第17話 幽雅なる禍いの華
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
冬が、最後の力を振り絞っている。春の到来を拒むかのように。
霧雨魔理沙は、そう思った。
「リリーは言った。どんなに邪悪な、禍々しい桜であろうと、満開に咲く権利はあると! だって春なんだから!」
レティ・ホワイトロックの叫びに応じて、寒気が吹き荒れた。冬の咆哮そのものの轟音を立てて。
「だから西行妖が咲くのを待てと言ってる! 邪魔をするな、リリーの邪魔をするなぁーッ!」
荒れ狂う寒気が、無数の鋭利な固形物と化して魔理沙を襲う。
弾幕であった。
煌めく冷気の弾幕を、魔理沙はかわし続けた。箒にしがみつき、飛行速度と角度を小刻みに制御しながら身体を揺らす。
キラキラと冷たく鋭い光弾の嵐が、全身をかすめて走り流れる。辛うじて直撃はない。だが光弾が衣服をかすめるだけで、凄まじい寒さが皮膚から肉へ骨へ内臓へと染み込んでくる。
体内でこうして魔力を燃やし続けていなければ、そろそろ凍死している頃だ。
幻想郷上空における、この戦いに敗れたなら、凍死と墜落死をほぼ同時に遂げる事になる。
「いい! いいわよレティ・ホワイトロック。あんたの鳴らす音楽は最高よ、冷たいのに熱い冬のメロディーリズムビート!」
メルラン・プリズムリバーが、叫びながらトランペットを吹くという器用すぎる事をしている。人外の奏法であった。
激しく陽気で、なおかつ獰猛で戦闘的な音色。
それが、終わりかけの冬を鼓舞している、と魔理沙は感じた。
鼓舞され、燃え上がった冬が、1度は消滅しかけたレティに力を与えたのだ。
「さすがメル姉……テンション上げ上げ系の楽曲は、お手の物よねえ」
リリカ・プリズムリバーが、愛らしい五指をキーボードに走らせ続ける。
奏でられる音楽が、そのまま音符の形を取り、襲いかかって来る。楽曲の弾幕であった。
魔理沙を襲う無数の音符が、次の瞬間ことごとく砕け散った。切り刻まれていた。
「……そこを退きなさい、プリズムリバー楽団」
魔理沙の周囲。空中のあちこちに、何人もの十六夜咲夜が着地している。時の止まった、無数のナイフの上に。
「私はね、フランドール・スカーレット様をお連れしなければならないのよ。正式な演奏会でもない今、お前たちの音楽など聞いている暇はない!」
ナイフを蹴って、咲夜は跳躍した。
何人もの咲夜が、1人に戻り、あるいはまた増殖し、集結して1人に戻りながら、ナイフを振るう。空中あちこちで斬撃が閃き、襲い来る音符の群れを切り砕く。
レティの背後で、ざっくりと裂けた空。
その裂け目の奥に、フランドール・スカーレットはいる。
「春が流れ込む、空の裂け目……」
ひたすら回避飛行を強いられつつ、魔理沙は言った。
「……そんなもの作ったのは魂魄妖夢だな」
「あやつが持つ大小の剣、その小さい方で空を斬っていたな」
寒気の弾幕を操りながら、レティが応える。
「あの剣技の冴えは、まあ認めてやってもいい。あやつは……あやつなりにな、西行寺幽々子ただ1人のために己の持てる力を振るっている」
マスタースパークの中で1度は消滅しかけたレティが、今は眩しいほどに己の姿を維持して冷気を輝かせ、白く燃え上がっている。
(冬が……冬の妖怪に、力を与えている……)
幻想郷では当たり前の事だ、と魔理沙は思う。
幻想郷の季節は、生きている。霊夢が以前、そんな事を言っていた。春も夏も秋も冬も、己の意思と命を持っていると。
「それなら……妖怪だけじゃなく、私たちにも……力、貸してくれないかな。特に春」
幻想郷の季節という、返事など期待の出来ない相手に、魔理沙は語りかけていた。
「……春は今、西行妖とかに吸われてる最中か。じゃあ夏でも秋でもいいぜ。冬ばっかり長く続くのは、お前さんたちも面白くなかろ? だからさ、私たちが冬を引っ込めてやるからさ」
「……貴女は、どうなのかしらね。紅魔館のメイド長さん」
魔理沙の独り言など聞きもせずに、ルナサ・プリズムリバーが言った。
「貴女がそうやって戦うのは、誰かのため? 例えば、あのレミリア・スカーレットお嬢様」
「……それに関して、お前たちに話す事など何もないわ」
言いつつ咲夜が、懐中時計を握り込む。
ルナサの動きが、止まった。だが。
「あっははははは、無駄よ無駄!」
「雑魚の群れならともかく。私たち3人の時間を同時に止めるなんて、貴女には無理!」
メルランとリリカの奏でた音楽が、そのまま弾幕となって咲夜を襲う。
「…………!」
時間の止まったナイフを蹴って、咲夜は跳躍した。回避の跳躍。鋭利な美貌に、微かな狼狽の色が浮かぶ。
綺麗な唇を歪め、その内側で歯を食いしばりながら、咲夜は細身を捻転させていた。マフラーとメイド衣装が一緒くたにはためき、形良い胸の膨らみが微かに揺れ、引き締まったボディラインが柔らかく捻れる。すらりと美しい太股が、若干はしたなく躍動する。
それら全ての部分が、襲い来る光弾や音符を紙一重でかわしているのだ。
この吹き荒れる寒気の中。体内で燃やす魔力など持たないはずのメイド長が、霊夢に匹敵するのではないかと思えるほどの回避能力を発揮している。
弾幕の類、だけではない。寒気や毒気といった目に見えぬものも含めて、妖怪の攻撃手段をことごとく回避する技能を、この十六夜咲夜という少女は修得しているのだ。
恐らくは最初から妖怪との戦いを想定した上での、過酷な鍛錬によって。
(この十六夜咲夜って奴……筋金入りの妖怪退治人だぜ)
自分も、回避に専念してばかりはいられない。
魔理沙は、箒の左右に浮かぶ二つの水晶球に、己の燃え盛る魔力を注ぎ込んだ。
(これからも異変解決をやってく上で……何としても、味方に付けとかなきゃいけない相手だぜ。霊夢)
浮遊する二つの水晶球が、光弾の嵐を迸らせる。
無数のマジックミサイルが魔理沙の周囲に発生し、一斉に飛ぶ。
その弾幕が、レティを粉砕した。そう見えた。
冬妖怪の破片が、きらきらと氷雪の結晶に変わりながら飛散し、空中の別の場所に集結して、レティの形を取り戻す。
「無駄だ。悪い事は言わない、ここで死んでおけ……」
言いかけて、レティは動きを止めた。
魔理沙も、空を飛びながら硬直していた。
魂魄妖夢が、空中に刻み込んだ裂け目。
そこから、目に見えぬ何かが溢れ出したのを、魔理沙は感じたのだ。同じものを、レティも感じたのだろう。
自分は死んだ、と魔理沙は思った。
自分が、魔力を持たぬ普通の人間であったら今、間違いなく死んでいた。
問答無用で人間の命を奪う力が今、空の裂け目から流れ出したのだ。
咲夜は、時間停止した無数のナイフを蹴って跳び続け、プリズムリバー楽団の弾幕を際限なくかわしている。彼女が普通の人間であれば、やはり死んでいただろう。
「? ルナ姉、今……」
「……ああ。西行妖の満開が、近いのね」
ルナサが、ヴァイオリンを弾きながら陰鬱な声を出す。
「人が、大勢死ぬわ……葬送曲を書かないと」
「あたし書けた! お化け桜の満開を祝う、お花見の曲。いっきまぁーす!」
メルランのトランペットから、陽気な、だがどこか不吉な楽曲が激しく流れ出す。
その楽曲が、光弾と音符に変わり、咲夜を直撃した。
いや直撃ではない。吹き荒れる弾幕の中で咲夜は身を捻り、命中を避けている。
だがそれは、かすめただけで殺傷をもたらす、死の楽曲であった。
「く……っ!」
綺麗な歯を食いしばりながら、微量の血飛沫を散らせる咲夜に、メルランが迫る。
「まぁったく、気付いてないのかなあ? この瀟洒なメイド長さんはぁ」
「気付いてない、ふりしてるだけでしょ。まったく、どんなお馬鹿な喧嘩をしたのか知らないけど」
キーボードから弾幕を放射しつつ、リリカも言う。
「レミリア嬢と離れ離れになったら駄目でしょうが。あんたはね……御主人様がいないと、何にも出来ないメイドなんだから」
プリズムリバー姉妹に追われ、咲夜が遠ざかって行く。
連携を、完全に分断された。
魔理沙は今、1対1でレティと対峙している。戦いそのものは、しかし止まっていた。
「何だ……今のは、一体……」
息を呑むレティに、魔理沙は声を投げた。
「止めた方がいい……止めなきゃいけない事が今、起こってるんじゃないのか。おい」
普通の人間がいない空中であるから、今のところは誰も死んでいない。
だが、ここが地上であったら。人里の近くであったら。
「リリーホワイトがな、やばいものを目覚めさせようとしてる……かも知れないんだぞ」
「……こちらに、いらっしゃったのですね。紫様」
八雲藍が、跪いて頭を垂れる。
そうすると尻尾の見事さが際立つ。ふっさりと後光の如く広がった黄金色の九尾が、うずくまる藍の身体を後ろから包み込んでしまいそうである。
やってみて欲しい、と思いつつ八雲紫は言った。
「御苦労様。面倒をかけたわね、藍……冥界と幻想郷との境界線を、しっかりと強化してくれたのでしょう? 西行妖の力が、冥界から漏れ出さないように」
「……西行妖が満開になれば、そのようなもの一瞬にして突破されます。死が、冥界から幻想郷へと流れ溢れ出すでしょう」
藍が、顔を上げた。
「博麗の巫女や霧雨魔理沙ならばともかく……力のない普通の人間は、恐らく1人も生き残りません。人里が死に絶えます」
紫に向けられる藍の視線が、険しさに近いものを帯びている。口調もだ。
藍は今、主である自分を詰問しようとしている。まあ無理からぬ事だ、と紫は思う。
「紫様は……何故、西行寺幽々子の行いを放置しておられるのですか」
「だってあいつ、私の言う事なんて聞いてくれないもの」
紫は、端麗な口元を扇子で隠した。
「無理矢理に言う事、聞かせようとしたら戦いになるし。私、幽々子と戦うなんて嫌だし……だから博麗の巫女に押し付けようと思ったのだけど。駄目ね、あの子では」
「博麗霊夢は、順調に白玉楼へと到達いたしましたが」
「そこなのよ藍。その順調さが問題なの」
ぴしゃり、と紫は扇子を畳んだ。
「博麗霊夢は、私情に流されている。レミリア・スカーレット1人を守るためだけに戦い始め、異変解決の意思も希薄なまま、流されるままに異変の元凶へ至ろうとしている。貴女の言う通り、あまりにも順調にね」
流されるまま、いつの間にか目的地に到達する。それもひとつの才能であるのは間違いない。
だが、と紫は思う。
「流されるままの戦いでは、幽々子には絶対に勝てない……仲間を集めながら一歩一歩、悪戦苦闘しつつ着実に進んでいる霧雨魔理沙の方がね、まだ望みはあるわ」
言いつつ紫は、繊手をかざした。
空間の一部が、開いた。まるで目蓋のように。
この場にいる紫と藍は、眼球である。目蓋を押しのけ、幻想郷のあらゆる場所を見つめる事が出来る。
霧雨魔理沙がいた。空中で、レティ・ホワイトロックと睨み合っている。
十六夜咲夜もいた。プリズムリバー三姉妹を相手に、苦戦を強いられているようである。
戦いを見つめながら、藍が言った。
「紫様……あの西行寺幽々子とは、そもそも何者なのですか。貴女の古い御友人、それ以外の事を私は知りませんが」
「そうね、私の友達……ふふっ。ねえ藍、貴女のような頭の良い式神が、あいつを知性で理解しようとしても上手くいかないわ。感覚として、どう? 私の親友、西行寺幽々子を貴女はどう思う?」
「幻想郷に死を振り撒く、災厄そのものであるとしか、私には思えません。一刻も早く討滅すべきかと」
「あれでも、かなりましになったのよ? 生きていた頃と比べて、ね」
災厄そのもの。それはまさに、生前の西行寺幽々子を言い表すためにある言葉だ。
「藍……貴女、今すぐにでも霧雨魔理沙に加勢したいと思っているわね? 幽々子を倒すために」
「……お許しを、いただけませぬか」
「駄目。もう少し、待ちなさい」
紫は言った。
「彼女たちにはね、幽々子との戦いを自力で切り抜けてもらわないと」
「…………試練、ですか。スカーレット姉妹と同じく」
「次の異変が迫っているのよ、藍」
博麗霊夢と霧雨魔理沙、だけでは戦力が足りない。そこへ自分と藍が加わったとしても足りない、と紫は思う。
「紅い霧、長引く冬……そんなものは問題にならないほどの異変が、もう間もなく起こる。紅魔館と白玉楼の、全面的な協力が必要になるわ。レミリア・スカーレットには1日も早く立ち直ってもらわなければ……それに」
「紫様、貴女は……西行寺幽々子にも、試練を?」
「紅魔館の令嬢だけではない。幽々子にもね、正面から向き合わなければならないものがあるのよ」
それと向かい合う事は、西行寺幽々子にとって最悪の場合、消滅を意味する。
(それでも、幽々子……私は貴女に、その先にある領域へと至って欲しい)
このような事を直接、言ったところで、あの旧友には理解してもらえない。
(そうしなければ、藍の言う通り……貴女はずっと、死をもたらす厄災のままよ。いつまで、あの頃と同じ事を繰り返すの?)