天津国へ
「よお目覚めたか」
カムロの声に気づき屋敷を見ると、床に伏せていたサクヤがゆっくりと起き上がった。
それを見てナギが言う。
「ふふ。あなたの声で覚醒したのかしら? ここ数日ずっと寝たきりだったのに」
サクヤはぼんやりとカムロを見上げ、そして庭園にいる俺とナギへ視線を向ける。
また襲いかかってくるんじゃないかと警戒したが、サクヤはまどろんだ表情のままこちらを見つめているだけだ。
「目覚めたばかりでアナタに襲いかかるほど、サクヤは愚かでは無いわ」
俺の警戒心を見透かしたようにナギが言った。「さ、行きましょう?」
「え? 行きましょうって……」
ナギは、目で付いてこいと言いながら屋敷へ向かって歩き出す。
何だか分からないがその後ろを付いていく。
サクヤとハシラヌシの過去を聞かされたせいで、なんか複雑な心境に陥ってしまった……。
若い頃婚約し、戦争で仲違いしたままハシラヌシは死んでしまったなんて。世知辛いな。俺が言うのも何だけど。
「お早う、サクヤ」
広縁から中に上がり込み、サクヤの側に座りナギが言った。
「ナギ……。それと……」
サクヤがじっと俺を見る。
「また会ったな。調子はどうだ?」
そう声をかけると、サクヤがふいに笑う。
「足が1本無いのよ? 調子がいいとでも?」
「……だよな。治そうか?」
「治す?」
「治癒の術だよ。ついでにカムロ、お前も治してやる」
「あ? いらないさ。放っておけばすぐに治る」 カムロが言った。
「私も結構。あなたと馴れ合うつもりは全くないし」
「馴れ合うわけじゃないけど……。それにもう術かけちゃったぞ?」
その瞬間、涼やかな風が巻き起こりサクヤとカムロを包む。
「あれ……、何だよいいって言ったのに。しかしすごいな。内蔵をやられていたが、完全に治ってやがる」
「……足が」
サクヤが布団をめくると、失った足が元通りに再生されていた。
「……あなたが勝手にやったことよ。貸しだなんて思わないでね」
そう言ってサクヤが俺をにらみつける。
「ああ、もちろん。今日のことは忘れてくれていい」
「カムロ」 ナギが呼びかけた。
「こっちへおいで。私たちはしばらく席を外しましょう」
「何でだよ? ……まあ、いいけど」
そう言って、ナギとカムロが廊下の奥に消えていく。何だよ一体……? お見合いじゃあるまいし、二人きりとか気まずいんだが……。
何となくお互いが沈黙する。
そしてしばらくするとサクヤが口を開いた。
「今日は、うるさい織姫はいないのね」
「うん? ああ、天帝に連れて行かれたよ。空の上にな」
「天帝に? ふふ。それであなた良く無事だったわね。ハシラヌシの転生者だと、当然知られていたのでしょう?」
「……死にかけたけどな。何とか今は無事だよ。ちょうど織姫を助けに行く道中さ」
「北の回廊は閉ざされたまま。……あなた天津国に行くのね?」
「そうだよ。ついでに織姫の心臓を探さないといけない」
「心臓?」
俺はサクヤに一連の出来事を話して聞かせた。
「それで織姫はあんなに小さくなっていたのね……。何かの冗談かと思っていたわ」
そう思う気持ち、分からなくもない……。
「でもまさか、天界で織姫をかばった男があなただったとはね。夢にも思わなかったわ」
「あの時はどうも……」
「怒ってるのでしょうね。当然」
「別に怒っちゃいないよ。自分でも不思議だけど」
「殺されかけたのに怒らないなんて……、本当、ハシラヌシそのものね。でもいいの?」
「何が?」
「私にそんな話をしてしまって。あなたの目的も、行動もすべて把握してしまったわよ?」
「平気だろ。今のお前はこの間みたいな殺気がかけらもない。何というか……すごく穏やかだ」
サクヤはそれを聞くと目を見開き、そしてうつむいた。
「そうね……。あなたに再び会えたから」
「は?」
「二度と戻らないと思っていた人が、突然戻ってきた。姿は変えていても……ハシラヌシと同じ魂を持つあなたが帰ってきたんだもの。なんだか、気が抜けちゃったわ」
「……この前は、殺してやる、とか言ってなかったか……?」
「あのときはそう思った。でもそれっきりよ。心に溜まった毒が、一気に放出されちゃった感じね。もう空っぽ。憎しみなんてどこかに消えちゃった……」
「それは……良かったな」
「おかげさまでね」
サクヤが遠くを見ながら微笑んだ。穏やかなサクヤは、以前見かけた時よりもきれいで、優しく見えた。
「これからどうするんだ? お前たちの目的、ナギから少し聞かせてもらったけど……」
世界の改変を引き起こすために神器の封印を解いているとか……。ナギもどうしてそれを俺に話すんだろう。何を考えているのか読めないやつだ。
サクヤが遠くを見たまま答える。
「……正直なところ世界の改変なんて、もうどうでもいいの。あなたへの執着が全ての原動力だったことに気付いた今、自分がしようとしていたことがすごくバカバカしく思えてきた」
「天帝はそれで納得するのか?」
「しないわよ、当然。恐らくこれで私も粛正の対象になる。裏切ることになるのだから」
「ナギとカムロは?」
「どうかしらね。天帝の命令で私の元に来てはいるけど……」
「カムロはともかく、ナギはお前の味方のように思えるな」
サクヤが小さく笑う。
「いい? 女はね、嫌いな相手にも平気で親友のような態度をとれるのよ?」
「……そうなの?」
「ナギが私に良くしてくれているのは分かる。でもそれが本心かどうか、私には判断出来ない。だから隙を見せるわけにはいかないの」
「そんなことないと思うけどな。さっき、ナギの感情を少し見たけど……、どちらかといえばサクヤに同情的だった。お前は嫌がるかもしれないけど」
「同情的?」
「記憶を見る力でサクヤの過去を見たと言ってたぞ?」
「夢読ね。ふふ、なるほど。私が一人でバカみたいに空回りしていた人生を見て、憐れんでいるということね」
「お前を下に見ているわけでも、憐れんでいるわけでもないさ。ただ、お前のことを心配してる。そんな感情だった」
「心配……」
「ナギは味方だ。俺が保証する。少なくとも、天帝の命令で嫌々お前と行動を共にしているわけじゃない」
「あなたが言うなら、そうでしょうね」
「神器の封印はどうするんだ? 一度解いたものを戻すことは出来るのか?」
「残念ながら無理よ。ハシラヌシが過去に行った封印は、今の私の力でも再現できない。あなたもハシラヌシだった頃の記憶は無いんでしょう?」
「……うん、無い」
「だと思ったわ。いずれにしても、世界の改変はもう止められない。かつてハシラヌシが命がけで止めたけど、結局は少し時間を遅らせただけに過ぎなかった。もう賽は投げられたの」
「改変はいつ始まるんだろう?」
「恐らく数年以内。私達が一部の神器の封印を解いたから、もっと早いかもしれない」
それはまずいな。というか俺だって、神器の封印を解いて織姫の母親の心臓を手に入れようとしているわけだが。
「ハシラヌシはどうやって改変を止めたんだ?」
「それは……」
その時だった。俺たちのいる屋敷に巨大な亀裂が入った。
一瞬の出来事に訳が分からずいると、俺とサクヤの座っている畳がダンッと盛り上がる。咄嗟にサクヤを抱えて外へ飛び出した。
庭園に立ち屋敷を見ると、地面から突き出た木の根が屋敷を突き破っていた。
「神樹に見つかったわ。この屋敷はもうダメね。庭も気に入っていたのだけれど」
妖狸族の里に現れた木の根と同じものだ。
「どうして急に?」
「改変の止め方を話そうとしたからよ。神樹はハシラヌシの術で学習したの。地上の者たちに、知識を与えてはいけないって。自らを危険にさらす言葉や考えを敏感に察知出来るよう進化したのよ」
「盗み聞きか。案外姑息な相手だな。神樹ってのは」
「植物に倫理などないわ」
「ともかくここを離れるか。屋敷は残念だけど、二度と住めそうにない」
何十本もの木の根が地面から突き出し、屋敷に太く絡みつく。そしてバキバキと音を立てながら、屋根や壁を押し潰していった。美しかった庭園も、突き出た根により隕石でも落ちたみたいに荒れてしまった。
「ハシラヌシと住んだ家よ。改修を加えながら大切に住んでいたのだけれど……。仕方ないわね。物はいつか無くなるんだから……」
サクヤがぽつりと呟く。そのうちに屋敷の奥からナギとカムロが飛び出してきた。
「どうしたの? なぜ神樹が突然襲ってきたのかしら?」 ナギが言った。
「改変を止める方法を話そうとしただけよ」
「内緒話も出来ないのね。この世界って」 呆れたようにナギが言い、カムロに何か合図をする。
「転移か。どこへ行く?」
カムロが言った。
「どこでもいいわ。父さんの目が届かない場所がいいわね」
「そんな場所あるかね」
「天津国へ。丁度ハシラヌシも天津国に行くんでしょう?」
「コイツも連れていくのかよ?」
「何事にもお返しは必要よ。怪我を治してもらったんでしょ?」
「頼んじゃいない」
「そもそもアナタが売ったケンカよ? カムロ?」
「…………分かったよ」
妹なのにナギの方が立場は上みたいだ。そういえば俺にも元の世界で妹がいたが……生意気なやつだったな。兄貴の言うことなんてひとつも聞きやしなかった。
「サクヤ、そこのハシラヌシと一緒に転移するわ。構わないわね?」
「ええ」
サクヤが穏やかに答えた。
そうこうしている間に、木の根は俺たちを狙い襲ってくる。
「ちっ、うざい根っこだ。さあお前ら、俺の近くへ」
カムロが言い、俺たちはそばに寄る。
瞬間、黒い壁が俺たちを囲み、景色を破壊する荒々しい音が止んだ。
「ハシラヌシ、あんたは天津国のどこへ向かってる?」 転移結界の中でカムロが尋ねた。
「竜王の洞だ。大陸の南にある」
「竜王の洞……。神器がある場所だ。なんでそこへ?」
「神器に織姫のお母さんの心臓が封じられてるんだ。その封印を解き、織姫に封じ直す」
「蜜姫様の心臓ね……。それならば織姫姉さんの肉体に順応できる確率は高い。サクヤ……、あなたが案内してあげたら?」 ナギが言った。
「私が? どうして?」
「しばらく竜王の所に居たんでしょう?」
「住んでいたのは神樹の袂にあるお城の方よ。竜王の洞に行ったことなんて数える程しかない」
「それでも記憶の無いハシラヌシ一人よりはマシよ」
「…………」 サクヤが考えるように押し黙る。
「別に俺一人でも大丈夫だぞ? 近くまで転移してくれるならありがたいが、そこまでで良いよ」
「いいえ、一緒に行くわ」 サクヤが言った。「竜王の洞は深い迷宮になっているの。私が一緒の方が、何かと早いわよ」
「良いのか?」
「もちろん。それと……ナギ、カムロ」
「分かってる。私たちはしばらく身を隠すわ」 ナギが答えた。
「……いいのね? 私と一緒に天帝を敵に回すことになるけど」
「サクヤ。……信じてもらえないかもしれないけど、私たちはアナタの味方よ。あの冷血漢に、決してアナタを渡したりしない」
「ナギ……」
「俺はどっちでも良いけどな。ナギの考えに合わせる」
案外自分の無い男だ。カムロ。
「それじゃ、一旦ここでお別れだな、サクヤ」
カムロがそう言うと、シュッと黒い壁が消えて、巨大な洞窟が目の前に現れた。
「ありがとう二人とも。しばらくしたら、すぐに合流するわ」
「急がなくていいわよ、サクヤ。助けが必要だったら呼んでね」
ナギはそう言うと、カムロと共に再び結界の中へ消えていった。俺とサクヤ、二人だけがそこに残される。
「神器は洞窟の最奥よ。私もそこまでは立ち入ったことがないの」
「迷宮だと言ってたけど、やっぱり罠とかあるのかな?」
「罠もあるし、竜王の配下だった魔物もいる。なかなか手強い相手よ」
何でそんなところに神器を隠したんだ、前世の俺よ。
「行くわよ、ハシラ」
サクヤがさっさと歩き出す。心なしか嬉しそうに見えるのは気のせいかだろうか。