第24話 破邪の小太刀
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
曲調が、変わった。
プリズムリバー楽団は今、人間そのものを奏でている。十六夜咲夜は、そう感じた。
西行寺幽々子という1人の人間が、かつて持っていたもの。
それが今、身の毛もよだつ音曲となって、冥界の大気を支配している。
その支配の中枢にあるものを、咲夜は見据えた。
ゆらゆらと幻想的に舞う桜吹雪の中。黒い、闇としか言いようのないものが、優美な人型を形成している。
花びらの嵐をまとう、たおやかな人影。
人間だ、と咲夜は思った。自分は今、人間と戦っている。
かつて自分が守矢の退魔士として戦っていた相手も、結局は人間であった。あの醜悪な怪物たちは皆、人間という生き物が持つおぞましさの延長上に存在していたのだ。
それが極まると、こうなる。
かつて咲夜が捕らえて惨殺した、あの男たちなど問題にもならぬほど醜悪でおぞましい。
それでいて、こうして見入らずにはいられない。
醜悪な美しさ。美しき醜悪さ。
あるはずのないもの、あってはならないものが、そこにある。
「そう、お前が……西行寺幽々子という人間の、本質」
咲夜の言葉に応えるが如く、人影がふわりと舞う。
その舞踏が、光か闇かよくわからぬものを撒き散らす。
蝶だった。
無数の蝶々が、すでに咲夜を取り囲んでいる。
放散された鱗粉が、そのまま光弾の嵐となり、あらゆる方向から咲夜を襲う。
時間が止まり宙に静止したナイフを、軽やかに蹴りつけて、咲夜は跳躍した。
空中で身を捻り、光弾と光弾の隙間に無理矢理、全身を捻じ込んでゆく。こういう激しい動きをしても、美鈴ほどには胸が揺れない。
すらりと美しく引き締まった太股が、躍動しながら弾幕をかわす。
その太股に巻かれたベルトから、咲夜はナイフを引き抜いた。
退魔の念を込め、投射する。
そうしながら、空中に静止した別のナイフに着地する。
投射された退魔の刃が、桜吹雪を切り裂いた。黒い人影に、突き刺さっていた。
どれほどの痛手を与えたのか、いくらかでも痛手を与える事が出来たのかは、わからない。
蝶の群れが、咲夜の視界を満たしている。敵の様子を視認出来ない。
霧雨魔理沙の無事を、見て確認する事も出来ない。
これだけの蝶たちが、一斉に鱗粉の弾幕を放ってきたら。自分も、それに魔理沙も、回避しきれるかどうか。
季節の力を消耗する。それを承知の上で、森羅結界を使うべきか。
「十六夜咲夜……私の力を使え」
レティ・ホワイトロックが、いつの間にか近くにいた。博麗霊夢の屍を抱いたまま。
「私は季節の妖怪、森羅結界の燃料になれる。私を消耗しても、季節を消耗した事にはならない」
「私も! 私の力も、使って下さい!」
リリーホワイトも、そこにいる。
咲夜は言った。
「お前たちに……そこまでして、私に加勢する理由など」
「お前のためではない、私たちのためだ!」
レティが、悲鳴に近い声を上げた。
無数の蝶々が一斉に、鱗粉の弾幕をばら撒いたところである。
「私たちを守ってくれと言っている! それに、博麗の巫女の肉体もだ!」
「そ、そうね。わかったわ、力を貸してもらう」
レティとリリーホワイトが、身を寄せ合いながら光を発した。
その光が、自分の体内に流れ込んで来るのを咲夜は感じた。
冬妖怪と春告精の力。
それを咲夜は、結界として解放した。
弾幕が、そしてそれらを放つ蝶の群れが、砕け散った。破片が、光の花びらとなってヒラヒラと舞い消える。
死の蝶々で満たされていた冥界の風景が、すっきりと綺麗になった。
流星のようなものが見えた。
魔法の箒を駆る、霧雨魔理沙だった。
「助かったぜ!」
懸命に箒を操縦し、弾幕をかわし続けていたのであろう魔理沙が、回避から攻撃に転じていた。無数のマジックミサイルが、光の嵐となって吹き荒れる。イリュージョンレーザーが、宙を裂いて一閃する。
全てが、黒い人影を直撃した。
桜吹雪をまとう、人型をした闇の塊。それが切り刻まれ、粉砕された。
人型が崩壊し、闇が、桜吹雪の中から溢れ出す。
そして魔理沙を襲った。
息を呑み、箒を旋回させて回避を試みる魔理沙であったが、触手の如く伸びた闇が、すでに彼女の眼前に回り込んでいる。上下にも、左右にも。
あらゆる方向から魔理沙に迫る、黒い触手たち。それらが突然、ズタズタに切断されて飛び散った。暗黒の飛沫が、飛散した。
凄まじい、斬撃の閃光、咲夜に見えたのは、それだけだ。
「十六夜咲夜……で、あったな貴様。1つ訂正してもらうぞ」
一見たおやかな左右それぞれの手で、大小ふた振りの剣を構えたまま、魂魄妖夢は言った。
「……あのようなもの、幽々子様の本質ではない。断じてだ」
切り刻まれ飛び散った闇が、桜吹雪に乗って漂いながら、いつの間にか集合し、優美な人型を取り戻してゆく。
魔理沙が呻いた。
「まさか……私たちの攻撃が全然、効いてないってのか?」
「そんな事はない。が、もう一押しが足りていないのは間違いなかろうな」
そんな事を言っている妖夢に、咲夜はじろりと視線を投げた。
「……お前が、その一押しになってくれるとでも? 見たところ満身創痍のようだけど」
「無論、私でも力が足りん。だから」
妖夢の視線は、レティに向けられていた。
否。レティに抱かれている、少女の屍にだ。
「……博麗の巫女に、手伝わせる」
「お前……」
何を言っている、と魔理沙は叫ぼうとしたのだろう。
その言葉が発せられる前に、ふわりと動いたものがある。
妖夢の細身に、戦装束の如くまとわりついている霊体。大きな人魂、あるいは小さな雲のようでもあるそれが、少女剣士の身体を離れて飛翔し、レティの方へと向かう。
そして。霊夢の屍に、入り込んで行く。
咲夜は懐中時計を取り出し、霊夢の時間停止を解除した。何も起こらぬようであれば、また止めるだけだ。
屍であるはずの霊夢が、レティの腕の中から起き上がった。
「れい…………!」
魔理沙が、声を発しながら息を詰まらせた。
そちらを、霊夢は一瞥した。
ぼんやりと、怪しく発光する瞳。生者の眼光ではなかった。
ふわりと離れて行く霊夢を呆然と見送りながら、レティが声を漏らす。
「魂魄妖夢……貴様、何をした……?」
「見ての通り、私の半霊を憑依させただけだ。上手くゆくかどうかは、わからなかったが……よし。短時間ならば、いける」
答えつつ妖夢は、二刀の片方を霊夢に手渡した。短い方の剣。
「博麗の巫女には……一時的に、私の分身になってもらう」
妖夢は長刀を、霊夢は小刀を構え、並んで空中に佇んだ。
「……白楼剣、使いこなして見せろ。博麗霊夢」
「お前……!」
魔理沙が怒り叫ぼうとする。
仲間割れか、いやそもそも仲間同士と言えるのか、などと考えている場合ではなかった。
桜吹雪をまとう黒い人影が、無数の蝶々を発生させていた。
冥界の空を満たす蝶の群れが、ふわふわと鱗粉を降らせてくる。
その全てが、弾幕に変わった。
「魔理沙、それに魂魄妖夢! 攻撃の方は任せるわよ!」
咲夜は叫んだ。
身を寄せ合うレティとリリーホワイトの姿が一瞬、透き通った。そのまま消えてしまうのではないか、と思えるほどに。
力が、咲夜の中に流れ込んで来る。冬の妖怪と春の妖精が、己自身を消耗させながら送り込んでくれた力。
それを、咲夜は解放した。
森羅結界が、弾幕を、その発生源たる無数の蝶々を、粉砕していた。
キラキラと舞う光の花びらを蹴散らすように、流星のようなものが飛翔する。
「ああ、わかってるよ畜生! 霊夢ならな、普通に死んじまうよりは! 操り人形にされても妖怪と戦う道を選ぶだろうぜ!」
魔理沙だった。
箒にまたがる少女の全身が、燃え上がる魔力の輝きに包まれながら一直線に飛行突進して行く。大量の星をばら撒きながらだ。
「だったら私も妖怪どもはぶっ飛ばす! このスターダストレヴァリエで、ぶっ飛びやがれぇええええええええええッッ!」
流星が、黒い人影を直撃・貫通した。
たおやかな人型を成していた闇の塊が、真っ二つにちぎれた。
ちぎれたものが、一直線に両断された。妖夢の斬撃が一閃していた。
計4つに分かたれた闇に、魔理沙のばら撒いた星たちが激突する。
優美で禍々しい人影を成していた黒いものが、完全に砕け散り消滅してゆく。
斃したのか。確かに、斃した。
だが、咲夜は息を呑んだ。
魔理沙も、妖夢も、硬直している。
桜吹雪をまとう優美な人影が、無数。西行妖の周囲に浮かび佇んでいた。
それらが一斉に蝶々を放つ……よりも早く。
斬撃の光が、一閃していた。その閃光が、人影のいくつかを薙ぎ払う。
薙ぎ払われたものたちが、真っ二つになりながら薄れ消えてゆく。
妖夢の斬撃、ではなかった。
「霊夢……」
魔理沙が、呆然と呟く。
一閃した小刀を構え直しながら、霊夢は踏み込んで行く。空中の、目に見えぬ足場を軽やかに蹴って疾駆あるいは跳躍する。
まるでフランドール・スカーレットのように表情のない美貌が、ぼんやりと不吉な眼光を点している。機械の如く。
まさしく戦闘機械だ、と咲夜は思った。
霊夢の黒髪が激しく舞い、白い付け袖がはためき、つるりと綺麗な腋の下が煽情的に見え隠れする。
その度に、小刀の一閃が弧を描く。
桜吹雪をまとう人影たちが、斬撃の弧に撫でられて両断され、消滅してゆく。
「これが……くっ……博麗霊夢の、真の力……」
霊夢と同じ眼光を両目で輝かせながら、妖夢が呻く。
咲夜は、問いかけた。
「彼女……死んでいる、のよね……?」
「無論。今は私が、半霊を通じて操縦している。だが……まさか、これほどとは……」
妖夢の声が、低く震える。
「我が師父、魂魄妖忌曰く……人の本質と言うべきものは、抜け出した霊魂ではなく屍の方に残ってしまう事があるという。それが、今の博麗霊夢だ」
霊夢の斬撃が、そのまま弾幕となって、黒い人影たちを切り刻み霧散させてゆく。
その様を、魔理沙は呆然と見つめている。
「霊夢の……本質、だと? 何がだよ……」
「お前なら、わかっているはずだぞ霧雨魔理沙。博麗霊夢の本質、それは……異変解決、妖怪退治……弾幕戦……」
妖夢の声は、苦しげである。
今の霊夢を操縦する事が、想像を絶する負担と消耗をもたらしているようであった。
「恐るべきは博麗霊夢……あやつ、潜在能力の塊だ。戦いにしか使えぬ潜在能力……それが、魂あるいは人格による束縛から……今は、解放された状態……」
斬撃の弾幕が、黒いものたちを一掃したところである。
殲滅を終えた霊夢は今、小刀を片手に構えて空中に立ち、西行妖と向かい合っている。
冥界の背景そのものである桜の巨木。その全体から、黒いものが滲み出し立ちのぼっている。人影が、またしても大量発生するのか。
いや違う、と咲夜は確信した。
西行妖そのものが、あの人影と同じような何かに成ろうとしている。
「させない……!」
咲夜はナイフを眼前に掲げ、退魔を念じた。
先程、西行妖の幹に突き刺した何本かのナイフに、退魔の念が伝播してゆく。この巨大過ぎる妖樹に、しかし咲夜1人の退魔力がどこまで通用するものか。
何者かが微笑んだ。咲夜は、そう感じた。
禍々しい気品に満ちた笑顔が一瞬、咲夜の脳内を占めたのだ。
とっさに咲夜は、己の左腕にナイフを突き刺した。優美な二の腕が無残に穿たれ、鮮血が噴出する。
激痛で、咲夜は己の意識を保った。
そうしなければ恐らく、いや間違いなく、乗っ取られていた。美しく禍々しく微笑む、何者かに。
そして、西行妖の操り人形と化していただろう。
「……うかつに念を送るのは、やめた方がいいぜ」
魔理沙が、いつの間にか傍にいた。
「この西行妖ってのは、どうやら規格外の化け物だ……いや正確には、西行妖の中にいる奴か」
「……西行寺幽々子の……本体?」
咲夜の言葉に、妖夢が激昂した。
「ふざけた事をぬかすな! あれが……あんなものがっ……! 幽々子様であるものか……ッ!」
怒声が震えている。少女剣士の強靭な細身が、痙攣している。
魂なき博麗の巫女が今、妖夢の操縦を振りちぎろうとしているのか。
黒い揺らめきをまとう巨大な妖樹と、霊夢は対峙している。
屍であるはずの肉体が、得体の知れぬ力を燃え上がらせている。
魂から、人格から、解放された力。
「駄目だ……制御、しきれなく……なる……」
食いしばった歯をガチガチと鳴らしながら、妖夢が呻く。
「博麗霊夢が……このままでは、どんな化け物になるか……」
「そうはさせない。お前にも、力を貸してもらうぜ」
魔理沙の言う「お前」とは、妖夢の事ではなかった。
「こいつはな、お前が向き合わなきゃいけない相手だ……そうだろう、西行寺幽々子」
咲夜が幻と断じた姿が、そこにあった。
霊夢の魂を抱いた、西行寺幽々子。しとやかに空中に立ち、西行妖を見据えている。
「幽々子様……なりません!」
妖夢が悲鳴を上げた。
「今、西行妖に近付いてはなりません! お逃げ下さい!」
「ねえ妖夢。冥界にいる限り、西行妖からは逃げられないのよ?」
幽々子が微笑む。優しい笑み。だが先程、西行妖の中から咲夜に微笑みかけてきた何者かの笑顔とも似ている。
その何者かに、幽々子は語りかけていた。
「そう……そこに、あったのね……」
向き合おうとしている。
西行寺幽々子は今、これまで目をそらせ続けてきた何かと、向き合おうとしているのだ。
(向き合わなければ……ならないのですか……)
この場にいない少女に、咲夜は問いかけていた。
(逃げ続ける事は、許されないのですか……レミリアお嬢様……)




