九尾の宮
翌朝目覚めると、ハクレンの姿が見えない。
織姫は……俺の隣でぐっすりと眠っているようだ。寝顔だけを見ていると、本当に可愛らしい。まるで貴族のお屋敷にかざられたお人形のようだ。
それがなぜこれほど荒っぽい性格になったのか……。最も、それが織姫の魅力であるような気もする。俺は案外、コイツのことが好きなんだなと改めて思う。
「さて、起きるか」
一人つぶやき、朝日を拝みに外へ出る。
清々しい森の空気を肺いっぱいに吸い込んでいると、里の入り口からハクレンが歩いてきた。
「お早う、ハクレン。どこに行ってたんだ?」
「……ああ、魔獣避けの結界を確かめていたんだ」
「結界があるのか?」
「一応な。強い魔獣に効果はないが、灰オオカミや山イノシシくらいなら侵入を防げる。だが様子が芳しくない……」
「どうして? 結界に不具合でもあったのか?」
「結界に問題は無い。あるとすれば魔獣が侵入しようとした痕跡が無いことだ」
「それって良いことじゃないのか?」
「いや、この辺は魔獣が多くて、少なくとも一晩で数十匹は結界に引っかかるんだがな……」
「なるほど。いるはずの魔獣が一匹もいないってことか。確かに変だな……」
「狩られた形跡も無い。群れごと他の場所へ移動したのかもしれない」
「移動せざるを得ない、何らかの理由があったということか」
「耀玉の影響かもしれない……。神樹の根がこの辺りまで伸びていたか……」
「あるいはサクヤのせいか」
「どちらにせよ今の状態では判断出来ないがな。情報が少なすぎる」
ハクレンの言う通り、現状考えても答えは出ない。
「……なら、ともかく俺たちに出来ることをしよう。まずは石にされた人たちをどうにかしないと」
「……そうだな」
俺たちは家に戻り、織姫をそっと起こす。
「あー……。眠い」
織姫があくびをしながら言った。
「もう少し寝かせておいて欲しかったのじゃがな」
なぜキレ気味。
「十分寝ただろ。これ以上は寝過ぎだ」
「はぁあ? 妾に必要な睡眠時間を知っておるのか?」
「知らない。何時間だ?」
「……大体、15年くらいじゃな」
もはやコールドスリープ。
「ばか言ってないで、顔でも洗って来い」
「なんでじゃ。汚れておるか?」
……もしかしてそういう習慣がないのか?
「……まあいいや。織姫、これから九尾の宮に向かうんだ。一人は危ないから一緒に来てくれるか?」
「例え危険が無かろうと、妾はいつもハシラと一緒じゃ!」
そうかよ……。
「フッ。仲が良いんだな、お前達」 ハクレンが言った。
「夫婦じゃからな」
「その若さでか? なるほど、鬼の習わしは俺たちとずいぶん違うようだ」
若いと言っても俺は32歳。織姫など800歳だが……。
「ハクレンはどうなんじゃ? 嫁はおらんのか?」
「いない。家族は一人、妹だけだ」
「兄妹二人だけか。仲は良いのか?」
「……まあ、悪くはないな」
「そうか。会ってみたいのお」
「会えるぞ。石になってはいるが……」
おおっと……。織姫のやつ……地雷踏んでないか?
「それは残念じゃな。なあハシラ?」
俺に振るな。
「……そうだな。何とか、頑張ってみるよ。石化の解術」
「頼むぞ、ハシラ。ハクレンのためにも、な?」
地雷踏んだのは織姫なのに、なぜか俺が頑張るみたいな話に誘導されてないか?
「心配するな。ダメで元々、期待はしていない」
気を遣ったのか、ハクレンがつぶやいた。……何かすまん。
俺たちは家を出て、九尾の宮に向かう。
九尾の宮は、里の中央にある大きな建物だ。土台に石が盛られ、他の家々より数メートル高い場所に建てられている。数本の鳥居をくぐり、石段を上って宮の中へ入ると、板葺きの広い室内に、数十体の石像が並べられていた。
「うお……。ホラーじゃな」
「こら、織姫」
慌てて注意するが、無機質に石像が並ぶこの光景は確かにホラーだ。今が夜だったらさぞかし怖いだろう。
「野ざらしにしておくわけにもいかないのでな。里の者は全てここに集めてある」
「ハクレンが一人で運んだのか?」
「そうだ」
……なんだか、その姿を想像すると可哀想な気持ちになってくる。
「ハシラ、神眼で何か見えるか?」
「んー……」
神眼を使うが、モヤのように石像の周囲を漂う霊力しか見えない。
どうすれば石化が解けるんだろう。何か術式が見えれば話は違うが、そういった形跡は無い。だが、せっかくここまで来たんだ。どんな手がかりも見逃したくはない。そう思っていた時だった。
ふいに宮の外から強い霊力の気配を感じる。
意識をそちらへ向けると、何者かが里に降り立ち、こちらへ歩いて来るのが分かった。
「ハクレン、どうやら……」
「……サクヤが来たのか?」
「ああ。見つかったらしい」
隠遁を解いていたとはいえ、思ったよりも早い。
俺とハクレンがわずかに緊張する。
織姫は……、なんか鼻? ほじってる? ……こいつは一体。
「ここで一戦やるわけにはいかない。外で迎え撃つ」
ハクレンが深く息を吐いた後にそう言った。
「よし、行こう」
ハクレンと二人、そして懐の織姫も忘れずに、外のサクヤを出迎えることにした。




