第22話 死せる者、死にゆく者
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
博麗霊夢の屍を、魔理沙は受け取ろうとしなかった。
「西行寺幽々子……お前、霊夢に……何をした……?」
紅魔館における戦いでは、その機転と状況対応力で咲夜と美鈴を大いに出し抜き、紅い霧の発生源をも突き止め、これを無力化してのけた霧雨魔理沙が、今、冷静さを失いつつある。
泣きじゃくる西行寺幽々子を、燃える瞳で睨み据えながらだ。
「欲しい……私、これ……欲しいよう……ひっく……うえぇぇ……欲しいよぉおおお……」
「……それは……お前の、じゃあない……」
箒にまたがる魔理沙の周囲に、無数のマジックミサイルが生じて浮かぶ。
旋回する2つの水晶球が、燃えるように発光する。
その光がレーザー化し、迸った。
「それは、霊夢のだ……返せ、さあ返せ! 霊夢を返せぇえええええええええッッ!」
イリュージョンレーザーとマジックミサイルの嵐が、冥界の大気を桜吹雪もろとも切り裂いて激しく直進し、幽々子を襲う。
霊夢の肉体から抜き取った、形のないものを愛おしげに抱いたまま、幽々子は回避も防御もしない。ただ泣くだけだ。
涙の煌めきが、蝶々に変わってゆく。
何色をしているのかよくわからぬ蝶の群れが、ひらひらと幽々子を取り巻いて舞い広がって行く。
霧のような鱗粉が、妖しく烟った。
その烟りの中に、イリュージョンレーザーもマジックミサイルも全て吸い込まれ、消失した。
魔理沙が、怒りの形相を硬直させたまま息を呑む。
そこへ、鱗粉の奔流が押し寄せて来る。
鱗粉が全て、煌びやかな光弾に変わっていた。全てを吸収し消失せしめる、死の弾幕。
霊夢の屍を抱いたレティ・ホワイトロックが、リリーホワイトと共に慌てて退いて行く。魔法の箒に二人乗りをした魔理沙と咲夜が、その場に残された。
硬直している魔理沙の後ろで、十六夜咲夜は、
「博麗霊夢……こんな所で、何をしているの……」
呻き、そして叫んだ。
「レミリアお嬢様が、貴女を必要としておられるのよ! さあ戻って来なさい!」
魔法陣のようなものが一瞬、出現して咲夜と魔理沙を取り巻いた。
それに、鱗粉の弾幕が触れる。
魔法陣も、死の弾幕も、全て砕け散っていた。破片が、花びらとなって舞い消えてゆく。
「……ほう、森羅結界ですか」
声がした。
まるで路傍の地蔵のように気配の希薄な、1人の小柄な少女が、いつの間にか傍にいる。空中に佇んでいる。
「それを使いこなす人間が、こうして冥界に殴り込んで来るとは恐るべき事……ですが、理解しているのでしょうね? 森羅結界は」
「季節を消耗する力……濫用すれば、今こうして消えかけている春だけではなく夏も秋も冬も来なくなる。幻想郷は、死に絶える」
咲夜は応えた。
「そんな事は、この能力の獲得と同時に理解したわ。貴女が何者なのかは知らないけれど、敵でも味方でもないのなら手も口も出さないように」
「中立の存在を認めない、その不寛容な心のありよう……灰色を白と黒へと分断せずにおれぬ私にとって、反面教師と言うべきものかも知れませんね」
少女が、微笑んだ。
「十六夜咲夜。貴女とは時間をかけて話し合いたいところですが、今はそれよりも……西行寺幽々子」
冷たい笑顔が、冷たい真顔になった。
「勝敗は決しました。現時点をもって、博麗霊夢の魂は是非曲直庁の管轄下へと移行します。さあ引き渡しなさい」
「……嫌…………」
霊夢の魂。
そう、はっきりと呼ばれたものを、幽々子が強く抱き締めた。
「これは、私のものよ……元々、私のものだったのよ……」
「……貴女のそれは、違う場所にあります。ありはしますが、貴女がそれを取り戻す事は出来ないのですよ。もはや永遠に」
小柄な少女が、路傍の地蔵ではなくなりかけている、と咲夜は感じた。
「それは、貴女にとっては今や何の意味も持たないものです。さあ、手放しなさい……3度は言いませんよ」
「言わせはしないわ。物言わぬ石塊の地蔵に戻りなさい、四季映姫ヤマザナドゥ」
幽々子の両眼が、涙を流しながら禍々しく燃え上がる。
「その口うるさい魂……抜き取ってあげる」
「1つ教えておきましょう。地蔵から閻魔への昇格試験、その最終課題は……地獄の最高権力者を相手とする、弾幕戦です」
路傍の地蔵から、そうではない得体の知れぬ何かに変わりつつある少女が、静かに告げた。
「あれを生き延びた私にとって……冥界の管理人ごときが垂れ流す弾幕など、遊びでしかありません。まあ遊んで差し上げるのも良いでしょう。遊びで消滅する覚悟があるならば、かかって来なさい亡霊」
「おい、勝手に話を進めるな!」
魔理沙が叫んだ。
「霊夢の、何だって? 魂? それをどこに移行するだと!? ふざけるな、そんな世迷い言に付き合ってられるか! さあ返せ、それは霊夢のだ!」
「お黙りなさい霧雨魔理沙。手も口も出してはならない、それは貴女たちの方です」
その少女は今や、物言わぬ路傍の地蔵ではなかった。
小柄な全身から、目に見えない力が溢れ出している。
それが、目に見える弾幕となりつつある。
「現実を受け入れなさい。先程レティ・ホワイトロックが言った通り……博麗霊夢は、死んだのです」
「お前…………ッ!」
「冥界の管理者ともあろう者が、死せる人間の魂を私物化せんとする……この所業、閻魔として見過ごす事は出来ません。貴女たちは退きなさい。西行寺幽々子を処罰するのは、幻想郷の閻魔たる私の役目」
言葉は、そこまでだった。
桜吹雪が、少女を直撃していた。
花びらでしかないはずのものたちが、まさに直撃と呼べる破壊力を有して彼女に激突し、口上を叩き潰したのだ。
閻魔を名乗った少女が、微量の鮮血を散らせながら吹っ飛んで行く。
それは、弾幕であった。
冥界に咲き乱れる桜たちのいくつかが、花びらを弾幕として放射する妖怪と化したのだ。
西行寺幽々子の力によって、か。
「ぐぅッ……! お、お前は……っっ!」
吹っ飛んだ閻魔が、空中で踏みとどまりながら、しかし幽々子ではない何者かを睨み据えている。
「……迂闊でした。春になっても花の咲かぬ異変……お前が、黙って大人しくしているわけがありませんね。だからと言って、冥界にまで押し入って来るとは……顕界との境界を、八雲藍がしっかりと補強しているはずですが」
「どんな壁があろうと、私……花の咲いている場所なら、どこへでも行けるわ」
姿は見えない。だが、声は聞こえる。
「ねえ春告精? 貴女と同じよ。西行妖の泣き声がね、私にも聞こえてしまうの。咲きたい、満開になりたい……ってね」
「あ……貴女は……」
リリーホワイトが、青ざめた。
「……幻想郷に春が来ないのは、私のせいです。私が、西行妖を咲かせようと……そのせいで、幻想郷の春のお花が咲かなくなって……」
「違う! 幻想郷に春が来ないのは、冬の妖怪たる私の仕業。黒幕は私だ、リリーは関係ない!」
姿の見えぬ何者かに向かって、レティ・ホワイトロックが叫ぶ。
その声が、震えている。
「……貴女を怒らせてしまった以上、言い訳はしない……さあ、容赦なく制裁を下して欲しい。私1人に……」
怯えている。咲夜と魔理沙を同時に相手取って果敢に戦い、マスタースパークを浴びながらあれほどの闘志を見せた冬妖怪が、だ。
「願わくば……どうか、一思いに……」
「何を言うのレティ……違います、悪いのは私!」
「言ったでしょうリリーホワイト。私の思いは、貴女と同じよ。咲かぬ桜があるなら、咲かせてあげたい」
姿は見えない。が、その涼やかな声と共に、伝わって来るものはある。
不穏な気配。桜吹雪に隠れながら、漂っている。
この桜の樹海のどこかに、これ以上なく不穏な何者かが潜んでいる。
「だけど西行妖が満開になれば、幻想郷から花の咲く季節が失われてしまう……悩ましいお話よね。それはともかく春告精、それに冬のレティ、貴女たちをどうこうしようという気はないわ。そんな事のために私がわざわざ来るはずないでしょう?」
姿を見せぬ何者かの眼光が、自分たちに向けられた。それが咲夜にはわかった。
「だらしない博麗霊夢が、その亡霊にあっさり敗れてしまった。次は貴女の番よ霧雨魔理沙、霊夢の魂を取り戻して御覧なさい。誰にも邪魔はさせないから」
桜吹雪が、渦を巻いて吹き荒れた。
烟るような花びらの嵐が、閻魔の小柄な姿を包み隠す。
あるいは、と咲夜は思った。包み隠されたのは、自分たちの方か。
視界不良をもたらすほどの桜吹雪によって、閻魔はどうやら咲夜も魔理沙も幽々子も見失った。
そして、桜吹雪を巻き起こした何者かの襲撃を受けている。
闘争の気配が、伝わって来るのだ。声と共に。
「野暮な事をしては駄目よ、閻魔様。霧雨魔理沙がね、冥界を叩き潰してまで博麗霊夢を助けようとしている。手出しはせずに結果を見届けるのが、弾幕使いの仁義というものでしょう? ねえ」
「冥界を……潰さんとしているのは、お前でしょう風見幽香!」
「その子たちも負けてしまうようなら、ね。しっかりやりなさい魔理沙、それに……ふふっ、面白そうなお嬢さん。森羅結界なんて久し振りに見たわ。頑張りなさいね」
会話が、激戦の気配が、遠ざかって行く。
匂い立つ桜吹雪の中、西行寺幽々子はそちらを一瞥もしない。
形のない博麗霊夢を、ただ愛おしげに抱き締めている。たおやかな細腕で、豊麗な胸で、しっかりと捕獲している。
霊夢の生命を、魂を、己の体内に取り込まんとするかのように。
「駄目……私の中に、入って来てくれない……」
泣き声を震わせながら幽々子は、霊夢の魂に唇を寄せてゆく。
端麗な唇が、少しだけ上下に開いた。白く美しい前歯が見えた。
「……食べれば、いいのかしら…………」
「それは食べ物じゃあない! 本当にお前……いい加減にしろよ……ッッ!」
怒り狂う魔理沙を、幽々子が見下ろす。
涙を流しながら燃え盛る両眼が、魔理沙を、咲夜を、睥睨している。
「ああ……貴女たちも、素敵よ。どろどろしていて、ぎらぎらしている……おぞましくも美しく燃えて輝く、生命と魂……ちょうだい……私に、ちょうだい……」
「この大食い妖怪が! 私から何か取れるもんなら取ってみろ!」
「待って、魔理沙」
咲夜は言った。
「……聞いて。霊夢の屍は、私が時間を止めておいたわ、焦らなくとも腐る事はない」
「屍……なんだな、本当に…」
魔理沙が呻く。
「霊夢は……死んじまったんだな……でも生き返るんだろ? あれを、霊夢の身体に戻せばいいんだろ!?」
あれ、と魔理沙が呼んだものを、幽々子は抱いている。手放すまいとしている。
奪い返し、霊夢の肉体に押し戻す。そうすれば生き返る、などという単純な話なのかどうかはわからない。
「それでも今は、それに賭けるしかないわね……レティ・ホワイトロック、申し訳ないけれど霊夢をお願い」
「戦うのか……西行寺幽々子と、まだ戦うのか……」
時の止まった霊夢の肉体を、抱いて保持したまま、レティは言った。
「生命ある身では、彼女には勝てない……まだ、わからないのか。博麗の巫女でさえ、この様なんだぞ……」
「おかげで敵の能力が把握出来たわ。霊夢は、必ず助ける」
レミリアのために。
そこまでは口に出さず、咲夜は幽々子を見据えた。元々の目的を、忘れたわけではない。
「西行寺幽々子、貴女に訊きたい事があります。博麗の巫女と一緒に迷い込んだと思われる、吸血鬼の少女の行方を」
「元気の良い気配が1つ、暴れていたような気はしていたけれど……そう、吸血鬼だったのね」
煌めき飛散する涙を、蝶々に変えながら、幽々子は微笑む。
「ここは冥界。貴女たちの幻想郷、だけではなく……外の世界からもね、死者が流れ込んで来るのよ」
冥界が、外の世界と繋がっている。
それが意味するものは、今の咲夜にとっては1つだけだ。
「妹様が……外の世界に……?」
「残念、連れ戻しに行く事は出来ないわよ」
邪悪にして荘厳な楽曲が、プリズムリバー姉妹によって奏でられている。
それに合わせて蝶々が舞い、桜吹雪が流れ、そして美しく禍々しいものが広がってゆく。
「貴女たちは今から……私のものに、なるのだから」
幽々子の背後で、巨大な扇が開いていた。
寝台の上でパチュリー・ノーレッジは、か細い上体を起こし、書物を開いている。
体調が、今日はそれほど悪くはないようであった。
小悪魔は安堵した。
「パチュリー様……薬湯を、お持ちしました」
「ありがとう」
ティーカップすら重そうに見えてしまう繊細な手で、パチュリーは小悪魔の持って来たものを受け取った。
一口、啜る。
パチュリーの、それだけの動作にさえ、小悪魔は儚さを感じてしまう。
「……薬草の調合を変えたのね、小悪魔。前よりも、すっきりと身体に染み込んで来るわ」
「霧雨魔理沙が……色々と、教えてくれまして」
正直に、小悪魔は言った。
「あの魔女は、本気でパチュリー様の御身を心配してくれています」
「押し付けがましいわね相変わらず」
一言で、パチュリーは切り捨てた。
先日、霧雨魔理沙がここを訪れた際にも直接そう言っている。魔理沙は、ただ笑っていた。
この寒さ、お前には辛いよな。すぐ暖かくしてやるから。
そう言い残して、魔理沙は消息を絶った。
姿を消してしまったのは、彼女だけではない。紅美鈴も、十六夜咲夜も、主たるフランドール・スカーレットさえも今、この紅魔館には不在である。
「私……紅美鈴も十六夜咲夜も、許せません。病身のパチュリー様を放置して……」
「わかっていないわね小悪魔。あの2人が今、最も気にかけておかなければいけないのは、私ではなくレミィとフランなのよ」
小悪魔が思った通りの事を、パチュリーは言った。そして微笑む。
「それにしても……私も、焼きが回ったようね。魔理沙に心配されてしまうとは」
「その通り。お前さんは、ここまでだよ」
声がした。
窓際に、その女はいつの間にか佇んでいた。
「今まで随分、騙し騙しで逃げ回ってくれたねパチュリー・ノーレッジ」
「何者……!」
小悪魔はパチュリーを背後に庇い、その女を睨み据えた。
若い女、と言うより少女か。巨大な鎌を担いでいる。
何者であるのか、それだけで明らかだった。
「貴女とも……そろそろ、長い付き合いになるのかしらね」
パチュリーが笑う。透明な笑顔。日に日に透き通って行く彼女が、いよいよ消えてしまうのか。
「今の私に、貴女を遠ざける力はない。どんなに遠ざけても、貴女はすぐに距離を縮めて来てしまう……だから、お願いするわ。もう少しだけ待ってくれないかしら? 霧雨魔理沙が、やり遂げるのか、失敗して無様に死ぬのか、それを見届けたいのよ」
「何を……おっしゃっているのですか、パチュリー様……」
小悪魔は訊いた。答えを聞いてはならない、と思いながら。
「もう少しだけ、とは一体……何の事なのですか……」
「本当は、わかってんだろ。お前さんが思ってる通りだよ、悪魔族」
悪魔族ではない、そして人間でもない少女が言った。
「今日はな、そろそろだぞって事だけを伝えに来たんだ」
「わけのわからない事を……ッ!」
パチュリーの寝室である。なのに小悪魔は、弾幕を放っていた。
「何が、そろそろだ! お前なんか、お前なんか絶対パチュリー様に近付けさせない! お前なんかぁああああああっ!」
否。小悪魔の魔力は、弾幕となって迸る前に萎縮してしまった。
まともに物を切れるとは思えない、ねじ曲がった大鎌を突き付けられただけでだ。
「そうじゃないだろ。お前がやらなきゃいけない事は、そうじゃない」
死神は、静かに告げた。
「あと数日……パチュリー・ノーレッジを、心安らかに過ごさせてやれ。派手じゃなくていい、何か楽しい思いをさせてやれ……思い出に、なってやれ。生きてる奴が出来る事なんて、それしかないだろうが……」
言葉を残し、大鎌を担いで背を向ける、と同時に死神は消え失せた。
小悪魔は、崩れるように座り込んでいた。
(……紅魔館には、誰もいない……誰も、パチュリー様を守ってくれない……)
迷いの竹林。
もはや望みは、そこにしかなかった。
(……パチュリー様には……私しか、いない……)




