第41話 燃える博麗神社(3)
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
篝火に照らされた博麗神社の夜景が、すっぱりと裂けていた。
その裂け目の縁に腰掛けて悠然としている。そんな女が、人間であるはずはなかった。
「八雲紫……そう、あんたが……ッッ!」
言葉にならなかった。怒りと憎悪の炎が、霊夢の語彙力を焼き尽くしてしまっていた。
身体が、ほとんど勝手に動いていた。白い付け袖が荒々しくはためき、黒髪と紙垂が弧を描く。
お祓い棒を振るいながら、霊夢は呪符の束を投げつけていた。空中に撒かれた呪符たちが、一斉に飛翔する。
紙垂の舞いに合わせて、いくつもの大型光弾が発生し虹色に輝く。
陰陽玉が2つ、博麗霊夢の左右で激しく発光する。その光が、放出されながら無数の弾丸と化す。
呪符、光弾、そして夢想封印。博麗の巫女の、必殺の弾幕が、空間の裂け目に腰掛けた牝妖怪を強襲する。
八雲紫の姿は、しかしそこにはすでに無かった。
裂け目だけが残っており、その中に霊夢の弾幕は全て吸い込まれた。呪符の豪雨も、光弾の嵐も、虹色の夢想封印も。
裂け目が閉ざされ、消えた。
直後。ぞっとするほど涼やかな声が、霊夢の耳元をくすぐった。首筋に、何かが触れてくる。
「何の考えも無しに夢想封印を放つ、かわされる、反撃を受ける」
八雲紫は、背後にいた。畳んだ扇子を、霊夢の細い首筋に当てている。
「幽々子と戦った時から……いえ、紅霧異変の時から度々見られた戦いぶりね。いい加減に学習なさい、博麗の巫女」
「私の、戦いを……」
扇子ではなく刃物であったら、自分は死んでいた。
自分は今、敗れて死んだ。
その思いを押し殺し、霊夢は言う。
「……こっそり、陰から見てたってわけ?」
「胸を張りなさい。見られて恥ずかしい戦いではなかったと貴女が思うなら、ね」
言葉と共に、八雲紫がふわりと飛び退る。
霊夢が、振り向きざまにお祓い棒を叩きつけていた。かわされた。
「私の方がね、恥ずかしくて見ていられなくなったから……こうして、姿を現したのよ」
軽やかに、紫が石畳に着地する。体重を全く感じさせない。この妖怪には果たして実体があるのか、と霊夢は思った。
「……ふん。陰でコソコソするだけの雑魚妖怪が、私に退治されるために姿を現した、と」
篝火の揺らめく明かりの中、霊夢は若干の距離を隔てて八雲紫と対峙している。
「……レミリアに、何をしたの?」
「私はただ、スカーレット姉妹に仲直りをして欲しかっただけ」
対峙を見つめるレミリアとフランドールに、紫がちらりと視線を投げる。
「彼女たちにはね、力を合わせて、次の異変に立ち向かってもらわなければ」
「次の異変……? あんたが何かやらかそうってわけ? そんなの私が叩き潰してやる。レミリアを駆り出す必要なんて」
「はっきり言わないと駄目なのかしらね……博麗霊夢。今の貴女に、異変解決は任せられないのよ」
夜なのに開いた日傘を、くるりと弄びながら、紫は嘲笑ったようである。
「この度の異変で、自分がどんな様を晒していたのか。思い返してみる勇気はあるのかしら?」
「……言い訳はしない。私は魔理沙に助けられて、十六夜咲夜と魂魄妖夢にも助けられて、自分じゃ何も出来なかった」
霊夢は、紫を睨み据えた。
「せめて……八雲紫。あんたみたいな雑魚妖怪の1匹くらいは、自力で退治して見せないとね」
「やめなさい、霊夢」
レミリアが言った。
「八雲紫は……私から見ても、底の読めない相手よ。迂闊な事をしては駄目」
「黙って見てなさいレミリア、後でお尻ひっぱたいてあげるから!」
霊夢は石畳を蹴り、踏み込んだ。
迂闊な事をしてはいけない、というレミリアの言葉は、まさにその通りではある。むやみに弾幕を放ったところで、先程のように吸い込まれるだけだ。
ならば、まずは白兵戦である。
近距離戦闘の構えを見せようともしない八雲紫に、霊夢は思いきりお祓い棒を叩き込んでいった。大型の紙垂が、斬撃の如く一閃する。並の妖怪であれば跡形もなくなる、退魔の一撃。
それが紫に激突し、跳ね返った。
霊夢はよろめき、踏みとどまりながらお祓い棒を構え直し、息を呑んだ。
紫は一見、何もしていない。
霊夢の攻撃を日傘で防いだ、わけでもなく、ただ優雅に佇んでいる。
そんな牝妖怪の周囲に、目に見えぬ防壁が発生していた。
「私と周囲の間にある境界を、いくらか調整するだけで、こうして結界が成る。それが私の力よ」
言いつつ紫が、その結界の中から、じっと霊夢を見つめる。
何かをされている、と霊夢は感じた。
その何かは、しかし霊夢には全く影響を及ぼさなかった。
「貴女の輪郭……恐ろしく、強いわね」
紫が、呆れたように微笑んだ。
「頑なな心が、そのまま博麗霊夢という1個の人間を形作っている……自分を自分たらしめる、その強い境界線。いつまで保っていられるものか、見せてもらうわよ」
どうやら四角い、箱型の結界が発生している。
自身を包み守るそれを、ゆっくりと回転させながら、紫は宙に浮いていた。
「霊夢……貴女はすぐに、自分を維持する事すら出来なくなるわ」
紛れもなく実体だ、と霊夢は思った。この牝妖怪は、霊体や幻影の類ではない。
スカーレット姉妹や伊吹萃香と同じである。とてつもない妖力が超々高密度で凝集し、嫋やかな女の肉体を組成している。
その妖力の、ほんの一部が迸っていた。
回転する結界から、無数の光弾が溢れ出し、霊夢を襲ったのだ。
「くっ……!」
霊夢は、お祓い棒を振るいながら右へ跳び、左へ跳び、後方へ跳んだ。
霊力を宿す紙垂が、荒々しく舞って光弾を打ち砕く。
紙垂をかわして飛来した光弾が、霊夢の全身をかすめて走る。
「さすが……よく、かわすものね」
回転する結界の中で、紫が微笑む。その美しく不愉快な笑顔が、遠ざかって行く。
左右にかわし、後方へかわす。間合いが、開いてゆく。それはつまり逃げている、という事だ。
霊夢は唇を噛んだ。
結界を回転させ、弾幕を展開しながら、紫は嘲笑う。
「そのまま、かわして逃げて……この神社からも、逃げ出すのかしら?」
「ぬかせ!」
霊夢が無理矢理、前方へと方向転換をしようとした、その時。
凄まじい速度で回転する何かが、視界の外から飛び込んで来た。
目視では回避が間に合わぬ速度。肌で感じられるものに従い、霊夢は石畳に倒れ込んだ。
猛回転する何かが、霊夢の頭上を通過し、着地する。
霊夢は素早く身を起こし、その何かと対峙した。
2本の、猫の尻尾が、まず見えた。
「……お前の事、わかってきたよ博麗の巫女」
獣の如く低い姿勢で牙を剥き、二又の尻尾を立てて、その少女は言った。
「お前、かわすの上手い。ただそれだけ……紫様の敵じゃないね。橙で充分よ」
「……あのねえ仔猫ちゃん。今はね、あんたと遊んであげる暇はないのっ!」
霊夢は跳躍した。橙の小さな身体を跳び越えた。八雲紫へと向かってだ。
否、跳び越える事は出来なかった。霊夢の細身が、空中で激しくへし曲がった。
霊力を防御に回し、肉体の頑丈さを強化する。咄嗟にそれが出来ていなかったら、内臓が破裂していたところだ。
猛回転する肉の砲弾が、地上から空中へと発射され、霊夢を直撃したのだ。橙の体当たりだった。
血を吐きながら霊夢は墜落し、身を折り、石畳の上でのたうち回る。
橙は空中に残り、その様を見下ろしている。
「目の前、橙いる。なのに無防備なお腹晒す……博麗霊夢お前、正気じゃないね。たった1つの取り柄、かわす上手さも台無しよ。お話にならないね」
星が見える。霊夢は、ぼんやりとそう思った。
くるくると回転しながら飛翔する橙の飛行軌跡、それが見事な五芒星を成している。
「目の前のもの、何にも見えてない。そんなんじゃ紫様の結界、越せないね!」
鋭利な五芒星。その5つの先端で、橙は弾幕をぶちまけていた。光弾の雨が、花吹雪の如く境内に降り注ぐ。
立ち上がれぬまま、霊夢は転がった。転がりながら這いずった。身体の周囲で、光弾が石畳を打つ。
まるで、猫に追われる鼠のような回避になってしまった。
「このっ……化け猫風情がッ!」
霊夢の怒声に合わせ、2つの陰陽玉が上空に向かって光弾を速射する。対空の弾幕が橙を猛襲している間、霊夢はどうにか立ち上がっていた。
その時には、橙はしかし地上にいた。霊夢の傍ら。低い姿勢で、博麗の巫女を見上げている。
鼠を嬲り殺して楽しむ、猫の眼光だった。
「しゃあああぁっ!」
斬撃が来た。
橙の可愛らしい五指の先端から、鋭利な真紅の爪が伸び、霊夢に向かって一閃したのだ。
辛うじて、霊夢はかわした。かわしながら、お祓い棒を振るう。紙垂が、白刃の如く弧を描いて橙を襲うが空を切った。回避されていた。
「この……っ!」
様々な角度から、霊夢はお祓い棒を叩きつけた。蹴りや、陰陽玉による援護射撃も繰り出してみる。
橙は小刻みに身を揺らし、軽やかに蜻蛉を切り、霊夢の攻撃をことごとくかわしていた。
「はい、はいっ、ほい! ほいはい駄目駄目全然ダメ! 紫様しか見えてない奴の攻撃、橙に当たるわけないね!」
嘲笑いつつ、橙が後方へ跳ぶ。
跳んだ先で、空間が裂けていた。橙の小柄な肢体が、その裂け目に吸い込まれる。
追おうとして、霊夢は硬直し立ち竦んだ。
橙を吸い込んだ空間の裂け目が、その代わりのように何かを吐き出したのだ。大量の、輝き荒ぶる何かを。
呪符の豪雨、光弾の嵐、そして虹色の大型光球。
最初に吸い込まれた、霊夢の弾幕だった。
全ての霊力を、防御に注ぎ込む。それが霊夢は精一杯だった。
その防御の上から、博麗霊夢自身の攻撃がぶつかって来る。
全ての呪符が、光弾が、そして夢想封印が、霊夢を直撃していた。
光の爆発が起こった。
高々と吹っ飛び、空中で錐揉み回転をしながら霊夢は、自分が辛うじて生きている事をぼんやりと体感した。身体も、ぼろ雑巾のようではあるが原形はとどめている。
(……私……こんなに、弱かったんだ……)
そんな事を思いながら、霊夢は顔面から石畳に激突した。
八雲紫が、結界を解いてフワリと着地する。
その傍らで空間が裂け開き、橙がぴょこんと飛び出して来た。
「現実を突き付けられた気分は、いかが?」
楽しげに橙と手を叩き合いながら、紫が言った。
「弱い……それが貴女の現状よ、霊夢」
「……もう、やめて下さい」
倒れ伏した霊夢を、高麗野あうんが庇ってくれた。
「勝負あり、だと思います。どう見ても、貴女たちの勝ちです。これ以上をやる必要があるんですか」
「貴女も博麗神社の狛犬なら、巫女を甘やかしては駄目よ」
紫が言った。
「それとも……そうね。もっと有望な巫女を、外の世界から連れて来る。いっその事そうしてしまおうかしら」
立ち上がれない霊夢を、紫は見据えている。
道端の、野良犬の死体でも見つめる視線だ、と霊夢は感じた。
「一応ね、見つけてあるのよ霊夢。貴女が使いものにならなくなった場合の……新たなる、博麗の巫女。その候補者を、外の世界に2人ほどね」
冷ややかな言葉が、耳から耳へと、霊夢の頭の中を素通りしてゆく。
フランドール・スカーレットに負けた。
西行寺幽々子にも負けた。
自分は一体、何度敗れれば気が済むのか。
それ以外の思考が今、霊夢の頭の中では全て麻痺している。
ただ、自分の身に今何が起こりつつあるのかは、おぼろげに理解出来ない事もない。
「ほら霊夢……わかるかしら? 貴女の輪郭が、弱々しく溶け崩れてゆく……」
紫の言葉は、よくわからない。
わかる事は1つ。自分は今から、死ぬわけではない。
死、ですらないのだ。
博麗霊夢は、今から消える。死の苦しみを味わう事なく、この世から消滅するのだ。
「……そこまでよ、スキマ妖怪」
あうんと霊夢を、まとめて庇う形に、皮膜の翼が広がった。
「これ以上、霊夢を虐める事は許さない。次は私が相手よ」
悪い冗談だ、と霊夢は思った。
自分は今、レミリア・スカーレットに守られている。
異変にも等しい事態である。
「安心なさい霊夢。私が、貴女を守ってあげるわ」
紫と対峙したまま、レミリアは世迷い言を口にした。
「貴女が博麗神社で私にしてくれた事を、私が紅魔館で貴女にしてあげる。博麗の巫女など辞めてしまいなさい。霊夢はね、もう戦わなくていいのよ。私と一緒に紅魔館で、愉しく幸せに暮らしましょう」
麻痺した頭の中に、レミリアの妄言が心地良く染み入って来る。
「無様な私を、霊夢は受け入れてくれた。だから私も貴女を受け入れる。貴女がどれだけ無様でも、私は見捨てたりしないわ霊夢。貴女を恐がらせるものは全て私が滅ぼしてあげる」
黙れ、と霊夢は思った。声が出ない。
「待っていなさい、まずはこのスキマ妖怪を粉砕する。すぐに終わるから」
「黙れ……」
ようやく声が出た。レミリアは聞いていない。
「終わったら紅魔館へ帰りましょう。一緒に、咲夜の紅茶を飲んでお菓子を食べましょうね」
「黙れ……」
「一緒にお風呂に入って、一緒に寝ましょう。大丈夫よ、私がずっと抱っこしていてあげるから。何も恐くはない、悪夢からも私が守ってあげる」
「黙れ……!」
「ああ、そうそう。お炬燵が必要ね。いいわ、何とかしましょう。紅魔館にも、1つくらい和室があってもいい。私と霊夢だけの部屋よ。毎年、寒くなったらね、また一緒にお炬燵に入るの。寒がる貴女を、私が撫でて温めてあげるから」
「黙れ!」
「霊夢はね、私が守ってあげる。ずっと甘やかしてあげる。博麗の巫女? 誰が貴女にそんな過酷な役目を押し付けたの? 異変なんて、私が片っ端から叩き潰してあげるわ。霊夢はもう戦わなくていい、傷付かなくてもいいのよ。だから」
「黙れ! 黙れ! 黙れこの小動物!」
霊夢は、立ち上がりながらレミリアを突き飛ばしていた。
もはや言語ではない、単なる咆哮が、霊夢の身体の底から心の奥から迸っていた。
そして霊夢は駆ける。八雲紫に向かって、獣のように。
橙が、行く手を遮った。
「ふん、何度やっても同じ事ね!」
化け猫の少女が、回転し、石畳を転がり、霊夢にぶつかって来る。
激突を、霊夢は避けた。擦れ違う格好となった。
擦れ違いざま、霊夢は橙に攻撃を食らわせた。お祓い棒ではない、呪符でも光弾でもない、陰陽玉でもない、封魔の針でもない攻撃を。
白い翼のような付け袖から、蛇に似たものが現れ伸びていた。
橙の爪をかわしながら、霊夢はそれを振るった。先日、射命丸文を捕えた時と同じく。
博麗神社の、注連縄である。
それが、橙の全身を絡め取り、縛り上げていた。
「みぎゃあああああああああっ!」
「あのクソすばしっこい鴉天狗に比べたらね。あんたの動きなんか、止まって見えるのよっ!」
注連縄で荷物の如く束縛された橙の身体が、石畳にころりと転がる。鞠のようでもある。
「わあん、紫さまー!」
「一宿一飯の恩があるから、ぶちのめすのは勘弁してあげる……で、次はあんたの番よスキマ妖怪」
レミリアが用いていた呼び名を、霊夢も使ってみた。
「スキマ妖怪……ふん、聞くからに胡散臭いわ。あんたにぴったりね、八雲紫」
「……止まって見える橙の動きに、貴女さっきは随分と苦戦していたようだけど」
紫が苦笑する。その美しい口元を、扇子で隠す。
「また何と言うか……輪郭が、強くなってしまったわね。楽に、この世から消える事が出来たものを」
紫の言葉と眼差しが、レミリアに向けられた。
「……霊夢を、奮起させるのが目的だったのかしら?」
「まさか。私は本当にね、霊夢を飼って可愛がって甘やかしてあげるつもりだったのよ」
変わらず世迷い言を吐くレミリアの近くでは、フランドールが橙を転がしている。無表情でだ。
橙が悲鳴を上げる。あうんが慌てて、フランドールを止めようとする。
その様を一瞥しつつ、レミリアは言った。
「……もちろん、パチェを捜して連れ戻してからね」
「まあ、それは手伝ってあげる。あの魔法使い、何かやらかしそうな気がするからね」
霊夢は袖で、血まみれの顔面を拭った。白い付け袖が、赤く汚れた。
「ったく……紅魔館の連中だって、大人しくなったわけじゃないってのに。厄介事、増やしてんじゃないわよスキマ妖怪が!」
「……いいわね。私的な情誼から、ようやく抜け出しつつあるのかしら」
紫の、まるで観察するような視線が、霊夢は気に入らなかった。
「まだ少し、いえ……かなり、私情私怨が先走っている感じはするけれど」
「ッッッたり前でしょうが。私はね、あんたくらい頭に来る妖怪は初めて見るわけよ」
霊夢は、お祓い棒を紫に向けた。
「だから、ぶちのめす。理由は私が許せないから……今日は徹底的にね、私情で行かせてもらうわよ」




