第25話 Perfect Cherry Blossom
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
春に生まれ、夏に咲き誇り、秋に萎れ、冬に力尽きる。
力尽きたものたちの怨念が、次の春に開花する。
この桜吹雪を見ていると、そんなふうに思えてしまう。
「死と怨念の、果てしなき累積……」
無数の花びらが音もなく舞い散る様を眺めながら、八雲紫は呟いた。
応えた者がいる。
「……桜は、ただ桜よ。春に咲く花の1つに過ぎぬ」
体格のがっしりとした、武士の若者。
大小ふた振りの剣を左右それぞれの手に握り、佇んでいる。
「そんなものに、何やら大仰なるものを見出してしまう。人の悪癖かと思っていたが……ふん、貴様のような妖もか」
その剣によって、また1つの死が繰り広げられたところである。この桜吹雪の真っ只中でだ。
まるで眠っているかのような屍が、桜の大樹の根元に横たわっていた。
溢れ止まらぬ鮮血が、地面に染み入ってゆく。
血を吸って、この桜は次の春も咲き誇るのであろう。
思いつつ紫は言った。
「この桜は……もう、単なる植物ではいられないわよ。わかっているのでしょう? 貴方も」
「…………」
武士の若者は、無言で見下ろしている。たった今、己の手で作り上げたばかりの屍を。
その少女は、うっすらと微笑んでいた。
この若者に斬られた事が、本望。そう見える。
貴女は、幸せだったの? と紫は問いかけてしまいそうになった。問いかけの言葉を、即座に呑み込んだ。
屍が、答える。そんな気がしたからだ。
「……いえ。この桜は、ただの植物ね」
紫は言った。
「桜の季節を迎える度に、貴方は思い出してしまうのでしょうけど……出来れば忘れてしまいなさい」
「忘れはせんよ。俺自身が、己で考え、仕遂げた事だ。貴様に唆されたわけではない」
若き剣士は応えた。
「俺は……この方を、斬った。それが全てだ」
「後の事は、私に任せなさい」
「埋めるのか」
剣士は言った。
「ここに埋める……しか、なかろうな。この方の、お父上に封じていただく。それしかあるまい」
暗く微笑みながら剣士は、桜の大樹を見上げた。
「……貴様の言う通りだ八雲紫。この桜は、今や単なる花ではない。あの御方の化身と言うべきもの」
「忘れなさい。もはや貴方に関わりある事ではないのだから」
屍となった少女を、紫はじっと見下ろした。
「他に……守るべきものが、あるのでしょう? 貴方には」
この若者が、自分の他に、守るべきものを持ってしまう。
それが、この少女は許せなかったのだ。
無論、口に出す言葉では祝福していた。婚礼の段取りは私に任せておきなさい、などとも言っていたものだ。
だが、心の奥底では。
心の底に封じた思いを、悪しき力として発現させずにはいられない少女であった。
その悪しき力が、この若者の守るべきものに及ぶのは、時間の問題であったのだ。
だから彼が、こうして自ら手を下さなければならなかった。
「人の本質というものは」
死せる姫君の傍らで、若き剣士は恭しく膝をついた。生前の彼女に対し、そうしていたように。
「……抜け出した魂ではなく、屍の方に残ってしまう事がある」
「魂と魄。貴方の一族の、由来なのかしら?」
「さあな、それは知らん。ともかく、この方は……残ってしまった」
悪しきものを残しとどめてしまった屍に対し、若者は跪いている。
「迂闊な弔い方では、死が溢れ出す……この世が、死に絶えるやも知れぬ。この桜のもとに埋葬するしかあるまい。歌聖の魂をもって、封じる」
剣士は、桜を見上げた。
「結果、この桜は……西行聖、あるいは西行妖、とでも呼ばれる事になるのだろうな」
「何度でも言うけれど、もう貴方には関わりのない事よ……巻き込んでしまった事は、申し訳なく思うけれど」
全ては自分の、決断の遅さが招いた事態だ、と紫は思う。
自分が決意を固められずにいた結果、この若者が、こうして自ら手を下すしかなくなってしまったのだ。
唆したようなものだ、と思いつつ紫は言った。
「貴方は……もう、この子から解放されなければいけないわ」
「逃げられぬ」
若き剣士は、言い放った。
「我ら一族……この御方から、逃げられはせんよ」
西行寺幽々子が空中に佇み、巨大なる妖樹と対峙している。西行妖と、見つめ合っている。睨み合っている。
西行妖の方からも、幽々子を見据えている。それが、霧雨魔理沙にはわかった。
正確には、この巨大な老樹の中にいる何者かが、幽々子を見ている。
自分も見られている、と魔理沙は思う。
その何者かの視線が、十六夜咲夜にも向けられている。
魂なきまま小刀を構えた、博麗霊夢にも向けられている。
霊夢に半霊を憑依させている最中の、魂魄妖夢にも向けられている。
特に妖夢を、強く睨み据えている。魔理沙は、そう感じた。
「…………!」
妖夢が呻く。その声は、聞き取れないほど弱々しい。
そんな妖夢を、幽々子が背後に庇った。何者かの眼光を、己の身体で遮った。
「……貴女、妖夢が憎いのね」
霊夢の魂をしっかりと抱いたまま、幽々子は言った。
「あの人が、貴女以外に……己の守るべきものを、見つけてしまった。その結果、妖夢は今ここにいる……それが、許せないのね」
今なら、霊夢の魂を奪い返せるのではないか、と魔理沙は思わない事もなかった。
「私が思った以上に、ふふっ。どろどろしているわ貴女……素敵よ、とても」
幽々子は、微笑んでいる。
惜別の笑みだ、と魔理沙は感じた。
「貴女ほど素敵な存在を、私……どうして、手放してしまったのかしら。そのあたり、よく思い出せないのだけど……1つ、わかった事があるわ。手放してしまったものを、欲しがる、恋しがる、渇望する……それはとても、醜くて無様な行為……」
悲しそうな笑顔を幽々子は、霊夢の魂に擦り寄せた。本当に、愛おしげにだ。
「貴女はもう、私のものではない……ねえ、こんなに悲しい事って、あるのかしら?」
形のない霊夢に頬擦りをしながら、幽々子は目を閉じた。
涙が飛び散り、蝶となって舞う。
その目が、見開かれた。
「……それはそれとして貴女。妖夢に、憎しみを向けたわね?」
怒りの、眼光だった。
「わかっているの? 妖夢は今、傷だらけなのよ……貴女のその力には、耐えられないかも知れない……」
西行妖が、黒く燃え上がった。
その巨大な幹から、冥界の天空を覆う無数の枝から、冥界の大地を穿つ根から、黒いものが立ちのぼっている。
冥界、全体が、黒く禍々しく滲んでゆくように魔理沙には見えた。
その暗黒の揺らめきが、
「妖夢を……殺そうとした、わね? 貴女……」
幽々子の言葉で、硬直した。
萎縮していた。
萎縮した黒色と、幽々子は睨み合っている。
姿ある少女と、姿なき何者かが、眼光をぶつけ合う。
目に見えぬ弾幕戦が繰り広げられている、と魔理沙は感じた。
いや。自分たちが普段している弾幕戦などよりも、ずっと峻烈で過酷な何かが行われている。
ふと、魔理沙は気付いた。冥界全体を包むかと思われていた黒いものが、薄れてゆく。夜明けが来たかのようにだ。
西行妖から立ちのぼっていたものが、西行妖に吸い込まれて行く。戻って行く。
幽々子の口調が、和らいだ。
「西行妖……封印の役目を、これからも貴方に押し付ける事になってしまったわね……」
「西行妖が……」
呆然と声を漏らしたのは、リリーホワイトである。
「また……咲かない、桜に……」
桜吹雪が、激しさを増していた。
魔理沙は見上げ、見回した。
満開寸前であった西行妖が、散りつつあった。
凄まじい量の花びらが静かに吹き荒れ、骸骨の如き裸の枝が露わになってゆく。
「そんな……」
「聞こえるでしょう? リリーホワイト。西行妖が、貴女に……ありがとう、と」
幽々子は言った。
「満開になれば、解き放たれてしまうものを……これからも、その身に封じてくれる……」
涙が、キラキラと蝶に変わってゆく。
「……ごめんなさい……ありがとう、西行妖……」
穏やかに、果てしなく続く桜吹雪の中で、魔理沙はいつの間にか、幽々子と対峙していた。
「欲しがっていたものが結局、手に入らない……まあ、よくある事だぜ」
箒にまたがり、滞空したまま、会話を試みる。
「お前が盗んだ、それ……そうそう、それだ。それもな、お前のものにはならないんだよ。霊夢に返せ」
「……これは、私の戦利品よ」
肉体なき博麗霊夢を抱き締めながら、幽々子は笑う。
「この、どろどろとした、ぎらぎらとした輝きをね、私はこれからも見て撫でて抱いて愛でて愉しむの」
「ふん、博麗の巫女をペットにしようってのか」
言いつつ魔理沙は、ちらりと振り向いた。
ナイフを構える十六夜咲夜と、目が合った。
「……悪いけど咲夜、こいつとは私1人でやらせてくれないか。ここまで力を貸してくれた事、本当に感謝している。ありがとうな」
「縁起でもない事を言うのね」
咲夜が応えた。
「言葉だけのお礼で済まさせる気はないわ。貴女にはいつか、紅魔館の役に立ってもらう……死ぬ事は、許さないわよ」
「私が死んでも、霊夢は必ず助けるから! 霊夢を働かせてくれよなっ!」
無数のマジックミサイルが、イリュージョンレーザーが、桜吹雪を切り裂いた。
それだけではない。
魔理沙の眼前に浮かんだ八卦炉が、発光・回転しながら炎を噴射する。
西行寺幽々子は、霊夢を人質に取っているわけではない。
魔理沙の方が、誤爆を過剰に恐れているだけだ。そんな戦い方で、霊夢を救う事など出来るはずがない。
「見ろよ、霊夢……弾幕だぜ!」
爆炎の閃光が、迸った。
「私の、本気の弾幕! さあ見ろ霊夢、お前の本気も見せてみろぉおおおおおッ!」
全てが、蝶々を蹴散らし、粉砕し、そして幽々子を直撃した。
爆発が、起こった。
桜舞う冥界の空を、灼き染める爆発だった。
その中から、ゆらゆらとしたものが脱出して宙を漂う。
霊夢の魂。生命と魂の塊。
幽々子の愛おしげな抱擁から解放されたそれが、ふわりと戻ってゆく。小剣を構えた少女の肉体へと。
「来い……博麗霊夢……」
妖夢が、最後の力を振り絞っているようであった。
「私が……受け入れてやる。さあ……っ!」
ふわふわと突っ込んで来たものを、霊夢は両の細腕で抱き止めた。
抱擁の中で、魂が、生命が、肉体へと吸い込まれてゆく。
霊夢の背中から、白いものが黒髪を押しのけて現れ出た。
妖夢の半霊。
それが完全に押し出されたところで、霊夢は眼光を点した。
生命ある者の光。
それを両眼で燃やしながら、霊夢は言葉を発する。
「…………夢想封印!」
「おい待て霊夢……」
魔理沙の声など、聞こえていない。
右手に、霊夢は小剣を持っている。左手に、いつの間にかお祓い棒が出現していた。
その一振りに合わせ、虹色の輝きが生じていた。いくつもの大型光弾が、凶暴に飛び交っている。
どこに狙いが定められているのかは明らかだ。魔理沙の全火力をまともに喰らい、屍の如く宙を漂う西行寺幽々子。
お祓い棒を振り上げたまま、霊夢は問いかけた。
「都合良く忘れてた事……向かい合って、思い出したんでしょ? ねえ、どうなの」
「貴様……!」
妖夢が、幽々子を横抱きにして回避を試みる。
いくつもの虹色の大型光弾が、しかし彼女らの逃げ道を完全に塞いで旋回する。
霊夢は続けた。
「西行寺幽々子……あんた、人を大勢殺したのよね。それに関しては?」
「……皆……愛しているわ……」
弱々しく、幽々子は微笑んだ。
「私が好きになった人はね、皆……どういうわけか、すぐに死んでしまうのよ……」
「あんたみたいな化け物に好かれたら、そりゃ命がいくつあっても足りないわね」
「……ごめんなさい……とでも、言えばいいのかしら……?」
弱々しくも、しっかりと、幽々子は霊夢を見つめた。
「……そんな事、するくらいなら最初から……誰も、愛したりはしない……」
「それでいいのよ。妖怪ってのは、そうでなきゃいけないわ。それでこそ退治のしがいがあるってもの」
「私……妖怪ではなくてよ? 冥界の、管理人……」
「同じようなもんでしょうがああああああああッッ!」
夢想封印が、幽々子と妖夢を直撃していた。
冥界の空が、桜吹雪で埋め尽くされた。
戦いの最中である事も忘れてしまうような光景である。四季映姫・ヤマザナドゥは、呆然と見上げるしかなかった。
「……散ってゆく……西行妖が……」
我に返った気分である。
自分は今まで、何をしていたのか。
冥界の管理者・西行寺幽々子への、厳重注意あるいは懲罰。そして西行妖の、開花の阻止。
それが、閻魔たる自分の目的であり職務であったはずだ。
このような怪物と戦うために、わざわざ来たわけではない。
「私……私は、一体……何を……」
「貴女はね、私と戦っていたのよ。それはもう激烈な弾幕戦……」
声が聞こえた。
「ここが冥界で良かったわ。幻想郷なら……人里の半分くらい、消し飛んでいたかもね」
姿は見えない。だが、この花霞の何処かに、風見幽香は間違いなく居る。
「……地獄の弾幕。愉しませてもらったわよ、閻魔様。私の弾幕、貴女にも愉しんでいただけたようで何よりだわ」
「黙りなさい! 私……私は……」
西行妖が満開になれば、幻想郷に死が溢れ出す。それを止めるために、自分は来たはずであった。
戦いの最中、そんな事はしかし頭の中からも心の中からも、いつしか消えて無くなっていた。
戦いに、心を奪われていた。
閻魔として、あってはならぬ失態である。
「それでいいのよ、閻魔様。役職だの職務だのよりもまず目の前の戦いから逃げない、逃げられない……それが弾幕使いというもの」
桜吹雪に身を隠しながら風見幽香は、巨大な骸骨のようになりつつある西行妖を見上げているようであった。
「咲かずの桜……堪能させてもらったわ。満開にならなかったのは残念だけど、また機会はあるでしょう」
「私は……」
「安心なさい閻魔様。見ての通り、西行妖は散った……幻想郷に死が流れ出す事はないでしょう。霧雨魔理沙が上手くやったという事よ。あの森羅結界を使うお嬢さんもね。それに比べて博麗霊夢は一体何をやっているのやら」
風見幽香の声と気配が、遠ざかって行く。
「活を入れてあげる必要があるかもね……ふふっ。次は、私が異変を起こそうかしら」
「待ちなさい風見幽香……」
「今回はここまで。私、貴女との戦いは長く愉しみたいわ」
姿は見えない。だが不敵にして優美な笑顔が、映姫は確かに見えたような気がした。
「……また会いましょう四季映姫・ヤマザナドゥ。近いうちに会える、そんな気がするわ」
風見幽香は、立ち去った。
桜吹雪の中に、映姫は取り残され立ち尽くした。
桜の風景が、潤んでぼやける。
「私は……閻魔失格……」
声が震える。
「冥界の管理人を、偉そうに裁く資格など……私にはない……私は……私はぁ……」
「閻魔様、ですよ貴女は立派な」
声をかけられた。
映姫は慌てて涙を拭ったが、ごまかせはしない。
子供のように泣きじゃくっているところを、この部下に見られてしまった。
「……いつから、そこにいたのです」
「四季様が物凄い形相で、あの花妖怪に弾幕ぶちかましてるところ、すいません見物してました」
桜の木陰で、小野塚小町は笑っている。
「いやあ、四季様の本気の弾幕。久々に見ましたよ。眠気もぶっ飛ぶ本当の地獄……あ、すいません加勢した方が良かったですか?」
「貴女の職務は、そんな事ではないでしょう」
涙の残る目で、映姫は睨んだ。
「……パチュリー・ノーレッジの寿命は、とうの昔に尽きているはずです。死神がきちんと務めを果たしていれば、の話ですが如何に?」
「あたいが何もしなくたって、あれはもう死にます。長くありません。訃報は寝て待て、ですよ」
「……今の私に、貴女を咎める資格などありませんが」
「さ、帰りましょう。あのね四季様、三途の川からこの冥界に入り込むルート見つけちゃったんですよ」
小町は楽しそうである。
「のんびりした船旅になります。たまにはいいでしょ?」




