第34話 U・N・オーエンは正義の味方(3)
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
伊吹萃香が、可愛らしい握り拳を突き出してくる。
それだけで、博麗霊夢は吹っ飛んでいた。全身に衝撃が来た。
全ての霊力を、肉体防御に注ぎ込んだ。そうしなければ霊夢は今頃、砕け散っている。
目視したのは、幼い少女の小さな拳骨。
体感したのは、巨大なる悪鬼の、隕石にも似た拳である。
「ぐうッ……!」
霊夢は1度、神社の石畳に激突した。辛うじて受け身は取った。後頭部の強打は免れた。
口から溢れ出しそうな臓物を懸命に呑み込みながら、霊夢は一転して跳ね起き、右手でお祓い棒を振るい構えた。左手で、何枚もの呪符を扇状に広げた。2つの陰陽玉が、左右で淡く発光している。
「……参ったわね。あの薬が必要、かも」
フランドール・スカーレットに1度、殺されかけた事がある。
おかげで、霊力を防御に回すタイミングを身体で覚える事が出来た。
(こいつ……馬鹿力だけなら、フランドールと同じか……それとも上……?)
「……おんやぁ? なぁんかマジメな顔になっちまったなあぁ博麗の嬢ちゃん」
博麗神社の、春の風景が歪むほどの妖気を立ちのぼらせながら、萃香の小さな身体が相変わらず酔い揺れている。
「酔いが覚めちまったのかあ? でも駄目だよーん。酔っ払ってましたごめんなさいは通用しなぁい」
萃香の、小さな足が1歩、踏み出した。
巨人の足音とも言うべき凄まじい響きが、博麗神社を揺るがした。
「おめえはなぁ、この伊吹萃香さまに無礼を働いたんだ。私の……しっ、尻を引っぱたきやがって……ひっぐ、うえぇ……恥ずかしいようぅ……」
泣きじゃくりながら、萃香は瓢箪の中身を呷った。
目に見えるほど濃密な酒の匂いをブハァー……ッと吐き出しながら、鬼の少女は霊夢を睨む。凶暴に据わった涙目で。
「……おめえよォ、お嫁にいけなくなるような目に遭う覚悟ぁ出来てんだろうな?」
「お嫁にいけなくなるような目……」
霊夢は、顎に片手を当てた。
「……具体的に、例えば?」
「そりゃおめえ、例えば……お、おっぱい揉んだり……」
「他には?」
「ほっ、他にも色々やっちゃうぞう!」
「詳しく。その辺り、ぜひ詳しく! さあ伊吹御前」
射命丸文が、萃香の傍にしゅたっと降り立って手帳と羽ペンを取り出す。
「博麗の巫女はっ、今から、どんな目に遭っちゃうんでしょーかぁあ!? さあっ」
「そ、そりゃおめえ…………を……して、……したりよォ……」
俯き、顔を赤らめ、左右の人差し指を突き合わせながら、萃香が何かを言っている。聞き取れない。
「……とか……を、……たりとかもな、しちゃったりなんかして……」
「んん〜? 御前、どうかもっと大きなお声で。お山全体をどやしつけておられた、あの頃のように」
「……んん……んぅ……うだぁあああああああああああ!」
萃香が、叫びながら炎を吐いた。
絶叫と共に溢れ出した酒気が、激しく発火し、紅蓮の荒波となって霊夢を襲う。
ふわりと回避しながら、霊夢は叫ぶ。
「ちょっと! 境内は火気厳禁よ!」
「ばっきゃろう、弾幕戦に火気厳禁もクソもあるかい!」
火を吐きながら、萃香も叫ぶ。
炎の荒波が、霊夢を取り巻いた。
2つの陰陽玉が、凄まじい速度で旋回した。猛回転が旋風を生み、炎の波を消し飛ばす。
火の粉を蹴散らしながら、しかし萃香はすでに踏み込んで来ていた。
愛らしい握り拳が一瞬、巨大化した。
幻視か。濃密な妖気の揺らめきが作り上げた、幻覚なのか。
いや違う。
小さな少女の形に凝集している絶大な妖力が、攻撃の瞬間にだけ本来の大きさを取り戻したのだ。
霊夢は後方へ跳んだ。巨大な悪鬼の拳を、辛うじてかわした。半ば逃走にも等しい回避であった。
そうしながら、呪符の束を投射する。左右の陰陽玉から、弾幕を放つ。
萃香の周囲で、濃密に揺らめく妖気が、そのまま大小の光弾の嵐に変わって吹き荒れた。
霊夢と萃香、両者の弾幕が激突した。
爆発が起こった。妖気の飛沫と呪符の切れ端が、爆風に舞う。
霊夢は着地した。
「……異変ね、これは」
呟きが漏れる。
「伊吹萃香。あんたの存在そのものを、1つの異変と認識するわよ。博麗の巫女が、全力でぶちのめすって事」
「はっはっは、笑わせんなよ腋丸出し嬢ちゃん。今まで全力じゃなかったとでも言うんかい」
萃香は笑い、酒を呑んだ。
「強過ぎてそうそう全力出せねえって奴、私の仲間にも1人いるよ。おめえはなぁ、そんな玉じゃあねえ。死ぬ気で戦って、やっと私と互角かどうかってとこだ……ま、その程度には強いっての認めてやるよ博麗霊夢」
「素晴らしい! 伊吹御前が認めて下さいましたよ、博麗さん」
射命丸文が、萃香の背後で写真機を構えている。
「さあさあ、博麗の巫女と最強の鬼! 本気の戦いを記事にさせていただきます」
「あんたたち、なんなら2人がかりでもいいのよ」
鬼と天狗に、霊夢はお祓い棒を向けた。
「……まとめて、退治してあげるわ」
「おお恐い恐い」
鬼という最強の盾の背後で、射命丸がおどけている。
「あのようにおっしゃってますし、どうしましょうか伊吹御前。私でも、貴女のお手伝いくらいは出来ますよ? 私たち2人で博麗の巫女を、うふっ、腋の下だけじゃなく色んなところ丸出しにさせちゃいましょうか? ああんもう、新聞に載せたいけど載せるのも勿体無いくらいのお宝が撮れます! さ、さあ伊吹御前。貴女様のお力で博麗の巫女の動きを押さえ込んでいただければ、私が脱がせて撮ってあふぅうううっ!?」
「射命丸よォ、おめえって女は相ッ変わらず性格腐ってんなあオイ」
萃香の鎖が、牝天狗の全身に絡み付いていた。
縛られた射命丸が、引きずり倒される。
淫猥なほど形良い胸の膨らみが、鎖と鎖の間からまろび出て石畳に密着する。健康的に膨らみ引き締まった左右の太股が、鎖で束ねられたまま、もじもじと切なげに擦れ合う。
そんな様を晒す射命丸の身体を、萃香は愛らしい片足で踏み付けた。
「私が山にいた頃から全っっ然、変わってねえ。ちったぁ言動改めろって、おめえにゃ何度も言ってやったはずだがなあ」
「あ、改めましたよう。伊吹御前の有り難いお叱りをいただいて、御懲罰もいただいて、折檻もいただいて、あんな事こんな事していただいた結果! 今現在の清く正しい射命丸が在るわけでンムぐうぅっ」
射命丸の口に、萃香は瓢箪の飲み口を無理矢理に押し込んでいた。
「……いいから、ちっと黙ってような? 少しの間」
「んん……ッ! んむうぅっ……ン……っ!」
鬼の酒が、牝天狗の体内に流し込まれてゆく。
綺麗な喉をこくこくと震わせながら、射命丸は頰を赤らめ、やがて白目を剥いた。
「……いいの? 2人がかりじゃなくて」
霊夢は声をかけた。
「その天狗さっきからバカしか晒してないけど、かなりの手練れよ。一緒に戦わせた方がいいんじゃない?」
「はいっ、世迷い言いただきましたぁー。素面に戻っちまったかと思いきゃ、まぁだ酔っ払ってんのかあああ!?」
萃香が、言葉と共に炎を吐いた。
先程のような紅蓮の波、ではない。まるで流星のような、火炎の塊。巨大な火球であった。
まさに流星の速度で飛来するそれを、霊夢はお祓い棒で打ち払った。あらゆる魔を祓う紙垂の舞いが、火球を粉砕した。
……否。微かな火の粉を散らせながら、流星の如き火球は飛行方向を変えただけである。
「くっ……!」
痺れる両手で、霊夢は辛うじてお祓い棒を保持し続けた。取り落としてしまうところだった。
霊力を込めた打撃でも砕けなかった大型火球が、霊夢に打ち払われて、見物人たちの方へと飛んで行く。
森近霖之助と、酔い潰れたままの霧雨魔理沙。それに3人の妖精。危ない避けて、などと霊夢が叫ぶ暇もない。
妖精たちが悲鳴を上げ、立ち竦む。霖之助は、意識のない魔理沙を膝の上に寝かせたまま呆然としている。
その全員を背後に庇う格好で、何者かが飛び込んだ。
「こ、これは強過ぎて消せない……!」
伊吹萃香とは違う、1本だけの角を生やした少女。霊夢が認識出来たのは、そのシルエットだけである。
火球が、その少女を直撃していた。
天空では、月が清かに輝いている。
地上では、炎が禍々しく輝いている。
宇佐見菫子は、呆然と呟いた。
「幻想の世界……ふふっ、ここにあるじゃない……」
ふらり、と歩み出す。爪先が、何かに当たった。
半分潰れた、生首だった。片方しか残ってない顔面が、笑っている。幸せそうな笑顔のまま、硬直している。
至福のひと時であったのだろう、と菫子は思う。
「幻想の世界の使者……ユナ・ナンシーに……潰して、砕いて、ちぎって、もらえたんだものね……」
同じような屍が、大量にぶちまけられている。人の原形を失い、もはや死体と呼ぶのも躊躇われる有り様だ。
絶叫が、聞こえた。銃声もだ。
防弾装備をまとった男たち。警官か、機動隊か。悲鳴を上げながら、夜空に向かって銃器をぶっ放している。
ユナ・ナンシー・オーエンは、目に見えぬほどの高速で動いているわけではない。菫子の目でも追える速度で、ゆったりと空中で踊っているだけだ。七色の宝石をぶら下げた翼で、ぱたぱたと浮遊しながら。
小さな身体を、そんなふうに優雅に揺らめかせて、銃撃をことごとくかわしてゆく。それは回避の舞踏であった。
地上を見下ろす可憐な美貌に、表情はない。造形の完璧な、人形の顔立ちである。
空中で楽しげに踊る、血まみれの人形。
その優雅な回避が、攻撃に転じた。
捻じ曲がった時計の針、のような奇怪な槍を、可愛らしい手で握り構えながら、吸血鬼の少女は急降下を敢行する。爆撃にも似た猛襲。
銃器類と防弾着で厳重に武装した男たちが、砕け散った。手足が、生首が、臓物が、花火の如く噴出していた。
装甲車が、横転しながら潰れ散る。
この場、だけではない。市街地のあちこちで乗用車が潰れ、ひしゃげ、乗っていた人間もろとも残骸と化していた。
空飛ぶ円盤が、夜空を縦横無尽に行き交っている。
宇宙人の乗り物、ではなく魔法陣だった。それらが飛翔しながら、無数の光弾をばら撒いているのだ。
ばら撒かれた弾幕が、地上を粉砕していた。
アスファルトやコンクリートが砕けて噴出し、自動車は穿たれ潰れて破片とガソリンをぶちまけ、燃え上がる。通行人たちは、逃げ惑いながら破裂して臓物を飛び散らせる。
破壊が、放火が、殺人が、菫子の視界内あちこちで行われていた。
「ひ……ひいぃ、助けて……」
防弾武装をした男が1人、生き残っていた。尻餅をつき、怯えながら後ずさりをしている。
「お、俺には家族が……嫁と子供がよう……」
そんな言葉を漏らす男にユナ・ナンシーは、とてとてと歩み寄って行く。
血まみれの、可憐な人形。
呆然と見つめながら、男は呟く。
「……あんた……綺麗だなあ……可愛いなあ……」
夢の中で出会った理想の美少女、とでも会話しているかのような口調である。
「歳は……うちのクソガキと、同じくらいか……ははっ、駄目だな。あんな無駄飯喰らいの可愛くもねえ、人間になりかけの猿なんかとよ、あんたみてえな天使を一緒にしちゃあ」
天使でもなく悪魔でもなく、あるいはその両方であるとも言える少女が、虚ろなほどに澄んだ真紅の瞳で男を見つめる。
見つめられるまま、男は語った。
「俺の嫁ってのも、クソ女でよ……てめえの旦那を、歩くATMとしか思ってねえ……あんなクソどものためによ、あくせく働くなんて……バカみてえ……」
ユナ・ナンシーが、男の眼前で立ち止まる。
「……殺してくれ、俺を……その可愛いお手々でよ、クソッタレなこの世から、おさらばさせてくれよ……」
男は言った。
「あんたみてえな天使様に、殺してもらえるんなら……最高の死に様だぁ……」
鮮血がしぶいた。大量の臓物が噴出した。
ユナ・ナンシーの可愛らしい五指が、男の肉体を無造作に引きちぎっていた。
引きちぎったものを、吸血鬼の少女は高々と掲げた。滴り落ちる真紅のとろみが、可憐な唇を汚す。
その赤みの中から白く鮮明に浮かび上がる鋭い牙が、何度見ても美しい、と菫子は思う。
掲げていたものを、ユナ・ナンシーは不味そうに苛立たしげに投げ捨てた。苛立ちの動きを見せながらも、その顔は相変わらず表情なき人形の美貌のままである。
投げ捨てられ路面に貼り付いたものに、菫子は語りかけた。
「おめでとう……貴方だけの幻想の世界へ、行けたのね……」
顔を上げ、吸血鬼の少女を見やる。
ユナ・ナンシーも、こちらを見つめている。
感情の光を宿さぬ、澄みきった真紅の瞳で、菫子を射すくめている。
「……私も、殺す……の? ……それは、そうよね」
菫子は、微笑んで見せた。
「いいわ、連れて行ってよユナ・ナンシー・オーエン……私だけの、幻想の世界へ……」
人形のような少女は、その言葉に全く何も反応してくれない。菫子を見つめていた紅い瞳が、月を見上げている。
ユナ・ナンシーは、宇佐見菫子への興味をすでに失っていた。菫子など、最初から存在していないかのように。
クレーターが鮮明に浮かんだ月を背景に、その少女は空中に佇んでいた。皮膜の翼を尊大に広げてだ。
「……随分と、可愛らしい事をしているわね? フラン」
微笑む美貌は、ユナ・ナンシーと似てはいる。だが、こちらの少女には表情がある。感情がある。
「私が欧州で繰り広げた、破壊と殺戮に比べたら……ふふん。こんなものは、可愛い遊びよ」




