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異説・東方妖々夢  作者: 小湊拓也
43/48

第43話 燃える博麗神社(5)

原作 上海アリス幻樂団


改変、独自設定その他諸々 小湊拓也

 僕が弾幕を撃とうと思ったら、女の子になるしかないな。

 森近霖之助が以前、冗談めかして言っていた事である。

 霧雨魔理沙も、思わざるを得ない。男という生き物には、弾幕を扱う能力が、適性が、根本から欠けていると。

 男が男のまま弾幕戦に参加するならば、まず人間をやめるしかないのではないか。

 この、罪悪の袋のようにだ。

「お前、しぶといわね……諦めない事が美徳だとでも思っているの?」

 十六夜咲夜が、明らかに苛立っている。

「諦めずに闘志を燃やす、誰かのために命を燃やす……そんな行いが、お前たちに許されているとでも?」

「……貴様の許しを得よう、という気はないんでな」

 痛ましいほどに醜悪な生き物が、ぶちまけられた腐肉のような様を晒しながら、それでも会話に応じている。

 博麗神社の石畳に、肉質の汚物がへばり付き広がっている。そんな有り様である。

 霊夢が見たら怒り狂うかも知れない、と魔理沙は思うが、その博麗霊夢は今、八雲紫にお祓い棒を叩き込んでいる最中である。こちらで繰り広げられている戦いには気付いていない。

 否。これを、戦いとは呼ばないであろう。

 紅魔館のメイド長が、醜悪な生き物を切り刻みにかかっているだけだ。

 咲夜にしては、いささか手際が良くないようではある。罪悪の袋はズタズタに裂け、流れ出す体液を弱々しい光に変え、だがそれを光弾として放つ事も出来ず、それでもまだ生きている。

「……ひとつ、思い出した事がある……」

 弾幕になりきれない光をキラキラと立ちのぼらせながら、罪悪の袋は言った。

「十六夜咲夜……お前のような連中が、俺たちの世界に……確かに、いた……も……もり……お前……守矢か……?」

「……久しぶりに、おぞましい単語を聞くものね」

 咲夜の口調は、冷静ではある。

「あちらとしても……ふふっ、私をおぞましい裏切り者と認識しているでしょうけれど」

 燃え盛る憤怒を、憎悪を、冷静さで包み隠している。魔理沙は、そう感じた。

「守矢……その名を、幻想郷で耳にするとは……過去からは逃げられない、という事ね」

「……今の、俺のような連中を……大いに、狩り殺していたんだろうな……」

「お前のような……腐り果てた人間どもを、守るために。ね」

 咲夜の、鋭く冷たい眼光が、さらに冷たく燃え上がる。

 守矢。それが何であるのか無論、魔理沙は知らない。

 何となくわかるのは、それが咲夜の心の、他者がみだりに触れてはならない部分なのであろうという事だけだ。

 罪悪の袋は、そこに触れてしまった。

「……そこまでだぜ、2人とも」

 魔理沙は言った。

「咲夜お前、いよいよこいつを嬲り殺しにするつもりだろ。丁寧に切り刻んで」

「……止めようと言うの? 魔理沙」

「弾幕戦の決着はついた。これ以上は……もう、弾幕戦じゃあない」

 解体された家畜の臓物、のようでもある生き物を、魔理沙は背後に庇っていた。

「……お前、よくやったよ。弾幕の初心者が、十六夜咲夜を相手にここまで保てば大したもんだ」

「……狙わない……相手に、自分から当たりに来させる……難しいもんだな……」

「言われて、いきなり出来る事じゃないぜ。お前みたいな生まれたての弾幕使いに、出来てたまるかってんだ」

 魔理沙は、咲夜と対峙していた。

「……どきなさい、魔理沙」

「咲夜……私はな、お前にもパチュリーにも、こんな事はもうして欲しくないんだよ」

 魔理沙は、帽子を脱いだ。

「……頼む。もう、やめてくれ」

「……………………」

 冷たく燃える咲夜の眼光を、魔理沙は正面から受け止めた。

 やがて、咲夜の方から視線を外した。小さな人影が、歩み寄って来たからだ。

 咲夜がそちらを向き、しとやかに跪く。

「思いとどまってくれたのね、咲夜」

 レミリア・スカーレットが微笑んでいる。

「そう、それは咲夜のする事ではないわ。思いとどまってくれないようならば、私が……その無様な生き物を、苦しみもなく消し飛ばしていたところ」

「……御目汚しを、いたしました」

「興味深かったわ。私を殺しに来た時の咲夜を、思い出してしまった」

 ちらりとレミリアが、魔理沙に視線を向けてくる。

「幻想郷の、秩序の守護者……霊夢よりも、お前の方が適任かも知れないわね。霧雨魔理沙」

「紅魔館の最高責任者は今……お前の方、って事でいいんだよな? レミリア・スカーレット」

 少し前までの紅魔館の主……フランドール・スカーレットが、巨大な鞠を転がしていた。その鞠が、悲鳴を上げている。

 注連縄でひとまとめに絡み合った、2人の少女。化け猫と狛犬である。

「やめなさい、フラン」

 レミリアが、妹を掴んで引き寄せた。

「……で、紅魔館の主に何か?」

「お前らが外の世界で何やらかしたのかは、まあいい。気になるけど気にしない事にする」

 魔理沙は言った。

「……同じ事、幻想郷でやろうってんなら私は許さないからな」

「ふふ……許さなければ、どうするのかしら?」

「お前は、そんなつまらない事を訊くような奴じゃあないだろ」

 魔理沙は、睨み据えた。

 レミリアが、にっこりと牙を剥いた。

「……肝に銘じておくわ。幻想郷には、とてつもなく手強い守護者がいると」

 霊夢にとっては受け入れ難い事実であろう、と魔理沙は思う。

 博麗神社で飼われていた、可憐な愛玩動物は、もういない。

 真紅の悪魔が、夜魔の女帝が、完全に甦ってしまったのだ。

 その原因を作り出した八雲紫を、霊夢がお祓い棒で叩きのめしている。

 扇子を取り落とし、微量の鮮血を散らせながら、紫はよろめいて後退りをする。

 後退りをした、その先で空間が裂けた。空間の裂け目に、紫は逃げ込もうとしている。

「逃がすかあッ!」

 右手でお祓い棒を保持したまま、霊夢は左手を振るった。翼のような付け袖から、蛇のようなものが現れ伸びた。

 紫の全身に、注連縄が絡み付いていた。縄と縄の間から、豊かな胸の膨らみが押し出された。

 絡め取った紫の身体を、霊夢が容赦無く引きずり寄せる。そうしながら片足を離陸させる。

 スリムな脚線が、斬撃のように一閃した。

 空間の裂け目とは別方向に、紫は蹴り飛ばされていた。

「うっ……く……」

 縛られたまま、紫は石畳にぶつかり転がった。

 そちらへ霊夢が容赦なく、踏み込んで行く。

「……レミリアは、返してもらうわよっ」

 突き出された掌で、光が膨れ上がってゆく。

 霊力の光で出来た、それは巨大な陰陽玉であった。

「違う……それは違うぜ、霊夢」

 魔理沙は、声を投げた。

「八雲紫のやった事は、きっかけでしかない。レミリアはな、今じゃなくてもいつかは……お前から、離れて行く事になったと思う。自分の意志で」

「ふん。レミリアの自由意志なんて、私が認めるとでもッ!?」

 叫ぶ霊夢を、レミリアは無言で見つめている。

 ともかく。巨大な光の陰陽玉が、紫を吹っ飛ばそうとしている。

 罪悪の袋が、動いた。

 その動きを魔理沙は、魔法の箒で遮り妨げた。

「やめとけ、あっちの弾幕戦はまだ決着じゃあない。お前なんかが飛び込んだら、死ぬぞ」

「……紫が……このままでは、紫が……行かせろ、俺を行かせてくれ……」

「あの八雲紫ってのはな、霊夢が殺す気でぶち込んでも死なない程度には大妖怪だ」

 殺す気なのかどうかはともかく霊夢が、燃え盛る光の陰陽玉に、さらなる霊気を流し込んでゆく。

「陰陽宝玉……!」

 博麗の巫女の声に合わせて陰陽玉が、轟音を立てて膨張した。

「大妖怪は……もう少し、ぶちのめされた方がいい。そうなって初めて、弾幕戦の決着だ」

 魔理沙は言った。

 同時に、ここにはいない誰かが言った。魔理沙の脳裏でだ。

 強い奴は、容赦なくぶちのめす。弱い奴は相手にしない。それが弾幕戦ってものさ。弾幕使いは、弱い者いじめをしちゃあいけない。まあ私はやってるけど……でもやっぱり弱い奴は逃がして再起させた方が面白い。

 だから私は、あの半人前の巫女を逃がしてやったんだ。ちょうどいい。魔理沙お前、あいつと一緒に修行してやれ。

(……だから誰なんだよ、あんたは……っ!)

 帽子の上から。魔理沙は頭を押さえた。

 自分はやはり、忘れている。決して忘れてはならなかったものを。

 それはともかく。光の陰陽玉が、凶暴に燃え輝きながら紫を襲う。

 罪悪の袋が、魔理沙の箒を懸命に押しのけようとする。

 それをさせまいとするかのように、

「紫さまぁああああああああ!」

 化け猫の少女が、注連縄を振りほどいた。狛犬の少女を蹴りつけるように、跳躍していた。

 そして、紫にぶつかってゆく。紫を、突き飛ばそうとしたのだろう。

 間に合わず2人とも、光の陰陽玉に吹っ飛ばされていた。

 巨大な陰陽玉の形を成していた霊力が、爆発した。夜空を白く染めるほどの爆発光が、スキマ妖怪と化け猫を直撃する。

 真昼のような光は、やがて消え失せた。

 石畳の上では2匹の妖怪が、屍のような様を晒している。

 八雲紫は、注連縄からは解放されていた。注連縄はちぎれて衣服はボロボロ、その下の肉体がどれほどの傷を負っているのかは見当もつかない。美貌は血まみれである。

 血に濡れた唇が、か細い声を紡ぐ。

「…………橙……」

 そう呼ばれた化け猫の少女も、紫と同じような有り様だ。

 そんな橙を無視して、霊夢が紫に歩み迫る。お祓い棒の紙垂が、獰猛に揺らめく。

 魔理沙が何か声をかける前に、橙が、よろよろと立ち上がっていた。そして霊夢の前に立つ。

 小さな背中で紫を庇い、博麗の巫女を見据え、両腕を広げる。通せん坊、の格好だ。

 血まみれの細腕から、ぼろぼろの袖が剥がれ落ちる。

 それでも橙は通せん坊をしたまま、霊夢と対峙し続けた。可憐な唇の内側で、小さな牙を食いしばっている。

「……橙……そこを、どきなさい……」

 紫が呻く。

 橙は何も言わず、動かない。霊夢と睨み合っている。

 お祓い棒を、霊夢は橙に突き付けた。

 橙は動かない。霊夢を睨んだまま、微かに牙を剝く。

 霊夢は、小さく息をついた。お祓い棒を下ろし、橙と紫に背を向ける。

「……一宿一飯の恩が、あるものね」

 そんなことを言っている霊夢も、決して無傷ではない事に、魔理沙はようやく気付いた。

「霊夢……」

 駆け寄る。

 それを待っていたかのように霊夢が、よろりと倒れ込んで来た。

 魔理沙は抱き止め、囁きかけた。

「……何だよ。随分、派手にやられてるじゃないか」

「半分……自滅みたいなものだけどね。夢想封印、自分で喰らっちゃった」

「よく生きてた。今、手当てをしてやる。今日はもう休め」

 霊夢は応えず、魔理沙の支えをやんわりと振りほどいた。

 自力で立ち、睨み据える。無言のままレミリアが、まっすぐ視線を返す。

 眼光が、ぶつかり合った。

「……やめておきなさい、霊夢……」

 橙と支え合いながら、紫が弱々しい声を発している。

「何度でも言うわよ。今の貴女では……私には勝てても、レミリア・スカーレットには絶対に勝てない……仮に、無傷であったとしても」

「……安心なさい。今、霊夢を打ち負かそうという気はないわ」

 レミリアが言った。

「魔理沙の言う通りよ。今日は休みなさい霊夢……明日、改めてお話を。ね」

「……………………」

 霊夢は無言である。

 両の瞳が禍々しく燃えている、ように見えるのは、篝火を映しているせいであろうか。

 新たな気配が生じた。

「……こちらにいらしたのですね、紫様」

 夜闇の中から、その姿は突然現れ、篝火の明かりに照らし出された。博麗神社の長い石階段を登って来たのか、あるいは八雲紫のごとく空間の裂け目でも開いて出現したのか。

 後光のような9本の尻尾。魔理沙は見覚えがあった。忘れるはずがない。

「お前……」

「久しぶりだね霧雨魔理沙。もっとも私は、あれから度々、君の活躍を覗き見ていたのだが」

 理知的な美貌が、にこりと微笑む。

 間違いない。フランドール・スカーレットと初めて戦った夜、紅魔館で出会った九尾の妖獣。

「積もる話もしたいが、先に我が主への報告を済まさせてもらおう……紫様、後戸の神からは協力の確約を得る事が出来ました」

 人型の妖狐が、恭しく跪く。ふっさりと揺れる九つの尻尾が、その細身を後ろから包んでしまいそうだ。

「西行寺幽々子の方はいくらか行動が読めませんが、最悪でも我らの妨害に走る事はないでしょう。問題は、やはり妖怪の山です。異変解決に協力どころか、いつ異変の源となっても不思議は」

 九尾の妖怪は、そこでようやく紫の有り様に気付いたようであった。

「……紫様……? それに、橙も……」

「……妖怪の山は当面、放置しておきましょう」

 橙に支えられて、紫がよろよろと立ち上がる。その橙も、紫にしがみつくようにしている。

「…………藍様……」

「橙……何があった? 紫様、これは一体」

「見ての通りよ藍。私がね、弾幕戦に負けただけ」

 幻想郷では当然ある事、と言わんばかりの、紫の口調であった。

「このスキマ妖怪……あんたの御主人だったのね、八雲藍」

 霊夢がそう言って、ひとまずはレミリアから視線を外した。

「……とっとと連れて帰って、手当てでもしてやりなさい」

 八雲藍、という名であるらしい九尾の大妖獣は、何も応えない。

「……藍様……橙は……」

 何か言おうとする橙の頭を、藍がそっと撫でる。

 紫が言う。

「……橙はね、私を守ってくれたのよ」

「……橙……なんにも、出来なかったね……」

「博麗の巫女を相手に、迂闊な事をしては駄目よ橙。今後、2度としないように」

 紫が、よろめいて踏みとどまり、背筋を伸ばした。

「それで藍……彼女は、快く貴女に会ってくれたのかしら?」

「はい。紫様宛てに1つ、お言葉を賜りました」

 藍の口調は、静かである。

 先程の咲夜と同じだ、と魔理沙は感じた。燃え盛る何かを、冷静さで包み隠している。

「そろそろ、お前の戦いを見てみたい……と」

「……皆で私に、同じ事を言うのね。私が自分で戦ったら、こんな無様な事にしかならないと言うのに……」

 言いつつ紫が、弱々しく膝を折る。自立する力を失い、崩れ倒れる。

 その身体を、藍が抱き止めた。

 紫を、橙を、藍は一緒くたに抱き締めていた。

「…………藍……?」

「……藍様…………」

 広い袖と、豊かな胸。その優しい抱擁の中に、紫も橙も沈んでゆく。

 愛しげに、本当に愛おしそうに、藍は2人を抱き締めた。

 やがて、ふわりと抱擁を解く。

 ひしっと支え合いながら、紫と橙が石畳に座り込む。

 呆然とする2人を背後に庇い、藍は霊夢の方を振り向いた。

 博麗の巫女を見据える瞳は、霧の湖のように涼やかで静かだ。

 だが九本の尻尾の揺らめきは、まるで燃え盛る炎である。黄金色の炎だ、と魔理沙は思った。

 霊夢を見つめたまま藍は、ただ一言、告げた。

「殺す」

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