目覚め〜変化
「さっきから何でジロジロ妾を見ておるんじゃ」
織姫が俺の目をじっと見て問いかける。
「………」
「なんじゃ。なぜ返事をしない?」
「…………いや……だって……」
「なんじゃ」
「織姫の体……どうなってんの?」
「妾の体?」
あれからずいぶん眠り続け、ようやく目覚めた俺は、体が以前のように自由に動かせることに気がついた。
ホッとしながら隣に寝ている織姫を見ると、
……なぜだか人形のように小さく縮んでいるじゃないか……。
推定身長……30cmくらい?
「省エネモードじゃ」
本人はそう言っているが。……なぜ?
どうやら、心臓を俺に差し出したために、霊力の消費と吸収のバランスが崩れてしまったらしい。
それを補うために肉体が自動でサイズ調整し、消費霊力を抑える体内構造へと変化したのだそうだ。
「霊核を持つ者は、肉体が可変的なのじゃ。霊核の容量に合わせて肉体が変化するなど珍しいことではない」
そうは言ってもな……。
「すまん……。俺に心臓をくれたばっかりに……」
「気にすることはない。小さくなったらかえって動きやすいわい」
そう言いながら空中をビュンビュン飛び回る。
つうか空飛べたんすか?
「あー、衣が気持ち悪い! ハシラ、着物を調達しにゆくぞ! 買い物じゃ!」
先日の怪我で俺たちの服は血まみれだ。
しかも織姫に至っては体が縮んだせいで、着物のサイズが全く合っていない。
「着物を買える場所なんてあるのか? ……そもそもここがどこかもよく知らないんだが?」
「そうか。そこから説明してやらねばな」
「よろしく頼む」
織姫が俺の前にちょこんと座り話し始める。
「まず、この回廊が設置されている場所じゃが、中津国と魔天ヶ原の国境にある森の中じゃ」
織姫が宙空を指でなぞり、そこに光の線を描く。
「この天体には陸と海があり、……そこはハシラの世界と一緒か? ならば分かりやすい。……そして陸はすべて地続きにつながっておる」
織姫の指がやわらかな曲線をつなぎ、大陸のような形を生み出した。
「大陸は、大きく三つの国で占められておる。北から天津国、中津国、魔天ヶ原じゃ。この三つの中に更に大小様々な国があり、それぞれ独立した国家として自治を行っておるのじゃ」
「ふーん。合衆国みたいなもんかな。独立した国が集まって、一つの巨大な国家を作ってるんだろ?」
「ちょっと何言ってるか分からん」
何でだよ。
「天津国と中津国は、主に人間の住んでおる地域じゃ。そして三国で最も広大な魔天ヶ原が、主に魔物が暮らす地域となっておる」
天津国と比べると、魔天ヶ原はおよそ3倍程の面積があるな。
「魔物というのは、織姫のような鬼も含まれるのか?」
「バカ言え。鬼は鬼じゃ」
相変わらず口が悪いな……。
「魔物には2種類ある。
ひとつは魔人。知性を持ち、言葉を話す魔物じゃ。霊力が強く、種族毎に独自の術を持っておる。見た目は人間に近いが、獣にも姿を変えられる。
もうひとつは魔獣。桁違いの霊力を持つが、知性がなく本能で生きておる。ひとたび暴れ出せば、その強さゆえ何人にも止めることは出来ん」
「この前のヤタオロチも魔獣か?」
「そうじゃが……あれは魔獣の中でも特にレアな強さじゃな。もはや魔物の枠を越えて神獣という扱いになっておる」
そんなヤバイもんが今、剣に封印され、無造作に枕元に転がっているのか……。
「そして人と魔物が並び立つ中、頭ひとつ飛び抜けている存在が、我ら“鬼”という種族じゃ」
鬼って何か……地獄で金棒持ってるイメージしかない。
「元々鬼というのは神の眷属じゃ。ゆえに使う技も、霊術ではなく神術と呼ばれておる。術の構造は似ていても、その威力、効力は他の種族と比較にならぬ程強いのじゃ」
「織姫が以前使った氷の術、確かに凄まじかったな」
「そうじゃろ、そうじゃろ? 妾のとっておきの術であるゆえ、下等な魔物どもには決して真似出来ぬぞ! だっはっはっは!」
「ヤタオロチには効かなかったけどな」
「……う、うるさい! 相手が悪かっただけじゃ!」
「確かにな。けど、そもそも術って何なんだ? 霊力とやらが必要らしいが、俺にも使えるのか?」
「訓練すれば使えるようにはなる。じゃが普通の人間には無理じゃな。元来、人は霊核を持たぬし、それゆえ術で消費される霊力を体内に貯めておけんのじゃ」
何だって? ……せっかく俺も術とやらを覚えてみたかったのに!
いやむしろ、それこそが異世界の醍醐味なんじゃないのか?
「あ、でもハシラは使えるぞ? もはや人間ではないし」
俺にも使えるって? マジか! よっしゃー!……って、
「おいちょっと待て。俺が人間じゃないって、どうことだ?」
「なんじゃハシラ、お前まだ鏡を見ておらんのか?」
鏡……?
「ほれそこにあるじゃろ」
織姫が部屋の隅に置かれた化粧台を指差した。
恐る恐る鏡を覗き込むと……。
「はっ!!? …………だ、誰?」
鏡の向こうでは、見た目10歳前後の少年が驚いた顔で俺を見つめている……。
まさか、これが俺?
「子供に戻ったようじゃな。声も変わっておろう?」
た、確かに! 織姫の変化に気をとられて、自分の声変わりにも気付いていなかった……!
「童らしい澄んだ声じゃ。ハシラの声ならなおさら心地よいぞ」
褒められてもあまり嬉しくない。
というか、変化はそれだけじゃないのだ。
どうも単純に若返ったわけじゃないらしく、子供時代の俺とは明らかに顔が違う。どちらかと言えば織姫に似て、顔立ちの整った子供だ。目がパッチリとして、クラスにいたら絶対モテそうなやつ。
「な、なんでこんな姿に……」
変化の極めつけはもちろん、前頭部に生えた2本の角だ。
鬼である絶対的な証拠。
俺がもう、二度と人間に戻れないという証しだ……。
「これってまさか心臓を移植したせいか……?」
「他に何があるんじゃ」
……ないけどさ。
「心臓とは命の根幹。命の形は、肉体に強い影響を与えるからの」
「なるほど。……けど子供になったのは何で?」
「鬼となった肉体が、実年齢に合わせて若返ったのじゃろう? 鬼ならば50歳くらいまで子供のままじゃ」
確かに織姫を見れば納得だ。
800歳でも、見た目は十代の女の子だもんな。
「むろん、変わったのは見た目だけではないぞ。そこで思い切り飛び上がってみろ」
「……ここで?」
「うむ」
室内ですけど。
「早くやるんじゃ!」
「わ、分かったよ」
俺はその場にしゃがみ、天井を見上げ思い切りジャンプしてみた。
すると、轟音とともに突然目の前が真っ暗になる。
何が起きたんだ……?
「どうじゃー? 大したもんじゃろ!」
足元から織姫の声がする。
やがて体が重力に引っ張られ、ズルズルと音を立て畳の上へと落っこちた。
「い、今何がどうなった?」
「あれじゃ」
織姫に指差され天井を見上げると、そこには大きな穴が開けられていた。
穴の奥では、暗がりの中に太い梁が何本か見えている。
「天井を突き破ったのじゃ。鬼の身体能力は、人間のそれを遙かに超えておるからの」
何てこった。まさか3メートルもの高さにある天井を突き破るとは……。
「しかも全く痛くない……」
「筋繊維が作り替えられておるからの。人間じゃった頃とは比較にならぬほど頑丈になっておるはずじゃぞ」
「心臓ひとつでここまで変わるとはね……」
ある意味チートかもしれないが、魔物や鬼たちにはデフォルトの身体能力なのだろう。
「もしかして、俺の前世だったハシラヌシも鬼なのか?」
「ハシラヌシは人間じゃ。以前のハシラのようにな」
「人間? けど魔物を従えていたって……」
「人間じゃが、強かったのじゃ。規格外にな。強き者に従うのは、魔物たちの本能であろう?」
魔物より強いって……どういうことすか?
「人間は霊核とやらが無いんだろ? 霊力が強さの原動力かと思っていたけど……」
「むー……。ハシラヌシは特異な体質でな。自然界に充満する、羅生霊力を取り込むことが出来たのじゃ。それゆえ無限の霊力を手にし、あらゆる術を使いこなしていた」
「羅生霊力……」
「大気に含まれる霊力じゃ。見えぬだけでそこかしこにあるのじゃが……、普通はそれを自らに取り込むことは出来ぬ。魔物にもよるが、霊力を持った魔獣の肉を喰らったり、あるいは自分自身の体内で醸成するのが常じゃからの」
「霊力の量が術の強さを決めるのか?」
「理屈で言えばそうじゃ。じゃがハシラヌシが魔物たちを従えていたのは、強さだけではない。やつには人や魔物を惹きつける魅力があった」
何? フェロモンてやつ?
「ハシラヌシは元来、人として魔物狩りの一族に生まれた男じゃ。人に仇をなす魔物を殺してまわるのが生業じゃったが、それに反発し魔物を助け、かくまうようになった。やがてハシラヌシを慕う魔物たちが現れ、それに怒った人間の王族たちと全面的な対立関係が生まれたのじゃ」
そりゃモメそうだ。
「やがて魔物と人間の間に大きな戦争が起き、長い戦いの末、ハシラヌシ率いる魔物軍が戦いに勝利した。魔物と人間はこれ以上争わないという協定を結び、大陸の上できっちりと互いの領土を棲み分けたのじゃ」
「それで魔物たちはみんな魔天ヶ原に引っ越したわけか」
「そうじゃ。広大な大地のある大陸の南側を魔天ヶ原とし、ハシラヌシは王として大陸を治めることになった」
ホントにそれ俺?
成し遂げたことがデカすぎて、自分のことだと全く思えない。
「力だけじゃなく、人格者でもあったんだな」
「そうじゃ」
織姫が深く頷く。
「そうでなければ、種族を分かつ魔物共を200年もの間、争い無く治めることなど出来はしまい?」
200年……? お前も長生きだったなハシラヌシ。霊力のせいか?
「まあでも、ハシラヌシがすごい奴だってのは良く分かったよ。
ところで、織姫とはどこで出会ったんだ?」
「妾か? 天帝からの献上品としてハシラヌシの元に送られたのでな。それが出会いじゃ」
「け、献上品?」
「当時のハシラヌシはまじで強かったからの。びびった父上が、ご機嫌取りのために妾を嫁に出したのじゃ。魔物を率いたハシラヌシが天界まで攻めてくるとでも思ったのじゃろ」
政略結婚かよ!
「最初は妾も嫌々じゃったがの、会ってみるとなかなかの男前じゃし、話も面白いし、何よりめちゃめちゃ優しくての。そのうち妾の方がゾッコンじゃ。好きすぎていつもハシラにしがみついておったし、ハートのお弁当も朝昼晩と欠かさなかった!」
三食とも弁当かよ。
「朝布団を出るときから、夜布団に入るまでずーっと一緒じゃ。さすがにハシラヌもうっとおしそうな顔しておったが、妾は一切動じなかった!」
束縛が重度!
「もー、好きすぎて好きすぎて……。死んだ時はガチで10年くらい泣いたわ」
なっが!
「じゃがこうして妾の為に生まれ変わってくれたのだし……。話をしておったら、あの時の甘いときめきが胸に溢れ出てきたの! あーハシラッ!! 好きじゃ!!!」
突然のデレ! つーか織姫の為に生まれ変わったとか、そんなつもりまったく無いし!
「あ、ありがとうよ、教えてくれて。そういや、ハシラヌシのことも、俺と同じくハシラと呼んでいたんだな」
「本来はハシラじゃからな。“ハシラヌシ”というのはハシラが王となった後に、人や魔物が呼ぶようになった名前じゃ。妾だけは、特別に本来の名で呼ばせてもらっていた」
「なるほどね。前世と今が同じ名前だってのも、不思議な話だよな」
「言霊は、想像よりもはるかに大きな因果を持っているからの。名前ひとつであっても偶然などないんじゃ」
「そっか。織姫が俺の名を聞いて驚いた理由が少し分かったよ」
「そうじゃろ? ハシラのエピソードなら他にもあるぞ? まとめて15時間はぶっ続けでしゃべれる自信がある! どれから話そうかの。えーっと……」
「いや、も、もうこの世界のことも少しは分かったし! そろそろ買い物に行かないか?」
コイツをこれ以上しゃべらせるとヤバい。
「そうじゃな! 行こう!」
意外と切り替え早かった。
「ところで俺、この世界のお金を持ってないけど、織姫は持ってるのか?」
「はーん……金じゃと?」
おっと嫌な予感。
「ふっ。妾など顔パスじゃ!」
嘘くせー!
「ちょっと待て。仮にだぞ? 織姫が本当に顔パスだったとしても、今のこの姿を織姫だと信じてもらえると思うか?」
「何を言っておる! 妾は妾じゃ!」
そういうことじゃない。
「……まあいいや、ともかく行ってみるか。しかし血まみれの服で外を歩くのもな……。この屋敷に着替えは置いてないのか?」
「寝間着はあるがの。死装束みたいで妾は好きじゃない」
織姫に言われて、隣の部屋の桐箪笥を開けてみる。なるほど、真っ白な生地だからな。
「今の服よりマシだよ。少しの間だ。我慢しようぜ」
「むー。じゃが妾に合う着物はないようだぞ?」
人形サイズじゃさすがに置いてないか……。
「一番小さくてもぶかぶかだが、仕方ない。とりあえずこれを……」
「良いことを考えた」
「……何?」
「とりあえずハシラ、これを着てくれ」
白い寝間着を俺に差し出す。
「? ああ……着るつもりだったけど」
言われるままに着物を取り、着替え終わると……。
「妾はここじゃ!」
突然織姫が飛び上がり、俺の懐にもぐり込んだ。
「お、おい何やって……」
「妾に合う着物はないのじゃから、ここなら丁度良かろう?」
「丁度いいのか?」
ぶっちゃけくすぐったいというか……軽くうっとおしいんだが。
「つうかお前、もしかして裸?」
「無論じゃ! 着るものが無いという話からこうなったのじゃろ?」
胸元に織姫の尻があたり、言いようのない気持ちになる。
「照れるでない。夫婦なのじゃから気遣い無用じゃ」
それは前世の俺とだろ?
今は記憶がないんだから、ほとんど別人だと思うが。
「もう……分かったよ。とりあえずこれで行くけど、着物を買ったらすぐに着替えるんだぞ?」
これじゃ気恥ずかしくて、平常心が持たないっての。
「もちろんじゃ!
さあ、レッツゴー!!」
はー……、やれやれ。
///////// ハシラ