第27話 妖々跋扈の始まり
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
まるで花が咲くかのように、日傘が開いた。
「……よく、ここまで来たものね」
開いた傘をくるりと弄びながら、幽香が微笑む。
「予想外……どうやら、甘く見ていたのは私の方というわけ」
「そういう事。さあ本気を出しなさい」
靈夢が、お祓い棒を幽香に向ける。
「そうでなきゃ、面白くないわ」
「こっちも本気で行かせてもらうぜ!」
魔理沙が叫ぶと、幽香の笑みがニヤリと歪みを増した。
「威勢がいいのね。嫌いじゃないけど……長生きしたいのなら、もう少し大人しくした方がいいわよ」
「つまらない人生、送るくらいなら! 派手に戦って死んだ方がマシってもんだぜ!」
「……いいわ、命乞いをしたくなるような戦い、教えてあげる」
花が咲くのはこれからだ、と魔理沙は感じた。
「貴女たちはね、泣き叫びながら私に許しを乞うのよ。もちろん私は許してあげない」
花弁が開き、飛散する。
そんな感じに、弾幕が迸っていた。
「安心なさい、綺麗さっぱり死なせてあげる。無様な死体なんて残らないわ」
死と破壊の凶花を咲かせながら、幽香が笑う。
「……原子の霧に、変わりなさい」
帽子の上から、霧雨魔理沙は頭を押さえた。
自分は今、一瞬、起きながら夢を見ていた。
夢の内容は、思い出せない。霊夢がいた、ような気はする。
「あんた……」
その博麗霊夢が、息を呑んでいる。
「誰……いや、妖怪なのは間違いないわね……」
同じ夢を今、霊夢も見ていたのかも知れない、と魔理沙は思った。
「…………どっかで、会った……?」
「弾幕でぶん殴ったら、思い出すかしらね」
日傘をくるりと弄びながら、その女性は微笑んだ。ぱっと花が開いたかのような笑顔。
西行妖よりも禍々しい花が咲いた、と魔理沙は感じた。
「……やめてくれ、花の幽香」
レティ・ホワイトロックが、ふわりと割って入る。
「ここは、戦いをする場所ではない……いやまあ、少しばかり派手な弾幕戦が繰り広げられたばかりなんだけど」
「私もね、閻魔様と遊んできたばかりよ。楽しかったけど、こっちにも参加してみたかったわね」
幽香と呼ばれた妖怪を、魔理沙は見据えた。
そうしながら、もう1度、帽子ごと頭を押さえる。
(…………何だ……)
頭蓋骨の中で、何かが起き上がろうとしている。そんな感じだ。
(私、一体……何を、忘れてる? 何を、思い出しかけている……?)
「よくやったわね霧雨魔理沙。貴女のお師匠に代わって、褒めてあげる」
師匠。
世迷い言だ、と魔理沙は思い込もうとした。
「それに比べて……なかなかの体たらく、だったわね。博麗霊夢」
幽香の笑みが、霊夢に向けられる。
「ぬるい異変ばかりで、腕がなまっているのかしら?」
「だから誰なのよ、あんた……まあいいわ、確かに言い訳は出来ない」
言いつつ霊夢が、お祓い棒を幽香に向ける。
どこかで見た、と魔理沙は思った。
「で。次は、あんたが異変でも起こしてくれるの? 私さっきまで死んでたから、リハビリにはちょうど良さそう」
「……戦いは終わったのよ、博麗霊夢」
声を発したのは、西行寺幽々子である。魂魄妖夢と支え合うようにして、弱々しく佇んでいる。
「仲良く、桜を愉しみなさい……幽香さん、とおっしゃるのね。白玉楼へようこそ」
「言われなくとも堪能しているわ、冥界の桜……」
幽香が見上げているのはしかし、咲き誇る桜の樹海ではない。
先程まで咲き誇っていた、裸の巨木である。
その大蛇のような根に、幽香はそっと片手を触れた。
絶大な妖力の塊である優美な五指が、岩肌の如き樹皮を撫でる。本当に、愛おしげに。
「……………………誰?」
花びらを思わせる綺麗な唇が、問いかけを紡ぐ。
「何の罪もない、ただ満開になりたいだけの桜……その根元に……汚らしいものを埋めたのは、一体誰?」
魂が冷えてゆくのを、魔理沙は感じた。恐怖、に近いものが心臓を鷲掴みにしている。
霊夢の表情も、強張っている。
レティとリリーホワイトは青ざめて抱き合い、妖夢は幽々子を背後に庇う。
否。幽々子はそれをさせずにユラリと前に出た。
「……そんなに、汚らしいものが?」
「私も長く妖怪をやっているけれど、ここまで穢らわしいものは見た事がないわね」
西行妖の巨大な根に、幽香は痛ましげに身を寄せている。
「ここを掘り起こして、取り除いてあげたい……だけどそれは、かわいそうな西行妖を傷付ける事にもなってしまう……」
花の咲かぬ枝で冥界の天空を掻きむしる、この桜の妖樹が、もっとずっと小さなものであったなら、幽香は抱き締めていただろう。
そんな西行妖を、さらに巨大なものと化して愛しげに抱擁している幽香の姿。魔理沙は一瞬、幻視した。
それほど凄まじい妖気が、幽香のすらりとした細身から溢れ出したのだ。
「……やめた方が、いいと思うわ」
もちろん巨大化などせず、そう錯覚させるほどに凄まじい妖力の揺らめきを立ちのぼらせながら、幽香は言った。
「永遠に、時を止めておけるわけではないのでしょう? 時の止まっている僅かな間で……私に致命傷を与える事が、まあ出来ると思うのなら試してみるのも一興かしらね」
「お前は……」
ナイフを構えたまま十六夜咲夜は硬直し、辛うじて声だけを発している。
「……生かしておいてはならないほど、危険な妖怪……そんな気がする……」
「ありがとう。私たち妖怪にとって、最高の誉め言葉よ」
幽香が咲夜に向かって、笑顔だけを振り向かせる。
「森羅結界を使うお嬢さん……貴女、腕利きの妖怪退治人ね」
「……出来損ないを数多く、殺処分していただけよ。お前のような危険物を取り扱った事はない……」
「あの頃……貴女がいれば、ね。なかなか面白い事になっていたと思うわ」
幽香が、またしても意味不明な事を言う。
「霊夢も魔理沙も、そう思わない?」
「……あの頃って、いつよ」
霊夢の問いかけに、幽香は答えない。
妖花の如き笑顔が、幽々子に向けられる。
「ねえ管理人さん……春を奪ったりなんかせずに、西行妖を咲かせてあげる方法。見つかるといいわね」
「本当に……」
「……次こんな事したら冥界、潰しちゃうわよ?」
「あら恐い……そうなる前に今ここで、貴女の魂を抜き取っておこうかしら」
幽々子が、美しい口元を扇子で隠す。
「貴女の魂は……だけど、とんでもなく危険な悪霊になってしまいそうね。それはそれで興味深いけれど」
「危険な悪霊なら1人、知り合いにいるわ」
言いつつ幽香が、魔理沙の傍らを軽やかに通り過ぎる。花の芳香が、ふんわりと漂った。
「……西行妖は、いつか私が咲かせて見せる。咲かない花があるなんて、許せない」
言葉を残し歩み去って行く幽香に、いつの間にかプリズムリバー三姉妹が付き従っている。
「お祭りはお終い……」
リリカ・プリズムリバーが言った。
「専属契約もここまで、って事でいいでしょ? 幽々子さん」
「貴女たちの音楽で、西行妖を見送ってくれた事……感謝するわ。本当に、ありがとう」
幽々子が、たおやかに手を振った。
メルラン・プリズムリバーが、元気良く振り返す。
「いろいろ刺激になった! 新しい音楽ガンガン湧いて来るわ、皆ありがとねー!」
「私たちの曲……聴いて下さって、本当にありがとうございました」
ルナサ・プリズムリバーが、ぺこりと頭を下げる。
「……太陽の畑を、また使わせて欲しいわ。幽香さん」
「私のために1曲作りなさい。それが使用条件よ」
「いいよー。思いっきり物騒で血生臭くて、聞いてるだけで絶望するようなやつ! 頭の中で楽譜書けてるから」
そんな会話をしながら、花の大妖怪と騒霊楽団が立ち去ってゆく。いや、幽香1人が1度だけ立ち止まった。
「……幻想郷に、ようやく春が来る。しばらくのお別れね、冬のレティ」
「しばらくの間、貴女の恐怖からも解放される。次の冬まで、のんびりさせてもらうさ」
レティが笑う。
「……と、思ったけど。どうかな、季節がらみの異変は幻想郷ではそんなに珍しくない。次の冬が、ちゃんと春、夏、秋の後に来るものかどうか……」
雪とは、そう容易く溶けるものではない。冬が終われば瞬時に消えて無くなるもの、ではないのだ。
それでも、と秋静葉は思う。一応は神の端くれである自分たちには、感じられる。
春が来る、と。
「冥界に流れ込んでいた春が……流れ戻って、来る……」
雪に覆われた、寒々しい田畑の風景を眺めながら、秋穣子が呟いた。
「やってくれた……のかしら。博麗の巫女が」
「……あの盗人魔法使い、の方かも知れないわ」
もちろん、奪われた春が全て戻って来たわけではない。大部分は、冥界にいる何者かに食われてしまった。
食われずに済んだ春が、こうして戻って来た。
「春を奪って、食べるなんて……」
穣子が言う。
「冥界には、とんでもない化け物がいるのね。まあ冥界だし、恐ろしいものがいるのは当たり前なんだけど」
「西行妖……」
「さいぎょうあやかし……ああ、外の世界から入って来たっていう化け桜ね」
穣子が、ぽんと手を叩いた。
「死体をたくさん養分にして、信じられないくらい綺麗なお花を咲かせるってお話。まるで、お姉様と私の仕事を1人でこなしているみたい。働き者ねえ」
「……貴女がもたらすのは、生命を繋ぐための豊穣。西行妖がもたらすのは、死そのものよ」
死が、冥界から幻想郷へと溢れ出すのを、静葉は何度か感じた。
誰も死なずに済んだのは、博麗霊夢や霧雨魔理沙の働きによるものであろう。
穣子が、晴れた空を見上げた。
「とにかく……やれやれ。春は、来るわね」
幻想郷から春を奪い続けていた怪物が、完全にかどうかは定かでないにせよ活動を止めたのだ。
「夏も来る。実りの秋も、ちゃんと来る」
「……誰かが、季節関連の異変を起こさなければ……ね」
静葉が呟いた、その時。
「結局、私の出番は無し……か。残念残念」
姉妹の背後で気配が、そして声が生じた。
穣子が息を呑み、青ざめている。自分もだろう、と静葉は思った。
「君たちの頑張りを、ずっと見ていたよ秋姉妹」
背後の何者が、微笑んでいる。
「季節の均衡が崩れぬよう、健気に東奔西走していたね。私は思ったよ、幻想郷に最も必要な神は君たちであると……居ない方が良い障碍の神とは大違いだね」
振り向いてはならない、と静葉は強く思った。
今、背後にいるのは、そのような存在だ。同じ神でも、秋姉妹とは格が違い過ぎる。
「私、ずっと……君たちに、力を貸してあげたかった……」
振り向いてはならない相手が、しかし自ら近付いて来る。そして静葉の、穣子の、肩に背後から手を置いた。
綺麗な五指が、見えてしまう。
「……水臭いじゃないか。どうして、私に頼ってくれないの?」
美しい唇を、静葉は耳元に感じた。
「季節関係の異変なら私、どんと来い! よ」
「……貴女に頼るのは、最後の最後、本当に最後の手段……」
静葉は、ようやく声を出す事が出来た。
「異常猛暑の夏が来ても、異常降雪の冬が来るようになったとしても、幻想郷が滅びるよりはまし……そこまで事態が切迫したら、やむなく貴女に声をかけようかと思っていたわ。断腸の思いで、ね」
「あはははは、ひどいなあ。ひどい言われようだ」
「だって、ねえ」
穣子も言った。
「どんと来い! なのは……季節の異変を、解決する方じゃなくて起こす方でしょ貴女の場合」
「起こしはしないよ。起こすわけがないだろう? この私が、季節の異変なんて」
「……そう願いたいものね、本当に」
静葉は溜め息をついた。
「貴女が何かをやり始めたら、私たちでは絶対に止められないのだから……」
「力ある者は、軽率に動いてはいけない。仕方のない事だね、それは……私が力ある者であるかどうかは、ともかくだ」
少なくとも秋姉妹ではどうにもならぬ程度には力ある神が、そんな事を言っている。
「だけどね、力ある者が率先して動かなければいけない場合も確かにある……ああ、もちろん私は何もしないよ? 季節がようやく正常に戻った今、季節の異変なんて私が起こすわけがないじゃないか」
「やめてね。本当にやめてね」
念押しをする穣子を姉もろとも、背後の女神は抱き締めにかかった。
「私でなくとも、そろそろ何かやらかす奴が出て来るかも知れないという話さ……全能の黒幕を気取って自分では何もしなかった奴が、そろそろね」
「あっはははは橙、お前またやったのか」
「あいややややや」
泣き喚く橙の頬を、八雲藍がつまんで引っ張る。
迷い家の庭に、汚らしいものがぶちまけられていた。
橙が、弾幕戦の稽古をした結果である。
「これ拾い集めて繋ぎ合わせるの大変なんだぞ、本当に」
「まあまあ藍、ここは橙を褒めてあげるところよ」
八雲紫は言った。
「腕を上げたわね、橙。これが貴女の実力、本気で戦ったら残酷な事になる……だからね、そろそろ本気を出さずに戦う術を覚えないと」
「ゆ、紫様……こいつ居候の兵隊のくせに最近、腕上げてきたね。強くなってきたね。だから橙も、つい本気で」
「せっかく強くなってきた兵隊が、死んでしまったらどうするんだ。まったく」
「……大丈夫よ藍。彼はもう、そう簡単に死にはしないわ」
紫は身を屈め、地面に広がったものを観察した。
ぶちまけられ広がったものたちが、無数の蛞蝓の如く蠢き這い、集合そして融合してゆく。
「御覧なさいな。拾い集めて繋ぎ合わせる、必要もない」
「これは……」
藍が、息を呑んでいる。
紫は微笑みかけた。
「貴女の最高傑作ね、藍」
「……違います紫様。真に恐るべきは、これの原形を作り上げたパチュリー・ノーレッジの技術力……そして、こやつ自身の……執念、なのでしょうか。あるいは情念……」
「藍、橙。これがね、外の世界の人間よ」
今や人間の形など欠片ほどもないそれが、声を発した。
「……ゆ……かり……ぶざまな、ところを……みせてしまった……」
「いいのよ。貴方は、それでいいの」
紫は言葉をかけた。
「どれだけ無様でもいいわ、どれほど時間をかけても構わない……動けるようになるまで、自力で再生して御覧なさい。貴方なら出来るわ」
「……出来る……俺は、紫のためなら……」
「そう。貴方は、もっともっと強くなれるわ。私のために」
紫は立ち上がった。
「彼が動けるようになるまで……そうね、お昼ご飯の時間にしましょうか。橙、作ってくれるかしら?」
「えっ……橙が?」
橙が、戸惑っている。
「で、でも紫様……お料理は、藍様の方が……」
「そうねえ、藍のお料理は最高よね。この子は本当、昔から何でも出来たけど、特に弾幕戦とお料理はね」
「……おやめ下さい、紫様」
「ふふっ。藍のお料理は美味し過ぎて、もうこれ以上の上達が期待出来ないのよね……そこへいくと橙、貴女のお料理はまだまだ美味しくなれるわ」
「わ、わかったね紫様! 橙、こないだより美味しいお昼ご飯、作って見せるよ。紫様と、藍様のために! あと……お前にも食べさせてやるから、とっとと身体、元に戻すね」
言い残し、厨房へと跳ね駆けて行く橙を見送りながら、紫は呟いた。
「あの子……本当に、強くなったわね。博麗の巫女にだって勝てるわよ」
「……それは、誉め過ぎでは」
「本当よ藍。今の博麗霊夢では、橙にも勝てない」
白玉楼の戦いを、紫は思い返した。
「幽々子は……そうね。西行妖から独立出来た時点で、今のところは合格にしておきましょう。随分と偉そうな言い種になってしまうけれど」
「霧雨魔理沙と十六夜咲夜も、なかなかの戦いぶりでございました」
「魂魄妖夢もね……お話にならないのは、やはり博麗の巫女」
ぴしゃり、と紫は扇子を閉じた。
「……死ななければ発揮出来ない実力など、実力ではないのよ。霊夢」




