キツネの男
術の中にあるのは、俺たちがいる茶室だけのようだ。建物全体が闇に覆われ、火の玉に囲まれている。
外には出れる? いや、かえって危険か……。
霊力の流れをたぐるが、周囲全体にうっすらと漂っているため、出所が分かりにくい。もっと深く、広い視野で探した方がいい。
集中し、天と地も含めた全方位の霊力を探る。どこかに、霊力の集中する場所があるはずだ。そこを見つける。
「なんじゃ、モゾモゾとうるさいなぁ。小便か?」
織姫が目をこすりながら起き上がった。コイツに恥じらいというものはないのだろうか……。
「そうじゃない。誰かが術をかけてるみたいだ。暗闇に閉じ込められた」
「どういうことじゃ?」
織姫がふわりと浮かび、俺の隣に来て外を覗き込んだ。
「これは……狐火じゃな」
「キツネの魔物が仕掛けてるってことか?」
「じゃろうな。妖狸族の術ではない」
「隠遁のおかげで、他の種族は里に入れないはず。てことは……」
「火熊を中に誘い入れたのもコイツかもしれぬな」
「……なんで俺たちを狙ってるんだろう」
「知らん」
でしょうね。
「狐火はどんな術なんだ? 何に注意すればいい?」
「知らん」
それも知らんのかい。
「狐火を使うのは九狐族と言われる連中じゃ。身内の結束が固く、よそ者を受け入れない上に姿もめったに見せんからの。よく知らんのじゃ」
「なら出方を待つか……。それともこっちから仕掛けるか」
「術者の居場所は分からぬか?」
「辿ってるんだけど、そこら中に霊力が溢れてて、よく分からないんだ」
「ならばヤタオロチで結界を斬ってみればいいじゃろ。活路が見えるはずじゃ」
「結界を斬る?」
「妾たちは今、何らかの結界術に囚われてる。じゃがヤタオロチならば、術ごとぶった切ることも出来るはずじゃ。実際、ハシラヌシがそれをしているのを見たことがあるし」
「……やってみるか。よし、織姫はここで待って……」
「妾は指定席で見学しているゆえ」
と言いながら再び俺の懐へ。結局そこに入るんかい。
「あのー……。着物を着ている分、もこもこして余計にじゃまなんですが……」
「着物を脱げというのか!? こんのエロガキめ」
違う……そこを出ろと言ってるんだ……。
「うだうだ言っておらんで、さっさとやれ。いつ向こうが仕掛けてくるか分からんぞ?」
「……分かったよ。ったく」
剣を持ち外へ出る。
地面は感触がなく、まるで空中を歩いているようにゆらゆらとしていた。
改めて霊力を辿るが、やはりうまく感知することが出来ない。
そもそもこの結界術とやらの中にいる限り、霊力を探るのは無理そうだ。織姫の言う通り、まずはここを出るのが先決か。
ヤタオロチを構えると、刀身に纏っていた鞘がシュルシュルとほどけた。
黒光りする刃が狐火を反射し妖しく光る。
「さて……。斬るといっても、どうしたものか」
闇雲に素振りをしたところで斬れるものでもないだろう。意識を澄まし、周囲を満たす霊力の継ぎ目を探す。術のことなどよく知らないが、下界と結界を継ぎ合わせた場所がどこかにあるはずだ。何となくそんな気がするのだから、これも魂の記憶かもしれない。
「見つけた」
うっすらと傷のような場所が空中に見えた。淡い霊力の光が奥から漏れ出ている。
「ヤタオロチ、頼む!」
そうつぶやき、力いっぱい空中を斬り裂く。
一瞬のうちに空間が狐火の青白い炎で燃やされ、昨日見た妖狸族の里が視界に姿を現した。結界術が時間まで狂わせていたのか、いつの間にか朝になっている。
「なにー! もう朝じゃと!? 妾まだ寝足りぬぞー!!」
俺もだよ。何なら二度寝したい。
「ハ、ハシラ様、織姫様、よくぞご無事で!」
駆け寄ってきたのはカイエンだ。
「一体何事なのです?」
「いや、俺にもさっぱり。夜中目覚めたら結界の中にいて」
「お怪我はなさっておりませんか?」
「ああ、大丈夫だ。何もされてない」
「ならば良かったです。朝、ここが黒視結界に覆われているのを見て、慌てて駆けつけたのですが……いやはや何も出来ず面目ない」
「心配かけてすまない。けど、黒視結界ってどんな術なんだ?」
「対象物を外界と完全に断絶する術でございます。極めて高度な結界術で、時間軸さえねじ曲げてしまうのです。我ら妖狸族でも結界を壊すのに数週間はかかる代物……」
そんなに? ヤタオロチがあって本当に良かった……。
「あなた達、本当に中で何もなかったの?」
「これ、シュリ」
カイエンを押しのけて前に出てきたのは、気の強そうな若い女性だ。ショートヘアで紫の甲冑を纏っている。そして、言うまでもなく美人。もう分かった。この世界は美人がデフォルトなのだ。
「長は黙っていて下さい。そもそも、山ノ神に里を壊滅させられたタイミングで客人が訪れるというのもおかしな話。見たところ鬼のようだけど、なぜこの森にいるの!?」
服を買いに行く途中だったが……。その辺りはカイエンから説明していないのか?
そう思ってカイエンをちらりと見るが、「すまん」といった顔で苦笑いをしている。いやいや、この姉ちゃん何とかしてくれよ。
「黙っていては分からないわ。言っておくけど、子供だからって容赦しないわよ」
どこかで聞いたセリフ。あ、イヌナギか。さすがは同族。
「うっさいメスダヌキじゃのー。妾たちが何をしたと言うんじゃ! あ? ケンカ売ってるなら買うぞ!? ハシラがな!」
いや、お前が買えよ。
「メス……だぬ……」
あ、ぷるぷる震えてる。ちょっと、やばいんじゃ……。
「きっさまらぁああ……!!!」
なぜ俺を含める。
シュリと呼ばれた女性が剣を抜き、身構えた。そしておびただしい殺気を放つ。
「どうせ今の結界だって自作自演でしょ!? 長やイヌナギは騙せても、私は騙されない!!」
挑発に乗りやすく、聞く耳を持たない。まさにイヌナギの女性版だ。
「これ!! シュリ!! ……さん。やめるんじゃ……」
「長は黙ってて!!」
「……いや、でも……」
「うるさい!」
「………」
長、弱ぇーー!!
「ふん、相変わらず妖狸のタヌキは単細胞じゃのー!! もういいハシラ。こいつらは力でねじ伏せるしかないんじゃ。いざ、成敗!!」
どこの時代劇だよ。
「あの、シュリさん? 俺たち決して怪しい者ではなくてですね……」
「気安く名を呼ぶな。それに、自ら怪しい者じゃないという者こそ怪しいのよ!!」
じゃあ何と言えと。
どうしよう。妖狸族の人にはお世話になったし、出来るだけ穏便に済ませたいんだが……。
「行け、ハシラ! ぶちのめせ!!」
織姫、頼むから黙っていてくれ……。
今にも斬りかかる勢いのシュリ。まさに一瞬即発といった所だが……。
「なんでえ、どうした?」
そこへイヌナギがやって来た。
「イヌナギ。あんたの迎え入れた客人ね、怪しいから斬るわ。今すぐ正体を見せてもらうの」
構えたままシュリが答えた。
「カカカ!」
「何がおかしいのよ!」
「斬るだって? バカ言え、この坊やはお前より遙かに強い。死合となったらぶった斬られんのはオメーだぜ?」
「冗談言わないで。見たところ霊力も少ないし、鬼と言っても子供よ」
「だが、山ノ神に勝った。それに黒視結界まで破ったんだぜ? どちらも俺たちには出来ない」
「山ノ神ならば、おおかた操られて霊力を失っていたんでしょう? 疲れ切ったところを倒しても、勝ったとは言えないわ。黒視結界もそう。自分で作り出した結界なら、自分で解くなんて簡単じゃない!」
イヌナギにも増して思い込みが激しい……。どうあっても、自分が望む答えになならないと気が済まないんだろうなぁ……。
「頑固だねぇ。嫁のもらい手がいねえわけだ」
「何だとぉ!?」
お前まで煽ってどうする、イヌナギ。
「もういい。そこをどけイヌナギ! どかないならお前も斬る!!」
やめてください、俺たちのために争わないでください。
困り果てていた時、里の反対側に轟音が響いた。
「!!?」
その場にいた全員が音のした方を見る。
遠くの丘から煙が上がっているのが見えた。
「まさか……洞が狙われて……!?」
シュリがつぶやいた。
「行くぞ、シュリ!」
イヌナギがそう言って駆け出す。
「う、うるさい! 分かってる!」
シュリも慌てて駆け出した。俺をチラリと見たが、それよりも重要なことなのだろう。気持ちを振り切るように背中を向け、一直線に煙のする方へ走り去る。
「どうしたんだろう……?」
「うむ……。この結界は囮だったようですな……?」
「囮?」
「ワシらの気を逸らし、その隙に耀玉を奪うつもりだったのでしょう。まんまとやられました……」
「大事な物なんだね?」
「ええ。ハシラヌシ様より託された神器の一つでございます……」
俺が託した物……?
「ハシラ、妾たちも行くぞ!」
「ああ! 耀玉を守らないとな!」
「守る? いやいや、あのメスダヌキが慌てたりガッカリしてる所が見たいだけじゃ。そしてざま見ろと笑ってやるんじゃ」
性格わるっ。
「ハシラヌシが託した神器だぞ? それはいいのか?」
「ああ、別に」
いいのかよ!
「神器とか良く分からんし。そもそもハシラのやつ、神器の話をするときは妾を遠ざけておったからの。悲しい思い出じゃ」
珍しいな。織姫には何でも話していそうなのに。
「一度、神器を鞠玉と間違えて蹴り飛ばしたのが良くなかったらしくてな、それきりじゃ。あの時ばかりは心の狭いやつと思ったがの!」
心が狭いとかの問題じゃない。
「その神器も確か“ようぎょく”という名前じゃったな。すごい偶然じゃ」
偶然じゃねーよ。それだよ、今狙われてんの。
「ハシラヌシ様、お願いです。何とかして頂けませぬか? 耀玉は神器であるとともに、我が里の霊力も司っております。耀玉がなければ里にかけた隠遁も解かれてしまいますゆえ、森に住む魔獣にたちまち襲われてしまいます」
なるほど、里のインフラまで担っているとは。そりゃ大事だな。
「分かったよ、出来る限りのことはする」
「ありがとうございます!」
元々俺が託したとも言うし、所有者としての責任は果たさないとな。
イヌナギとシュリの後を追い、煙の出す方へ走り出す。
同時に、神眼で霊力を探ると、前方に巨大な光の集合体を感知した。
恐らく耀玉だろう。その光を中心に、里のあらゆる場所へ霊脈が走っているのが見えた。
そして、それに近づく二つの気配。イヌナギとシュリだ。
意識を澄ますと、その奥にもう一つの気配が視えた。恐らくそいつが、一連の出来事の犯人だろう。
「ハシラ、急げ! シュリのがっかり顔が見れなくなってしまう!」
がっかり顔はどうでもいいが、急いだ方がいいのは確かだ。
太ももに力を込め、強く地面を蹴り出す。
鬼の肉体に慣れてきたのか、はたまたコツを掴んだのか、自分でも驚く程の速さで野を駆け、たちまちイヌナギとシュリを追い抜いた。
「なっ!!? ちょっと待ちな……」
通り過ぎざまにシュリの声が聞こえたが、とりあえずスルーしておこう。
織姫じゃないが、今関わるのはめんどくさい。
地面からもうもうと煙が立ち昇る場所に行くと、洞の形跡らしきものだけが残されていた。そして地下に通じるような階段があり、誰かがこちらへ登ってくるのが見えた。
「思ったより来るのが早いな。派手にやりすぎたか……」
何物かが俺を見て言う。
キツネの面を被った、銀髪の男だ。鎖帷子に忍び服の出で立ちで、手には手鞠ほどの大きさの赤い玉を抱えていた。
きっと耀玉だろう。
「それはアンタのもんじゃない。返してもらえるか?」
「これはこれは。茶室で寝ていた小僧か。これほど早く結界を出るとは、一体どんな手品を使った?」
「答える義理はない。さっさと耀玉を返せ」
「くく。威勢がいいな。しかし、こいつは俺にも必要なんだ。悪いが……」
そう言った瞬間、男が姿を消した。
隠遁か……。しかしイヌナギの時とはまるで違う。姿だけでなく、気配すらも全くない。
「くそっ……!! 遅かったか!!」
息を切らしたシュリとイヌナギが到着した。
「遠くへは行ってないはずだ。探すぞ!」
そう言うと、イヌナギが里の入り口に向けて走り出す。
「いや、まだここにいるけど。っておーい!」
行っちまった。……ま、いいか。
「……まだここにいるって、どういうこと?」
おっとシュリが残っていた。軽く気まずい。
「隠遁を使ってるんだ。あいつはまだどこにも行ってないよ」
「隠遁……? けど気配も何も……」
「術のレベルが高いんだろ?」
「……あなたの言うことだもの。信用できないわ!」
別に信用してもらわなくても良いけど……。
「うるさいやつじゃの。お前もさっさとイヌナギの所に行け! ここは妾たちだけで十分じゃ!」
「くっ、……証拠を見せなさい! 敵が隠遁を使っているという証拠をね!! そうすれば信用してあげる!」
だから信用しなくて良いって言ってるのに……。
まあ、どのみち放っておいたら逃げられちゃうし、隠遁は解かせてもらう。
実は先程から、俺は敵の霊力を視たままの状態でいる(霊力解析と言ったっけ)。キツネ男が自らに隠遁をかける際にも当然霊力の流れが見えていたので、その術式を覚えることが出来た。ならば……、見た術式と逆の方向に霊力を流せば、隠遁を解くことが出来るはずだ。
目を閉じると、俺たちに背を向けて悠々と歩いて行くキツネ男を捉える。
霊力が視える俺にとって、姿や気配の有無は関係ないのだ。
霊力を扱うのは初めてだが、何となく要領は掴めていた。これも魂の記憶によるものだろう。
指先に光が集まるよう意識し、奴の背中越しに術式を逆になぞる。
次の瞬間、キツネ男の隠遁がすっと解けた。
解術を一瞬で感じ取り、キツネ男がさっと身構える。
「え? ほ、本当にいた……」
驚きながら、シュリも慌てて身構える。
「……まさか、今俺の術を解いたのはお前か? 小僧……」
「まあな」
「結界を破ったのも偶然ではないようだ……」
突如、キツネ男が凄まじい殺気を放った。
/////// イヌナギとシュリ