神眼とは……?
「我々とハシラヌシ様の歴史はとても古いものです。妖狸族の祖であるアマツネ様が、魔獣として人間に討ち滅ぼされようとしていたとき、身を挺し救ってくださったのがハシラヌシ様でございました。以来、アマツネ様に知識を与え、共に国造りをなさったのもハシラヌシ様。今の我々があるのは、全てハシラヌシ様のおかげなのでございます」
そう言いながら、カイエンがお茶をすする。
「アマツネ様が土地神となられた後も、ハシラヌシ様は我々魔物をいつも気にかけて下さりました。特に、アマツネ様の直弟子であったワシのことは、子供であった頃からよく面倒を見て下さったものです……」
カイエンが遠い目をするが、何百年も生きている魔物のじいさんが子供だった頃なんて、まったく想像出来ない。
「ワシが妖狸族の長となった頃、あの天間の戦いが起こりました」
あのって、どの?
「魔物と人間の戦いじゃ。言ったであろう? それから大陸が分かれたのだと」
織姫がそっと言う。なるほど、魔天ヶ原が魔物の国となるきっかけの戦争か。
「恐らく、その頃のハシラヌシ様が最も強く、霊力のみなぎっていた時でございました」
カイエンがお茶を置き、真っ直ぐに俺の目を見た。
「ハシラヌシ様のお使いになる術は、たった一つでございます。それが、この世にただ一人が持つ“神眼”という名の術。……いえ、術というよりも、“資質”に近いものでしょうな」
「資質というのは?」
「元来、術は“修得するもの”なのです。いかなる霊力を内に秘めていたとしても、術を知らなければ本領を発揮することは出来ません。魔物であっても、幼き頃より勘を磨き、体験から術を学び、技として身につけてゆくのでございます。
しかし、ハシラヌシ様はそうではありません。……あの方は、神眼という術を生まれながらに持っていたのです」
「ふむ……、そう言えばそうじゃったな。子供の頃から神眼を開いていたのだと、本人からも聞いたことがある」
「それは珍しいことなのか?」
「というより、有り得んじゃろ。いかなる術とて、研鑽なくして得ることは出来ぬのじゃから」
生まれてすぐ掛け算が出来るようなもんか。
「天性の神術使い――。幼い頃、人間たちの間でそう呼ばれていたそうです」
いかにもエリートっぽい少年時代だな。現世の俺とは全然違う。
「魔物の多くが多様な術を扱う中、ハシラヌシ様が持つのは、ただ一つの神眼という術。しかしこの神眼こそが、全ての術の根源に等しきもの。すなわち、ハシラヌシ様はこの術で、あらゆる者を凌ぐ強大な力を手にしたのです」
どうやって……?
「その理由をお伝えする前に、まず、霊力についての説明を致しましょう。霊力とは、この世界の構成要素として存在する不可思議な力を指します。霊力はあらゆる生命に宿り、さらには因果や事象にまでも影響を及ぼす原初の力。その姿は見えねども、流体となってこの大気に充満しておるのでございます」
「流体……」
「つまり川の如く流れ、この世をグルグルと巡っております」
あ、それ分かりますわ。って、実際に見たからか……。
「この流れに特定の方向を与え、事象を操ったのが“術”であり、特定の方向というのが、“術式”でございます」
なるほど。里の入り口にあった、術式を刻んだという石。そこに浮かんだ電子回路みたいな模様が、霊力の流れということか。
「術を発動するときに生まれる霊力の流れ、すなわち術式を習得するために必要なのが、経験や勘、そして血筋なのです。しかし、霊力そのものを見ることの出来たハシラヌシ様にとって、それらの修練など不要なもの。“見た”術式を真似るだけで、全く同じ術を発現させることが可能だったのです」
「ふむ。妾もなぜハシラがあれほど術を多様に使いこなすのか不思議じゃったが……そういうことであったか」
「……悪い。俺まだよく分かってない」
「霊力の見えないものにとって、術式とはあくまで概念的なものです。皆が直感と手探りで術を生み出す中、ハシラヌシ様だけは“術の設計図”を手にしているようなもの。この里の入り口にあった隠遁の術式。あれもハシラヌシ様の考案によるものです。概念であった術式を、設計図として視覚化したのです」
色々貢献してんだな。
「そのため、あらゆる術を真似るだけでなく、異なる術同士を組み合わせ、とてつもない威力の霊術を生み出すこともありました。織姫様の迦具土や氷塊などもそうでしたな?」
「ああ。ハシラヌシより譲り受けた術じゃ」
マジかよ。あのバカでかい氷を落とすやつが?
「威力が強すぎて、いちいち神の許可を得んと使えぬのが面倒じゃがな。もっとも今は霊力が足りぬゆえ、どちらにせよ使えぬが」
神様の許可必要なの? 以外と事務的だな……。
「神眼を持つことがこの世界でどれほど有利か、ご理解頂けましたか?」
「ああ、まあな」
そりゃそうだよな。霊力がベースにあるこの世界では、ある意味チートだと思う。
「今申し上げたのが神眼の能力の内、霊力解析と呼ばれるものです。これともう一つ、神眼には思念解析という能力がありました」
「相手の考えてることが分かるのか?」
「はい。といっても、全ての考えが読めるわけではなかったようです。明確な意志、決意などを心に秘めている場合に限り、それを感情の色として見ることができたとか……。しかしそれがあまりにも強い意志であった時は、声としてはっきり聞くことも出来ると申しておりました」
そういえば……、サクヤという女が織姫を殺そうとしたときに声が聞こえた。
あれがそうだったのか……。
「神眼に関してワシが知っているのはそれだけです。ワシも実際に霊力が見えるわけではありませんからな。あくまで想像ですが、ハシラヌシ様が羅生霊力を取り込めたのも、何か霊力が“視える”ことと関係していたのだと思います。転生された今、恐らくあなた様にも同じ事が出来るのではないかと……」
「きっとそうじゃろうな。神眼の力、どこまで引き出せるか分からぬが……。
カイエンよ、ありがとう。助かったぞ」
「拙い説明で恐縮です。しかし織姫様。一体どうしてそのようなお姿に?」
今?
「うん? ちっと色々あっての。着物も汚れたゆえ、新たなものを買いに行くところじゃった」
「それはそれは、先に言って下されば。着物ならば我らの里にもございますゆえ、都まで行かずとも、こちらで準備させて頂けませんか?」
「じゃが、里は全部燃えておろう?」
「それぞれ必要な家財は持ち出し済みです。山ノ神は、火を放ちすぐに里を出たゆえ、あらかたの荷物は外に運び出せたのです」
「ふむ。……しかしなぜこんな事になったのじゃ? 他の種族と諍いでもあったか?」
「いえ、そういうわけではないのです……。我々にも心当たりがなく、さっぱりですな。他の種族とも特段仲が良いわけではありませんが、敵対もしておりません。しかし、現に山ノ神を操り里を襲った者がいるのも事実。イヌナギに山ノ神を追跡させ、術者の元へ案内させるつもりでしたが……」
その途中で、俺たちと出会ったという訳か。
それなら、まあ俺たちを疑う気持ちも分からなくはないが……。
「どうやら、……山ノ神は使い捨てにされたようです」
「そのようじゃの。普通は一度操術が成功すれば、繰り返し魔獣を使役するが。術者にとっては、この里さえ燃やし尽くせれば火熊など用済みだったようじゃな」
なおさら、この里への恨みを感じるな。
「いやはや本当に申し訳ありませんでした。ハシラヌシ様を疑うなどと……」
「済んだことだよ。あなたたちの方がずっと大変な思いをしたんだし、俺のことは気にしなくていい」
「お心遣い、痛み入ります。
……織姫様、すぐにお召し物を持って参りますが、今日はもう日が暮れますゆえ、良ければ泊まっていかれてはいかがでしょう?」
「何、良いのか? 本当はクタクタじゃったのじゃ。ハシラも良いであろう?」
なぜ織姫がクタクタになる?
「俺たちはいいけど……、迷惑じゃないですか?」
「とんでもございません。ハシラヌシ様と再びお会い出来たのです。積もる話もありますれば……」
俺にはないけど。覚えてないし。
「ならば飯も頼む!」
図々しい。
「承知しました。こちらの茶室を使って下さい。食事が済んだら布団も用意させましょう」
「済まない。ありがとう」
俺がそう言うと、カイエンは会釈をして茶室を出て行った。
「着物が手に入るとは、運が良かったの? タダじゃぞ? 顔パスじゃ」
「……まあな。偶然が重なったとも思えるが。ともかく、これでようやく織姫が出て行ってくれる」
「は? なんじゃ! 妾がここにいるのは嫌なのか!」
……まあぶっちゃけ。
「なぜ答えぬ! せっかく裸の妾が懐でぬくぬくしてやっておるのに!」
なぜ俺が喜ぶ前提……。正直、慣れたとはいえ、懐にいられると結構うっとおしい。
「ふん! もう知らぬ! ハシラなど知らぬ!」
そう言いながら懐に引っ込むな。自分の部屋か。
しばらくして、カイエンが俺の着物と、織姫のための反物を持ってきてくれた。
侍女のような人が一緒で、織姫の寸法を測り、その場で織姫サイズの着物を仕立ててくれるそうだ。
「明日からのご予定はおありですか?」
侍女が織姫の着物を仕立てる間、カイエンが尋ねた。
「いや、特に。着物を買うために外出しただけだからな」
考えてみれば、着物が手には入れば目的は達成だ。他にすることもない。
「ま、明日になったら考えるよ」
「それは良いですな。穏やかな人生を手に出来たのならば、ワシも嬉しく思います」
「前世の俺は、そんなに忙しくてハードだったのか?」
「はい。多くの戦争を経験しておりましたし、魔天の王となってからは領地の維持に苦心しておりました」
「そういえば今この国はどうなってるんだろう。ハシラヌシの後継者が治めているのか?」
カイエンの顔が少し曇る。
「今は誰もおりませぬ」
ん? 王様不在ってこと?
「統治者がおらぬため、一部の魔物たちは種族間で争い、さらには人間たちまでもこの地を我が物にしようと度々攻め入ってくる状況。今のままでは、ハシラヌシ様が現れる前の、混沌とした大地に戻るのは時間の問題でしょうな……」
そうか……。でも何でそんなことになってんだ? 俺なら余裕を持って後継者を育てておくが、それが出来ない理由でもあったのか?
「なあ、カイエン。ハシラヌシが死んだのは……」
「ハシラ、見るが良い!」
その時、織姫が俺を呼ぶ。
「どうしたんだ?」
振り向くと、目を爛々と輝かせた織姫が、友禅の赤い着物を着て立っていた。
「どうじゃ!」
「いや……どうじゃ、って。……良いんじゃないでしょうか」
「……それだけか?」
何を言えば正解なんだ……。
「か、可愛いな」
織姫の顔がパーッと笑顔になった。どうやら当たりだ。
「そうじゃろ? そうじゃろ? 妾もそう思ったんじゃ! お主、何て素晴らしい着物を作るのじゃ! ハイセンスにも程があるぞ!」
着物を仕立ててくれた女の子の手を織姫が握る。
「あ、ありがとうございます」
女の子が苦笑いしながら答えた。
だが織姫の言う通り、センスが良いのは確かだ。反物の色も柄も織姫に合っているし、仕立ても良い。豪奢に見えるが、かなり動きやすいのだろう。織姫が嬉しそうに駆け回っても全く襟が乱れてない。人形サイズの小さな服なのに、細かなところまできちんと裁縫が行き届いていた。
「イヌナギの妹ですじゃ。なかなかの器量良しでの」
マジで!? 妹?
「兄に似なくて良かったのー」
失礼ではあるが、織姫がそういうのも無理はない。
存在感がなく地味な印象だが、よく見れば綺麗だし、何より性格が良さそうだ。あの思い込みの激しいイヌナギと同じ血を引いてるとは全く思えない。
「気に入ってもらえたのなら何よりです。では、ワシらはこれで。すぐに食事も持ってまいりますゆえ、ごゆっくりなさって下さい」
「ありがとう」
うん、旅館みたいだ。
これで温泉でもあれば最高なんだがな。
「わーい、わーい」
織姫が嬉しそうに部屋の中を飛び回っている。
よほど着物が気に入ったらしい。こうして見ていると、本当に子供のようだな。
やがて食事が運ばれた。
正直、品質に若干の不安があったが、まったくの杞憂で終わった。
麦米と鹿肉の炒め物。味噌汁にはしっかりと出汁を使い、生野菜にもゴマ油か何かをドレッシング代わりにかけている。
主食と副菜のバランスも良いし、食べ応えがあると共に、健康にも良さそうだ。
里に来たときもそうだが、改めて魔物たちの生活水準の高さに驚く。
この辺りもハシラヌシが指導をしたんだろうか。
「うまいのう。やっぱり地上で食う食事が一番じゃ。月の飯なんぞマズくてマズくて。作ってくれたホオズキには悪いが、しょっちゅう食べたフリして吐き出しておった」
そんなにマズイなら、自分で作れば良いのに。というかウサギに料理させるなよ……。
食事のあとには布団が運ばれた。
里がこんな状態で、無理をさせてるんじゃないかと心配だったが、
「心配は無用です」
と、カイエンがニコニコ言うので、すっかりその言葉に甘えてしまった。
「はー、今日は1日で色々あって疲れたのー」
布団に入り、織姫が言った。
常に懐でぬくぬくしていたように思ったが……。
「なあ織姫。俺がハシラヌシの神眼を使えるのは、さっき言ってた、みたま……何とかってやつの……」
「“御魂継ぎ”じゃ」
「そう、それだ。その御魂継ぎってやつのおかげなんだろ?」
「そうじゃ。持っている術や力、経験を魂に記憶する術じゃが、恐ろしく高度な術式が必要となるのでな。理論上可能でも、実際にそれを行うのは不可能と言われておった」
「霊力が視えるハシラヌシだから可能だった、ってことか……」
「そうなるの」
「俺がさっき火熊との戦いで剣術を使えたのも、御魂継ぎのおかげかな? 剣を握ったこともないのに、自然と体が動いた」
「まあそうじゃろうな。肉体とは魂の器。魂に刻まれた記憶や能力に体が反応し、勝手に動いてくれたのじゃろう」
「そういうもんか。けど、この世界に来るまで、ちっともそんな兆しはなかったがな……」
「世界が違えば理も違う。こちらの世界でのみ発揮される能力なのじゃろう。あるいは、鬼の肉体を持ったことで力が目覚めたのかもしれんが」
「そうだな。鬼が人間より格上というのも分かるよ。積んでるエンジンがまるで違う感じだ」
「エンジン? ホオズキの好物か?」
それはニンジン。
「俺の世界にあったものだよ。乗り物を動かす動力のことさ」
「ほー。いいなー、妾もハシラの世界に行ってみたいなー」
「いつか行けるといいな」
「いつかじゃなくて、今がいい! 妾、もうこっちの世界は飽き飽きしてるのじゃ!」
世界に飽きるってどういうこと?
「あー、ハシラの世界がいい! 飽きた! 飽きた!」
駄々っ子か。
「俺がこっちに来れたなら、向こうに戻る方法もきっとある。けど今は無理なんだ。時間はあるんだし、二人でゆっくり向こうの世界に行く方法を考えよう?」
「むー……、そうじゃな!」
素直!
「じゃあさ、明日は何する、ハシラ? 二人でお出かけか? デートか?」
今日だって二人でお出かけしましたけど……。
「……妖狸族の人たちを手伝うのはどうかな。後始末が大変そうだし、着物や、食事の恩もあるから」
「はーー!? ハシラはお人好しじゃのー! 魔物同士のことは魔物同士で何とかすれば良いんじゃ。妾たちには関係ないわ」
「まあそう言うなって。他に用事もないだろ」
「うぐっ……。めんどくさいのー……」
自己中というか、自分に正直というか……。
「手伝いが面倒ならここで休んでればいいさ。俺だけでも手伝ってくるよ」
どのみち、小さな織姫に出来る手伝いは少なそうだ。
「ふん。ハシラが手伝うなら、妾だって手伝うわ。何を言っておるんじゃ!」
なぜキレる。
「もう寝る! 寝て、ハシラに屁をぶっかけてやる! おやすみ!」
色々意味が分からない。つうか下品……。
まあいいや、俺も寝よう。
「おやすみ、織姫」
「…………くかー」
相変わらず落ちるの早えー。
話し相手もいなくなったので、目をつむり、しばらく妖狸族や神眼のこと、これからのことについて考えを巡らせていた。
そのうちに俺も、ゆっくりと眠りの世界に落ちていく。精神的な摩耗が存外あったのか、深い泥に包まれる感覚があり、心地良く夢へ誘われていったのが……。
思いのほかわずかな時間で夢から引き離されてしまった。
何だか周囲の様子がおかしいことに気がついたのだ。
布団から起き上がり、辺りを見渡す。頭の中がざわつき、胸騒ぎを覚えるあの感覚があった。
間違いなく誰かの意志が、俺たちに向けられている。
障子を開けて外を見るが、真っ暗闇で何も見えない。けどそれは外が夜だからではない。なぜなら星や月の明かりさえも見えないからだ。
そのうちに、暗闇の中に青白い炎がうっすらと浮かび上がる。ゆらゆらと辺りを漂いながら、二つ、三つと分裂し、いつしか無数の火の玉が周囲を飛び回り始めた。
間違いなく、何かの術中にいるようだな。
俺は目を閉じると、霊力の流れにそっと意識を傾けた。