技を躱して剣での攻撃に転ずるか、あるいは俺も何かしらの霊術を相手にぶっ放すか。
剣での攻撃は、恐らくまた避けられるか止められる。体術においてそれだけ男は強い。ならば術。しかし何をやればいい?
ハシラヌシは術を組み合わせることで、より威力の強い術を生み出したとカイエンは言っていた。ならば、俺もそれをすればいい。
今の俺は、視た術が限られている。隠遁と、零度結界。あとは火結とやらか。発現する瞬間を見ていなければ術式は分からないのだから、今俺が真似ることが出来るのはこのくらいだ。
隠遁はどうだろう? 姿を消す術だが……例えば術そのものを隠すことも出来るんだろうか? ……試してみるか。
男が動いた。
「火結・龍の型」
男がつぶやいた瞬間、極大の炎が、一匹の竜となって押し寄せる。
荒ぶりながら襲い来るそれをヤタオロチで捌き、頭から尻尾まで一刀両断にした。その背後から、キツネ男が再び斬り迫る。予め俺が竜を切り伏せることを前提としていた動きだ。しかし、この技が二段階攻撃だと何故か俺は知っていた。
男の動きを目で見る前に、後方に下がり剣を躱す。そして男が、俺の立っていた場所を踏み抜いた瞬間、仕掛けていた術が発動した。
それは冷気の炎。空気をも一瞬で凍らせる風が男にからみつく。
「なっ!!?」
同時に巨大な氷柱が男を囲んだ。男が生み出した結界と違い、高密度に凝縮された氷の牢獄。決して刀で切れず、逃れることも出来ない。
隠遁が解け、男の姿が明るみに出たが、本人はそれを気にする余裕もない。
「火結・月の型!!」
男が術を唱えるが、何も起きない。
「くっ……なぜだ!」
「残念だけど、結界で術は使えない。そういう術式を組み込んでいるからな」
「……くそっ……ゴホッゴホ!」
「降参した方がいい。極度の冷気が結界の中を満たしているんだ。数分で肺の中まで凍るぞ。窒息して死にたくはないだろ?」
「小僧……。貴様、なぜこんな力を……」
「時間がないんだ。決めてくれ。降参して耀玉を渡すか、そこで氷漬けになって死ぬか。どちらにしても、耀玉は俺たちの元に戻るけどな」
「………」
迷っているのか。それとも抗う術を探しているのか。
「あんたは俺たちを殺さないよう、刀を振るとき峰を反していた。それに、見つかったときもあえて戦わず、俺たちから逃げることを選んだ。絶対的に有利だと思っていたにも関わらず。……あんたを悪いやつだとはどうも思えない。何か事情があるんだろ? 死なせたくないんだ。降参して欲しい」
「……………」
「頼む」
「…………。
………分かった。降参する……」
男がボソリとつぶやいた。
「よし。それで良い」
俺は火結の術を使い、男を囲む氷柱を瞬時に蒸発させた。
男ががくりと膝から崩れ落ちる。
「俺の術を使ったのか……? バカな……」
「術式を見ることが出来るんだ。一度見れば、たいがいの術は真似できる」
「真似だと? お前が使った零度結界……。俺の術ではあれほどの冷気と硬度はない」
「少し改良を加えさせてもらったんだ。火結の術式を反転させることで、冷気の炎を作った。そいつを氷の結界に混ぜ込んだのさ」
「冷気の炎だと……? 物理的な法則をまるで無視している……、ありえない」
「だが、あっただろ? お前は確かにくらったはずだ」
「……そうだな。確かに俺は、冷気の炎を見た……。だが術を発動させなかったのはどうやった? あれも初めての経験だ」
「お前や妖狸族が使う隠遁を応用したんだ。術式を変えて、対象者の霊力を“隠した”のさ。術が発動しなかったというより、お前の霊力が一時的にゼロになっていた」
「霊力を隠す……。その発想もさることながら、それを実現させる技術が貴様には備わっているということか……。勝てないはずだ」
やけに褒めてくれるじゃないか。
「ハシラ……、お前本当はもうハシラヌシの記憶が戻ってるのではないのか?」
織姫が俺の顔をじっと見て言った。
「? いや、まったくだけど……。何で?」
「本当か〜?」
「だから何でだよ」
「今の戦い方、ハシラヌシとよく似ておったからの。特に、戦いの中で急に術を編み出し、ぶっつけ本番で試すところなんぞ、そっくりじゃ」
「ハシラヌシが……?」
「ああそうじゃ。ちなみにハシラ。隠遁の応用は、やつの霊力を隠した以外にもう一つあるのじゃろ?」
「……気付いていたのか?」
「当たり前じゃ! あの男がハシラの立っていた場所に着地した途端、氷柱の術が発動した。地面に術式を“隠して”おいたのじゃろ?」
「まあな。どれも上手くいって良かったよ」
「……そうじゃな。さすが妾のだんな。愛してるぞ」
さらっと告るな。
男はその場に座り込み、無言で耀玉を差し出した。
「ありがとう」
俺は耀玉を受け取り、後方に吹き飛んだはずのシュリを探した。
シュリはすでに起き上がり、しかしなぜかそこを動かず呆然と立ち尽くしている。
「おい、シュリ!」
呼びかけてみる。するとシュリはハッと我に帰り、慌ててこちらへ駆けて来た。
「な、何か用?」
「用って……。耀玉を返してもらったぞ? ほら」
そう言ってシュリに手渡す。
「おわっ……、あ、ありがとう……」
やけに素直だな。また、いちゃもんを付けられるかと思ったが。
「さて。この男をどうするか……だな」
男は見たところもう戦う意志はない。かといい釈放するわけにも行かないだろう。
もっとも俺は部外者だし、今後の処遇については妖狸族の人たちに委ねるのが一番……そう思っていた時だった。
ガタリと地面が揺れたかと思うと、けたたましい地響きとともに、土の中から巨大な影が飛び出した。