第16話 博麗の巫女、異変解決に出発する
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
桜吹雪に彩られた、長大なる石階段。
果てしなく続く幽玄そのものの光景に、言葉では形容し難いほど醜悪なものたちが無数、混ざり込んでいる。
のたのたと浮遊する、おぞましい肉塊の群れ。それらが、
「俺たちは、ここで戦い、ここで死ぬ……八雲紫の、兵士として……」
「俺たちは罪悪の袋。罪と穢れ、そのもの……」
「紫の命を受け、戦い、死ぬ……それだけが、俺たちの穢れを清める……」
言葉と共にグニャリと歪み、その歪みを様々なものに変え、伸ばして来る。牙を剥く、巨大な口吻。鋭利な鉤爪を備えた五指。毒針を生やした触手。
それらが、あらゆる方向から博麗霊夢を襲う。
罪悪の袋。まさにそう呼ぶにふさわしい、醜悪なる怪物たち。
この者たちの言葉には何の意味もない、と霊夢は思う。単なる世迷言だ。
世迷言の中に出て来た、八雲紫という名前だけを、霊夢は記憶にとどめる事にした。
「こんなもの大量に作って、幻想郷にばら撒こうとしてる……んだったら許さないわよ!」
襲撃の真っただ中で、霊夢は身を翻した。
艶やかな黒髪がふわりと舞い、翼のような付け袖がはためき、お祓い棒が高速で弧を描く。すらりと形良い脚が、袴スカートをはねのけて回し蹴りの形に一閃する。
怪物の口吻や五指や触手が、お祓い棒に殴打されて砕けちぎれ、あるいは斬撃のような回し蹴りに粉砕される。
おかしい、と霊夢は思った。
「……あんたたちを、ぶちのめすの……初めて、じゃないような……」
そんな事を呟いている間にも、2つの陰陽玉が霊夢の周囲を旋回しながら発光する。
その光が、無数の光弾となって迸り、罪悪の袋たちを薙ぎ払う。
幽玄なる光景を汚す、おぞましいものの群れが、片っ端から破裂していった。
弾幕に撃ち砕かれゆく罪悪の袋たち。その肉片と体液の飛沫が、飛散しながら光り輝く。
全て、光弾だった。
おぞましい肉塊たちの、生命そのものが弾幕と化し、全方向から押し寄せて来る。
霊夢はかわし続けた。ひらひらと舞う付け袖を、光弾の嵐がかすめて行く。
「博麗の巫女、とかいう奴……俺は、お前を知っている……ような気がする……」
弾幕の一掃射では大して減ったように見えない罪悪の袋たちが、口々に言った。
「俺の身体に……意識の底に、お前の姿が刻み込まれている……とてつもない恐怖と共に……」
「俺たちは……博麗の巫女よ、お前が恐ろしい……」
「……お前は、存在してはならないものだ」
「お前は、きっと……間違いなく……紫を、脅かす……」
「だから死ね、博麗の巫女……」
言葉を発した罪悪の袋が突然、砕け散った。
飛散した生命の飛沫が弾幕となり、だが翼の羽ばたきに蹴散らされて消滅する。
いくつもの煌めく宝石を生らせた枝。そんな形状の翼。
フランドール・スカーレットが、羽ばたきながら2つの得物を振るい、罪悪の袋たちを粉砕してゆく。
ねじ曲がりながら槍ほどに巨大化した、時計の針。巨大に燃え輝く光の剣。
左右それぞれの可愛らしい手で振り回される、2本の凶器が、醜悪なものの群れをことごとく殴り潰し斬り砕く。牙を剥く口吻が、鉤爪を伸ばした五指が、毒針を生やした触手が、それらを生やした肉塊が、フランドールの周囲で破裂し飛び散り続けた。飛び散ったものが光弾と化し、吸血鬼の少女を襲う。
煌めく翼でそれらを払いのけながら、フランドールは飛翔した。
この少女は別に、霊夢を援護してくれているわけではない。目障りで醜悪なものたちが進路上に群れていたので、排除しただけだ。
障害物を排除しながら飛行するフランドールの行く先で、1人の剣士が空中に佇んでいる。
一見たおやかな両手で大小の剣を軽々と携え構える、二刀流の少女剣士。
「……惜しいな、その荒削り」
静かに呟きながら魂魄妖夢が、フランドールの突進を迎え撃つ。
「我が師父・魂魄妖忌であれば、お前を最強の妖怪剣士に育て上げる事が出来たであろう」
両者の間で、無数の火花が咲いた。
計4つの武器が、霊夢の動体視力でも捉え難い速度で激しくぶつかり合う。
「だが私では、お前を……斬殺する事しか出来ない。吸血鬼の剣士、その屍を西行妖に捧げよ! その生命と魂、幽々子様に捧げるがいい!」
妖夢は不敵に微笑みながら、フランドールは表情なき人形の美貌のまま、己の武器を振るい続ける。
巨大な時分針と光の剣が、暴風の如く妖夢に叩き付けられる。大小の剣が、疾風の如くフランドールに斬り込んで行く。そして、ぶつかり合う。
弾幕のような火花を散らせながら、2人の少女剣士は桜吹雪の中を飛び交い続けた。
フランドールに加勢してやる理由はないが、加勢しても良いと霊夢は思う。
「……あんたたちさえ、いなかったらねっ」
まだ大量に生き残っている罪悪の袋たちが、霊夢の周囲で急激に痩せ細ってゆく。光を噴射しながらだ。
醜悪な肉塊から生命そのものが溢れ出し、弾幕となって霊夢を襲う。
とりあえず回避に専念するしかないまま霊夢は、視界の隅に飛び込んで来る戦いをちらりと観察した。
豪快に振り回され続ける光の剣が、巨大な時計の針が、小刻みに躍動する大小の刃に受け流される。あるいは、受けられすらせずに避けられて空を切る。
見切られ始めている、と霊夢は思った。剣の勝負は、どうやら妖夢に分がある。
「もらった!」
空中を蹴って、妖夢は踏み込んだ。
大小の剣が、十文字の形に一閃する。
フランドールの小さな身体が、叩き斬られて四分割された。そう見えた。
「何……っ!」
息を呑む妖夢を、4人のフランドールが取り囲んでいた。そして4方向から、光弾の嵐をぶちまける。
押し寄せる弾幕をかわし、その場を高速離脱する妖夢を、雲のような霊体の塊が取り巻いて護衛している。
巨大な人魂のようでもあるそれが、弾幕を発射した。
降り注ぐ霊気の光弾をかわしながら、4人のフランドールが妖夢を追う。
いくつもの浮遊する魔法陣が、回転する光の時計が、妖夢を襲う。
剣の戦いならば、妖夢の勝ちは動かない。だが魔法を駆使した弾幕戦となれば。
「……って別にね、あんたを応援してるわけじゃないのよフランドール。おっと」
桜吹雪が、吹き付けて来た。かわす必要もない、桜の花びら。
否、と霊夢は直感した。
牙を剥き、食らいついて来た罪悪の袋を蹴りつけて、霊夢は跳躍した。跳躍をそのまま飛行に変え、その場を高速離脱した。桜吹雪から、逃げ出していた。
罪悪の袋たちが、桜の花びらに穿たれ、切り刻まれている。
桜吹雪が、そのまま弾幕と化したのだ。
長大な石階段の左右で、どこか禍々しく咲き誇る桜の木々が、殺意ある妖怪の如く弾幕を放ったのである。
霊夢の呪符にも劣らぬ破壊力を持った花びらが無数、嵐の如く吹き荒れて、罪悪の袋たちを粉砕してゆく。
桜が突然、妖怪と化した。あるいは、妖怪に変えられた。霊夢は、そう感じた。
桜吹雪に撃ち砕かれた罪悪の袋たちが、生命の残滓とも言うべき弾幕と化し、弱々しく漂っている。
それらをかわしながら、霊夢は見た。
妖怪と化した桜並木の陰で、くるりと日傘が揺らめいている。
日傘を差した何者かが、佇んでいる。
「レミリア……? な、わけないわよね。いやそんな事よりもっ」
桜吹雪の弾幕は、妖夢とフランドールをも直撃していた。
「ぐうッ!? なっ、何だこれはッ……」
微量の血飛沫を散らせ、吹っ飛んで行く少女剣士2名を、光が取り巻いた。
虹色に輝く、いくつもの大型光弾。
それらに取り囲まれながら、1人に戻ったフランドールが霊夢を睨む。紅玉のような瞳が憤怒に燃え、愛らしい口元では美しい牙が剥き出しになる。
やはり良い顔だ、と霊夢は思った。
同じような表情で、妖夢も霊夢を睨む。
「博麗の巫女……貴様!」
「魂魄妖夢。フランドールを止めててくれて、ありがとうね」
虹色の大型光弾たちが、あらゆる方向から妖夢とフランドールにぶつかって行く。
「生きてたら、生かしといてあげるわ……夢想封印」
虹色の、光の爆発が起こった。
その中から妖夢とフランドールが、桜並木へとむかって墜落してゆく。
空中に佇んだまま、霊夢は見送った。
「大丈夫よレミリア。あんたの妹……夢想封印の1発2発で死んでくれるほど、おしとやかな子じゃないから。ま、これで少しは大人しくなってくれれば」
とりあえず、いきなりレミリアを殺しに飛んで行くような元気は当分ないであろう、と霊夢は思う。
日傘を差した何者かの姿は、もはや見えない。
桜に弾幕能力を与え、結果として霊夢に加勢をしてくれた何者か。
「……花の、弾幕……」
何かが、引っかかる。霊夢の記憶に、引っかかっているような気がする。
今はしかし、そんなものを気にかけている場合ではなかった。
霊夢は振り返り、見上げた。
果てしなく続く石階段の先に、巨大なものがあった。あまりにも巨大過ぎて、今まで視認出来なかったもの。
桜の、巨木である。
満開まであと少し、といったところか。咲き誇る薄ピンク色のあちこちで、骸骨を思わせる裸の枝先が露出している。
終わらぬ冬の異変。
あの桜が、その中枢に近い何かである事は、ここまで来れば明らかである。
「ここまで来たら……しょうがないわね。やりましょうか、異変解決」
今の俺は、いかにして生き長らえているのか。
この身体に、まっとうな食事で栄養を摂る事は出来るのか。自分でもわからない。
こうして空腹を覚える。つまり、その気になれば餓死する事が可能であるのか。
この迷い家とかいう所の連中には、しかし俺を餓死させるつもりが毛頭ないようであった。
「お昼ご飯よ。ほら、さっさと食べるね」
目の前に、お膳が置かれたようである。目の前と言っても、俺はもはや目が見えない。が、何があるのかはわかる。戦いになれば正確に敵の位置を把握し、そちらに向かって牙や爪や触手や弾幕を放つ事が出来る。
今は、戦いの時ではなかった。
「お前、自分で食べられるか? なんなら食べさせてやるね。あーんするね」
「……自分で、食べられる」
「そうか。じゃ、いただきますをするね。ちゃんと」
この迷い家で、橙と呼ばれている少女である。どうやら人間ではない、という事くらいしか俺にはわからない。
その橙が、俺と向かい合って膳を置き、正座をしたようだ。
そして、いただきます、と言って手を合わせる。
俺も同じ事をした、つもりだが、合掌の仕草など出来ているのやらわからない。
「お前……ここで俺と一緒に食べるのか」
「当然。橙だって、お昼の時間よ」
もぐもぐと普通に食事をしながら、橙は言った。
「朝早くからお掃除にお洗濯、それに弾幕のお稽古。橙はもうお腹ぺこぺこよ。藍様がいないからって、いい加減には出来ないね」
弾幕の稽古で俺は先程、この少女に殺されかけた。
「……俺の姿、食欲が失せるんじゃないのか?」
「別に」
「そうか……」
俺は身体の一部分、手の役割を果たしている器官を伸ばし、箸とお椀を保持した。
お椀の中身は汁物だが、味噌汁か吸い物か判然としない。複雑な香りと味である。よほど凝った出汁の取り方をしているのだろう、と俺は思った。
他には白米と漬け物、それに焼き魚。この魚は、どうやら干物だ。その辺の川で釣ったのであろう魚を、丁寧に捌いて開いて干してある。
箸を進めているだけで、涙が出て来る食事である。
きちんと涙を出せたのかは不明だが、泣いている事はわかったようだ。橙が、ちらりと睨んでくる。
「どうした、不味いか。でもお前、居候の兵隊。拒否権ないね。我慢して食べるね」
「違う……美味い……」
魚の干物と米を、汁物で流し込みながら、俺は泣き続けた。
「死んだ……俺の身体から切り分けられて行った連中が、今……皆殺しにされた……何の役にも、立たなかった……」
「そうか。まあ最初はそんなもの、気にする事ないね」
「俺は……紫の、役に立てない……」
「役立たずを無理矢理、役に立たせる。紫様それ凄く上手よ。だから大丈夫、お前もそのうち活躍出来るね」
「お前らは、どうして……ここまで、俺に良くしてくれる?」
漬け物をかじりながら、俺は言った。
「俺はな、橙……お前くらいの女の子を、売り飛ばした事もあるんだぞ……」
「それ悪い事なんだろうけど、今ここで橙が怒ってもしょうがないね」
橙は、縁側の方を向いたようだ。
開け放してあるのだろう。柔らかな日差しと、心地良い外気の流れが感じられる。
「外の世界の事、もう忘れるといいね」
橙が言った。
「お前、もう幻想郷でしか生きられない。紫様のために、幻想郷で死ぬしかない。それまでは橙がお世話するから、のんびり過ごすといいね」
白玉楼へと続く石階段を、彼女は足取り優雅に急ぐ事なく上ってゆく。飛んで行った博麗の巫女を、別に追うわけでもなく。
絶大な妖力の塊である、たおやかな繊手で、時折くるくると日傘を弄ぶ。
日傘の下で、端麗な唇が歪み、呟きを紡いだ。
「春に、花が咲かないなんて……許せるわけがないでしょう……?」
ひらひらと漂う桜吹雪をまといながら彼女は今、微笑んでいるのか、激昂しているのか。
「博麗、靈夢? それとも霊夢? まあどちらでも良いけれど早く異変を解決しないと……冥界、潰しちゃうわよ。私が」