九狐族の里
「ハシラぁ、まだ着かんのか?」
織姫がだるそうにつぶやいた。
「まだだよ。半日はかかるってハクレンも言っていただろ?」
「まったく。めんどうな話じゃ」
お前は俺の肩に乗ってくつろいでるだけだろ……。
「悪いな。お姫様まで付き合わせてしまって」
ハクレンが振り向きそう言った。
「気にするな。留守番してろと言ったのに、勝手に付いてきたのは織姫なんだから」
「はぁあ? 勝手にとは何じゃ! 夫婦なんじゃから一緒にいるのは当たり前じゃろ! それとも何か? ハシラは妾といるのがイヤなんか? お?」
「分かったって。サクヤに見つかるから……ちょっと静かにしてくれるか?」
「むっきゃー!! バカにしおってー!!」
してないだろ、まったく……。
俺たちは今、ハクレンの住んでいた九狐族の里に向かっている。
里の人々は石にされてしまったが、彼らを元に戻すためには耀玉を持ち出す必要があった。しかし、それをすれば妖狸族の人たちが困ってしまうため、どうしたものかと頭を悩ませていたのだが……。
ひょっとしたら、俺の神眼を使えば石化を解く手がかりが見つかるのではないか、というカイエンの助言を得て、九狐族の里へと向かうことになったのだ。
最初は俺とハクレンの二人で行くつもりだったが、織姫はまさか自分が置いて行かれるとは夢にも思っていなかったらしく……、壮絶な駄々っ子ぶりを発揮し、結局付いてくることになったのだ。
サクヤのことを多少でも知る織姫がいるのは心強いが、正直、織姫の身が心配でもある。
心臓を俺に渡したせいで、織姫は体が縮んだばかりか霊力まで失ってしまったらしい……。こればかりは俺が原因だし、責任も感じている。だからこそ、危険な目に遭わせたくないのだが……、どうにも織姫は俺から一切離れようとしない。
「織姫……、ちゃんと隠れていろよ? 今の織姫じゃ、到底サクヤにかなわないんだから」
「ふん、平気じゃ。あんな奴ハシラがばびゅって、やっつけてしまえば良い!」
ばびゅって何だよ。
「あいつがどんな術を使うか分からないしな。俺まで石にされたらどうしようもないだろ」
「今から石にされた時のことを考えてどうする? なるようになるんじゃ。心配ない!」
楽天家だな……。
「ともかく気をつけろよ。命を狙われてる理由さえ分からないんだから」
「分かった、分かった」
本当かよ。
「ひょうきんなやつらだな」
ハクレンがくすりと笑った。
「お前たちは不思議だ。まだ子供でありながら、俺など足元にも及ばぬ程強い。それでいて威張る様子もまるでない。一体何者なんだ?」
「何者って言われてもな……。ま、通りすがりの鬼、とだけ言っておこうかな」
元人間だけどな。
「くくく。鬼と出会うのは初めてだが、存外面白い連中だ」
いや、面白い(というか変?)のは織姫だけだと思うぞ? 他の鬼を知らないので何とも言えないが。
「サクヤとはどこで落ち合う約束なんだ? 耀玉を受け渡す手はずになっていたんだろ?」
「いや……特に決めてはいない」
「決めてない?」
「ああ。俺が耀玉を持っていれば、あちらから出向くと言っていた」
「なるほど。じゃあ、どこかでハクレンの様子を見ている可能性が高いってことか……」
「そうかもしれないな……」
そうなれば油断は出来ないが、今の所恐らく大丈夫だと思いたい。
なぜなら、昨日ハクレンとの戦いで使った隠遁をさらに応用させ、姿も、気配も、霊力さえも隠す術を生み出したからだ。……生み出したというより、元々あったらしいが、使える者は過去に数人しかいなかった。その名も“陽炎”だ。
この術をかければ、世界の何者にも認識されることはない。もはや完全な透明人間になれる。例えば自らに陽炎をかけた状態で他の誰かに触れたとしても、その人は触れられていることに気付かない。極端な話、殴られたとしても、なぜ痛いのかさえ分からないのだ。どんな悪行、犯罪にも使えてしまうため、非常に恐ろしい術となる。もちろん俺は悪用などしないけどな! 当然!
ただし、さすがにチート過ぎるためか、条件もやや厳しい。
今、陽炎を三人同時にかけているが、霊力の消耗が非常に激しい。ハシラヌシのように、自然界に充満する羅生霊力を少しは取り込めるものの、消費が早すぎてあっという間に術が解けてしまう。
そのために、ハクレンにも霊力を借りて何とか陽炎を維持してはいるが、うっかり体力を消耗して術を切らさないよう、ゆっくりと歩きながら行くしかないのだ。
サクヤの正体が分からない以上、用心には用心を重ねての行動だが……、おかげでなかなか目的地に辿り着かない。
「ああ、もうまどろっこしい。走って行けばいいじゃろ? 九狐族の里などあっという間に着くぞ?」
「うーん。気持ちは分かるけど……。サクヤに見つかる危険を考えるとな」
「平気じゃって。どうせ妖狸族の里も見つけられないポンコツじゃ。ここまでがっつり姿を隠さんでも、見つけられっこないわ」
「そうかなあ?」
「そうじゃ! 絶ぇっ対そうじゃ!」
はぁ、もうめんどくさい。
「どうだろう、姫様に従うわけじゃないが、ここらで一度“陽炎”を解いてみないか?」 ハクレンが言った。
「どうしてだ?」
「今のペースだと里に着く前に夜になる。この森は日が暮れると魔獣が群れるから、危険なんだ」
魔獣ですと? 火熊みたいのがゴロゴロ出てくるわけか?
「一匹を相手にするならばどうにかなるが、複数が相手ともなれば分が悪い。お前なら問題ないのかもしれなが、それでも不要な戦いは避けた方がいいだろう。サクヤにも気付かれるしな」
「……確かにな」
「陽炎を使っていれば見つかることはないが、わずかでも術が途切れれば、鼻の利く魔獣どもに瞬時に見つかる。多少危険だが隠遁のみを使い、走って森を抜けた方がいい」
なるほど。隠遁ならばそこまで霊力は消費しない。ハクレンの案に乗るか。
「分かった。なら一度、陽炎を解く。そのあとすぐ、各自で隠遁をかけ直そう」
「ああ」
「妾は! 妾はどうするんじゃ!」
「織姫には俺がかけるよ。心配するな」
「各自でと言ったじゃろ!」
「俺たちとハクレン、という意味だ。織姫と俺はセットだろ?」
「……ハシラ」
いや、うるっとした瞳で見つめられても困るんだが……。
「行くぞ」
ハクレンのかけ声とともに解術と施術を行い、九狐族の里に向けて走り出す。
まるで縫うように木々の間を駆け抜けるハクレンにどうにか追いついていく。
改めて思うが、ハクレンの身体能力は妖狸族のイヌナギやシュリと比較にならない。親戚筋とか言っていたが、どうしてこれだけ力に差が付いたのだろう。不思議だ。
いくつかの森を抜けて、ようやくハクレンが走るのをやめた。
目の前には石垣を積み上げた門があり、奥には立ち並ぶ家々が見える。
「ようこそ。九狐族の里へ」
ハクレンがそう言って、俺たちを中へ誘った。
街の造りは妖狸族の里と似ている。
違うのは、里を囲むように高い石垣が積まれている所だ。
「俺たちは妖狸族と違い、里を隠す程の隠遁は使えない。武に特化した一族だから、幻術の類いは不得手なんだ。だから、森をうろつく魔獣から里を守るためにああやって岩を積み上げている。それでも侵入してくる獣はいるが、その度に俺たちで撃退している」
九狐族が強い要因って、それじゃね?
しょっちゅう火熊みたいな魔獣と戦ってたら、そりゃ鍛えられるよな……。
「石にされた人たちはどこにいるんだ?」
「九尾の宮に集めてある。我らの祖であり、神獣でもあるアマツネ様を祀っている場所だ。わずかでも加護をもらえればと思ってな……」
以外と信心深いな。
「今日はもうすぐ日が暮れる。長く歩いて疲れただろ? 俺の家で休んでいくといい」
うん……後半なんて走りっぱなしだったからな。
「ふう~、くたくたじゃぁ」
なぜお前が疲れるんだ、織姫よ。
「ハシラ、腹減った。そこらの家から食べ物を分けてもらおう?」
「分けてもらおうって……、今はみんな石にされてるだろ?」
「だからじゃ。その隙に食べ物を分けてもらったら良いではないか。どうせ誰もいないんじゃろ?」
泥棒じゃねーか。
「姫様は腹ペコか? 我が家にあるもので良ければごちそうするが」
「ハクレンの家じゃと? ……ふむ、まあ行ってみても良いがな」
なぜ上から目線。
ハクレンに案内され、里はずれの家へ入る。木組みのしっかりした頑強そうな家だ。
「あいにく、山イノシシの干し肉しかない。姫様の口に合えば良いが」
ハクレンが壁にかかった肉の塊を手に取り、ナイフで薄切りにしていく。
「干し肉かぁ。なんじゃかのー。ごちそうと言うから期待したんじゃがなぁ」
いちいち文句が多い……。
「じゃが……モゴモゴ……うむ。堅いのう……でも……ムグムグ……まあ」
食べるか、しゃべるか、どっちかにしてくれ。
「ゴクン……。んー……旨い。気に入った」
気に入ったのかよ!
「それは良かった。まだたくさんある。好きなだけ食べるといい」
……思っていたよりも良い奴だな、ハクレン。
俺も少し頂くが、なるほど美味しい。
噛むほど味が出るし、塩加減も丁度良い。クセも無くて、さっぱりした味わいだ。
「むぐ、むぐ、旨い」
織姫のやつ、ひたすら食べ続けてる……。どんだけ腹減ってたんだ?
「ふう、満足じゃ!」
散々食べた後、膨らんだお腹をさすりながら織姫が言った。
「悪いなハクレン……。備蓄がほとんど無くなったんじゃないか……?」
「気にするな。どうせ俺一人じゃ食いきれん。姫様が満足したのなら良かった」
もう感謝しかありません。
「九尾の宮は、明朝案内する。今日はもう休んでくれ」
「分かった。……それとハクレン」
「何だ?」
「石にされた人たちの事だが……、あまり期待はするなよ? 術をかける瞬間を見ていたならともかく、術式の分からないものを解けるかどうかは分からない。解術出来る可能性はあるが、出来ないことも十分有り得る。それを覚えていて欲しい」
「構わないさ。可能性があるというだけで、俺には朗報なんだ。ここまで来てくれたことにも感謝している」
「そうか……」
……どうにかしてやりたいがな。いかんせん、術式を見ないことには何ともしようがないんだよな……。サクヤが現れ、もう一度術をかけてくれれば良いが……あまり現実的な話じゃないな。他に良い方法はないものか。
そんなことを考えている内に、外はいつの間にか暗くなり、月が空へと昇っていた。
ともかく明日考えよう。
藁敷きの上に織姫と二人、横になり目を閉じた。




