第21話 Border of Life
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定 小湊拓也
「どうか、お止めになりませぬよう……お願いいたしますわ。ヤマザナドゥ閣下」
西行寺幽々子の、その言葉で、博麗霊夢はようやく気付いた。
空中で優雅に佇む幽々子の近くに、もう1人。小柄な少女が、見えざる足場に立っている。
絢爛な、青紫色の衣服と冠。その身なりは、幽々子よりも派手ではある。
なのに霊夢は、その存在に気付かなかった。
「この博麗の巫女は、妖夢をいじめるという、冥界で最も重い罪を犯しました。私が罰を与えなければなりません」
「……明らかな弱い者いじめであれば止めるところ、ですが」
ヤマザナドゥと呼ばれた少女が、霊夢に視線を向ける。
凛と美しい顔立ちも、充分に人目を引きつけるものである。
なのに何故、こうも存在感が希薄なのか。
「博麗の巫女たる者が、己の意思でここまで来た。己の意思で、ここにいる……良いでしょう。これを正当な勝負事であると認めます」
「何で、あんたに認められなきゃいけないわけ?」
こうして会話をしていても、このヤマザナドゥという少女の存在がほとんど感じられない。
「随分とまあ、上からの目線」
人や妖怪と話している、という気が霊夢はしなかった。妖精でさえ、もっと存在感が強い。
この気配の薄さ、存在感の無さ。
まるで道端の地蔵とでも会話をしているようだ、と霊夢は感じた。
「ご容赦を。役職柄、このような物言いを改める事が出来ません」
地蔵のような少女が、言った。
「博麗霊夢。貴女がこの戦いに敗れ、命を落としたなら……私はそれを、貴女の避けられぬ運命であったと裁定するでしょう。そのまま私が、貴女の魂を是非曲直庁まで連れて行きます。私とて弾幕使いの端くれ、戦いの結果は重んじなければなりません。さあ戦いなさい、私の存在は気にせず……今より私は、単なる路傍の地蔵です」
この少女は、路傍の地蔵になれる。
そうではないものにも、なる事が出来る。それがいかなるものであるか、が霊夢は全く読めなかった。
「……まあ、こいつに加勢するわけじゃないなら別にいいけど」
幽々子を見据えたまま霊夢は、自分の背後から近づいて来る者たちに声を投げた。
「で、あんたたちはどうするの。西行寺幽々子に加勢するなら、それも良し。まとめて相手してあげる」
「……と、博麗の巫女が仰っているわけだけど。どうしましょうか幽々子さん」
飛行する少女が3人、西行妖の偉容を背景に浮かんだ。
突然、幻想郷から姿を消したと噂されている三姉妹。霊夢は睨み回した。
「プリズムリバー楽団……こんな所に、いたのね」
「こんな所とは失礼な言いようね。この桜の風景……生きた貴女が目にする、最後のものになるかも知れないのよ。もっと敬意を払いなさい、博麗の巫女」
ルナサ・プリズムリバーが言った。
「それより幽々子さん。手助け歓迎中かしら?」
「無用……」
幽々子が即答する。
「貴女たちには、戦いの音楽を奏でて欲しいわ」
「そうする。元々それが、私らの仕事だもんね」
言いつつリリカ・プリズムリバーが、黒衣の春告精を見やった。
「……リリーホワイト、貴女をそこから引きずり戻す。駄目よ、そんな所にいたら」
「あたしたちの演奏でね、正気に戻りなさぁーい」
メルラン・プリズムリバーが笑う。
「ねえ幽々子さん。実はね、ずうっと貴女の曲を作ってたの。貴女の中から聞こえて来る、その聴いてるだけで死にたくなるような音をねえ、主にルナ姉が編曲してね」
「……消滅しそうな作業だったわ。はっきり言ってね、弾幕戦よりも命懸けよ」
ルナサも、少しだけ微笑んだようだ。
「幽々子さん、貴女の音楽は……危険過ぎるわ。メルランとリリカがいなかったら、私なんか消えてなくなっていたでしょうね」
「私ら3人まとめて消えちゃうかと思ったわよ、まったくもう」
リリカが、じっと幽々子を見つめた。
「幽々子さん……本当に、ありがとう。レイラ・プリズムリバーの魂を、見つけ出して導いてくれて」
「私はただ、迷子を拾っただけよ。冥界の管理者として当然の事」
幽々子が、眼前を舞う桜の花びらを、扇でひらひらと舞い上げている。
「それだけで……貴女たちは、白玉楼との専属契約を承諾してくれたわね」
「ふふっ。だってねえ、あんなに嬉しい事ないわよ。あの子が天国へ……あ、閻魔様もいる。おーい!」
メルランが、道端の地蔵の如く存在感を消している少女に気付いた。
「レイラを天国へ行かせてくれて、ありがとねー」
「別に私が便宜をはかったわけではありませんよ。彼女の生前の行いを、吟味・精査しての事。レイラ・プリズムリバー自身の功徳です」
閻魔であるらしい少女が、言った。
「……彼女はね、貴女たちの事を心配していますよ」
「あたしもリリカもルナ姉も楽しくやってるって、伝えといてよ」
「拠り所もなく存在し続けている貴女たちが日々、功徳を積むわけでもなく不安定な事ばかりをしている。ここで春告精を救う事が出来れば、まあ功徳と認めなくはありませんが、常日頃の貴女たちは」
「……申し訳ないけれど、お説教は後」
言いつつルナサが、リリーホワイトの方を見た。
満身創痍のレティ・ホワイトロックに抱きしめられたまま呆然としている、黒衣の春告精。
「えっ、何……何が始まるんですかぁ? 春なんですよー」
「ここで春を告げても駄目。幻想郷にお戻りなさい、リリーホワイト」
ルナサが、ヴァイオリンに弓を当てる。
メルランが、浮遊するトランペットを手に取った。
「さあっ、プリズムリバー楽団の新曲よ!」
「幽々子さん、貴女への感謝の思いを込めて」
眼前のキーボードに、リリカが指を走らせる。
「冥界に、白玉楼に、西行妖に……この曲を捧げます」
それは、音楽という形を取った、災禍の記録であった。
プリズムリバー三姉妹は今、西行寺幽々子という名の災い、そのものを奏でている。霊夢は、そう感じた。
「あんた……」
声が震えるのを、霊夢は止められなかった。
「一体、何を……やらかしてきたのよ……西行寺幽々子……」
見える、わけではない。だが霊夢は、思い浮かべる事が出来る。
禍々しくも、荘厳なる調べ。
聴く者に、全てを思い起こさせる。西行寺幽々子という災禍の全てを。
声、だけではない。霊夢の、身体が、心が、魂が、震える。
冥界でのみ演奏が許された楽曲だ、と霊夢は思った。生きた人間は、これを耳にしただけで死んでしまいかねない。
「そう……これが、かつての私……」
幽々子が陶然と、プリズムリバー楽団の演奏に聴き入っている。
「私が、無くしてしまったもの……どろどろとした、ぎらぎらとした、おぞましく燃えて輝くもの……それをどこかへ置き忘れてしまった、今の私……」
扇の陰で、端麗な唇が恍惚の笑みを浮かべる。
「ありがとう……ルナサ、メルラン、リリカ……」
「あ……ああぁ……あれ……?」
冬妖怪の腕の中で、リリーホワイトが声を発する。
「…………レティ……どうしたの……?」
「リリー…………!」
春告精の小さな身体を、レティが強く抱き締める。
禍々しくも荘厳、気が遠くなるほど邪悪でありながら、切ないくらいに純真無垢。
そんな音楽が、妖精の黒い衣服を洗い清めてゆく。
リリーホワイトは、白衣の春告精に戻っていた。
その様を、霊夢は一瞥した。
「面倒が1つ、片付いたわね」
お祓い棒を、幽々子に向ける。
「あとは、あんたを斃すだけ。覚悟してもらうわよ」
「……貴女、素敵よ博麗の巫女。とても、ぎらぎらしていて」
無数の蝶が、幽々子の周囲をひらひらと舞った。
「お願い、私に見せて……おぞましく美しく燃えて輝く、その魂……」
蝶の群れは、いつの間にか霊夢の周囲を舞っている。
色とりどりの鱗粉が、キラキラと散った。
全て、光弾だった。
「こんなもの……っ!」
色彩豊かな弾幕の中で、霊夢は身を翻した。
すらりと綺麗な四肢が、純白の付け袖と赤色の袴スカートをはためかせて躍動し、光弾の群れをかわしてゆく。
幽々子が笑う。
「あら可愛い、紅白の蝶々みたい」
「ぬかせ!」
回避の空中遊泳を披露し続ける霊夢の細身から、無数の呪符がばら撒かれる。
それら全てが、蝶たちを蹴散らして飛んだ。
同時に、霊夢の左右で、2つの陰陽玉が激しく発光する。その光が、光弾の嵐となって迸る。
呪符と光弾から成る弾幕が、幽々子を襲った。
襲撃の中、霊夢の如く派手な回避行動を取る事もなく、幽々子は緩やかに嫋やかに扇子を揺らめかせただけだ。
高度な追尾性能を有する呪符たちが、扇子に煽られて力を失い、桜吹雪に混ざって弱々しく舞い落ちてゆく。
扇を操るだけの穏やかな舞踏で、幽々子は全ての光弾をかわしていた。
霊夢は、息を呑むしかなかった。
(……熟練の、弾幕使い……)
外見は、霊夢よりいくらか大人びているだけの少女。その実、人の寿命ではあり得ぬほどの年月を生きているのは間違いない。
それだけの年月、この西行寺幽々子は一体どれほどの弾幕戦を経験し、生き延びてきたのか。
否、この少女はそもそも生きているのか。死、すら経験済みなのではないか。
そんな事を思いながら霊夢は、お祓い棒を振りかざした。
「夢想封印……これなら、どうっ」
虹色の光の塊が、いくつも生じて飛翔する。
それらの進行方向に、しかし西行寺幽々子の姿はすでになかった。彼女の残り香の如く舞い続ける何羽もの蝶々を粉砕しただけで、虹色の大型光弾は全て消え失せた。
呆然とする暇すらなく、霊夢は呼吸を止めた。止まってしまった。
肺が凍り付くほどの冷たさが、背後から巻き付いて来る。
幽々子の、美しい細腕だった。
「ああ、思った通りよ博麗の巫女……貴女は、とても……」
涼やかな囁き声が、霊夢の耳元を心地良くくすぐる。
ぞっとするほどの心地良さを感じながら霊夢は、息を吸う事も吐く事も出来なかった。なのに苦しくない。
呼吸の必要など、無くなっていた。
ふと足元を見下ろす。
咲き誇る桜の樹海に向かって、何かが墜落して行く。紅白の巫女装束をまとう少女。
博麗霊夢の、肉体だった。
幽々子に抱かれたまま、霊夢はぼんやりと、それを見送っていた。
その楽曲は、冥界全域に響き渡っていた。
プリズムリバー楽団による演奏であるのは間違いない。
荘厳にして邪悪、それでいて胸が締め付けられるような悲哀を感じさせずにはおかない、まさに冥界そのもののような調べと響き。
引き寄せられるが如く霧雨魔理沙は、魔法の箒を駆り続けた。十六夜咲夜を後ろに乗せてだ。
「この曲から感じられる、純真無垢な禍々しさ……これこそが冥界の管理者・西行寺幽々子の本質」
「一筋縄じゃいかない相手なのは、間違いなさそうだぜ」
言いつつ魔理沙は、おかしなものを前方に見つけた。
「…………霊夢?」
自分が何を見ているのか、魔理沙は一瞬わからなかった。
霊夢が2人いる、ように見える。
1人は、桜吹雪に運ばれるようにして墜落しつつあった。
全ての力を失った、博麗霊夢の肉体。
それを、レティ・ホワイトロックが空中で抱き止める。
こちらに気付いたレティが、霊夢の身体を抱き運び、飛んで来る。
「……と、いうわけだ霧雨魔理沙。私の言った通りに、なったろう」
「何がだよ」
魔理沙は、とりあえず笑って見せた。
「おい霊夢、起きろ。桜がいっぱい咲いてて気持ちいいのはわかるが、どうやら寝てる場合じゃないぜ」
レティの腕の中で、霊夢は眠っている。そう見える。
魔理沙は見上げた。
西行寺幽々子が誰であるのかは、すぐにわかった。
空中に佇む、優美な姿。ゆったりとした水色の衣服が、豊麗な女体の曲線を全く隠していない。
その嫋やかな細腕と柔らかく豊かな胸に、もう1人の霊夢は抱かれていた。
紅白の巫女装束をまとう少女の形は、していない。
だが魔理沙には、わかる。それが博麗霊夢であると。
「霊夢……おい……」
魔理沙は呼びかけた。顔面を笑みの形に歪めておくのが、精一杯だった。
青ざめた春告精が、近くにいる。
微笑みを維持したまま、魔理沙は話しかけてみた。
「リリーホワイト……お前さん、何かおかしな事になってたみたいだけど……良かった、もう大丈夫みたいだな」
「レティと、プリズムリバーの皆さんが……私を、助けてくれて……」
リリーホワイトは震えている。涙を流せぬまま泣いている、といった風情だ。
「その間に、博麗の巫女さんが……」
「霊夢に、何があったのか……知ってたら、教えてくれないかな」
「わかりません……もしかしたら……私の、せいで……」
「貴女が気にする事ではありませんよ春告精。博麗の巫女は、貴女を粉砕しようとしていたのですから」
声がした。
路傍の地蔵が喋った、と魔理沙は思った。
それほどまでに存在感の希薄な少女が、いつの間にか、そこにいた。
「……博麗霊夢は、正当な勝負に敗れたのです」
「何言ってんだ、お前……」
霊夢が、敗れる。
世迷言にも程がある、としか魔理沙には思えない。
地蔵のような少女が、幽々子を見上げ、言葉をかける。
「随分と早い段階で、本気を出したものですね。遊び、あしらう展開が、もう少し続くと思ったのですが」
「……それほど余裕があるように、見えてしまうのですね」
形のない霊夢を抱き締めたまま、幽々子は言った。
「博麗の巫女……真っ当な弾幕戦で、私が勝てる相手ではありません」
その抱擁が、ぎゅ……っと柔らかく強まってゆく。
「ああ、本当に……この生命、この魂……どろどろ、している……ぎらぎらしている……おぞましくも美しく、燃えて輝くもの……」
生命。魂。西行寺幽々子は今、己の抱いているものを確かにそう呼んだ。
では、レティの抱いているものは何であるのか。
「かつて、私も……同じものを持っていた……」
形のない、だが間違いなく博麗霊夢であるものを、幽々子は愛しげに、本当に愛おしげに抱いている。
「……欲しい……これ、欲しいよう……」
舞い散る桜吹雪に、幽々子の涙がキラキラと混ざった。
その様を、十六夜咲夜は無言で見据えている。
魔理沙はもはや、偽りの笑みを保ってはいられなかった。
「お前ら……いい加減にしろよ……さっきから、わけのわかんない事を……」
「現実を見ろ霧雨魔理沙。はっきり言われないと、わからないのか。私に言わせるのか」
眠っている、ようにしか見えない霊夢の身体を、レティが魔理沙に押し付けてくる。
「ならば言ってやる……博麗の巫女は、死んだ」




