第20話 幽冥楼閣の亡霊少女
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
異変が起こると、妖精は発狂する。そして弾幕をばら撒く。
いつもの事ではある。
「に、しても! これはちょっと、ねえちょっとぉおおおっ!」
叫びながら博麗霊夢は、空中で珍妙な踊りを踊った。細い胴体が、すらりと形良い両腕両脚が、おかしな方向に捻転し跳ね上がる。白い付け袖がせわしなく舞い、赤い袴スカートがあられもなく広がりはためく。
紅白の金魚が溺れかけているかのような、滑稽な回避飛行であった。珍妙な形に捻れ跳ね上がる胴体や四肢を、光弾の嵐がかすめて走る。
赤と青の光弾。2色の弾幕を、霊夢は溺れかけの金魚となって泳ぎ抜けた。
「春、春、春! 春! 春ですよぉーッッ!」
黒衣の妖精が、悦び叫びながら、赤青の弾幕をぶちまけている。
それを辛うじてかわしながら、霊夢は怒鳴った。
「ちょっと春告精……何やってんのよ、こんな所で!」
こんな所、というのは冥界である。
魂魄妖夢の言葉が正しければ、冥界の白玉楼という場所であるらしい。
風景は、ただひたすら石階段と桜である。
桜吹雪に、赤と青の光弾嵐が混ざり込んでいる。
その中を飛翔しながら、霊夢は言った。
「ええと、あんたが冥界にいる。死んじゃった、って事? 妖精のくせに」
「死ぬ。そう、春ってね! 生命が、たくさん生まれて! たくさん死んじゃうんですよー!」
嬉しそうな声を発しながら、リリーホワイトも冥界の空を飛び回る。翅と黒衣をひらひらとさせながら、赤と青の弾幕を噴射し続ける。
「死んだ生命は土に還って、また新しい生命になるんです!」
「あんたがこんな所にいるから幻想郷が春にならない。とっとと戻りなさい……と、言いたいところだけど気が変わったわ」
襲い来る2色の弾幕をかわしながら、霊夢はお祓い棒を振るった。
「……今のあんたを、幻想郷に帰らせるわけにはいかない。何か、そんな気がするのよね」
飛翔する博麗の巫女を取り巻くように、二つの陰陽玉が高速旋回をする。
残像が、無数の陰陽玉となって発射された。
「何か悪いものが憑いちゃってるみたいだから、お祓いをしてあげる」
陰陽玉の嵐が、赤青の弾幕を蹴散らして吹き荒れ、リリーホワイトを直撃する。
吹っ飛んで行く春告精を見据えて、霊夢は攻撃を念じた。
虹色の光が、冥界の空を照らした。
「とりあえず1度、砕け散りなさい。再生すれば、その黒っぽい憑き物も無くなってるでしょ」
巨大な虹色の光弾が複数、霊夢の周囲を獰猛に飛翔している。
それらが一斉に、リリーホワイトを襲う……寸前。
白っぽい、ぼろ布のようなものが、高速で飛び込んで来た。
「リリー!」
1人の、少女。
満身創痍の身体で、リリーホワイトを背後に庇い、霊夢と対峙する。
「……やめろ、博麗の巫女」
「あんた……冬妖怪のレティ・ホワイトロックね」
霊夢は、とりあえずは会話を試みた。
「ぼろぼろじゃない……ははん、さては魔理沙にやられたのね? マスタースパークその他諸々の直撃を喰らって、めでたく冥界送りというわけ」
魔理沙が、近くまで来ているとしたら。少し待って、合流するべきか。
「生きてるなら、無理はやめときなさい。そこをどいて」
「そうはいかない……私は、リリーを守る……」
健気な事を言うレティの背後で、しかしリリーホワイトは首を傾げている。
「ええと……貴女、誰ですかー? 冬関係の方? ごめんなさい私、冬はあんまり好きじゃないんですよー。みんな最初から死んじゃってるし」
「西行妖……リリーに一体、何をした……」
呻くレティに、霊夢は声を投げた。
「春告精を助けたいなら、黙って見てなさい。砕いて再生させれば元に戻るから。多分」
「……ここはな、幻想郷じゃないんだぞ……」
レティが、苦しげに牙を剥く。
「いくら妖精でも……冥界で、砕け散ったら……正常に再生、出来るかどうかなんて」
「何にしてもね、今のリリーホワイトを幻想郷に戻すわけにはいかないの」
霊夢は、お祓い棒を振るった。
虹色の大型光弾たちが、一斉に飛んだ。春告精と冬妖怪の周囲を旋回し、逃げ道を塞ぐ。
「いいわ、一緒に砕け散りなさい……夢想封印」
輝きを強める虹色の光の中で、レティがリリーホワイトを抱き締める。
その周囲で、何羽もの蝶が舞った。
虹色の光弾が全て、消えて失せた。
レティとリリーホワイトを粉砕する寸前であった夢想封印が、優雅な蝶々の羽ばたきで掻き消されてしまったのだ。
「な…………っっ!?」
霊夢は、絶句するしかなかった。
何色をしているのかよくわからぬ蝶たちを、周囲にひらひらと従えて、その少女は空中に佇んでいる。現れた、と言うよりは、いつの間にかそこにいた。
「全然……駄目ではありませんか、ヤマザナドゥ閣下」
ゆったりと舞う桜吹雪に合わせて、水色の衣服が揺らめいている。豊麗な女体の凹凸を、全く隠せていない。
「博麗の巫女では、リリーホワイトを救う事は出来ません。妖精も妖怪も、もろともに粉砕してしまう……何とも、ぎらぎらとした闘争心。それに似たものを、かつて私も持っていたような」
儚げな美貌に、霊夢は見入った。見とれた、と言っても良い。
この少女は、生きた人間ではない。そう霊夢は直感した。生きた人間が、これほど美しいわけがない。そんな気がしたのだ。
「……一体、どこへ置き忘れてしまったのかしら」
「誰……」
そう問いかけるのが、霊夢は精一杯だった。
人に名を訊く時は自分から名乗れ、などとは言わず、その少女は優雅に膝を折って一礼した。
「西行寺幽々子と申します。不肖の身なれど、冥界の管理を仰せつかっておりますゆえ、お困りの際は何なりと。道にお迷いですか? それとも、お亡くなりのどなたかと面会を御希望?」
「……私、多分あんたと面会希望だと思う」
気を取り直し、霊夢は言った。
「異変の、元凶……」
「異変とは?」
「幻想郷がね、春にならないんだけど。西行寺さん、あんたの仕業? いや、って言うより……あれの仕業」
ずっと自分たちの背景であり続けている桜の巨木を、霊夢は睨んだ。
満開直前、といったところか。ピンク色の雲海とも言うべき、禍々しいまでの咲き誇りようである。
その所々で、骸骨のような裸の枝が露出している。雲の中から助けを求める、亡者の群れ。そう見えた。
「幻想郷の春を喰らう、化け物桜ってわけ……」
「見ての通りよ。西行妖は、あと少しで満開」
西行寺幽々子が、嫋やかな五指で扇子を開く。
「他の桜を楽しみながら、待つと良いわ」
「あれが満開になると、何が起こるの?」
「幻想郷の人たちが大勢、死んでしまう……だけど貴女は平気そうね、博麗の巫女」
「……嘘がつけない性格みたいね、あんた」
霊夢は、お祓い棒を揺らした。
「西行妖。あの庭師も、そんな単語を口走ってた。そう……あの化け物桜が、その西行妖なわけ」
「……妖夢と、会ったのね。にもかかわらず貴女がここにいるという事は」
「ああ心配しないで、殺したわけじゃないから……多分」
「貴女……妖夢を、いじめたのね?」
西行寺幽々子の、透き通るような美貌が、にこりと歪んだ。
「……死になさい」
外の世界の桜など、桜ではない。
冥界にこそ、本物の桜が咲いている。
十六夜咲夜は、そんな事を思った。
それほど、心揺さぶり、心痺れさせ、心蕩かせ、心震わせる光景であった。
「桜……」
呆然と、呟く。霧雨魔理沙の後ろで、箒に腰掛けたまま。
「まったく、幻想郷は冬だってのに!」
後ろに咲夜を乗せて魔法の箒を駆りながら、魔理沙が憤っている。
果てしなく続く、石の階段。その左右で咲き乱れる、無数の桜。
穏やかに舞う桜吹雪の中、少女2人を乗せた魔法の箒がまっすぐに飛び続ける。
「……あれだな、西行妖ってのは」
進行方向を、魔理沙は睨んだ。
花霞の、遥か向こう。
この冥界全域を睥睨しつつ咲き誇る、桜の巨木。満開、にはいささか足りないようである。
「幻想郷の春を、ごっそり奪って咲いてやがる。いい気なもんだぜ」
言いつつ魔理沙が、ちらりと振り向いてくる。
自分が涙を流している事に、咲夜はようやく気付いた。
「……ごめんなさい。私は大丈夫よ、魔理沙」
「幻想郷の桜はな、残念ながらここまで派手には咲かない。けど、それはそれで趣深いものだぜ」
魔理沙が微笑む。
「お前にも、レミリアにも見せてやる。もうひと頑張りだぜ」
「私は……」
レミリアと一緒に桜を見る資格など、自分にあるのか。
そんな思いが、のしかかって来る。箒の長柄に腰掛けたまま、咲夜は俯いてしまう。
地上の様子が、視界に入った。
何者かが、よろよろと足取り弱く石階段を上っている。
ボロ雑巾のような、1人の少女。満身創痍の細身に、背負った大小の剣が重そうである。
何やら大きな人魂のようなものを、その少女は従えていた。死にかけて魂が外に出てしまっているのか、と咲夜は思った。
「あいつは……」
魔理沙も、気付いたようだ。
「……咲夜、ちょっと降りるぜ」
魔法の箒を降下させながら魔理沙は、死にかけた少女剣士の眼前に回り込んだ。
「よう、どうした魂魄妖夢。ボロボロじゃないか」
「……霧雨……魔理沙……」
魂魄妖夢というらしい少女が、弱々しくも気丈に魔理沙を睨む。
「……貴様に、見つかってしまうとは……運の尽きだな、さあ殺せ。容易く私を仕留める機会……今をおいて、他にはないぞ……」
「そんな事するくらいなら、声かけたりしないぜ」
魔理沙はひらりと石階段に降り立ち、魂魄妖夢を無遠慮に観察した。
「そのボロボロ加減……お前、夢想封印を喰らったな? それも割と会心のやつを」
「…………不覚……」
「来てるのか、霊夢が」
「……私は、敗れた……あの吸血鬼の少女もろとも……」
咲夜は思わず、妖夢にナイフを突き付けてしまうところだった。
先に、魔理沙が確認をしてくれた。
「その吸血鬼……宝石みたいな翅が、生えてなかったか?」
「生えていた。噂に聞く、紅魔館の吸血鬼……恐るべき相手であった」
妖夢の目が、ちらりと咲夜の方を向く。
「……貴様は、何者だ? 博麗の巫女に劣らぬ、剣呑なる気配……白玉楼に、近付けるわけにはゆかぬ」
「その白玉楼という場所に近付いて欲しくなければ、私の質問に答えなさい」
咲夜は言った。
「その吸血鬼……フランドール・スカーレット様は、今どちらに?」
「ほう。それが、あの剣士の名か」
妖夢が、弱々しく微笑む。
「死んだ……と言ったら、どうする?」
咲夜は、無言でナイフを一閃させた。
その切っ先が、妖夢の細い喉を切り裂く、寸前で止まる。
咲夜の首筋を切り裂く寸前で、妖夢の剣も止まっていた。
短い方の剣。いつ抜き放たれたのか、咲夜には見えなかった。
魂が外に出てしまうほど死にかけている、はずの少女剣士を、いささか甘く見ていた。それを咲夜は認めざるを得なかった。
「おいおい……」
魔理沙が、仲裁に入った。
咲夜に小剣を突き付けたまま、妖夢が言う。
「……あの吸血鬼は、貴様の主君か。まあ安心するがいい。博麗の巫女と言えども、あれをそうそう容易く殺せはしない」
自分の主君は、一体誰であるのか。一瞬、咲夜は思い悩んだ。
レミリア・スカーレットか。自分に、そんな資格があるのか。
「消えた」
妖夢の言葉を、咲夜は聞き逃してしまうところだった。
「私が束の間、意識を失い、目覚めた時……フランドール・スカーレットの姿はなかった。気配も消え失せていた。あの絶大極まる妖力の塊が、砕け散って霧散した様子もない。消えた、としか言いようがないのだ」
「…………」
咲夜は、ナイフを引いた。
妖夢の剣も、咲夜の首筋から遠ざかる。
いくらか騒がしい気配が、頭上を通過して行く。咲夜は、見上げた。
飛行する少女が3人。冥界の空を縦断し、西行妖の方へと向かっている。
「プリズムリバー……」
魔理沙が呟く。
聞こえたのかどうか、リリカ・プリズムリバーが声を降らせてきた。
「安心しなさーい。私ら別に、幽々子さんに加勢しようってワケじゃないから」
「遠くへ行ってしまった春告精を……私たちの演奏で、こちらヘ引き戻す」
ルナサの陰鬱な声は、上空から地上まで、よく通る。
そして、メルランが笑う。
「あんたたち、ゆっくり来なさぁああい! 幽々子さんがぁ、お茶とお菓子と弾幕! 用意して待ってるからああああ」
笑い声を引きずりながら、プリズムリバー三姉妹が飛び去って行く。
見送りつつ妖夢が、桜の幹にもたれかかった。
「強がってはみたが……無念だ。今の私に、お前たちを止める力はない……私を殺さぬなら、こんな場所に長居は無用……行くがいい、白玉楼へ」
「白玉楼……」
魔理沙が、腕組みをした。
「そこに、お前のご主人……西行寺幽々子が、いるんだな?」
「引き返すなら、これが最後の機会。だが」
妖夢は言った。
「冥界で起こった変事・凶事に関して、何か知りたいのであれば……冥界の管理者たる、幽々子様にお尋ねするしかなかろうな。答えては、下さるはずだ」
「妹様……フランドール様の事も?」
「答えの代価は、お前たちの生命と魂……という事になりかねんから引き返せと言っている」
妖夢は、咲夜を見据えた。
「単刀直入にゆこうか。幽々子様に……殺されても、知らんぞ」