第7話 賢者、動く
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
冬の夜空を、流星群が飛び交っている。
今宵の幻想郷の空模様を、言葉で表現すれば、そのようになるだろう。
その輝きは、しかし大気圏内で燃え尽きんとする流星の光芒ではない。
燃え尽きる事なく物体を破壊し生命体を殺傷する、弾幕の煌めきである。
2人の弾幕使いが今、幻想郷の夜空を縦横無尽に高速飛翔しながら、破壊と殺傷の煌めきをぶつけ合っているのだ。
いくつもの浮遊する魔法陣を引き連れたフランドール・スカーレットが、小さな左手で奇怪な得物を振りかざす。
槍ほどに巨大化した、時計の針。
その一振りを号令として、魔法陣たちが一斉に弾幕を吐き出した。笊に盛った小さな木の実を無数ぶちまけたかのようでもある。
ぶちまけられた光弾の嵐を、博麗霊夢は逃げるようにかわした。実際、回避と言うより逃走に近い格好になりつつある。
「いけない、いけない……私、苦手意識が芽生えてるわね。あんたに対して」
霊夢は、お祓い棒を振るった。防御の形にだ。
フランドールが、自身の弾幕を蹴散らすが如く、突っ込んで来たところである。槍あるいは時計の針に似た武器を、可憐な剛腕で振り回し叩き付けて来る。
それを霊夢は、お祓い棒で受け流した。角度を僅かにでも誤れば、棒が折れる。腕も折れる。
受け流されたフランドールが、勢い余って空中で揺らぐ。
「あの薬が無かったら私、あんたに殺されてたとこなのよねっ!」
霊夢の声に合わせて陰陽玉が高速旋回し、フランドールを直撃する。
吸血鬼の小さな身体が、前屈みにへし曲がった。へし曲がった胴体に、陰陽玉は密着している。
霊夢は攻撃を念じた。
陰陽玉から、光弾の嵐が迸る。零距離の弾幕。
直撃を喰らったフランドールが、吹っ飛んで行く。
追撃をかけようとして、霊夢はまたしても逃げるような回避を強いられた。
吹っ飛んで行くフランドールの身体から、色とりどりの光弾が放たれていた。
その弾幕をかわしつつ霊夢は空中に踏みとどまり、左右2つの陰陽玉を旋回させる。
離れた所でフランドールも体勢を立て直し、空中に佇みながら霊夢と対峙する。
無傷であった。
無傷の、人形。
悪しき神が破壊と殺戮のために造り上げた、生ける自動人形。そんな事を、霊夢は思った。
フランドールの可憐な美貌には、相変わらず表情がない。虚ろなほどに澄んだ真紅の瞳は、ただ霊夢に向けられているだけだ。
この吸血鬼の少女が、本当に見つめているのは、姉レミリア・スカーレットただ1人。改めて霊夢は、それを実感した。
「……チルノが言ってた通り、なのかも知れないわね。あんたは別に、レミリアを恨んでるわけじゃあなくて」
チルノの姿は、見えない。
吸血鬼と博麗の巫女が、殺し合いをしながら本気で幻想郷上空を飛び回っているのだ。妖精が追い付いて来るのは難しいだろう。
「ただ、お姉ちゃんに会いたかっただけ……お姉ちゃんと一緒に、遊びたかっただけ」
博麗神社からも紅魔館からも、随分と離れてしまった。
雪を被った、まるで巨大な白いキノコのような樹木が、月明かりを受けながら眼下一面、群生している。魔法の森だった。
「でも駄目なのよフランドール。レミリアに、あんたを受け入れる事なんて出来やしないわ」
霊夢の言葉に、フランドールは応えない。人形の美貌を、ただ向けてくるだけだ。
「……だから、私が遊んであげる。私も私でね、あんたには負けっぱなしのまま」
右手でお祓い棒を構えたまま、霊夢は左手で、何枚もの呪符を広げた。扇のように。
「そう。あんたと正面から向き合わなきゃいけないのは、レミリアじゃなくて私!」
呪符の嵐を、霊夢は投射した。
旋回する2つの陰陽玉が、光弾を速射する。
呪符と、光弾。2種類の攻撃から成る霊夢の弾幕が、フランドールを強襲し、そして砕け散った。
巨大な光の刃が、無数の呪符をことごとく斬り払って粉砕し、光弾の嵐を薙ぎ払い打ち砕く。
左手には巨大化した時計の針、そして右手には燃え盛る光の剣。
そんな完全装備をしたフランドールが、弾幕を蹴散らしながら霊夢に迫る。
迫り来る、その動きが一瞬、止まった。
時間を止められた、と霊夢は感じた。
「……退きなさい博麗霊夢。フランドール様は、私がお止めしなければならないのよ」
空中に浮かび静止する、無数のナイフ。
それらを足場に、何人もの十六夜咲夜が立っていた。いや、すでに動いている。
「フランドール・スカーレット様に関する、全ての物事に……」
「私たち紅魔館は、責任を負わなければならない!」
2秒前の咲夜、1・7秒前の咲夜、1・34秒前の咲夜、1・08秒前の咲夜、0・6秒前の咲夜、0・23秒前の咲夜、現在の咲夜。
その全員がナイフを閃かせ、様々な方向からフランドールに斬りかかってゆく。
「何度でも申し上げます。紅魔館にお戻り下さい、妹様」
「さもなくば、この十六夜咲夜! 貴女様に御無礼を働かねばなりません!」
全方向からの、疾風のような斬撃で、フランドールの小さな身体は4等分されて飛び散った。
いや、そうではない。4人のフランドール・スカーレットが、そこに出現していた。高速移動と幻覚魔法の併用。
時間停止を解かれて降り注ぐナイフの雨を、4人のフランドールがゆらゆらりと回避する。
一方、咲夜は現在の1人だけに戻り、時が止まったままのナイフの刀身に着地していた。
だが、次の動きに出る事が出来ない。
霊夢が、お祓い棒を突き付けたからだ。
刃物でもない紙垂を喉元に当てられただけで、咲夜は動けなくなっていた。
「あんたたちは……何のために、この化け物を連れ戻そうとしてるわけ?」
「……口を慎みなさい博麗の巫女。化け物ではなく、フランドール・スカーレット様よ。紅魔館へお戻りいただくのは当然」
「まさかとは思うけど、レミリアを守るため?」
お祓い棒の先端で、咲夜の細い首筋を軽く叩きながら、霊夢は言った。
「要らないから、捨てたのよね」
「…………」
「……あんたたちに、レミリアは返さないわよ」
咲夜は、何も言わない。霊夢の眼光を受け止める事も出来ず、目を背けるだけだ。
声が、聞こえた。
「……ぉい、おおぉーい! 何やってる!」
チルノだった。
氷の翅を煌めかせ、ようやく追いついて来たところである。
「霊夢も咲夜も、目の前にフランがいるのに何でケンカしてるんだ!」
「……チルノに正論をもらうとはね。博麗の巫女も、やきが回ったもの」
苦笑しつつ霊夢は、咲夜をその場に放置して単身、フランドールを迎え撃った。
吸血鬼の少女が4人、憤怒も憎悪もない人形の美貌のまま、しかし殺意丸出しの超高速で襲いかかって来る。
1人が、光の剣を振り下ろす。
弾幕の塊でもある斬撃を、霊夢はかわした。
その時にはしかし、塊ではない弾幕が霊夢を取り囲んでいた。2人目、3人目のフランドールが、光弾の嵐を放ったのだ。
色とりどりの弾幕が、一斉に霊夢を襲う。
そして、消えた。そう見えた。
弾幕が、視界の外へと消え失せた。
いや違う。霊夢の方が、弾幕の外へと引きずり出されていた。咲夜の、強靭な細腕によって。
「時間、止めたわね……」
呻く霊夢を物のように掴み寄せながら、咲夜がナイフの上に着地する。
時間を止められていた弾幕が、霊夢という標的を失って、あらぬ方向に飛び散ってゆく。
余計な事を、という言葉を霊夢は呑み込んだ。
今の弾幕。咲夜が時間を止めてくれなかったら、霊夢が自力で回避出来ていたかどうかは若干、怪しい。
「……助けてくれた事は感謝するわ。いつか借りは返す。けどねえ」
「貸したわけではないわ博麗の巫女。貴女を、死なせるわけにはいかないだけ」
霊夢の目を見ず、咲夜は言った。
「貴女には……これからも、レミリアお嬢様を守っていただかなければ」
「あんたねえ! レミリアを守るにしたって、やり方ってもんがあるでしょうが!」
霊夢は、咲夜の胸ぐらを掴んでいた。
「下手な芝居で、レミリアを追い出して傷付けて! あの子ねえ、ずっと心配してんのよ!? あんたら紅魔館の連中を! 自分を追い出した連中の事を!」
咲夜は答えず、ただ霊夢を突き飛ばした。
4人目のフランドールが、殴りかかって来たところである。
槍のように巨大な、時計の針。時間停止をも粉砕するその武器が、霊夢を直撃する……寸前で標的を失い、咲夜を打ち据えた。
博麗の巫女とは違う、霊力で防御する術など持たぬ細い人体が、グシャリと痛々しくへし曲がり、錐揉み状に回転しながら鮮血をぶちまけ、落下して行く。
霊夢は息を呑んだ。目を見張り、呆然とした。
現実を、受け入れる事が出来ない。
防御能力を持たぬ人間に、守られた。その現実を。
「博麗……霊夢……」
綺麗な口元を吐血で汚しながら、咲夜は辛うじて聞こえる声を発した。
「レミリアお嬢様に、どうか伝えて……パチュリー様は……お元気、とは言えないけれど……どうにか生きておられるから……ご心配……なさらないで……」
血を吐き、言葉を吐きながら、咲夜は魔法の森へと墜落して行く。
「さくやぁあーっ!」
チルノが、それを追う。
呆然と見送っている、場合ではなかった。
4人のフランドールが、霊夢を取り囲んでいる。
「十六夜咲夜……あんた、一体何者なのよ……」
辛うじて、霊夢には見えた。
直撃を喰らった際の、咲夜の身のこなし。
叩き付けられて来る吸血鬼の得物。その凄まじい破壊力の方向に合わせて彼女は細身を捻り、衝撃をいなし受け流した。
修行を怠けている自分とは違う、と霊夢は思った。
妖怪と戦うための、過酷な戦闘訓練を受けた者の動きだ。
「……悪いわねフランドール、ますます殺されてあげるわけにいかなくなったわ」
4体の吸血鬼を見回し、睨み据え、霊夢は言った。
「あんたのとこの、いけ好かないメイド長にね……借りを、返さなきゃ」
自分の名前も、俺は思い出せなくなっていた。
自身に関する様々な記憶が、日に日に失われてゆく。
構わない、と俺は思う。
はっきり言って、ろくな人生ではなかった。失われて悲しくなるような記憶も思い出も、俺にはない。
女神は言った。全て忘れてしまう前に話してごらんなさい、私が覚えているわ……と。
だから俺は話した。親父が最低な男で、幼い俺に様々な暴力を振るっていた事。おふくろが、そんな男のもとに俺を放置して逃げた事。俺が、13歳の時に親父を刺し殺した事。そんな俺を、とある会社の社長が拾ってくれた事。
その会社は、恵まれない人々のための事業をしていた。
恵まれない人々に金を貸し、さらに恵まれない境遇へと叩き落とす。そんな仕事で、俺はめきめきと頭角を現した。
「俺は……一言で言えば、調子に乗っていたんだと思う。悪い事をしているなんて、思った時点で負け。そういう世界だったからな……ああ、人なら大勢殺した。生きたまんま埋めた事もあるし、自殺に追い込んだ事もある。殺される連中の気持ちなんて……今更わかったって、遅いよな……」
「罪を、犯してきたのね。罪を犯さなければ、生きてゆけない世界で」
女神の声は、慈愛そのものだった。今やこの世で最も無様な姿に成り果てた俺を、優しく包んでくれる。
慈愛に包まれながら、俺は語り続けた。
「殺されるのは、苦しいに決まってる……だけど俺は、殺して奪う生き方をやめられなかったんだ。何をしても会社が守ってくれたからな……それだけ力のある会社だったんだ。実はある政党と公に出来ない繋がりのある会社で、大抵の事は揉み消してもらえた。その政党ってのが、何とかいう宗教団体が支持母体になっていて……社長も、表向きにはその宗教の信者って事になってた。何て宗教だったかなあ、確か……も、もり……もり何とか……そんな名前の宗教団体……まあ、もうどうでもいい事だけどな……どんな宗教の神様だって、俺を救う事なんて出来やしない……」
「私も、貴方を救ってあげる事は出来ない。出来るのは、ただ貴方を哀れんであげる事だけ……かわいそうな人……」
「今、貴女にそう思ってもらえるだけで、俺のクソみたいな人生にも甲斐はあった」
俺は笑って見せた、つもりだが、醜悪な肉塊が震えたようにしか見えないかも知れない。
「もう思い残す事はないよ。このまま貴女に殺してもらえたら、それが俺にとっては一番の幸せだ」
「……それなら、貴方の命をもらうわ」
女神の、強い眼差しを、俺は感じた。
「私に命を捧げなさい。今から貴方は、私の兵士よ」
「兵士……」
兵隊なら、俺にも大勢いた。全員、殺された。
あんな連中とは違う。この女神のためにのみ戦う、兵士。そんな崇高な存在に、俺は成れるのだろうか。
「俺に……貴女のために戦う力など、あるのだろうか……?」
「貴方は罪悪の袋。外の世界の罪と穢れ、そのものと言うべき存在。使い方次第では、無限の力に成れるわ」
女神が、俺を役立てようとしてくれている。
この幻想郷という地獄で、俺は惨たらしい目に遭った。
それもしかし、この女神に仕えるための禊だと思えば、むしろ栄誉である。
「私には、戦力が必要なのよ。博麗の巫女と戦うための、ね」
女神は言った。
「博麗の巫女は今、己の本分を忘れ私情に走っている。異変解決を怠り、幻想郷の安定のためにのみ振るうべき力を濫用している。私的な情誼を維持するために……ね。私は、そんな彼女に罰を与えなければならないのよ」